◇聖女様、お目覚めの時間ですよ? (17)
「……トッド…………何故……だ?」
「何故かですって……先生に仕えてすでに十年。この日が来るのを、いつも夢見ていましたよ。先生の横暴な振る舞いに耐えながらね」
そう言って嘲笑うのは、助手であったはずのトッドである。その足元に這いつくばるのは、指導する立場のマレー教授だった。その腕に刺さる魔力波妨害短針が、教授の動きを阻害していた。
血流と同じく魔力もまた、人の体内を隅々まで巡る。それは微弱な魔力しか持たない一般の民も同じだ。魔法自体は使えなくとも、体の動きは魔力に影響されている。例えば歩くという単純な動作にしても、自覚することなく魔力が補助として使われているのである。それが魔法生体学での通説であり、その理論を利用して開発されたのが、強化系の魔導具なのだ。
魔力波妨害短針は、その体内を巡る魔力を乱し魔法の使用を妨害する。その上で、人の動きそのものさえ縛る魔導具なのである。本来は、軍が敵の魔法使用を制限するために開発されたものなのだが、その開発課程で人の行動さえ制限される事が発見されたのだ。まさに瓢箪から駒の副次的な発見ではあるが、今では治安関係者に重宝されているのである。犯罪者を捕縛するのに、これほど打って付けの魔導具は他にないからだ。
マレー教授も人柄はどうあれ、魔導関連の研究者の中では異端児扱いされつつも大家のひとりには数えられる。高い魔力値と、長年の研究で魔力濃度の濃い地域を巡った経験もあり、魔力濃度に関してはある程度の耐性を得ていた。だが、さすがに魔力波妨害短針まで打ち込まれては、マレー教授も堪らない。
今は口を開く事すら満足に出来ず、下から見上げるようにして睨み付けるのが精々だった。
「ククク、無様ですね」
勝ち誇り満足そうに笑みを浮かべるトッド。長年に渡る不満や不平が爆発した瞬間だった。
「トッド、遊びはそれぐらいにしておけ。仕事を始めるぞ――」
二人の師弟の傍らに歩み寄り、横から声をかけたのは、今まで機器の操作や準備をしていた作業服を着た男の中のひとりだった。低くこもった平坦な声は、アンジェラとは別の意味で感情の一切が抜け落ちていた。口を開く度に頬の傷が引き攣り、凄みが増し酷薄さが際立つ。
「――さっきも言ったが、払った金額の分はきちんと仕事をしろ」
「わ、分かってるとも」
頬に傷のある男に釘をさされ、トッドが僅かに狼狽えた。
「……トッド……きさまは……」
「ま……そういうことです。全ては金のため。今の世の中、徒弟制度も崩壊したというのに、先生は未だに大昔の感覚だ。そのような考えでは弟子も付いてくる訳がないでしょう。これからは、先生の無茶な指示に怯えることなく、手に入れた大金で優雅に暮らしていけますよ」
薄ら笑いを浮かべるトッドに、悔しげな視線を向けるマレー教授。と、そこへ新たな声が割って入った。
「そういう事か。教授ではなく、助手のトッド、お前がこいつらを手引きしたのか」
声の主は、今まで成り行きを窺っていたアレクである。
既に周囲の魔力濃度は相当なものになっていた。そのきつさからアレクの顔も歪み、後ろにいるメリルやサリーは立っている事さえ辛く膝を突く。様子見をしながら救援が来るまでの時間稼ぎをする積りだったが、これ以上はもはや危険と判断した。そして、ある程度の犠牲も覚悟したアレクであったのだ。
「明白な帝国への裏切り行為。直に治安局の連中も駆け付ける。逃げ切れるとでも思っているのか」
アレクが詰め寄るが、トッドは余裕の表情を崩さない。
「夕方には南大陸に向かう飛行船で――」
「トッド!」
アレクとトッドの会話を、今度は頬に傷のある男が遮る。いかにも余計な事を言うなとばかりに、その声には険しさが滲む。
「お前には、まだやる事が残っているだろう。それを先に済ませろ!」
「お、おう……」
慌てた様子で返事をしたトッドが、ゴーレム車へと転がるように駆けていった。
それを確認した後に、男がアレクへと視線を向けた。その顔には、ふてぶてしい笑みが浮かぶ。
「どうやら俺たちの正体は、もうばれているようだな」
「……お前の名前は?」
そう言うと、アレクは近くで転がる大勢の生徒を、ちらりと横目に眺めた。犠牲を覚悟しても、やはり助けられるものなら出来るだけ助けたい。それにこんな事になるなら、もっと早く強引な手段に出ていれば良かったとの後悔もある。そうすれば、或いは生徒全員を助けられたかもとの迷いもあった。だからもっとも困難な道を選ぶ。
アレクは、目の前のテロリストたちと交渉しようと考えたのである。
「くくく……俺か?」
男が喉に絡み付くような含み笑いを響かせた。
「あぁ、話をするにも相手の名前が分からなければ、話しづらい」
「ふ、まさか交渉でもする積りか…………ま、良いだろう。そうだな、仮にエースとでも名乗っておこうか」
男は途中で一度、一瞬だけゴーレム車へと目を向けまた言葉を続けた。
「エース……で、目的は?」
「俺たちの目的か? そんなものは決まっているだろう。それともお前が叶えてくれるのか、大公家のお坊ちゃんよぉ」
「む、僕を知っているのか?」
「有名だからな。炎の貴公子とか呼ばれて、いい気になってるらしいじゃないか。今回は大した獲物は無しかと思っていただけに、お前の姿を見付けた時は俺たちも大喜びしたのさ」
アレクは胸の内で舌打ちをしていた。向こうの情報は『ダナン解放戦線』と名乗る過激派組織のメンバーだとの事のみ。だが、向こうは学園の情報を詳細に調べてから、今回の作戦を決行しているのだ。その事が分かり、改めて容易ならざる相手との認識を強めたのである。
あれ……。
「聖女様、お目覚めの時間ですよ?」と叫んでみる。
おや……どうやら明日こそ確実だと断言できそうです。