6. オルガ、作戦を練る(3)
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立ち上がったエリーゼが自身の机へ向かい、引き出しから取り出したのは紙とガラスペン、それにインク瓶だった。そしてレリオもなにやら使用人を呼び、巻いてある大きな紙と盤上遊戯用の陶器製駒を複数用意させた。
二人の意図がわからない。オルガは頭上に疑問符を浮かべて傍観しながら、とりあえず好物のクッキーをレリオにとられる前にと黙々と食べていくことにした。クッキーを食べ、香茶を飲みを繰り返すうちにお腹が満たされていく。それとは反対に、二人が目の前でこそこそと話している様子を見ていると、なんとなく不安が胸の内にひろがり心が消耗していく気がした。
(……私がセルジュ様に告白するだけなのに、大事になってきた気がするわ)
つい、腰が引ける。
正直なところ、オルガはもっと物事を単純に考えていた。王からセルジュの勤務当番表を得たということは、王の執務室警護当番の日に限り、勤務中のセルジュに告白する許可を直々にいただいたということだ。ならばその日に合わせて王宮へ赴き、セルジュに告白する。きっとセルジュと接する度に彼のことをもっと知ることができるだろうし、自分のことを知ってもらうこともできる。もし自分のことを彼が気に入ってくれたなら、告白はいつか成功するだろうし、そうでなければ失敗するだけ――そんな風に想像していたのだ。
ゆえに、ぽつりとこぼす。
「ねぇ、私がセルジュ様に告白するだけよ? 作戦会議をするなら、どうセルジュ様に私を知ってもらうかとか、気に入ってもらうかとか……セルジュ様の好みを探るとか、そんな感じでいいんじゃないかしら?」
「何言ってるの!??」
刹那に反駁され、オルガはびくりと身体を震わせて、なんとなく姿勢を正す。そんな空気をエリーゼが放っているから。
エリーゼはテーブルの中心に置かれた菓子皿を横へ退かすと、そこへ筆記用具一式を置いた。ついでソファにどさりと腰を下ろして腕を組む。珍しく威圧感を放つ彼女の茶色い瞳は、真っ直ぐにオルガへと向けられていた。
「オルガ、いいこと? 相手は血統良し、容姿良し、将来性良しの三拍子どころか地位も財も陛下からの信頼も厚い、次期カゼラート公爵セルジュ様なのよ? ご本人も難攻不落と噂されているけれど、狙う雌豹の多いこと多いこと……」
ちなみに、その雌豹の一人がオルガになる予定である。思ったオルガはけれど藪蛇だと突っ込むことはせず、眉尻を下げて無難な笑みを浮かべた。
「……じゃあ、作戦会議ってなにをするの?」
するとエリーゼは組んでいた腕を解き、ガラスペンを手に取った。ペン先をインクにつければ、準備万端とばかりに彼女は隣席へと顔を向けた。
「まずはセルジュ様の女性の好みについて知っておきたいわね。――レリオ」
(レリオ、尻に敷かれているわね)と同情と感心を抱きながらオルガもそちらへと視線を向けた。
一方尻に敷かれなれているのか、レリオは気にした様子もなく優雅に考え込むようにして拳を顎に当てた。
「そうだなぁ……王宮に出入りしている身だけど、あまり参考になりそうな情報はないかも」
あまりに頼りにならない発言である。出鼻を挫かれたエリーゼは眉間に皴を寄せ、オルガは生ぬるい視線をレリオに送る。その反応に居心地の悪さを感じたらしいレリオは、「いや僕が役立たずなんじゃなくて!」と付け足し、前屈みに座り直した。
「僕だってオルガへの協力は惜しまないよ。だけど……彼の女性関係の噂は曖昧なものばかりなんだよ」
「曖昧?」
首を傾げるオルガにレリオは頷く。
「以前、ある令嬢と婚約したという噂が王宮に流れたことがあったんだけど、それは令嬢側の捏造だと判明したし、彼が陛下と秘密の関係という噂もあったけどそんな雰囲気皆無どころか、誰の目から見ても鼻で嗤ってしまう噂でしかなくてすぐに消えたし……そんなのばかりでさ。今王宮に流れている噂といえば、彼が王太后様のお気に入りって噂くらいだけど……年齢差以上に二人の関係が伯母と甥って考えれば、王太后様がセルジュを可愛がっても不思議はないんだよね」
確かに曖昧な噂ばかりだとオルガも思う。これではセルジュの手がかりはなにも得られないと困惑しながら、オルガは問うた。
「じゃあ、これまでの交際歴は?」
それに、レリオは肩を竦めて「さぁ? 聞いたことがない」とあっさり返答した。そして彼は言葉をつぐ。
「つまり、彼に関する手がかりはないから、まずはオルガが魅力を最大限に発揮して頑張るしかないってことだ」
この結論にエリーゼとオルガは無言を返した。しかし同じ無言でも二人の反応は真逆で、エリーゼは落胆を隠せずにいる中、オルガはにっこりと微笑む。レリオがオルガの反応に奇妙奇天烈なものを見た、という表情を浮かべているものの、オルガは気にしない。胸を張って言い切った。
「それなら任せて!」
「その自信はどこからくるのさ」
謎の自信を漲らせるオルガにレリオは呆れを滲ませる。
「だって色仕掛けとか可愛い子ぶるよう言われても、絶対いつかボロが出そうだけど」
「そこ、絶対って断言しちゃ駄目でしょ」
「でも”自分らしくあれ”ってことでしょう? それなら大丈夫!」
「いや、だから、彼の心を射止めることが目的で――」
そこまで、二人の妙に軽いやりとりを静かに聞いていたエリーゼ。彼女の表情が少しずつ明るく変わっていき、やがて満面の笑みを浮かべながら手を合わせてレリオの発言を遮った。
「そうね! オルガならきっと大丈夫!」
「ありがとう、エリーゼ! うん、これで一つ、問題解決ね!」
ふふ、と微笑み合うオルガとエリーゼ。「うん、もうそういうことでいいんじゃない」とかなり投げやりな言葉を告げたレリオは脱力したように首を振った。
そうして彼は出番のなかった筆記用具を横へ置き、巻かれた大きな紙をテーブルに広げ始めた。四隅に重石を置くと、紙の上に駒を置いていく。
レリオの行動が気になって笑いをおさめたオルガは、テーブル上の紙と駒に視線を落とした。
(この紙……地図?)
じっくりと視線を走らせていく。地図はこの王国のものだ。最新版のようだが、東西南北、そして中央の境目にはかつての国境が点線で引かれている。領地ごとには薄い色で線が引かれていた。
ついでオルガは駒が置かれた位置に注目する。王都がある国の要、中央にはまだ駒は置かれていない。だが、オルガ達三人の出身である東方や西方、南方、北方にはそれぞれ数個ずつ駒が配置されていた。
「レリオ、これは?」
駒を指さすオルガに、レリオは答える。
「セルジュの心が誰のものになるかは、彼次第。――でも、それ以外の部分では自分にできる最善を尽くすべきだ」
オルガは顔を上げてレリオを見つめる。彼は前屈みの体勢で手を組み真面目な顔で続けた。
「つまり、王宮内の動きや王宮に出入りする貴族――とくにオルガが接することになるだろう貴族について知っておくべきってこと。自分の身を守るためにも、ね」
直後、オルガとエリーゼの表情が険しくなる。
三人共に東方の領地から王都に移り住んで、約三年の月日が流れた。この三年で、オルガとエリーゼは王宮が煌びやかなだけの世界ではないと知ることになった。それに、東方の貴族にも厄介な者達はいた。――身内を含めて。ゆえに、貴族社会の汚さは熟知しているつもりだ。
オルガは無意識に拳を握りしめ、言葉を紡ぐ。
「レリオ、知っていることをすべて教えて」
覚悟は、疾うにできていた。
「もちろん、そのつもりだよ」
こうして、本格的な作戦会議が始まる。
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