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曼珠沙華律遍鏡  作者: 足利ハジメ
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生者必衰《バンブツミナ死ニタエル》7

 階段を一段飛ばしで駆け上がって、躓きそうになりながらも自室へ駆け込む。乱暴に閉めたドアも、長すぎる徒競走で弾ける心臓も、僕には聞こえない。

「ヒミコ様、詳しく聞かせてください!」

 それは怒鳴り声にも似ていて、ただ一人きりの我が家に大きく響いた。

 間もなく、床に置かれた円盤の上空に、ヒミコ様が姿を現した。

「おそらくは、汝の思う通りに相違あるまい」

 彼女は重々しく、またか細い声で答えた。瞳は僕のそれと正対し、薄い唇はそれきり閉じたままだ。

「あれが僕にかけられた呪いなんですね?僕の負った傷は、律遍鏡を通して他の誰かへと移し変えられてしまう」

 消えた痛みを彼女へ突き出す。血色のいい肌は、数分前の火傷をすっかりと忘れている。

「我が呪い、『死に別たれる孤独』の本質は永遠の固定。汝は、老いもせず、傷つきもせず、その姿のまま、未来永劫彷徨い続けることとなるであろう」

 不死の宣告。それは同時に死の宣告でもあった。歳を取らなければ、社会の中で生きてはいけない。数年はごまかせるだろうが、二十代までが限界だろう。

 死なないこと。それはただ、死ぬタイミングを奪われたに過ぎないのだ。

 ヒミコ様は静かに続ける。

「永遠を渡るうち、近しきもの達は死してゆく。そして、いつしか汝は独りとなるのだ。それこそが『死に別たれる孤独』。避けられぬ運命への嘆きであり、無常と普遍を憎む我が呪い」

 底の無い悲しみと、音の無い怒り。彼女の一言一言が部屋の中で反響して、僕の心を掻き回す。帰宅したばかりで、カーテンも閉じられたままの部屋は、まるで夜のように暗かった。

「孤独を感じさせる呪い……」

 あまり味わったことのない感情だ。幸い、僕はこれまでヒトと繋がって生きてこられたし、またそれを自覚できる環境に育ってきた。

「然り。察しておるであろうが、我が呪いは、その目的のために作用する」

 僕の呟きに、ヒミコ様が返答する。

「古より膨れ続けた我が怨念が、律遍鏡の所有者を彼岸ひがんへと招くのだ。だが、我が呪いに触れた者は、決して彼岸へと渡ることはない。人としての死など、律遍鏡が許しはしない」

 穏やかに、所々震えながら。平生の尊大な物言いとは打って変わって、まるで彼女自身が呪いを恐れているかのような声色。

「陳腐な言い回しをすれば、汝を取り巻く世界が、ありとあらゆる嫌がらせをしてくるということだ。直に死と関係がなかろうと、微々に汝の存在を削ってゆく。そして、律遍鏡が他者から存在を略奪し、汝を強制的に補完する」

 昨日僕を轢き殺した電車も、今日火傷を負わせた熱湯も、程度の差はあるけれど、どちらも同じ意味、その目的のために現れたのだと。

「繰り返す。その連鎖は永遠に。我が呪いと律遍鏡のある限り……」

「ちょっと待って下さい。確かヒミコ様言ってましたよね。律遍鏡が割れたら呪いも解けなくなるみたいなことを」

 正確には、律遍鏡の背面に描かれている花――細長い無数の花びらが大きく反り返って、放物線を通り越して球体を描いている花――曼珠沙華が欠けたら、と言っていたはずだ。

 あの血のように赤い、炎のように紅い華。

「ということは、呪いを解く方法があるってことですよね?」

「ふむ、存外によく聴いておったのだな。然り。ただ我が呪いは、曼珠沙華の制約を受けておる故、我の力だけではどうにもならぬ」

「そこがよくわからないんですよ。ヒミコ様は、もともと呪うのも不本意だったんですよね?でもそもそも呪いって、自分で呪おうとしたから残るものなんじゃないんですか?」

 妄執だとか、後悔だとか、怨念だとか……。とにかく、呪いというものは、その人の深い感情から来るものだと思う。思いに根差すものがない限り、悠久の時を経て、今なおこの場所にあるはずがない。

「今朝、何か夢を見なかったか?」

 ヒミコ様は、僕の問いかけに問いで返した。

「夢、ですか?」

「うむ、夢は生者が彼岸に最も近づける場所。夢の中ならば、おそらく何らかの干渉があったはずだ」

「そういえば、律遍鏡らしきものに華の絵を描いているおじいさんの夢を……」

 夢、だったはずだ。余りにも現実的な夢の残滓に、まるで一つの映画でも見たかのような錯覚を起こしている。

 僕の小さな戸惑いを、「やはり」と切って、ヒミコ様は問いの答えを導き始める。

「あの男の名はグレゴ。名以外のことをほとんど知らぬが、強力なまじないを操る男であった。生前の我も及ばぬ程のな」

 そういえば、邪馬台国の卑弥呼は、呪術や占いとかの類を利用して政治を行っていたと聞いたことがある。本当にいるんだ、呪術師。あぁ、呪いがあるんだから当然か。

「彼の者は、己の生きた不遇に絶望し、憎悪し、怨嗟し、後世に渡る呪いを残した」

「グレゴの呪いですか……でもヒミコ様、僕を呪っているのは自分だって、はっきり言ってましたけど?」

「然り。グレゴが曼珠沙華に刻んだのは、『呪わせる呪い』なのだ。元々、グレゴの呪術がなければ、律遍鏡に残された露草ツユクサ の怨念など取るに足らぬもの。所詮は記録程度にすぎなかった」

 グレゴの呪いがヒミコ様を縛りつけ、僕を呪うように強制する。

 どうしてだろう。そんな湾曲したプロセスを踏まなければ、長きに渡って呪うことができないのだろうか。

 そんな心中の疑問に、ヒミコ様が答える。

「本来、グレゴほどの呪術者ならば、永久に作用し続ける呪いなど、独力でも生み出せよう。我のような古霊を彼岸から呼び寄せ、此岸に拘束するともなると、術者の消耗も多大なものとなるはずなのだ」

「じゃあ、なんでわざわざそんなことを?」

「その真意はわからぬ。だが量るに、彼の者は我のような過去の象徴を呪うことで、この世の歴史そのものを呪った気でいるのではなかろうか。おそらく、原初から、最果てまでを……」

 過去も、未来も、全てを呪い尽くす。まるで端のない直線のように、あらゆる点を憎んでいるんだ。そこに時間という概念はない。永遠を突き刺す一本の柱――直線自体を、彼は憎んでいるのだから。

 それが、グレゴの呪い。

 いったいグレゴという人間は、生きる中で何を見て、何を感じていたのだろうか。その暗く沈みこむような心理は、到底想像できるものではない。

「でも呪いを解く方法は、確かに存在するんですよね?」

 ヒミコ様の作り出す雰囲気に当てられたのか、僕は同じ質問をもう一度繰り返す。

「然り。そのためには、汝にも色々と動いてもらわなければならぬがな」

 その言葉は力強く。凛とした声色は、僕と彼女の不安を吹き飛ばす。

 気が付けば、心臓の鼓動は少し静まっている。ただセミの鳴き声だけが、光の薄れた部屋の中で響く。それは少し耳に痛いくらいで……。

 こうして、晩夏の喝采を浴びながら、グレゴの呪いをめぐ る長い日々が幕を上げた。


 曼珠沙華は、赤く、紅く。ただ淡く輝いている。

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