追放概念《ダンザイハ マジョヲ 殺ス》3
高層ビルが、轟音を上げて崩れ落ちる。瓦礫は道行く人たちを押しつぶすために加速していく。
「レバニラ レーメン レーズンパン!」
どこからともなく現れた女の子が、摩訶不思議な呪文を口走って杖を振る。コンクリートで出来た瓦礫は、途端に真っ白なプリン状の何かへと変化した。
「説明しよう。レミは、十秒以内に三つの好物を唱えることで、どんなものでも杏仁豆腐に変えてしまうのだ。ちなみに藤崎パン工房では、今月末から新商品『チョコチップレーズンパン』が売り出されるぞ」
大量の杏仁豆腐が地面に叩きつけられる。幸いなことに通行人には怪我一つない。
「うわぁぁぁぁ・・・あれ、生きてる。しかもこれ月岡製菓の杏仁豆腐じゃないか。あっさりとしているが、風味が舌の上にいつまでも残る心地好さは最高!」
「いったい何が起こったの?あ、あんなところに、フットラン社のスニーカーを履いた女の子が!」
「本当だ。安定性に優れてるからどんな斜面もへっちゃらだ!」
大惨事を免れた集団の中から、一人の老人が少女に近付いていく。
「お嬢さん、ありがとうよ。おかげでみんな助かったよ」
老人は目に涙を浮かべ、深々と頭を下げる。涙を拭うためにハンカチを取り出すと、画面下方に「モノクロのハンカチは吸水力抜群!」とテロップが流れた。
「べ、別にあんた達のタメにやったわけじゃないんだからね!ダイマオーを倒すタメに仕方なしにやったんだから!」
少女は突き放すように告げると、振り返ることなく走り去ってしまった。
「そうだレミ、振り向くな。ダイマオーを倒すその日まで…」
日差しを背に浴びて駆けていく少女。軽快な音楽とともに、スタッフロールが流れ始める。
「なんですか、これ?」
ついつい見入ってしまいました。その間約三十分。
「ツンデレ魔女っ子レミとあるが」
床に広げられた新聞のテレビ欄を見て、ヒミコ様が言う。
「ふむ、これが音に聞くツンデレか」
それはいったいどこで聞いた音でしょうか。
「ツンデレ要素には全く目が行きませんでしたが。少なくとも製作者はスポンサーにデレデレでした」
ベッドから抜け出して大きく伸びをする。まったく、寝起きから変なものを見てしまった。日曜日の朝。テレビのついた音で目を覚ました僕は、不出来な悪夢のように陳腐なアニメーションを堪能させられていた。
「これが現代の呪術師。時代か…」
なんてぼやきつつも、ヒミコ様は最後まで鑑賞していた。
「ところで、どうやってテレビつけたんですか?」
ヒミコ様は、律遍鏡に映し出されたホログラフィー的存在だ。だから此岸のものには触れることが出来ないはずだ。
「もちろん、つけたのは汝だ」
「え、どういうことですか?」
まさか夢遊病?心の病?ストレス性うんちゃらかんちゃらだろうか?
「浅い眠りについた生物は酷く無防備だ。力のある呪術師ならば操れてしまうほどにな」
どうりで、目覚めた場所が床だったわけだ。それにしても、呪術って怖い。したり顔のヒミコ様が、どこまでもどす黒く見えてくる。
「ふふ、その気になれば、洗脳することも可能だぞ」
「そうやって、僕にテレビをつけさせたわけですか」
「否、それは洗脳ではなく操縦だ」
ヒミコ様はうっすらと微笑んだまま続ける。
「洗脳は操縦よりも複雑で根深い。操縦は本人の意識が薄い内に、特定の行動をおこさせるように肉体操作をすること。だが洗脳は、その行動が自らの決断であるかの如く錯覚させることだ」
「どちらもすごいと思いますけど」
「洗脳は人間の性質をも変化させる。狂人にもなるうるし、善人にもなりうる。最早それは、人間を創造する神に近しき所業」
自分で出来るって言っておいて、神に近しきって。とは思いつつも、口にするのは自重。
「されど畢竟神の真似事に過ぎん。歪んだ創造物はいずれ崩壊する」
ホントに怖いな、呪術。
「僕を洗脳するのは、やめて下さいね」
「ふむ、手間も掛かるしな」
淡々と告げるヒミコ様。これは多分、僕を怖がらせてからかっていたのだな。
「ありがとうございます」
皮肉にもならない。
「別に汝のためではないからな」
「え、ツンデレ?」
応用が早い。というか本当に僕のためじゃない。
「もうよいぞ。テレビジョンを消せ。うるさくてかなわぬ」
日曜の朝は連続してアニメが放送される。魔女とツンデレという言葉に食いついた彼女には、その後の番組は雑音にしかならない。まあ、自分でつけさせておいて尊大すぎるとかどうだとかは言わない。
「ヒミコ様は現代のことを知りたいんですよね?だったら、ニュースとか見た方が勉強になると思いますよ」
床に転がっていたリモコンを拾って、テレビの方へ突き出す。
チャンネルが切り替わり、見慣れない建物が映し出された。その前には、かなりの人だかり。何かの事件に関しての中継らしい。
「死刑です!久慈川弘樹容疑者、一審で死刑判決です!」
アナウンサーが興奮気味に報道する。厳かな雰囲気の漂う建造物は、どうやら裁判所らしい。
「ああ、やっぱり死刑か」
思い浮かんだままの感想を口にする。
「この者達は、何をしておるのだ?」
ある種の熱狂に取り付かれて騒ぐ人たちを横目に、ヒミコ様が質問する。
「えっと、一家四人の殺害事件だったような。多分このまま見てれば、もう少し詳しくやると思いますけど」
ところが、ニュースは事件の全容よりも先に、裁判の様子を詳述し始めた。
被告人は裁判中の一切を黙秘で通し、死刑判決が下ると法廷内で高らかに笑ってみせ、遺族に対して「次はお前の番だ」と言い放ったとのことだ。チープな紙芝居に音声が当てられ、久慈川という男の沈黙と狂気を物語る。
「うわ、とんでもないやつだな」
とんでもないという言葉は、あまりに軽すぎるのかもしれない。ただ理解の及ばぬ相手を形容するのに、適当なフレーズが出てこなかっただけだ。
僕は、その沈黙も狂気も知らない。
次いで、ニュースは事件の概要を明らかにしていく。
事件は夕食時に起こった。突如として刃渡り二十センチのナイフを手にした男が家に押し入り、住人達を次々と刺殺していったという。
外出していた長女を除いて、一家は四人。首から上には傷一つなかったが、それぞれに数十ヶ所もの刺し傷が見られた。
一家の断末魔を耳にした近隣の住民が通報し、間もなく数人の警察官が駆けつけた。彼らが目にしたものは、血と肉塊の上に君臨する幽鬼。抜け殻にナイフを突き立て嘲笑う一人の男。男は何の抵抗もすることなしに逮捕された。
家宅を荒らされた様子はなく、怨恨、愉快犯、殺人嗜好の享楽主義など、幾つかの動機が推測されたが、所詮憶測に過ぎない。男は事件のあらましを語るだけで、聴衆を真相に近づけさせることはなかった。口を閉ざし、追及を拒絶し続けた。
真相は彼だけのもの――そして、じきに闇の中へ。
テレビ画面には、手錠をかけられて連行されていく久慈川が大きく映し出されている。
「む、この男…」
一区切りついたと思われたところで、ヒミコ様が呟いた。
「この男、強い縁を感じる。呪われているのか、或いはこれから呪われるのかは知れぬが」
「テレビでもそんなのわかるんですか?この男って、久慈川のことですよね。会うことすら難しいですよ」
「そこを何とかするのが、汝の役割であろう。ここまで強く感じたからには間違いあるまい」
ヒミコ様は自信満々に言い切る。そこまで言うからには、彼女が望む行動を取らざるを得ない。でも死刑囚に何の面識もない人間が、気軽に会いに行くことなんて出来るはずがない。
「いや、もしかしたら…」
立ち上がり、バイト代で購入したパソコンを起動させる。今は高校生アルバイターの僕ですらパソコンを持てる時代。様々な情報がその立方体の中には詰まっている。しかもあれほど世間を騒がしている人間だ。その所在に関心を持つ人間がいてもおかしくない。
「あった、結構近いな」
ほどなく僕が見つけた一文からすると、久慈川はここからそう遠くない拘置所に収監されているとのこと。
「直接会うのはまず無理でしょうけど、もしかしたら久慈川がいる建物くらいには入れるんじゃないかと」
「ふむ、仕方あるまい。なに、ある程度接近すれば我が呪術でどうにかなろう」
ヒミコ様は、テレビから視線を外さずに言った。事件の解説は終わり、コメンテーターが現代人の犯罪心理に関して不毛な演説を始めている。
二人してしばらく聞き入り、不意にヒミコ様が口を開く。
「そうか、この男は死ぬのか」
僕もその声に反応する。
「ええ、控訴もしないみたいですし」
久慈川の裁判はそこで最終判決となるようだ。少しでも生き長らえたいとは考えなかったのだろうか。何年もかけて裁判をするなんていうのは、よくある話なのに。
「そうか、死ぬのか…」
もう一度呟いて、ヒミコ様は姿を消してしまった。
一人になってはテレビも意味がない。僕はコンセントを引き抜いた。




