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曼珠沙華律遍鏡  作者: 足利ハジメ
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追放概念《ダンザイハ マジョヲ 殺ス》4

 薄暗く陰鬱とした室内。長い間換気が行われていないため、湿気と埃が不快感を与える作用に特化している。

「それで…みんな死んでいて」

 椅子に深く腰掛けた――まるで椅子にすがり付いて存在しているかのような男が、ぼそりぼそりと吐き出していく。

「はあ、それで?」

 対面の椅子に座すもう一人の男が、いい加減な相槌を打つ。しかし、語り部にそれを看破し咎める精神的余裕はなかった。

「生き返ったんです、目の前で…バラバラになったやつまでいたのに」

「生き返る、ですか。あなた以外に、それを目撃した人は?」

「いえ、同僚の中には。ただ死んでいたものには、その時の記憶があるんじゃないかと」

 聞き手は話者に懐疑的な目を向けつつも、更なる情報を引き出していく。

「なぜそう思うんです?」

「怯えているんですよ。私なんかよりもずっと…」

 男はそれきり口を閉ざして、一切の追究を拒絶する。

 聞き手の男は、これ以上進展がないことを悟って立ち上がる。そして突然思い出したように、握っていたペンを駆動させた。彼の持つメモ帳に、瞬時にして文字列が形成されていく。

「では、私はこれで。何かあれば、こちらから連絡いたします」

 ひとしきり書き終えると、彼は部屋の出口へと手をかけた。

「信じてもらえますか?」

 去り際に、男が一層暗い声で尋ねた。位置関係から、上目づかいで一所を見つめている。

「ええ、信じますよ。ただね…」

 彼が振り返る。灰色のスーツに、しわの目立つワイシャツ。無精ひげには、煙草のにおいが染み付いている。

 彼は、面白いものでも見つけたというように笑みを浮かべて、

「あなたが信じるかどうか」

 一言告げて、部屋を後にした。



 木造建築は威厳と風格で成り立っている。攻撃的な門構え。排他的な表札の元に、銜え煙草をした男が佇む。

「まったく、いつ来ても…」

 男は煙草を指の間に挟んで、暫く弄んでから携帯灰皿に押し付けた。

「どうぞ」

 インターホンから低い男の声が流れる。促されるまま、彼は重たい足を引きずるようにして前進した。

 歩を進めるごとに、彼の心に後悔の念が湧き出していく。わざわざ出向かなくとも、望む結果に至る選択肢は無数にあった。これでは、自ら刑務所に収容されに行くようなものではないか。

 彼は、ふと浮かんだ感情に苦笑した。数ヶ月前まで送る立場であった自分が、どこで逆転したのか、送られる者の心地を味わっている。

「まあ、来てしまったものは仕方がない」

 表情を正して、彼は敷地の内側へと入り込む。彼の最善は、模範囚となって穏便に出所することであった。

「どうぞ、こちらへ」

 体格のいい男が、庭先へと彼を招く。男は二メートル近い巨躯を窮屈なスーツに閉じ込めて、時折彼を睨みつけながら、敷地の奥へと誘導していく。

 彼は怯えるでもなく、相手をするのが面倒になって、視線を丹誠に整えられた庭へと移した。

敷き詰められた砂利の色は淡く、透き通った池に映ずる梅の枯れ木が、鮮やかな錦鯉の遊んだ波紋に揺れている。花の賑わいはなくとも、彼の目には華やかな景色に映った。

 しばらく誘導に身を任せると、美しい庭園は唐突に途切れ、彼は開けた何もない空間に遭遇した。雑草は綺麗に刈り取られ、地が剥き出しの更地。そこは境界のような役割を果たしているようであった。

 空白を差し挟んだ向こう側に、屋敷の離れがそびえる。襖で完全に塞がれていて、室内の様子は窺い知れない。

「お上がりください」

 縁側の手前、靴を脱ぐように男が指示する。

「姐さん、お連れしました」

「ええ、わかっています」

 女の声が返る。男は行儀のいい所作で襖を開け、彼に入室するよう眼で促した。

 室内には着物姿の女性が一人、二十畳はある部屋の奥居に座している。

「下がってなさい」

 視線は彼に合わせたまま、女が言う。男は襖を閉めて、彼の背後から気配を消した。

「いつまで突っ立っている気ですか?おかけになられては」

 女が右手で床を示す。畳の上には、彼女を乗せるもの以外に敷物はない。

「じゃあ、お言葉に甘えて」

 彼は静かに距離を詰め、伸ばせば女の頬に手が届きそうな位置に正座した。

「これじゃあ、物置で話すのと同じじゃない」

「過ぎたる歓迎、痛み入ります」

 静かな口調の皮肉に、彼は笑みを崩すことなく返した。

「なら、本館の大広間でも移ってもっと手厚く歓迎しましょうか」

「それは皆さん、手痛く歓迎してくれるだろうね」

 女の口元がつり上がる。妙齢を過ぎた目前の女性は歳不相応の若さを持ち、薄化粧の頬には瑞々しい赤みが差している。一方で、若輩ながら歳不相応の貫禄を持ち、世の中の機微を知り尽くした顔で相対している。

「ここに来るのも、久しぶりね」

「お招き頂ければいつでも行ったんだがね、ここは敷居が高すぎる」

 その言葉から始まり、二人は暫くの間を世間話などで過ごした。

「それで、わざわざ駄弁りに来たわけではないでしょう」

 なかなか本題を切り出さない彼に、女の方から踏み込んだ。

「ああ、聖君を二・三日貸してくれないかい?」

「何のために?」

「いや、今度の仕事で人手がいるんでね」

 返答を待つ彼に、女は視線を尖らせる。

「そのために来たの?」

「ああ。何より、彼自身がそうすることを望むだろう」

 彼は女の視線と対決することなく向き合う。先に顔を背けたのは女の方だった。

「やっぱり。コンビニじゃないのね。まあ、どこでバイトしようが、あの子の自由だけど」

 つまらなそうに女がぼやく。

「ただ、気に入らない。ああ、気に入らない」

 女は、すっと立ち上がり、彼を残して縁側へと移動した。襖が開き、彼の目に遠くの庭園が映りこむ。

「来て下さい」

 座敷の外で、女が振り返り待ち受ける。彼は、その後を予感して溜め息を漏らした。

「少し高いわね。そこに立って」

 寄ってきた彼に、女は縁側よりも幾分低い更地を指した。彼もやれやれと首を振り、それに従う。

「じゃあ歯ぁ食いしばんな」

 言い切るが早いか、女は数歩下がって助走して、肩から射抜くように拳を彼の顔面に突き出す。彼は一般よりも幾分筋肉質であるが、細腕からかかる衝撃で尻餅をついた。

「今日はこれで勘弁してあげます。本当は、まだ殴り足りないことがあるけど」

「…空手三段は伊達じゃないな」

 殴られた頬をさすりながら、彼が立ち上がる。

「四段になりました。空手は加美野が逝くまで続けていたから。しばらく、使っていなかったものだから、拳が柔くなって仕方ない」

 女は苦笑しながら、久方振りの痛みに右手を振る。

 同時に、女の表情に影が落ちる様子を見て、彼は閉口せざるを得なくなった。

「それで、もう用件は仕舞いですか?」

「…ああ、そうだな」

「そうですか。じゃあ、ここにいる必要もないですね」

 女は、それを別れの挨拶にして本館へと退場していった。入れ替わりに戻ってきた男に連れられ、彼もその場を後にした。


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