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曼珠沙華律遍鏡  作者: 足利ハジメ
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聖戦後夜《タガタメニ ソノ命ヲ》3

 十二時四十五分、残響が賑やかさに紛れて薄れていく。

「なに今のチャイム?」

 僕がこのような質問を総司に向けるのには、二つの理由があった。

 一つはチャイムの種類。僕らの学校は一般のそれとは違い、題名のよくわからないクラシックが鐘の音にアレンジされたものが流される。それなのに今鳴ったのは、キンとコンとカンで簡単に表現できてしまう定番のものだった。

 そしてもう一つはチャイムの鳴った時間。まだ昼休みであり、外出が認められているため校内にいない生徒までいるといった状態。かく言う僕も、学食のパンをちょうど頬張ろうとしていたところだ。

「生徒手帳を読んでいないのか?ほら、廊下で雑談していたやつらも戻って来ているだろ」

 咀嚼そしゃくしていたパンを飲み込んで総司が答える。言われてみると、空席だらけだったクラスの半分ほどが埋まっている。

「だが知らないのは加美野だけではないようだな。そうでなければこの騒がしさ、よほどの危機感だ」

 おそらく教室に戻っていなければならないようなことがあるのだろう。それでも廊下を歩いている生徒を見かけるのは認知度の低さからか。

「それで、結局何なの?」

「不審者対策だよ。あからさまに告げると混乱するだろう。相手も刺激してしまうし」

 何とはなしに総司は言う。危機感云々を他人にどうこう言えないのではないだろうか。彼の鈍感さがうつったのか、僕も落ち着いてその事実を受け入れてしまった。

「君達、早く教室に入りなさい!」

 担任の先生が小走りで入室してくる。次いで、しぶしぶといった感じに何人かが席に着く。

 先生は頭だけで廊下を覗き込んで誰もいないことを確認すると、手にしていた鍵で教室を施錠してしまった。

「おい、何だよこれ。説明しろよ!」

「不審者なんか警察に任せればいいじゃん、大袈裟だよ」

 みんな密室とも言える空間に押し込められた不満と、逆に逃げ込んだという安堵から口々に非難を飛ばす。ただそれらを受け取る側は、携帯電話で誰かと連絡を取っているようで、全く対処出来ていない。

 同じようなやり取りが他のクラスでも起こったのか、突然の侵入者を無視して騒がしさが学校を支配し始めた。

「来たみたいだな」

 僕の後ろの席、いち早く何かを感じ取ったらしい総司が呟く。

すると教室の前方のクラスから音が消え始めた。あれほどの混乱から一転して、音を生み出すものの一切が消滅したかのような静けさが迫ってくる。

 それは時間とともに後方にも広がっていく。まるで波だ。押し寄せる波にさらわれてしまったようだ。今や、僕らのクラスは完全に沈黙していた。

 無音の世界は、どんなに些細な振動であっても浮き彫りにする。それがたとえ廊下を這う様に徘徊する靴音でさえも。靴が鳴るたびに緊張感が高まり、心臓が締め付けられるほど不快な空間が構築されていく。

 そしてついに侵入者が姿を現した。

 みんな息を呑んで目を見開く。あるいは目を伏せる。僕もただ一点に縛り付けられているために、周囲の状況がよくわからない。

 教室のドアにはめ込まれたガラスが映すいで立ちは、ごく一般的な――まるでただの会社員であるかのような――スーツ姿だった。

 ただこの男が一般的であるのはそれだけだ。左腕は不自然な方向に捻じ曲がったままぶら下がっていて、額からは赤い塗料のようなものが流れている。既に乾燥しきってこびれついているようだ。

 男の眼は血管が密集していて、まるで瞳から血染めの触手が伸びているかのようだ。その眼光の鋭さは、身体の欠陥を脅威の要素に取り入れてしまうような錯覚を起こさせる。

 男はドアに右手をついて、覗き込むように僕らを見回す。まるで生贄を吟味するような視線に、僕もようやく目を逸らす。いや、僕だけじゃないだろう。あれは、好奇心とかそういった感情で直視できる存在じゃない。

 赤い眼光に絡み取られないように目を伏せていると、廊下に立つ気配は次第に遠ざかっていった。男の姿が見えなくなっても、誰一人として口を開く者はいない。

 靴が鳴る。靴音が止むと隣のクラスが水を打ったようにしんとする。どうやら侵入者は全てのクラスでこれを繰り返すつもりのようだ。

 しばらくして不意に先生の携帯電話が震えだす。それをきっかけに生徒達は呼吸をする権利を得たかのようで、ようやく生きた人間の集団が復活した。

「は、はい、被害はありません。今は四階ですか、屋上に向かって?」

 みんなが注目する中で断片的な情報が呟かれる。そこから読み取るに、不審者は何を思ってか頂上を目指しているらしい。

「何がしたいんだろうな、あの男は」

 後ろの席で総司が声を抑えて言った。本当に久しぶりに彼の声を聞いた気がする。さすがの総司も、あれを前にしては言葉が出なかったようだ。

「あの男を追え」

 突然カバンの方から声が聞こえた。ただ姿を現してはいない。

「あの男は呪い憑きだ。待ちわびたぞ、我らが悲願はようやく果たされる」

 悲願、それが意味するところはつまり。

「スサノオ……」

 それは確かに、女性にしては低く重々しい、それでいてか細いヒミコ様の声だった。

「みなさん静かに!」

 再びざわつきだしたクラスを先生が制する。どうやら彼の指揮権も同時に息を吹き返したようだ。

「不審者は現在屋上にいるようです。一年生から順に避難しますので、みなさん静かにお願いします」

 たぶんそれは杞憂だろう。いつあの男が現れるかわからない所を騒いで歩ける勇者はいない。実際にその通りで、教室の扉が開かれた後も誰一人声を上げる者も駆け出したりする者もいなかった。

 ただそれは冷静であったのとは別次元の話である。みんな異常なほど周囲を警戒していたし、中には涙ぐんでいる者もいた。混乱という選択肢をも奪われたのだ。

「どこへ行く?あの男は屋上にいるのではなかったのか?」

 カバンからヒミコ様の声がする。それは当然の問いではあるけれども、脱出しようという流れに逆らうのは不自然だし、何よりあの男と対峙するには覚悟を決める時間が必要だ。

 あの狂気に囚われた目には覚えがある。あれは久慈川くじかわと同じ目だ。人間として破綻した狂気の極致。あの時僕は、皮肉なことに呪われていなければ確実に死んでいた。

 僕らの行進は驚くほどの速度で完了に近づいていた。恐怖心が秩序を保ち、同じ理由で鈍行は許されない。やはりみんな一刻も早くこの状況から抜け出したいのだろう。気がつけば出口も目前だった。避難は職員用の玄関を通って裏門をくぐり完了される手はずになっている。

「おい、あそこにいるのは件の加藤じゃないのか?」

 僕の後ろに付いてきていた総司が指差す。玄関の向こう、二人の教員に押さえつけられながらも、なおも振り切ろうとする大男。総司の言う『件』が、最早いつのことだったか思い出せないけれど、確かに加藤先輩だった。

 何があったのか、加藤先輩は後頭部から滴る程度に血を流し、頼りなく足を震わせながらも、確固たる目的を持って一歩一歩こちらへと近づいてくる。

「えっと、あれはどういう状況?」

 注目しているのは僕らだけじゃないようで、周囲の視線が一箇所に集まっていく。

 おそらくみんな同じことを考えているのだろう。この騒ぎはあの男を呼び寄せてしまうのではないだろうか。先生達の説得も小声でこちらまで届いてこない。

 加藤先輩を封じ込めることは、姿のない狂人に怯える先生達には出来なかったようで、ついに彼は障害物をなぎ払った。しかし即座に他の教員が駆けつける。

「どけよ、あいつは舞を追ってんだよ!」

 その声は静けさを演出した校内にまで拡散する。特に僕には脳を叩きつけられるほどに響いた。

「舞って、星見さん……」

「おい、待て、加美野!」

 気がつけば、総司の制止を遥か後方に置き去りにして、人の流れに逆らって駆け出していた。

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