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曼珠沙華律遍鏡  作者: 足利ハジメ
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生者必衰《バンブツミナ死ニタエル》3

「よう、聖。死体見て気ィ失ったんだって?」

 と、これが事の顛末らしい。僕は、電車にひかれて上と下がフォーエバーグッバイしたものを見て、ショックのあまり倒れてしまったという。

「将来はトレジャーハンターになるとか言っておきながら、根性ねえなあ」

 と、僕を罵ったのが兄の(ひろし)。某国立大学に通う一年生。頭はいいけど弱い。ガリ。眼鏡。運動音痴。そのくせ偉そう。

「違うんだよ。ひかれたのは僕の方なんだ」

 半笑いの啓に真剣な表情で返す。

「……バカなの?」

「だよねえ」

 まあ、反応は予想通りでした。違う意味で兄にヒかれました。

「啓~、もうご飯食べたの~?」

 キッチンから母さんが呼びかける。時刻は八時。啓は、いつも自分の食べたいタイミングで勝手に食事を取るから、いちいち訊かなければならない。面倒な男だ。

 啓は「まだー」と、椅子に腰掛けたまま、上半身だけ振り返って答えた。

「じゃあ、出前でも取りましょうか?お母さん、今日は何だか疲れちゃった♪」

 母さんは、僕が病院に運ばれたという知らせを聞いて、かなり動揺していたらしい。すぐに泣くのは母さんの癖で、大袈裟なものだけれど、やはり精神的負荷は軽くなかったようだ。それにしても、四十を超えて「ちゃった♪」はどうかと思う。

「ああ、僕いらない。食欲ないや」

 こんなことを言うと、また母さんに心配をかけることになるだろう。それでも、何かを口にするなんていう気にはなれなかった。

 食べたものが、いったいどこへ落ちていくのか何てことを考えたりして……。

 案の定、母さんは難病を抱える息子と、これからの人生について話し合いでも始めるかのような面持ちになってしまう。

 僕は「そんなんじゃないから」と軽く否定をして、ダイニングを後にした。

 後ろから、「おいおい、ダイジョーブかよ?」という、茶化すような啓の声がしたけれど、多分気遣いなんだと思う。

 二階へ伸びる段差の連続は、違和感の付き纏う僕の身体には少し厳しかった。


 

 僕は部屋の電気もつけずに、仰向けになってぼんやりと天井を眺めていた。

ベッドに軽く体を沈み込ませているけれど、それでもはっきりとした意識を保っている。視界を歪めたのは、眠気ではなく思考だ。

「やっぱり、夢か幻だったのかなあ……」

 人間あまりにもショッキングな出来事に遭遇すると、記憶が曖昧になることがあるらしい。まあ、みんなの方が正しいのなら、結構きつい体験をしたのだろうと思う。

「でもなあ、自分の世界に入り込むことはあっても、その手の妄想をするようなタイプじゃないんだけどなあ」

 四畳半の狭い一室で寝返りをうつ。一緒に出たため息は、階下から聞こえるテレビの音で掻き消された。

「ああ、どうせ眠れないや。取り敢えずここは一つ、現実逃避をば」

 立ち上がって蛍光灯のスイッチを入れた。部屋の一角を占める勉強机の上にある漫画を取って、ベッドに腰掛ける。

 すると、読み始めてから数分と経たないうちに、カチッ、カチッと、小石か何かがガラスにぶつかるような音が耳に入ってきた。

 青いカーテンへと視線を預ける。というより凝視する。間違いなく、音の発生源はその奥から。もはや小石程度の大きさではなくなったのか、軽くノックでもしているかのようだ。

 何だか不気味だ。なんて思いながらも、考えることに疲れた身体は、条件反射的にカーテンを開けてしまう。

 カーッっと大きく一鳴き。僕は身動きを封じられて――開けなければ良かった。

 からす、カラス、鴉。三羽のカラスが、窓外にある落下防止の柵に横一列に並んで、クチバシを窓ガラスにトントンですよ。何だか恐怖です。

 これはどうすればいいのでしょうか?窓を開けて追い払うのは正直怖い。もし部屋に入って来たりしたら最悪です。

 そう、僕に出来るのは目で諭すことだけ。敵じゃないんだよ。僕らは同じ地球に住む仲間じゃないか。さあ、そんな怖い顔はやめておくれ。

 再び大きく一鳴き。翼をがばっと広げて威嚇――かと思いきや、果たして僕の心が通じたのか、彼らはそのまま羽をばたつかせて、暗い彼らのテリトリーへと帰って行った。

「なに今の、コンコンダッシュ?貴重な経験をしたなあ」

 多分あんな状況に出くわした人は、ほとんどいないはずだ。あれこれと頭を掠めていた憂鬱も、どこかに行ってしまうほどの衝撃だ。

「って、あれは」

 はっきりと目と頭が覚めたことで、ようやく気が付いた。窓と柵の間に、何か直径二十センチ強の物体が置かれている。

 そう、あれは昼間トレジャーハントした円盤。

「おおー、カラスが運んでくれたってこと?偉いなあ、持ち主のところに届けてくれるなんて」

 カラスも、よくゴミを漁ると聞きます。おそらく、同族意識を持ってくれたのではないでしょうか。ナスカス!あ、ナイスカラスの略です。使ってもいいですよ。

 そんなことはどうでもよくて、窓を勢いよく開けて、そっと円盤を拾い上げる。そして即座に抱きしめる。

「ああ、やっぱり真に優れた芸術品は持ち主を選ぶっていうのは本当だったんだ」

「優れた芸術品かはわからぬが、確かに(なれ)は選ばれたのであろうな」

 ……?声?誰の?ここには僕しかいないはずなのに。どこから聞こえたのかも正確にはわからない。

「何を呆けておる。我を離せ、このスットコドッコイ」

 スットコドッコイ?尊大な物言いだけど、何だか和んでしまいます。

「えーと……、どちら様ですかぁ?」

 周囲をキョロキョロ見回す。まさか頭の中の声だったりしないよね。なんと言っても今日のことがあるから、自分を信じることが出来ません。

「早く『律遍鏡(りっぺんきょう)』を離せと言うておるのだ」

 どこかから聞こえる謎の声は、どうやらご立腹のようだ。僕も怒らせたくはないのだけれど。

 リッペンキョー?何ですかねそれ。まあ、心当たりといったら、僕の胸に納まっている円盤ぐらいしかありません。

 腕を伸ばして円盤を良く見てみると、窪みのない片面には色あせることなく咲き誇る鮮やかな赤い花が描かれていた。

「これでいいですか~?」

 恐る恐る、円盤を床に敷いたカーペットの上に置く。何となく窪みのある方を上にしておいた。そして監視カメラでも探すかのように、辺りを警戒しながら後ずさる。

「汝の名は?」

 ナレノナハ?慣れのナは?鳴れの縄?どういう意味?

「汝の名は!」

 僕が困惑していると、まるで怒鳴っているかのような強い語調で繰り返してくる。緊急事態だ!もっと勉強しておけば良かった!

 成れのなわ。ナレノナ輪。なれの名は……?ナレって二人称?名前ってこと?

「か、加美野聖です」

「カミノサトシ……」

 謎の声が僕の名前を繰り返した瞬間、円盤の窪みから一条の光が放たれる。光線は天井へと突き刺さり、一気に部屋全体へと拡散する。

「え、何これ?何これ!」

 次第に円盤自体も輝きだして、風化したと思われる破損や、長い年月が生んだのであろう錆が、見る見る内に消えていく。

 まるで――いやきっと、この円盤が生きた時代の姿へと戻っているんだ。

 円盤が錆び付いた赤銅から真新しい青銅へと変容すると、光の柱は放出されたのと同じ場所へと吸い込まれ、ゆっくりと沈んでいった。

「おお、現し(うつ)世とは、あえかなる我が身には何と眩しい世界か」

 感嘆が響く。それは重く、低く、それでいて聞き心地のいい女性の声。

「えっと、どちら様でしょうか?」

 ああ、自分でもわかります。多分僕は今、ものすごくマヌケな顔していることでしょう。

 そりゃあ誰だって驚きますよ。ようやく意味不明な発光が収まったと思ったら、円盤の五センチ上方に、ちっちゃな人間が現れたんですよ。

 新品同様になった円盤の窪みは、鏡ほどではないにしてもよく反射する金属がはめ込まれていて、未だ淡く輝いている。まるでそこから映し出されているかのように、巫女服姿の女性が浮かんでいるのだ。

 巫女服といっても、そう認識させたのは形だけで、基本的に色合いは薄い茶色。襟だけ薄い緑で、袴には所々に黄色い紐のようなものが結び付けられている。頭には金色の冠のようなものを被っていて、セットになっているのだろう同色の腕輪を左右にはめていた。

 何となく、イメージだけど昔の人っぽい。でも立体映像みたいなものだとしたら未来っぽいなあ。取り敢えず透けてはいない。

 彼女は一通り部屋を眺めると、今度は僕へと視線を合わせた。

 切れ長の目。薄い唇は口角が上がり不敵な表情を作り上げている。その堂々たる威圧感が、彼女を数倍の大きさで対峙しているかのように錯覚させる。

 内側まで入り込むかのような瞳が、僕を突き刺す。僕は電気的な痺れを感じたかのように体が強張ってしまった。数秒僕を視線で吟味するように眺めたあと、彼女は呟くように言う。

「汝がカミノサトシか……哀れな」

 アワレナ?いきなり?顔?顔で判断したの?

「僕は中の上だと思います」

 本当は上だと思っているけど謙遜してみました。

「何を言うておるのだ?このスットコドッコイは」

 またスットコドッコイ。何だか馬鹿にされている気がしません。でも彼女はただでさえ厳しく見える釣目を細めて、まるで虫でも見ているかのように冷ややかな視線で僕を突き刺しているので、見下されているのは間違いありません。

「ゴキブリが」

 ゴキブリを見る目でした。多分生きる力に満ち溢れ、輝いている存在という意味ではないです。

「……本当に誰なんですか?」

 ため息混じりに質問する。なんだか相手にするのが疲れそうな人だ。正直帰りたいです。ここ僕の家だけれど。

「我の名は露草(ツユクサ)。またの名を卑弥呼(ひみこ)。邪馬台国を統べる者にして、此岸に縛られる者」

「ヒミコって、あのヒミコですか?」

 邪馬台国の卑弥呼といえば、歴史の授業で一番最初に習う人物だ。何をした人かはうろ覚え。日本で最初の女王って感じの人だったと思う。

「本来卑弥呼とは政を預かる姫巫女を指すもの。汝がどのヒミコを指しておるのかは知らぬが、我の名を継いだ者は時を経ずして国を潰しておるから、おそらく歴史に名を残してはいまい。汝の言うヒミコとは、初代である我のことであろうな」

 なんと!彼女は相当なビッグネームでした。

「えっと、あなたがそのヒミコ様だとして、いったいどういったご用件で?」

 名前と威圧的な雰囲気に押されて、ついついへりくだってしまう。既に僕は正座しています。

「ふむ、そのような殊勝な態度でいるのなら、話してやらんこともないな」

 ヒミコ様は機嫌を良くしたようで、アゴに指を添えて笑み交じりの顔を向けている。

「では耳の穴をかっぽじって良く聴くがよい」

 かっぽじって?なんだかちょくちょく古代人のイメージに合わないことを言うなあ。取り敢えず小指で耳をほじってみました。

「汝は律遍鏡に血を捧げたことにより、現し世と彼岸を結ぶ触媒となった。記録から思念へと形を変えるためには、現し世との縁を強くせねばならぬのでな。我の体現には汝という触媒が不可欠なのだ。ただその際、触媒としての汝の魂は、彼岸に近付き過ぎてしまうことにより……」

「はい!全然意味わかりません!」

 ビシッと挙手をして彼女の話を遮る。正直ちんぷんかんぷんです。

「そうだな。見るからに低能そうな汝にもわかるように言えばな……」

 ヒミコ様はさりげなく中傷を挟み込んで、言葉を選んでいるのか、伏し目がちになって黙り込んだ。

 数秒して、思い切ったように僕に指を突き刺して、

「うむ、汝は呪われたのだ」

 と、宣告した。

 部屋の中を静寂が支配する。僕の口はあんぐりだし、ヒミコ様は決めポーズをとったまま動かない。その静けさは一瞬のものだったけれど、彼女の告げた一言が、まるで鈍器で殴りつけられたかのような衝撃を与えたのだ。

「の、のろろ、呪われたって、僕が?」

 狼狽で呂律がうまく回らない。だってこんなに摩訶不思議な方から、呪われたなんて言われたんですよ。あるよ。呪いなんて信じてなかったけど、多分あるよ、呪い。

 ヒミコ様は、「うむ」と、そこはかとなく尊大な態度で返答した。

「えっと、いったい誰に呪われたんです?」

「我に決まっておろう」

 そんなこともわからないのか馬鹿が、って顔で言い放ちましたよ。はい無理。もうムリ。

「やっばい。変な夢見ちゃったよ」

 呟いて円盤(リッペンキョーだっけ?)を拾い上げる。

「一応言っておくがな、我だって別に好きこのんで……」

 ぶつくさ言っている呪いのアイテムは無視して、静かに窓を開ける。

 星の輝きのない闇夜は、住宅街に静謐を湛えている。この漆黒を切り裂いて、流星はどこに行くのか。円盤投げ?ええ、得意です。

「おい、待て。早まるな。もしこの律遍鏡が割れたりでもしたらって、話を聞けーーーー……」

 回る。回る。高速で回転しながら、円盤は彼方へと奔っていく。その御姿は、さながらフリスビー。突如現れた非現実も、断末魔を上げてすっ飛んでいくほどの衝撃だ。

 その行く先も確認しないまま、窓もカーテンも締め切って、取り戻した現実に息を吐く。次いで、力なくベッドに倒れこんだ。

「これで世の平和は保たれた。さあ、寝よう」

 宣告したら後は簡単。運動(円盤投げ)をしたのがよかったのか、数分前まで僕にまとわり付いていた寝苦しさもない。何も考えずにまどろんでいるうちに、意識はゆっくりと沈んでいった。

 それでも、何か変な夢を見そうな予感はしたんだ。


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