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曼珠沙華律遍鏡  作者: 足利ハジメ
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生者必衰《バンブツミナ死ニタエル》6

 肩掛けバッグの中には、筆記用具、ノート数冊、問題集が二冊。

 あと円盤。

「やっぱり、呪いとかってあんまり人に言わない方がいいと思ったんですけど、呪い解けなくなったりしません?」

「いや、そのような制約はない。呪いの身の上を語りたければ、一向に構わぬぞ」

 往来を疾走しながら、僕はカバンと会話する。正確には、カバンの側面からちょこんと顔を出しているヒミコ様と。

「物体をすり抜けるって、何だか不気味ですね」

 ヒミコ様の場合、円盤と垂直に重力が発生しているらしい。しかも『此岸しがん(この世)』のものには触れられない。円盤を横向きにしてカバンに入れたものだから、とてもシュールな映像がご提供されています。

「そうかもしれぬが、あまり大声で我に話しかけると、衆人から不気味に思われるのは汝だぞ。我の姿は、呪い憑きしか映すことができぬゆえ」

 だそうです。さすがにみんなが見えるようなら、円盤を持ち出したりしません。

「携帯電話とか言い張れば、別におかしくないですよ。それよりも、何でこの『律遍鏡りっぺんきょう 』とやらを常備しとかなくちゃいけないんでしょうか?」

僕は気持ち分声を小さくして言った。

 来客に応対するために階段を下りる途中、僕は友人と待ち合わせをしていたことを思い出した。その旨をヒミコ様に告げると、彼女曰く、「我を連れて行かねば、汝の家族の命は保障出来ぬぞ」だそうだ。まるで人質でも取られたかのよう。

「それは追い追いわかってくるであろうが……汝、もしや、携帯電話を持っておるのか?」

 なんか食いついてきた!この手の話は、忙しい時にしないほうがいい。話が全然進みません。

 科学の英知に関する演説を始めた古代人は無視して、腕時計の針を確かめる。午前十一時を十五分ほど過ぎた辺りだ。長い針とゼロの距離は遅刻分。

 やはり思い出すのが遅すぎたか。色々なことがありすぎて、すっかり忘れていた。階段を降るトントンというリズムが、日常の記憶を呼び覚ましてくれたのは幸いだったけれど。

「ヒミコ様、そろそろ着くのでお願いがあるんですけど、あまり話しかけたりしないでくださいね。多分返事とかしちゃうんで」

「ん?我のことを話したいからこそ、先の件を問うたのではなかったのか?」

 おお、返事があった。忘我の世界からご帰還なさったようだ。

 ヒミコ様は僕を見上げ(見下ろし?)、至極当然の返答を待つ。

「よく考えたら、まず信じてもらえないです」

 大抵の人間はそうだろう。しかも待ち合わせをしている相手は、信仰心の非常に乏しいやつだ。

「なるほど。科学が進歩した世界に、英霊や八百万の居場所はないようだ」

 ヒミコ様が呟く。

 確かにその通りかもしれない。科学者や物理学者は、語り部や画家ほどロマンティストではない。いやスピリチュアルではないと言った方が正しいだろうか。

 目的地もすぐ傍の大通り。行き違う人の間隙に揺れて、彼女は何だか寂しそうに見えた。

「ふむ、よかろう。汝を呪うことになったのも、元々不本意だったのだ。まして、汝の人としての生活を壊すことなど……」

 ヒミコ様はそれ以上口を開くことなく、進行方向に顔を向けて、ただ流れていく景色を眺める。先ほどの愁いと似たような、それでいてどこか違う感情で、肩にかかる重量が増したように思われた。

 しばらくして、ヒミコ様が消えた(鏡の中に引っ込んだ?)のを確認してから、図書館の自動ドアを通り抜けた。

「あ、いたいた。総司、遅れてごめん」

 弾ませた息で自動ドアを開け、入り口すぐ傍の閲覧コーナーに座る男に頭を下げる。古書の文字列を追いかけていた黒縁眼鏡が、僕の方へと向き直った。

「ああ、わかった。座れ、聖」

 無愛想な言い回しをしながらも、机の上に数冊のノートと問題集を出してくれる。そして、黒縁眼鏡は再び古書へと焦点を合わせる。

 彼の無愛想は怒っているわけではない。桐原総司曰く、「相手に不満をぶつけたところで、何も得られるものはない。雰囲気を壊した上に時間も無駄だ。もし討論がしたいのなら、徹底的に論破してやるが」だそうだ。

「あれ、何で制服なの?」

 総司の向かいに座りながら訊く。

半袖のワイシャツに紺色のスラックス。典型的な男子高校生の服装に身を包んだ総司。外の気温は三十一度もあるけれど、汗一つかいた様子もない。

「ああ、生徒会で何日か集まる日があってな」

 総司は視線を本に向けたまま答える。その本には図書番号が印刷されているシールが貼られていない。どうやら持参してきたもののようだ。どこの国の言語かわからないタイトルが印刷されている。

「そうだ。昨日家庭教師のバイトがあって、少し遠出をしたんだが、お前が警官に追いかけられているのを見たぞ。今回も逃げ切れたのか?」

「ええ、見られてたの?」

 総司は僕の趣味を理解してはくれないけれど、馬鹿にもしない。時々、戦利品の評定をしてくれたりもする。

「うん、まあ、逃げ切れたかな?とにかく、すごいの見つけたんだよ」

 課題を転写するペンを止め、満面の笑みでバッグに手を入れる。真相を話すことはできないけれど、せめて自慢くらいはしたいものです。

「ジャーン、どうこれ。すごいよ、これ」

 大声に館内のみんなが振り返る。興奮しすぎて図書館におけるマナーを忘れていました。

 総司は読書を中断して、机の上で厳然と存在する円盤を睨みつける。

「……なあ、聖。これ、本当にすごくないか?」

 しばらくして、ポツリと言った。

「これは……もしかして青銅なのか?錆だらけで保存状態はあまりよくないようだが、相当の年代ものに見えるぞ」

 錆だらけ?新品みたいに見えるのは、呪いがかけられている僕だけなのかな。

「でしょ?さすがコーキュージュータクガイだよね」

「何だ、またゴミ捨て場から拾ってきたのか?じゃあ、たいしたものではないな」

 そう言いながらも、総司は円盤から目を離さない。おそらく彼も、円盤が放つ禍々しいほどの存在感に、目を奪われてしまったのだろう。

「夏休みが明けたら学校に持っていって、星見ほしみさんにも見せてあげようかな。この喜びを共有したい」

 沈黙の合間に、僕の希望を挟み込む。実現しても何もいいことはないけど。変な目で見られるだろう。こっちの道に目覚めてもらえたらなあ。

 それがわかっている総司も、鼻で笑うだけだ。

「その星見だが、今日学校で見たぞ」

「え、部活に入ってるわけでないのに、何でだろう」

「補習じゃないのか?確か、期末試験に来ていなかっただろう?」

 しまった!だったら僕もあと二科目ほど赤い点を取ればよかった。あまりにも総司のヤマ勘ノートが当たるものだから。

「こうしちゃいられない。早く学校行かなくちゃ!」

 またもやマナー違反。でも抑えられません。勢いよく立ち上がって宣言する。

 ただ勢いがつき過ぎたか、椅子が押し出されて、後ろを歩いていたチビッ子に軽くぶつかってしまった。

 しかも不幸なことに、そのチビッ子が熱い熱いお茶の入っている紙コップを、突然の衝撃に驚いて放り投げてしまったようだ。湯気をごうごうと上げながら、深緑のお湯が飛翔する。

 総司は、円盤を救出するために手をのばしている。それを確認した僕は、机の上に散乱するノートを胸に抱きかかえ、襲い来る熱湯から遠ざかった。

 しかし、一瞬の躊躇に対して時間はあまりにも足りない。右手の甲に熱の感覚が鋭く突き刺さる。

 余ったお茶が机の上で跳ね返ったけれど、既に避難した総司には届かない。痛がっていないところを見ると、チビッ子も無傷のようだ。

「ああ、ごめんね。大丈夫だった?」

 ひりひりした痛みに耐えながらも、チビッ子に駆け寄る。怪我がないとは思いつつも、万が一のことでもあれば、親御さんに顔向けできません……というのは大袈裟だけれど、とにかく、首を縦に振ってくれたのは良かった。

 僕がほっと息をついたその時、

 後方――おそらく『律遍鏡』から、眩いばかりの金色が放出される。

 僕は振り向き、見る。

 僕だけが輝きに目を細める中、円盤を持つ総司の右手に光が収束し、そこに、赤く腫れている痕――まるで火傷のような――が形成される。

光は粒となって僕の右手へと降り注ぎ、刹那にして、痛みが消えた。

「……何だ、当たっていたのか?」

 総司が右手の甲に息を吹きかける。自信家の彼は、あの程度のアクシデントで被害を受けたことが信じられないようで、首を傾げて黙り込む。

 すでに強烈な閃光も幻想的な輝きもなく、総司の抱える律遍鏡もともに沈黙していた。

「ごめん、総司。課題、また今度見せて」

「何だ、学校か?まだ星見がいるとは限らないぞ」

「うん、でも一応……」

 星見さんに会いに行くなんて、ある種煩悩じみた発想は、もはや生まれてくるはずもなかった。それよりも優先しなければならないことがある。

 僕は全ての荷物をカバンに突っ込んで、総司から呪いを纏う鏡を受け取った。

「お茶、弁償するよ」

 チビッ子の方へと向き直り、ジーンズのポケットから財布を取り出す。

「ううん、いらない。もうお茶飲みたくなくなった」

 チビッ子は、そう言い残して、さっと走っていなくなってしまった。まるで、僕にお茶をかけるために、そのために現れたみたいだ。

 本格的に嫌な予感がして、円盤を持つ手が少し震えた。

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