証明不可《キノウ死ンダワタシ アスヲ生キルワタシ》3
動く、動く。インクがものすごい速さで文字を形成していく。
拝見したのは二度目ですが、驚愕の絶技。もはや隠し芸の域です。僕が話し終わると、迫るような激しさでメモを取っていく城島名人。
「う~ん、何だか漫画の原案でも書きなぐったみたいになってしまったな」
自分で書いたメモを見返しながら、困った様子で僕を見つめる城島さん。ずばり疑われています。
「ホントですよ。それで呪いを解くには、縁ってやつの集まり易い所にいるのが一番だって言うもんですから」
ホントですよ――信用させるにはあまりにもチープな言葉だったらしい。疑いを通り越して、痛い子を見るような目になっています。
「じゃあ証拠見せますから」
僕はカバンの中から律遍鏡を取り出して、細長く脚の低い机の上に置いた。
その少し上方、気付かぬ内に姿を消していたヒミコ様が、穏やかな輝きを伴って出現する。
「やはりここだな。奇縁の交わりを感じる」
彼女は顔をこちらに向けながら、でも焦点は僕を透過したその先に合わせている。
「おお、随分といわくありげな物を持ってきたねえ」
律遍鏡越しに、城島さんが唸る。感嘆の声を漏らしてはいるけれど、やはり信用していないことが窺える。軽々しい表現は、まるで揶揄されたみたいだ。
「ヒミコ様、何かヒミコ様がいるっていうことを証明出来るようなことありませんかね?」
「簡単だ。そこのペンで汝の手を突き刺せばいい」
「いや、それはちょっと…」
想像するだけで痛い。僕の困った表情を横目で見て、ヒミコ様は口角を上げる。
「冗談だ。しかしグレゴの呪いを使わないとなると証明は難しいぞ。我は此岸のモノには触れることはおろか、見ることも聞くことも叶わぬゆえ」
彼女はこの世界との関わり合いが極端に薄い。僕を呪うことが存在の意義なのだから、その目的以上に干渉することは出来ないそうだ。
「そうだ、じゃあアレはどうです?初めて僕の家に来た時みたいに、鳥でも操って不思議な力をアピールするっていうのは」
彼女は生前よりの才能から、小動物程度ならば短時間操ることが可能らしい。便利だ、呪術。
「ふむ、それで我の存在を認めさせることにはならぬが、汝が只人ではないという証にはなるであろ……!」
僕の提案を受けて、さあ今から証明開始だというところで、突如ヒミコ様の頭部が五本の槍に貫かれた。その槍は、ヒミコ様の脳内を掻き回すようにグリグリって……。
「この辺に卑弥呼がいるってことかい?」
はい城島~。城島の指~。僕の視線の先にある、彼からすれば架空の存在に触れようとしているのでしょう。暗闇で探し物でもしているみたいにバタつかせた手で、ヒミコ様が律遍鏡から映し出されるのを遮っている。
「ゴキブリめ、叩き潰してやろうか…」
ゴキブリは彼女の中で、けなし言葉の最上級だ。
怒っていますよ。城島さん、この人はやりますよ。呪いは本望ではないとか言いながら、個人的な理由で呪術使いそうですよ。取り敢えず朝の安眠は約束できません。毎朝小鳥が来ます。
「えっと、じゃあ証拠見せますから」
ヒミコ様の怒りが爆発する前に、僕は律遍鏡をさっと攫って窓際まで移動した。
「ヒミコ様、どうか私めのためにその御業を……」
極力へりくだって、ヒミコ様にご尽力お願い申し上げる。
彼女は仕方がないといった様子で息を吐き、僕に窓を開けるよう指示した。
ヒミコ様が瞑想を始める。まるでこの部屋全体が彼女の神経と化したかのように、雑音は消え去り、ひんやりとした冷たい感覚がその場を支配する。先ほど茶々を入れてきた城島さんも、この時ばかりは口を結び、神秘の行方を見守っていた。
程なくして、羽が空気を叩く音が響き出し――轟き出した。
凶悪な面構えをしたカラスが、数えるのに両の手を費やすくらいの小隊を組んで、昼の青空に黒い線を引く。
終着はビル群の一点。開け放たれた窓から、えらく恐ろしげな使い魔が侵入し、さっきまで僕が座っていたソファーで羽を休めた。鳴き声もなく、ただ正面に座す城島さんを威嚇しているように見える。
「せこい反撃しないで下さいよ」
ヒミコ様の耳元で囁く。多分さっきのことをまだ気にしているんだ。
「……く、面白くない。あの男、全く動じないではないか」
ところが、彼女のささやかな復讐は不発に終わった。城島さんは、不自然な形で一列に並ぶカラスだけでなく、研究対象である僕の様子まで、その鋭い眼光で観察している。
「それで、これからどうすればいいのだ?どうすればあの男は納得する?」
「僕が歌でも歌って、カラスに合いの手を入れさせるってのはどうでしょう」
無言の迫力に負けて、僕たちは弱気の密談を始める。
最終的に、カラスによる『城島氏公開鳥葬』を敢行するとヒミコ様が宣言したところで、先方から僕らに歩み寄ってきた。
「いいよ、信じよう」
一言、全面的な肯定。
「それはここで働くのもオーケーで、ヒミコ様もいるってことですよね」
弛緩した雰囲気の落差に拍子抜けした僕は、胸を撫で下ろしつつも確認する。城島さんの返事は僕の望むものだった。
「あ、そうだ。一つ言っておかなくちゃいけないことがあるんですけど」
大切なことを忘れていた。いくら呪いを解くためといっても、この事項を黙秘したまま居座ることは出来ない。
「僕は呪いのせいで危険な目に遭いやすいんです。更にまた呪いのせいで僕の怪我は近くにいるヒトに移し変えられてしまいます。つまり……」
つまり僕といることで、呪いの実質的な被害を受けやすくなるということ。突き詰めて言えば、死という遠い未来の確定事項を、意識せざるを得なくなるということだ。
承諾には時間を要する。もしくは拒絶もあり得ると考えていたのだけれど、城島さんにその時間は必要なかった。
「それもわかっているよ。だが君の言う通りなら、私が死ぬようなことはない。少なくとも君の呪いが解けるまではね」
彼は確信した様子で話を続ける。
「縁が集まる場所と言っていたが、それは私という要素を含んだ上で成り立っていると思うんだ。だから私が欠けることはないよ。すぐに壊れてしまうような不完全な導きを、歴史上の大先輩がするはずがない」
言われてみればそうかもしれないと思うけれど、推測の域を出ない論理だ。
「それにね、本当は君の話を証明するのはもっと簡単で確実な方法があったはずなんだ。呪いで傷が近くの人間に移るというなら、君自身を傷つけてみればよかったんだ」
確かにボールペンで突き刺すのは行き過ぎているけれども、少し指先を切る程度でも呪いは発動する。ただその呪いを何かに利用するのはある種のタブーに触れる気がして躊躇われた。ヒミコ様も僕の考えを察していたのか強要はしなかった。
「それをやろうとしない君たちと一緒に働きたいと思ったんだ」
城島さんが微笑む。暗く重々しい雰囲気を払拭するような明るい語調。少し部屋の中が明るくなったかのような安堵感に、僕も照れたような笑みを返した。
「そうだ、加美野君。採用する上で二つばかり約束して欲しいことがあるんだが」
切り替えるように、前傾になっていた姿勢から深く腰掛けなおす。
「まず一つ、私のことは社長って呼んでくれないかい?」
そういえば、名刺にもわざとらしく社長の二文字が印刷されていた気がする。願望だったのだろうか。
「それともう一つ。せっかく新調したばかりなんだ。汚される前に、彼らには退場して頂きたい。それと今後一切出入り禁止」
城島さんは、わかりやすく手のひらを返して彼らを指し示す。彼らは、未だ行儀良く整列して、購入したばかりと思われるソファーに爪痕を刻んでいた。もちろんカラス。モチカス。
「その二つを守ってくれるなら、君は従業員第一号だ。我が城へようこそ」
こうして僕は、縁の交わる場所――城島探偵事務所に快く迎えられた。
ただカラスたちの撤退を念じるヒミコ様の表情は、少し悔しそうだった。




