7. オルガ、作戦を練る(4)
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「まず、オルガは近々王太后様主催の茶会に招かれる筈だ」
香茶を一口飲んでから、レリオはそう口火を切った。オルガも乾いていた喉を潤おし、少し考える。
オルガと王太后との接点はこれまでない。それに個人対個人で会う場を設けられたわけではないから、王太后の目的は他にある筈だ。では、王太后のお茶会に呼ばれる理由とは――。
「王太后様が王宮の貴族女性を取り仕切っている、そう考えていいのかしら?」
だから、王宮の貴族女性の社会へ入ろうとするオルガの審査をするお茶会なのではないか。導き出された答えはそれだけだった。
しかしオルガの出した答えに、レリオは「いや」と頭を振る。
「先王陛下が崩御してから、王太后様は年に一度催される建国記念日の夜会にしか公に顔を出さない。建国記念日の夜会には各地域の上位貴族が集まるから、参加は王太后という地位の義務と考えていい。ただそれ以外では、ほぼ王宮の南にある礼拝塔で祈りを捧げているよ。そして夜会を除くもう一つの例外が、王太后様主催のお茶会だ」
わけがわからない、とオルガは思った。
(じゃあなぜ私は王太后様に呼ばれるのかしら?)
セルジュに告白をして玉砕した。セルジュと王太后の関係は甥と伯母だが、セルジュに接触することで呼ばれるならばカゼラート公爵夫妻の方がしっくりくる。
(そもそも、王太后様ってどんな方だったかしら……?)
建国記念日の夜会に各地方の公爵家や上位貴族の当主は参加するが、彼らを除けば絶対参加というわけではない。縁談を望む令嬢らは参加しているものの、オルガは参加しなくても良いならば参加するつもりはなかった。この辺りはまだ封建制の名残りなのかもしれない。
ゆえに、オルガは王太后の容姿を知らないし、どのような人なのかもはっきり知らない。
(セルジュ様の叔母様で陛下のお母様なら、とても綺麗な方よね、きっと)
それくらいの認識である。
結局自分では答えが想像できず、レリオに率直に訊くことにする。
「なぜ私は王太后様のお茶会に誘われるの? 心当たりがないのだけど」
歯に衣着せぬ言葉に、レリオは苦笑を零した。
「いってしまえば、茶会は王太后様が招いた令嬢をセルジュの婚約者候補と認めるか否かを見定めるものだよ。お茶会を無事終えることで、セルジュの婚約者候補として認められる」
「……へぇ」
オルガにはそんなぼやけた感想しか出てこなかった。
(貴族って、どうしてそう物事を複雑にするのかしら)
妙に遠まわしで、取り繕っていて、水面下で物事を進めようとする。そんなやり方がオルガは好きではない。というよりも、面倒くさい。
(いっそ直接呼びつけてしまえばいいのに)
と考えてから、貴族社会の複雑さを思い出す。一人の令嬢だけを呼びつければご贔屓だと噂されて角が立つ。数人を一度に呼びつけても、その人員から様々な憶測が飛ぶ。お茶会とて王宮ではセルジュの婚約者候補の品評会と知られているだろうが、少なくとも王太后の贔屓が誰だ、あの令嬢達はなぜ呼ばれたのかという曖昧な憶測が投げ交わされることは防げるだろう。それに、令嬢の性格を知るには、長い目で見た方が良い。
(……本当に、面倒くさい)
オルガが(これ以上考えるの、面倒)げんなりしている傍らで、エリーゼは積極的に追及する姿勢を見せる。
「セルジュ様が王太后様の甥だとして、なぜ甥の婚約者候補を伯母が品定めするの? そういった役目は普通、親であるカゼラート公爵夫妻でしょ?」
ごもっともな意見にオルガもレリオからの返答に耳を傾ける。正面席と隣席から問い詰めるような視線を向けられ、レリオは少し身を引いてから語る。
「カゼラート家が地方の公爵家ならそれでいいだろうね。でも、かの家は中央――王家と血も濃く歴史も深い。というか一心同体に近い家だ。王位継承権はカゼラート公爵に次いでセルジュが二番手にいる。だから王家もセルジュの結婚に関与するし、慎重になるんだよ」
「ややこしいわね」
エリーゼがぼやけば、オルガも「七面倒くさいわね」と呟く。
心が萎れてきた時こそ、エリーゼのお茶である。心の花に水をあげるように香茶をゆっくりと飲んでから、大きく息を吐く。そうして話の続きを促した。
「お茶会に呼ばれた理由はわかったわ。じゃあ、そのお茶会ってどんなものなの? 東方貴族のお茶会にはいくつか行ったことがあるけど、同じようなもの?」
「そうだなぁ……」と考える素振りを見せながら、レリオは応じる。
「東方の茶会は横のつながりを強固にする為に開かれることが多いけど、王太后様の茶会に参加しているのはみんな王太后様のお眼鏡にかなった貴族令嬢ばかり――いうなればみんな好敵手だから、ちょっと厄介な印象かな」
「ちょっとじゃなくて大分厄介にしか聞こえないわ……」
エリーゼの他に親友のいないオルガは苦虫を噛み潰すように唸った。
脳裏に過ぎる、過去、東方で招かれたお茶会。明らかなお世辞と謙遜、見え隠れする自慢と貶め合い。オルガにとってそんな人間関係はひどく面倒だった。それでも、オルガは侯爵令嬢という自分の立場を弁えている。従って仕方なくいくつかのお茶会に参加はしたけれど、やはり心から楽しめるのはレリオとエリーゼの三人でおしゃべりする、このお茶会だけだ。
「僕もそう思うけどね。まぁ仕方のないことでもあるんだよ。陛下は女性だから王配をいつか迎えたとして必ず子宝に恵まれるとは限らないし、出産は命に係わることも少なくない。それを考慮すると、年齢的に次期王がセルジュになる可能性も少なからずある。それがわかっているからこそ、王家と繋がりを持ちたい貴族が地方から王宮に集まって、令嬢を送り込んでくる。とくに王太后様が礼拝塔にこもるようになってから、社交室は貴族同士足の引っ張り合いのやりたい放題の場になって、陛下と僕達で魑魅魍魎と化した貴族達を一掃するはめになったよね……」
かつてを思い出してか、疲れた表情を浮かべたレリオ。けれどオルガはそれを素気無く流した。
「それはお疲れ様。はい、続きをどうぞ」
「僕の扱い雑だなぁ。……まぁ、そんなわけで大掃除してからは、東西南北から令嬢を一人ずつのみ社交室の出入りを許可するようにしたんだよ。……それでも、醜い諍いはあるみたいだけど」
長い溜息を吐いて、レリオはテーブルへと手を伸ばす。彼が手にしたのは、地図の南方に置かれていた一つの駒。その駒を王都へ移動させた。
「今、社交室で一番の古株は南方の侯爵令嬢 ナターシャ・ユークリフ。元気溌剌とした栗毛の女性って聞いてる」
次に彼は東方の駒を一つ摘まみ、振ってから指で弾く。
「この駒はオルガの前任者。嫌がらせを受けたそうで、実家へ帰ったよ」
聞き逃してはいけない言葉を聞いた――そう思い、新たな駒を摘まもうとするレリオにオルガはすかさず問うた。
「待ってレリオ。嫌がらせって、どんな嫌がらせだったの?」
駒を摘まもうとしていた手を止めて、レリオが顔を上げた。オルガへ向けられたその顔に「え、それ聞いちゃう?」と書かれている気がするのは、オルガの気のせいだろうか。
――聞きたくない、本当は心底聞きたくない。そう思いながらも、オルガは勇気を振り絞って「……教えて」と紡いだ。
「気にしていた癖毛を嗤われたとか」
「繊細な方だったのね」
「毒蛇に襲われそうになったとか」
「……ご無事でなによりだわ」
「肥溜めに落とされたとか」
「…………」
「そんな噂を聞いたかな」
「………………」
即座に「えげつないわね」エリーゼが零す。自分の身に起こるかもしれないオルガは顔を盛大に引き攣らせながら、「犯人、もちろん捕まったのよね?」と念を押すように詰め寄った。肥溜めに突き落とされるのはどうしても嫌だったのだ。毒蛇も嫌だけれど。
ところが、レリオから発せられたのはなんともいえない返答。
「一応ね」
「一応……」
「犯人は城の使用人で、犯行中に捕まえたものの口を割らないらしい」
その情報でオルガは察する。
「……嫌な予感しかしないわ」
「黒幕がいるかもね」
「……………………」
オルガはそれ以上突っ込むのをやめた。その方が精神衛生上良い気がしたからである。そしてレリオは「その方がいいよ」と語り掛けるように生あたたかい眼差しを向けてくる。それはそれで、オルガの心は黒でもなく、白でもなく、灰色の靄がかかったようにもやもやした。
そこにいる三人が皆、無言で香茶を啜る。恐らく三人共に気持ちは同じだったのだろう。
オルガはカップの香茶を飲み干して、深呼吸をしてから「……どうぞ」と渋々レリオに話の続きを求めた。いつもは茶々を入れるレリオだが、この時ばかりはオルガの気持ちを察したように「あ、うん、はい」と躊躇いを見せてから、北方の駒を二つ王都へ移す。
「二つ?」
エリーゼが首を捻る。
「そう。北方からやってきた姫君は、男子禁制の社交室に従者を連れてきたんだ」
途端、オルガの身体がびくりと震える。気づいたらしいレリオは「少年に近い歳だから……」と補足したものの、オルガの心に安息が訪れることはなかった。
(……少年。近寄らなければ、きっと……きっと、大丈夫)
呪いのように心の中で唱える。少年ならば、ちょっと接触したくらいで失神することはきっとない。そう自分に言い聞かせた。
(大丈夫。大丈夫――)
もしかしたら、オルガの禁断条件に彼が当てはまることはないかもしれない――そう願った。
心に平穏を取り戻すために数度深呼吸してから、気遣う視線を寄越す親友と悪友に微笑む。
「大丈夫、続けて」
普段の悪友は、珍しくオルガを案じながら頷いた。
「彼女いわく『これはわたくしの所有物、物であって男ではありませんわ』だって。矜持の高さは有名な北方の伯爵令嬢で名前はメリンダ・アネッサ。直接目にしたことはないけど、見た目は猫みたいでかわいいって聞いたことがあるよ。あ、かわいいといってもエリーゼの次ね、次。男性官吏や騎士の中に隠れ信者がいるって噂」
(……もうどこから突っ込んでいいのかわからないわ)
さり気なく入れて来る惚気に対して突っ込めば良いのか、メリンダという癖の強い娘に突っ込めば良いのか、隠れ信者に突っ込めば良いのか。ここまで突っ込み待ちのような情報だと、むしろ閉口してしまう。平穏を取り戻した筈の心は、数分待たずして既に荒野だ。
そんなオルガをよそに、レリオは西方の駒を一つ王都へ置いた。
「西方からは公爵令嬢 キャロライン・ハルバルト。口元にほくろがある、儚げな容姿だよ」
そこでオルガに素朴な疑問がわく。他の令嬢とは異なり、キャロラインという令嬢にだけ”らしい””噂で聞いた”という人伝らしき表現がレリオの発言にはなかったのだ。
「彼女と会ったことがあるの?」
首を傾げると、レリオは「公爵家なら東西南北中央と互いに顔を合わせる機会があるからね。会ったといっても挨拶を交わすくらいだったから人となりまでは知らない」
僕はエリーゼ一筋だから。そう続けて隣席の恋人にすり寄るレリオに、オルガは冷たい眼差しを向けた。こういった時、空気を読むのは決まってエリーゼだ。
「レリオ、話を続けて」
促されて、レリオは「了解」と唇を尖らせながらも恋人に従う。
「彼女の信者は多いよ。それに身分も相まってセルジュの婚約者有力候補とも囁かれてる」
(セルジュ様の婚約者有力候補……)
心の中で反芻した言葉に、ツキン、とオルガの胸に痛みが走る。痛みを慰めるように、握りしめていた拳の力を抜いて胸に当てた。
(この痛み……これが、恋なのね)
自覚する共に、この痛みすら新鮮に感じた。これまでオルガは物語の中の登場人物に感情移入することでしか、この痛みを味わうことはなかった。そしてその痛みは、生涯体験することはないと思っていた。それを今、自分自身の体験と感情によって味わったのだ。不思議なもので、少しだけこの痛みを嬉しいと思ってしまうのは、オルガはこれまで自分の恋を諦めていたからかもしれない。オルガはレリオとエリーゼに出会うまでずっと、自分は侯爵令嬢として親の決めた相手と政略結婚するものと信じて疑わなかったから。
両手で胸の中心部を包み込む。この痛みも大切にしたい、そう思った。
そうしてふと、視線を感じた。顔を上げれば、エリーゼがあたたかな眼差しでオルガを見守っていた。それがどうにも恥ずかしくて、オルガは「レリオ、続けて」と青年を急かす。
そんなオルガとエリーゼにレリオもくすりと笑って、けれどそれ以上突っ込むことはせずに話を続けた。
レリオの指が東方の駒へ向かい、それをつまんで王都へ。
「最後がオルガ。――強敵揃いだけど、頑張ってみなよ」
適当な言葉の中に込められた友情。微笑する親友と悪友に、オルガは強く笑んで反駁する。
「一泡吹かせてやろうじゃない!」
そこで不意に、疑問が脳裏を掠めた。
(そういえば、東西南北からしかセルジュ様の婚約者候補を集めていないのね……。なぜかしら?)
数拍思考しても理由がわからず、手っ取り早くレリオに質問することにした。
「ねぇレリオ、中央からの婚約者候補はいないの?」
「そういえば」とエリーゼも首を傾げる。
まだ短い国の歴史を辿れば、初代国王は中央の令嬢を王妃とし、先代国王も中央の公爵令嬢を妻に迎えた。それらは中央の団結をより強固とする政略的な意図があったとオルガを含む地方貴族は認識している。ならば、王配だけでなく王位継承権上位のセルジュも中央の令嬢を娶ってもおかしくはないと思うのだ。
しかし、レリオは「いないよ」と言った。
「そろそろ王家も王制を安定させて地方をしっかり纏め上げたいんだろうね。だからセルジュには地方貴族の令嬢と結婚してもらいたいんだと思う」
(――中央が安定してきた今だからこそ、駒を進める。そういうことね)
納得したオルガは睫毛を伏せ、再びこの国の歴史を振り返る。
建国は二代前の国王の時代。北方は長い間南方を支配していた。そして北方は南方まで領地を陸続きにしようと東方、西方、中央のいずれかを支配しようと目論んだ。そこで中央と東方は手を組み進攻する北方軍へ反撃、孤立無援状態になり焦った西方も中央・東方の同盟軍に加わった。こうして中央の権力者が中心となって北方と戦った結果、同盟軍が勝利をおさめ、封建時代から王制へと国の体制も移り変わる。
ただし、初代国王の時代には国としての纏まりはまだ甘かった。そこで賢王と今もなお称えられる先代国王が、まずは中央の膿を出し尽くし、続いて王宮に集まった東西南北貴族の水面下での諍いを一掃した。
(残された課題は……)
想像するしかない。オルガとて東方では上位貴族の令嬢として、醜い貴族社会を見てきたし生きてきた。王宮に滞在していた時期もあった。ゆえに、レリオが守秘義務によってすべてを話せなくても、予想くらいはできる。
(先王から引き継ぎ、国をまとめる事。先王陛下が崩御してから一年くらい、レリオは王宮で忙しくしていたから、多分引き継ぎはあらかた終わっているかしら。じゃああとは――先王陛下が手を出せず、王太后様が直接関与しなくなった女性の戦いをおさめること。それが陛下が抱える課題、というところかしら)
”女性の戦い”とはいっても、背後には実家という後ろ盾がついているから、実際のところは貴族間の争いとみて良いだろう。
オルガは一度目を閉じ、深く息を吸ってゆっくりと吐く。戦う前から少しだけ疲れを感じた。でも、セルジュに会いに行くことをやめるつもりはないから仕方がない。
瞼を上げ、灰色の瞳でレリオを見据える。
「わかった、そういうことね」
決意を新たにするオルガへ、エリーゼが心配そうに顔を歪めた。
「大丈夫? オルガ」
その優しくもあたたかな気遣いに、オルガは自慢の黒髪を揺らして明るい笑みを返す。
「きっと大丈夫! やることは変わらないもの。セルジュ様に会って、セルジュ様を知って、セルジュ様に私を知ってもらう。その為の恋の香辛料だと思えばいいわ」
オルガの答えに、「オルガらしいね」とレリオがくすりと笑声を零した。
「社交室に出入りする許可がおりれば、王宮の女性使用人を一人お供にできる。それまで踏ん張りどころだよ」
「あら。許可がおりればお供がつけられるなんて心強いわね」
片目を瞑って見せ、立ち上がる。
「それじゃあエリーゼ、レリオ、今日はこれでお暇するわ。王宮へ挑む準備をしなくちゃ」
腰に手をあててやる気を見せると、エリーゼは少しだけ安堵の色を浮かべた。もっと安心した顔が見たいと、オルガは気丈に笑ってみせる。身体の弱い彼女に、自分のことで心配だけはさせたくない。
「ごきげんよう!」
元気よく踵を返して扉へ向かう。が、取っ手に触れたオルガは片足を一歩後ろへずらし、半身だけで振り返る。視線はレリオへ向けて。
「――そういえば、色々なことをよく知っているのね、レリオ」
微笑みながらも、目は笑っていない。そんなオルガに、レリオは肩を竦めた。
「――官吏、だからね。在宅だけど」
返答にオルガはにっこりと口角を上げ、「そう」とだけ返し半身を扉へと向ける。
「じゃあまたね、二人共」
そうしてオルガは退室した。
*・・・*・・・*・・・*
部屋に取り残されたエリーゼが「……心配だわ」と独り言つ。
他方、心優しい恋人にレリオは「心配は無用」とばかりに笑声を漏らす。
「オルガなら大丈夫だと思うよ、”嫌がらせに関しては”だけど」
その言葉に含まれた意味を悟って、エリーゼは眉尻を上げた。
「あら! セルジュ様の心を射止めることに関してなら大丈夫よ! オルガは魅力いっぱいだもの!」
「……まぁ、オルガの根性は認めるよ」
半笑いするレリオにエリーゼはふくれっ面を見せる。だがその表情も少しずつ曇っていった。
レリオが宥めるようにエリーゼを胸に抱く。温もりに包まれたエリーゼは、弱々しい声で呟いた。
「……あの子の弱点が、一番心配なのよ」
エリーゼの零した不安。レリオもそれを危惧するように、恋人に見えないよう目を細め、苦慮の表情を浮かべた。
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