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オルガの結婚  作者: えんとつ そーじ
一章 オルガの告白
2/12

1. オルガ、初告白する(1)

.


 王都の中心に位置する小高い丘の頂上には、王城が聳え立つ。先の封建制時代の城塞をそのまま王城としたそれは、天を穿つような三つの尖塔を有す、縦にも大きな造りをしていた。


 その王城内で、オルガは一人歩いていた。目的地は王の生活空間がある四階。そして現在彼女がいるのは、三階と四階に架かる螺旋階段である。

 一階から目的地までおよそ七十段。まるで聖人になる為の修業かと突っ込みたくなる段数だが、この王城に勤める者は毎日当たり前のように上へ下へと駆けているかと思えば、賓客でもない一訪問者のオルガに不満など漏らせる筈もなかった。

 そもそも、オルガの実家であるフィオーレ侯爵領の城も王城とそこまで造りは変わらない。ただ、実家にいる時はオルガの生活空間が限られているから、日常で今のように膨大な数の階段を上ることはなかっただけだ。

(今まで気づかなかったけど、城で働いてくれてる人達皆、こんな苦労をしていたのね)

 脳裏に過ぎる、身近な使用人一人一人の顔。身の回りの世話をしてくれた年若い娘アロア、乳母として今もフィオーレ城で働いてくれている初老のソフィ――。

(使用人頭のセバスチャンはもう歳だから、きっと膝と腰にきているわよね……)

 彼が弱音を吐いたところなど見たことがないけれど、恐らく主らの前で口にしないだけだ。

 身をもって体験してみて、これまで周囲へ目を向けていなかった自覚をしたオルガは、今後はもっと労わらなければと階段を上りながら反省した。

 そうして、ひたすら上を目指して上り続けること十数段。

「これで、最後……!」

 ようやっと長い階段を登り切ったオルガは、静かに深呼吸を数度繰り返すことで切れていた息を整える。既に足は生まれたての小鹿のごとくがくがくと震えていた。今ばかりは、正装である装飾豊かなドレスが不格好な動きをしている足を隠してくれていることに感謝したいと思う。とはいっても、ここまで疲れた原因の一つはこの重量感あるドレスのせいでもあるが。

(……正装がもっと軽やかなドレスだといいのだけど)

 文句を心の中でぼやいて、姿勢を正す。ついで、額や首元に滲む汗を、おさえるようにハンカチで拭った。

 ここから先、無様な姿は見せられない。なんといっても、彼女――オルガ・フィオーレにとってこれから行動に移す行為は、一世一代の大舞台なのだ。間違いなく、今日の出来事はオルガの記憶に生涯刻まれるだろう。ならば、完璧な姿でありたい。

 ドレスの胸元にハンカチを仕舞い、オルガは少しだけ乱れた緩く波打つ髪に手櫛を入れて整る。この豊かな黒髪は、オルガにとって唯一といっていい自慢のものだった。ゆえに、少しでも髪が魅力的に見えるよう、今日は後頭部で纏めながらも背に流れる髪型にした。

 目を閉じもう一度だけ深呼吸して、早鐘を打つ胸に手を置く。

(精一杯、悔いの残らないように――頑張れ、私)

 これまで二十年生きてきて、こんなにも強く、速く鼓動が刻まれるのは初めてだ。緊張が新たな緊張を呼ぶ。目を開けて手のひらを見下ろせば、少しの汗が滲んでいた。この汗は、前向きな期待と後ろ向きな恐怖心からくるものだろう。

 そうして、汗ごと拳を握って前を見据えた。

「頑張ろう、私」

 独り言ち、オルガは先へと一歩足を踏み出した。



「セルジュ・カゼラート様、結婚を前提におつき合いしてください!」

 オルガの、叫びにも似た声が王城四階の回廊に響き渡る。

 オルガが返答を求めてじっと相手を見上げれば、告白相手である青年は目を丸くしていた。あまりに突拍子もない事態に驚いているのだろう。

 そんな彼の美しい顔は、すぐに困惑を示すように歪んだ。

 それもそうだろう。セルジュと呼ばれた青年は現在、近衛騎士の職務中――王の執務室の扉番――であり、彼からしてみれば”猛然と現れた娘が自分の目前で急停止し、突然告白してきた”という突飛な状況でしかない。

 冷静な時であれば、オルガとて眉宇を顰めるセルジュの気持ちを理解できただろう。だがしかし、残念ながら今の彼女は興奮しており、告白せねばという使命感と、焦がれる青年と同じ空気を吸っているという現状によって頭が爆発しそうだった。つまり、他のことなど意識の外に追いやられている状態。

 今の彼女にとって集中すべきは、告白の実行及びセルジュを堪能すること。外野などまったく見えてはいないのだ。

 オルガは胸の前で力いっぱい手を組みながら、見惚れるようにセルジュを凝視する。

(綺麗……。まるで、物語に登場するお姫様を救う王子様のようだわ)

 そう思ってしまうほどに、オルガの視界を埋め尽くす青年は美しかった。黄金色の、絹のごとく艶やかな直毛、しみや皴のない滑らかな肌。それらに、貴族の娘として手入れを欠かさないオルガも、つい焦がれてしまう。しかも、目鼻立ちも文句のつけようもない配置で成っているのだ。ここまで完璧だと、羨ましいをこえて崇めたい。

 このような美を傾国と呼ぶのかもしれない。きっと芸術家が彼を一目見たならば、創作意欲を触発され、作品を作らずにはいられないだろう。

 また、顔から視線を移動させて身体を見やれば、程よく筋肉のついた肉体がそこにある。恋する乙女ならばきっと、あの腕に守られ、胸に抱き寄せられたならどんな心地だろうか、と想像せずにはいられないだろう。

 そして、その美しい身体を覆う煌びやかな服。近衛騎士らは王を守る為、表舞台に立つことがあるから、騎士団に支給される騎士服とは異なり細かな銀糸や金糸で刺繍された華やかな騎士服を支給されている。この近衛騎士専用の騎士服が、セルジュにはこれまたよく似合っていた。

(……素敵すぎて口から心臓が飛び出しそうだし、息切れで床に倒れ込みたくなるわ。……尊い……国宝級……)

 オルガは鼻血を噴出させるという失態を犯さないよう、鼻を含む口元を片手で覆いながらそんなことを思考する。油断した瞬間、好きな人の前で鼻血を噴き出しそう――むしろ好きな人へ向けて鼻血を噴き出しそう――なのだ。その事態だけはなんとか逃れたい。

 自分の世界に浸りつつもなんとか色々堪えるオルガ。そんな彼女を、喉の奥で笑うような声がオルガの意識を現実に引きずり戻した。

 不思議に思ってオルガは声の方へと顔を向ける。同時に、オルガの視線を独り占めしていたセルジュも、不機嫌顔でそちら――隣――へと振り向いた。

 そこにいたのは、彼と同じ服を着た青年。

(……。……あらやだ。他に人がいたのね)

 まさか人一人の存在に気づかなかったのか、と自分で自分に驚きながら記憶を弄ってみれば、確かにセルジュは一人でなかった気もする。しかし、セルジュを見つけてからは彼しか目に入らなかったのも確かで。

(……恋する乙女は盲目というけれど……本当だったのね。私も例にもれず、盲目だったのね)

 つい自嘲が漏れた。そうしてほんのわずかに冷静さを取り戻したオルガは、ようやくこれまで自分がいかに暴走気味であったかに気がつく。

(……私……やっちゃった……?)

 とりあえず、反省する為にも思い返してみる。

 告白をしたまでは、まぁ良しとしよう。乙女らしさの欠片もない告白だったが、まぁとにかく今は良しとする。では、その後はなにをしていただろうか――。

 恋する相手を一心に、彼の瞬き一つ見逃さないほどに間近で図々しくも見つめていた。清楚と謙虚こそが貴族令嬢の美徳であるというのに。

(私、やっちゃった!!)

 もはや疑問形ではない。断言できた。

 己の失態にオルガは蒼褪める。次に、恥ずかしさと混乱によって湯気が出そうなほどに顔を火照らせた。

 両頬の熱をとろうと両手でそれを包み込む。穴があったら入りたい、むしろ埋まりたいと願いながら、今の彼女にできるのは顔を俯けることだけだった。

「……セザール、笑うな」

 セルジュが同僚を窘める。オルガを気遣ってのことだと思えば嬉しいけれど、正直、居た堪れない。よってさらに――首が痛くなるほどに――顔を俯ければ、セザールと呼ばれた黒髪の青年は肩を震わせながらも「悪い……でもセルジュ、それは追い打ちかもしれんぞ」となおも笑い続けた。

 セザールを睨みながら溜息を零したセルジュは、視線をオルガに戻して安心させるように苦笑を浮かべる。

「同僚がすみません。……もし私の言葉で気分を害しておられるなら、それも申し訳ない」

 気遣いのできる青年である。オルガはより恋の深みに嵌りそうになった。

 愛しい青年からもらった優しい言葉に「そんなことありません」と言おうと慌てて顔を上げる。だが、目の前の青年はオルガの声が発せられる前に言葉を続けた。

「あと――失礼ですが姫君、今は職務中ですので、そういったご用件について受け答えすることは憚られます。……ですが、よろしければ名前をお伺いしても?」

 彼の目がすっと細められた。一見笑みに見えるそれは、けれど瑠璃色の瞳の奥に有無をいわさぬ鋭さが垣間見える。そのことに、鈍くないオルガはすぐに悟った。この言葉は、甘い誘惑のきっかけではなく婉曲な尋問なのだと。

 そこでオルガは、あることに思い至る。

(そういえば、私、身分の提示がまだだったような……)

 ここは王の住まう空間である。セルジュとセザールは根気よくオルガにつき合ってくれたが、これまで問答無用で強制退去させられずに済んだのが不思議なくらいだ。オルガが強引に王の元へ向かわなかったことが良かったのかもしれないけれど、それも今回は運が良かったに過ぎない。

(……もう、失敗続きで泣きたい)

 好きな人の前だというのに、自滅してばかりで小さく溜息を零す。それでも、王城の、好きな人の前で更なる失態など見せたくはない。

 心が折れそうになりつつも、オルガは静かに深呼吸することで呼吸と心を整える。そうして気持ちの立て直しを図るのが、オルガの癖だった。最後の一息を口から吐き出して表情を改める。これで心の準備は完了だ。

(私は、オルガ・フィオーレ)

 ――上級貴族であるフィオーレ侯爵家の一員。

 オルガは貴族令嬢の顔をつくって一歩後ろへ下がった。ついでドレスの裾をつまみ、膝を折って優雅な礼を執る。その様は、付け焼刃ではなく誰が見ても板についているとわかるほどに華麗だ。

 ゆっくりと滑舌よく、オルガは言葉を紡ぐ。

「――ご無礼をお許しください。私はフィオーレ侯爵の娘 オルガ・フィオーレと申します。以後、お見知りおきくださいませ」

 敬意を払って数拍お辞儀の姿勢をとってから背を伸ばし、近衛騎士二人を見据えた。恋する娘オルガとしてではなく、貴族令嬢オルガ・フィオーレとして恥じぬよう。上品に微笑んで言葉をつぐ。

「陛下と面会の予定はありません。ですが、セルジュ様に告白する為、この空間に立ち入る許可を陛下よりいただいております。その証明として王家の徽章をお預かりしておりますので、どうぞフィオーレ家の徽章と共にご確認くださいませ」

 そうして襟元に手を添えて、飾られた二つの徽章を示した。オルガの言葉通り、一つはフィオーレ侯爵家の紋章が模られた徽章、そしてもう一つは王の生活空間への立ち入り許可を示す、王家の紋章が入った徽章がそこにある。

 無礼ではない程度にセルジュがそれへと視線を走らせ、隣に立つセザールへと目配せした。セルジュの合図に応じて徽章を確認したセザールは、セルジュへと視線を返す。やがて二人は同時に小さく頷いた。どうやら問題はなかったらしい。

 罪を犯した心当たりはないものの、ほっと胸を撫で下ろしたオルガ。悪さをしていなくても、疑いの目に晒されるのはやはり緊張する。

 そんなオルガに、セルジュは非礼を詫びるように胸に手を当て「失礼致しました」と軽く頭を下げた。職務であったその行為にオルガ自身は緊張はしたけれど、気分を害されてはいない。それでも、礼儀を忘れず相手の心を重んじる彼は、近衛騎士に相応しいとオルガは感心した。一方で、当たり障りのない、けれど隙のない仕草に、透明な壁を感じもする。

(心の距離を感じる……)

 そんなことは当たり前だと、頭では重々理解している。むしろ、彼にとってはオルガと顔を合わせるのも初対面だろうから、親しげに話しかけることこそ不作法である。距離をとって当然なのだ。それでも、オルガは寂しくて眉尻を下げる。

(……今は、これで上々だもの)

 強がりを心の中で呟いた。だが、決してこの言葉が嘘というわけでもない。

 それは、これまでオルガは彼の瞳に自分が映ることなど考えたこともないほどに、夢のまた夢だと思っていたから。恋をすること自体、自分には関係のないことだと思っていた。だから、彼と同じ空間にいるというこの状況だけでも、きっと余りある幸せなのだ。――それに。

(勝負はこれから……の筈だもの)

 自分に活を入れたオルガは、勇気を振り絞ってもう一度セルジュに話かけようと口を開く。

 だが、その時だった。オルガの声はセザールによって遮られる。

「告白の為だけに陛下から許可をもらうとは……オルガ嬢は面白い方ですね」

 丁寧な口調だが、明らかに揶揄いまじりの声音だ。

 訝るようにオルガはセザールを見上げる。すると、彼はにやにやと口角を上げながら、セルジュよりも一歩踏み込んでオルガを見下ろした。セザールとの物質的な距離の近さに、思わずオルガは息を呑み、一歩後ずさる。

 まとわりつくような、嫌な視線を感じた。それは、オルガが最も苦手とする捕食動物のような目。

「……セザール、職務中だ」

 釘を刺すセルジュ。それに肩を竦めた青年騎士。そのやり取りにオルガは心の中でセルジュに感謝しつつ、ほっと安堵の息を吐いた――次の瞬間。セザールは「自己紹介をするだけだ」とセルジュの言葉を躱したかと思えば、油断していたオルガの右手をするりと持ち上げた。

(なっ……!?)

 驚きと動揺にオルガは言葉を失う。対してセザールという騎士は、どうやら女性慣れしているらしく、オルガの手を親指の腹でつ……と撫でた。ついで、オルガの灰色の瞳を覗き込むように見つめる。やはり捕食動物のような、心を暴こうとする目だと、オルガは思った。

 そんなどこか冷静に分析する頭とは対照的に、オルガの手が指先から少しずつ冷えていく。顔が強張りそうになって、愛想笑いを顔に貼りつけた。

「……あ、の」

 目の前にある、セザールの精悍な顔に浮かべられた笑み。それらは女性が好む種類の魅力的なものの筈なのに、オルガの心には冷たいものが這った。ゆえに自分を叱咤して、外れかけた貴族令嬢として身に着けた淑女の仮面を再び被り直そうとする。

 けれどそれも、次のセザールの一手で無に帰す。

「初めまして。私はセルジュの同僚で、セザール・ラフォレと申します。どうかセルジュだけではなく、私のこともあなたの心の片隅に留め置いてくださると嬉しいです」

 オルガの反応などなんのその、言葉の最後にセザールは親しい淑女を敬うような口づけを、オルガの手の甲に落とした。ただし、その行為が許されるのは、親しい・・・淑女に対してだけだ。決して、たった今知り合ったオルガとセザールの関係で行われるものではない。

 従って、なんの心の準備も警戒もしていなかったオルガは、自分に触れた異性・・の熱に驚愕して瞠目する。予想外の出来事に、頭も心も処理が追いつかなかった。

「セザール!」

 怒声をセルジュが発したけれど、時すでに遅し。

 直後、オルガの世界は暗転した。――それは、彼女の意識がぷっつりと途絶えてしまったから。

 オルガの耳に、初めて「オルガ嬢っ」と自身の名を呼ぶセルジュの声が届くことはなかった。


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