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曼珠沙華律遍鏡  作者: 足利ハジメ
12/34

証明不可《キノウ死ンダワタシ アスヲ生キルワタシ》4


チッ チッ チッ チッ チッ チッ チッ チッ


 呼び鈴を鳴らす。返事を待つ。

「はい、桜木です」

「涼子です。将太を出して下さい」

 対応が始まったと同時に、私はインターホン相手に迫った。

「やはり君か。涼子、いい加減にしてくれ」

 低くどこか冷めた声。私とは酷い温度差がある。

 まるで、音声を伝えるだけの機械を通して話をする私達――決して同位ではなく、乖離のままに身を任せた私達そのものを表しているかのようだ。

「君だって辛いのはわかるが、さすがにこれはやり過ぎだろう」

 諭すような、あしらうような。

「今の君とは、まともに話し合うことも出来そうにない。帰ってくれないか」

 それきりに、無感情なブツッという音を境に、私の発言権の一切は喪失してしまった。

 もう一度呼び鈴を鳴らす。返事はない。

 あの子も出てこない。

 私は来た道を引き返した。


 ◇ 


 開業九日目、城島武士は、とあるマンションの前に佇んでいた。 

 建物の外観は清潔。宵の薄暗さにも映える真新しい塗装は、建築物の歴史の浅さを物語っている。

 そのマンションから一人、中背ながらも体格のいい男が現れた。男は監視者の存在に気付くことなく、日課となった通り道を歩く。

 城島武士は探偵としての職務を遂行すべく、男の尾行を開始する。

 男は最寄りのコンビニへ入り、弁当を一人分買い入れて、再びマンションへと戻っていく。

 男の目的は夕食の調達だった。しかし追跡者の手帳は、それだけのことで一ページがぎっしりと埋め尽くされる。

 建物の中へ消えていく男の姿を見送りながら、探偵は思索に耽る。思い返してみれば、彼が探偵という職に就いて以来、まともな仕事を一つもしていない。

 初日の都市伝説じみた依頼の後、彼の事務所を頼ってきた人物は二人だけ。その片方は言い様によれば探偵らしいと呼べる仕事だったが、その件は先日雇ったアルバイトに任せている。

 そして現在進行しているのが、もう一つの依頼。

 その依頼内容は、実に不可解なものだった。にも関わらず受諾したのは、依頼主の羽振りが良かったこともあるが、彼の特殊な嗅覚がそうさせたのである。

 探偵は自らの手記を読み返す。

 調査対象の男は若くして成功した実業家で現在四十歳。基本的に夕食は自炊しているが、週に一度程度は外食やコンビニの弁当で済ませているようだ。買い出しの頻度・量ともに一人暮らしの男の平均である。

「これは、少しおかしいよねえ」

 ページを繰りながら呟く。それ以外にもメモ帳には書き込まれているが、その事項が決定的におかしい。依頼内容と酷く食い違う。

「もう少し突っ込んだほうがいいな」

 探偵は、マンションから対象以外の人物が出入りするのを待つ。しばらくして、地下の駐車場からマンションへと入ろうとした中年の女性を捉まえた。女性は多弁な気性なのか、職種への偏見や懐疑も忘れ、探偵に必要な情報をつぶさに答えた。

「どうも、ありがとうございました。ああ、それとこのことはどうか内密に」

「ええ、大丈夫です。それにしても探偵に素行調査されるなんて、桜木さん何をしたのかしら」

 興味本位の問いかけともとれる言葉を、探偵は愛想笑いと軽いお辞儀で黙殺し、その場を後にした。

 次の目的地へと向かう電車の中で、探偵は再びペンを奔らせる。あまりにも素早いペンさばきに、周囲の乗客達は圧倒される。

 彼が必要となり得る一通りの情報を書き終えると、見合わせたように電車は慣性を伴って停止した。降車する人の波に彼も身を任せる。

 駅の改札を通り過ぎたところで、探偵は遥か前方を歩く女性の姿を目に入れた。見事に着こなされたスーツから、仕事帰りであることがわかる。

 ラッシュアワーに少し遅れた疎らな雑踏の中を駆け抜け、探偵は女性の横に並んだ。

「どうも桜木さん。先日の依頼の件でお話があるのですが」

「あの、申し訳ありませんが、どちら様でしょう」

「はあ、城島探偵事務所の者ですが」

 探偵は気の抜けた声を出す。彼には人の性質を見抜く力があり、またそれを自負していた。だから神経質な印象を受ける目前の女性が、たかたが三日前に会った人間の顔を失念していたという事実に、面食らったのである。

 しかし、その後の彼女の対応は、更に探偵を困惑させた。

「探偵の方が、私に何の御用でしょうか?」

「……?桜木隆平さんの素行調査に関して、お話したいことがありまして」

「桜木に素行調査ですか?それで私のところに。ですが、夫とは今年の春に別居してからは交流がありません。それ以前のことでしたらお話できますが」

 探偵は悟った。これ以上の会話は不毛だと。

「そうですか。わざわざお引止めして申し訳ありません」

「いえ、こちらこそお役に立てないで」

 双方とも慇懃な礼をして、それぞれ別方向の道を歩き始めた。

「いや、まいったね、どうも……」

 肩の凝りを和らげるように、探偵が首を回す。同時に声が漏れたのは、彼の感じ取った不可解さが、現実味を帯びたからである。

「さあ、どうするかな」

 三度記入し終えたメモ帳を閉じる。

「呪いねえ……」

 吐き捨てるように出た言葉は生き生きとしていた。



「ただいま。はあ、疲れた」

 玄関で仰向けになる。歩き回った足はパンパンだ。

「こんなの見つかるのかなあ」

 一枚のビラを目の前に掲げる。かわいらしいネコの写真が、中央にでかでかとプリントされていて、そのすぐ下にはお約束の常套句。

「このネコを探しています」

 これがアルバイト初日以来、三日間に渡って与えられた僕の仕事だ。どこかのお金持ちの愛娘がいなくなってしまったんざます、だそうだ。

 僕は言うことを聞かない足をどうにか酷使して立ち上がり、居間へと向かった。

「母さん、やっぱり聖を病院に連れて行ったほうがいいんじゃないのか?」

 居間に立ち入るすんでのところで、不肖の兄、啓がそんなことを言っているのが聞こえてきた。

「やっぱり死体見たのがショックだったんだよ。この前なんか、きったないゴミみたいのに向かって、一人で喋ってたぜ」

 見られていたんだ!確かにヒミコ様が見えないヒトからしたら、僕の行動は異常かもしれない。何だかすすり泣く声も聞こえる。母さん、もう泣いているんですか?

「さすがにこれは言おうかどうか迷ったんだけど、あいつ、僕は呪われたって騒いでたんだぜ。やっぱり一人で」

 啓の口調は僕をからかってのそれではなく、それはもう真剣な相談だ。チラッと覗いてみると、母さんは女優みたいに大粒の涙を流している。

「うっ、うっ、うっ、可哀想な聖。そうね、あの子は少し繊細なところがあるから……」

 無理だ。入れない。このタイミングで入って、陽気に「いやあ、ネコ探してたら足が棒」とか言ったら、「ネコ?呪い?黒猫?シクシク」「こいつ終わってるな」みたいになりますよ。

 僕は足音を立てないように引き返して、自室へと向かうことにした。

 その途中、薄暗がりの中を赤く点滅する光が目に留まった。どうやら廊下に備え付けられている家庭用電話機が、留守中にメッセージが残されていたことを知らせているようだ。

 再生ボタンを押す。録音されているのは二件の伝言。一つ目は無言で切れた。どうやら留守番電話に切り替わった瞬間に受話器を置いたらしい。

 そしてもう一つは、聞きそびれていた城島さん――もとい社長の伝言。内容は概ね先日聞いた通りのもので、接触事故の調査は打ち切りになったということだった。

「何のつもりだ、あの男は。この話は疾うに済ませておろう」

 カバンの陰からヒミコ様が現れる。ネコ探しは退屈だと仰せられて引っ込んでいたのだ。

「これは三日前のものですよ。電話がかかってきた時に出られなくても、相手のヒトが言いたいことを、今みたいに保存してくれる留守録機能っていうのがあるんです」

「なんと、超ヤバいな。我が生きた時代にもこのようなものがあればな」

 チョウヤバイ?そういえばヒミコ様、よくテレビを付けろと僕に命令していますが、現代語を学習していらっしゃるのでしょうか。用法は微妙ですが。

「して、このルスロクなるものは、いつまで残すことの出来るものなのだ?」

「多分電話が壊れなければ、ずっと残すことが出来ると思いますよ。後はこうやって消したりしない限り……」

 消去と書かれたボタンを押すと、ツーッという電子音が流れて、残されたメッセージも消えてしまった。

「託された想いを消し去るにしては、何とも風情のないものだな」

 ヒミコ様がポツリと言う。確かに彼女の立場からすれば、そういう思いを感じざるを得ないのかもしれない。

「それは大袈裟ですよ。留守番電話には、そんな大層なものは残されてないと思います」

 機械が伝えてくれるのは用件だけだ。きっとみんなわかっている。だから彼女が言うような想いは、そのようなものには宿らないはずだ。

「じゃあ、行きましょうか……って」

 今度こそ自室へ行こうと振り返ると、居間から覗き込む顔が二つ。

「ホントに一人で喋ってる……シクシク」

「しかも敬語かよ」

 ……誰か助けて。

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