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オルガの結婚  作者: えんとつ そーじ
一章 オルガの告白
9/12

8. オルガ、再度突撃する(1)

.



 オルガを乗せた馬車が王都ルカーリ公爵別邸――つまり、レリオの邸からフィオーレ家王都別邸へと到着する。

 オルガは『王の執務室警護当番表』という収穫を手に、意気揚々と馬車を降りた。同時に玄関扉が開き、初老の男女が出迎える。

「お帰りなさいませ、オルガ様」

 二人の声が揃うのは、長年夫婦をしているからかもしれない。二人は目尻の皴を深くさせ、穏やかに微笑む。

「ただいま。ジェフ、ヨハンナ」

 オルガは、自身が知る限り出会ってからずっと仲睦まじい夫妻に笑顔と共に返事をして敷居を跨ぐ。そのまま自室へと向かうその足を、ジェフが「オルガ様」と彼女を呼び止めた。

「どうしたの?」

 足を止め、ジェフへと振り返る。

 彼はオルガへと、どこか心苦しそうにそれ・・を差し出した。申し訳なさそうにするジェフの手にある物を認め、オルガは溜息を零す。とめどなく受け取りを拒否したかった。けれど、それをオルガが受け取らなければ、困るのはジェフである。ゆえに、渋々差し出された物――一通の手紙を受け取った。

 オルガはそれが誰から来たのか訊かない。訊く必要もなかった。

 そもそも、オルガへ手紙を送る人物など限られているのだ。よって、封印も送り主の名前を確認することもなく封を切る。

 中身は二枚の便箋だった。儀礼から始まる文章を流し読み、二枚目最後の一文字へと視線が到達すると、再び長い息を吐く。

 オルガの今の気持ちを例えるならば、”うんざり”が相応しかった。

(どうして、いつもいつもお父様は同じ内容の手紙を送ってくるのかしら)

 まるで定期便のように、フィオーレ領本邸にいる父から届く手紙。一言一句までは文章を覚えていないけれど、概ねの内容は覚えている。便箋二枚分綴られた文章を単純明快に要約するならば、『余計なことはするな』という忠告である。

(たった一言で済むものを、なぜ便箋二枚分も文章を並べ連ねるのかしら)

 ある意味これも文才だとオルガは思う。ならばその文才を別のところに使うべきだとも。

(耳にたこじゃなく、目にたこができそう)

「オルガ様……」

 気遣うようにオルガを窺うヨハンナに、オルガは肩を竦めて見せる。

「心配しないで。本邸や領地になにかあったわけではないみたい。いつも通りの内容だったわ」

 ――だから、いつもと同じように燃やしておいてね。

 言葉にはせず、手紙をヨハンナに渡すことで意図を示した。

 小さな声で「畏まりました」と睫毛を伏せるヨハンナ。彼女達夫婦は温かい家庭を築いているからか、オルガを取り巻く環境とその環境がオルガへ与える影響を心配している節がある。『私は平気よ』と言っても、きっとジェフとヨハンナには通じない。そうわかっているから、オルガは苦笑を零して「じゃあ、部屋へ行くわ」と告げるにとどめた。



 オルガは両親に何も期待をしていない。今回の手紙に関しても、(一文字一文字読む労力がもったいなかった)という感想を抱いたくらいには期待も興味すらない。

 愛人を囲う父と母。互いに私生活の干渉はせず、侯爵として、また侯爵夫人としての務めを全うするならばよし、という暗黙の了解が二人の間にはあった。そのことを、物心がつく前から見てきたオルガは充分把握しているし、むしろ政略結婚にしてはお互いの価値観が合っているという意味で素晴らしい相性だったとも思う。

 その両親がオルガへ向けるのも、”フィオーレ侯爵令嬢として恥じぬようあれ”という求めのみ。そして両親がオルガに与えてくれたのは、衣食住や勉学など物理的に不自由のない環境だった。

 ――愛など、知らなかった。

 ――恋など、夢物語であり架空のものでしかなかった。

 しかし。

 思い出すのは、出逢ったばかりの頃の幼馴染二人。

 目の下に二つのほくろがある少年は、幼さを残す可愛らしい顔を笑ませてこう言った。

「君が僕の婚約者候補? 申し訳ないけど、僕、エリーゼとしか結婚するつもりないから」

 天使のような表情と、一令嬢としての矜持を傷つける悪魔のような言葉。

 オルガがその言葉に傷つくことはなかった。でも、従順だった当時のオルガの胸に、人生で初めて悔しさや苛立ちの炎が灯った瞬間にはなり得た。

 容姿も家柄も申し分ない彼。だからといって、別にオルガは自分から進んで彼と結婚したいなどと思っていなかった。ただ両親と彼の父である公爵が望むのであれば、オルガはそれに従うだけ――そう、考えていたのに。

 さらに、少年と共にいた頬にそばかすの散った赤い髪の少女は、オルガに人差し指を突き出して好戦的に微笑んだ。

「あなたがわたしの好敵手ね! 絶対負けないわ。だって、わたしはレリオが大好きだから!」

 苛立っていた筈のオルガは、少女の発言に呆気にとられた。自分の知らないところで一体どう話が進んでいるのか、首を傾げるを得ない状況である。それから、頭の中の疑問符が落ち着きをみせると、怒りはぽろりと地面に転がり落ち、オルガは目の前に立つエリーゼの姿を眩しく感じた。

 ――それは、二人の存在がオルガのお日様になるきっかけの一つ目。

 そしてあの時、オルガが二人に返した言葉は――。



*・・・*・・・*・・・*



 オルガが部屋に到着すると、扉前に一人の使用人服を着た娘が立っていた。王都でオルガの身の回りの世話をする使用人ジェナである。

 国は貴族が領地外に邸を構える際、重要な役職の使用人を除いて現地の人間を雇うよう定めていた。だから、彼女は王都育ちである。

「おかえりなさいませ、オルガ様」

 ジェナは訛りのない綺麗な言葉と共にお辞儀をし、扉を開ける。外は夕暮れに差し掛かり、邸の中は火を灯さなければ暗い。しかしオルガが帰るまで無人であったその部屋には、既に光が満たされていた。暗闇が苦手なオルガへの配慮である。

 オルガが入室すると、ジェナはすぐに装飾の少ない――オルガが部屋着として使用している――ドレスを用意した。表情の乏しいジェナだが、気の利く彼女をオルガはとても気に入っていた。

「ありがとう」

 使用人に対し、礼を言う貴族はほとんどいない。エリーゼ達に出逢う前のオルガも、大多数の貴族と同じ人間だった。でも、エリーゼ達と出逢ってからは、使用人に対しても感謝の気持ちを抱くようになった。

 オルガに仕えはじめた当初は主からの礼を拒んでいたジェナだが、礼を言われ慣れてからはぽつりと「……はい」と呟いてくれる。その時のはにかんだ表情が微笑ましくて、これもオルガはお気に入りだ。

「オルガ様、後ろを向いてください」

 返事をするジェナをにやにやと見つめるオルガ。その視線から顔を隠すように、ジェナは俯いてオルガを急かす。これにオルガは「はいはい」と返して、手にしていた『王の執務室警護当番表』を近くのテーブルに置いてから彼女に背を向けた。

 ドレスの釦が一つずつ外され、身体が少しずつ解放されていく。呼吸が楽になって、深呼吸を一度だけした。それから窮屈な王宮へ着ていくためのドレスを脱ぎ、簡易ドレスの袖に手を通すと、オルガはジェナに話しかける。

「ねぇ、ジェナ」

「なんでしょう?」

「一方的に好意を寄せてくる異性が食べ物を贈ってきたら、あなたはどうする?」

「捨てます」

 オルガの着替えの手を緩めることなく、即答するジェナ。質問した側のオルガは返答に窮した。一刀両断された質問について、思考を巡らしてみる。

 まず、オルガはセルジュに自分のことを知ってもらいたい。その上で、彼に好意を抱いてほしい。だが、その考えはオルガのものであって、行為自体は押し付けでしかない。気持ちはオルガのものだから彼がどうこうできる問題ではないが、贈り物となれば別である。ゆえに、客観的な意見が欲しくてジェナに問うたのだ。

 否定されても肯定されても構わなかった。ただし、即断されると少し困る――それが今のオルガの心境である。

「……その……なぜ捨てるのか、訊いてもいいかしら?」

「一番の理由は食べ物だから、です」

「好意を寄せられているのなら、毒や針が入っていることはなさそうだけど」

「好意が善意であるとは限りません。わたしの実家は商家ですが、様々な物を取り扱っておりました。媚薬、惚れ薬、惚れ薬をつくる為の材料や工程を記した本なども」

 オルガは目を瞬き、ちらりとジェナへと振り返る。数分前とあまり表情が変わっていないジェナだが、少しだけ苦虫を噛み潰したような表情にも見えた。

(これは珍しいわね)

 ついそんなジェナを観察していれば、ジェナは「わたしは珍獣ではありません」と鋭く告げられる。

「オルガ様、今から髪をほどきますので正面を向いてください」

 と続けられた言葉に、オルガが口を尖らせながら言われた通りに従えば、ジェナは言葉をついだ。

「昔、興味本位で惚れ薬に関する本を読んだことがあります。そして、心の底から引きました」

「……なぜか問うても?」

「材料に”自身の体液”とあったのです」

 瞬間、オルガの顔は蒼褪める。

「地方の呪いの類のようですが、藁にも縋るという恋する者がそれを実行しないとも限りません。それに、好意が過ぎれば毒にもなります」

「……つ、つまり?」

「自分のものにならないのならば殺してしまう――そう血迷う輩がいないとも限りません」

「…………」

 もはやオルガに返す言葉はなかった。

 ジェナの例えは極論だ。ところが、全てを否定することもできない。


 脳裏に過ぎる、過去の一場面。オルガの心に恐怖を植えつけた、あの・・の出来事。

 手のひらに落とされた、星屑のような小さな砂糖菓子。甘くて――とても甘かった。傷ついた心を優しく包み込むくらいに。


 その時に食べた星屑のような砂糖菓子は、以来オルガの好物になった。だから、自分のことをセルジュに知ってもらいたくて、差し入れを検討していたが。

(お店の品だし、差し入れとしては無難かと思っていたけれど……しばらくはおあずけかしら。エリーゼお手製干し葡萄のクッキーはもっとおあずけね)

 心の中でそう呟く。

 ついで溜息をそっと吐き、横目でジェナの様子を伺う。彼女の表情に喜怒哀楽は見られないものの、なんとなくまだ苦味を帯びているよう見えなくもない。

 このなんともいえない空気を変えたくて、オルガは話題転換を図ることにした。

「そ、そうだわ、ジェナ。他にも相談があるの、いいかしら?」

「はい」

 それから二人は次のセルジュへの逢瀬の日の為、作戦を練るのだった。



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