星の海と闇の海
結局、そのまま湯に浸かっているのも飽きてきた俺は、早々に浴場を退散した。なんだが少し勿体ないと感じるが、どうせ合宿中はいくらでも浸かるチャンスはあるから大丈夫だろうと考え、俺はバスタオルで体を拭いてから、少し浴衣に着替えるのに手間取ったものの何とか着替え終わり、誰もいないがらんとした廊下に出た。
好きな時に好きなだけ温泉に入る。何とも贅沢な事である。
俺はそのまま火照った体を冷ますのと、少し夜の海を見に行きたかったため外に出るための準備をしようかな〜、と考えながら自室のドアに手をかけて、開けた。
......俺は、そこで地獄を見た。
仲居さんによって綺麗に整えられていたであろう布団は無残にも汚くシワだらけになっており、机の上にはおそらく空になってあるだろうビールの空き缶が数本あり、何本かは横になって倒れている。俺の荷物と雪月の荷物は綺麗に揃えられていたはずなのに、今では中身をぶちまけている。ってあそこに散らかってるのって俺のパンツじゃねぇか! 男のパンツなんか見て誰が喜ぶんだよ!
そして、極めつけは、布団の上で大の字になって眠りこけている先生が......。 ザオ〇クでも唱えたら蘇るかな?
「......先生、俺が寝ることができないので起きてください」
怒りと謎の虚しさから手を震わせつつ、俺は先生の肩を揺さぶって起こそうとするが、まったく反応がない。ただのしかばねのようだ。って、冗談言ってる場合じゃなくて、そもそも何でこの人は他の部屋で酒盛りもして、酔いつぶれてるんだ?しかもわざわざ俺と雪月の部屋で。
空き缶の量にしても、いくら何でも独りで飲むには多すぎるように思うんだが。仲居さんと一緒に愚痴りながら飲んでいたのだろうか? 流石に仕事中に飲む仲居さんはいないか。
では、本当に独りでこの人は飲んでいたということだろうか?
まさか、これはこれから先もずっと先生は独り身であることを予期して、先生の『The・ゼロから始める独り身生活』の予行演習なのだろうか。......うわぁ、何この残念臭漂うタイトルは。見るやつなんて本当に独りで生きてる人間か、時間を持て余してるニート位しか観なさそう。
というか、独りで男子生徒の部屋でビールを飲み干している姿を思い浮かべるとなんだが悲しくなってくるぜ......。
俺の思考が下らないことを考え始めていると、ドアを荒々しく開ける音が俺の鼓膜を叩いた。
「先輩〜!デュエルやりましょう!」
侵入してきたのは浴衣姿の西城だった。手に持ったトランプをどこぞの決闘者のように掲げ、ポーズを決めて立っていた。
うーむ、女子の浴衣姿というのは目の前の三次元で見たのは初めてだが、なんというか、いいものだと思ってしまうのは日本人の特性みたいなもんだから。何も問題ないから。
さて、どこぞの金髪ツンデレみたいなセリフはここまでにしとかないとな。......切り替えないと、そのままずっと見入ってしまうだろうからな。浴衣に! そう、浴衣に!
大事なことなので二回言いました。悪いですか?
「って、先生!? 先輩の部屋で何やってるんですか! はっ!まさか、教師と生徒の関係を超えたことに......!」
アホみたいなポーズを解いた西城は部屋の惨状に気がつくと、思いもよらない想像をしたらしく血相を変えて部屋に乗り込んできた。
「アホか、んなことあるわけねぇだろ。俺も風呂から帰ってきたらこうなってて困ってるんだよ」
「ほう、という事は今先輩はお風呂を上がったばかりの水も滴るいい男、というわけですね?」
「まったく話が通じてないし、ドヤ顔で『ですね?』とか言われても腹立つだけだからやめろ」
そのむかつくデコに、幼稚園の頃デコピンの帝王と呼ばれた俺の奥義を喰らわせてやろうか? ......まぁ、察しの通りそんなことは言われた事はないんだけどねっ!
むしろ、デコピンの標的に会い同じ組の奴らに追いかけ回されたまでである。
いや〜、あの頃の俺は人気者だったよ!客観的に見たらモテモテの人気者に見えただろうな。よく幼稚園の先生から「拓也くんは女の子だけじゃなくて男の子にも人気なんだね〜」と言われたものだ。
今の俺からしてみれば貴様の目は節穴か!と突っ込みたい。それにその言い方だと誤解を招くだろ。ショタでホモとか救えねぇな。うわぁ何その属性。僕そんなの欲しくない。
「......それにしても、お前らの部屋の隣だったよな。先生の部屋って」
「はい、おかげで夜は静かにしないと怒られそうです......」
「......普通、夜って静かにするもんだけどな」
しょんぼりと肩を落としている西城を見て、俺はついため息をついてしまった。
こいつはいつも夜は静かにできないお子様なのだろうか? いくら何でもそんな事はないとは......思いたいが。
「...はぁ。まぁ、なんにせよ。見ての通り俺の部屋はとある三十路の生き遅れに占領されているわけだ。この人を何とかしない限りお前とは遊んでいる暇もない」
そもそも、遊ぶ気などさらさらないのだが。様々な遊び道具が世の中に出回っている現代の世の中で、高校生がトランプで遊ぶことなどほとんどないだろう。何が悲しくてもうすぐで大人の仲間入りを果たす奴らが二人してババ抜きなどのゲームをしなくてはならないのか。......アホ臭い。
「......んー、そうですか」
可愛らしく顎に手を当てて考え込むように唸る西城。そのあざとさ、狙ってやっているとしたらたちが悪いぞ。ビッチ耐性のないDT達なら一発K.Oだな。もちろん俺はそんなことではココロ踊らない。伊達に他人と距離をとってきたわけじゃない。そこのところの心の有り様は完璧だ。
西城は人差し指で先生をつんつんと突っついて反応がないことを確かめると、俺の方を振り返って、
「確かにこの調子だと目覚めるには時間がかかりそうですね」
と、呆れたように言った。
もはや西城までにも飽きられるとは、先生の将来が不安です。
「ほらわかったろ? んじゃお休み」
話は終わりだという意味を込めて手をひらひらと振ると、慌てたように西城は俺に詰め寄ってきた。
「ちょっ、ちょっと待ってください!まだ時間は大丈夫ですよね?」
「......まぁ、大丈夫っちゃ大丈夫だけど」
正直いってこいつと関わると面倒なことにしか巻き込まれない。いくら親友、と宣言したからと言っても面倒ごとになるのは御免被りたい。
そんな俺の内心を見透かしたのか西城は、
「大丈夫ですよ。そんなに手間になることではないですから」
「ふーん、じゃあ何するんだ?」
すると西城は悪巧みをする子供のように目を輝かせつつ、声を潜めて、
「夜の散歩、ですよ」
と、はにかみながら言ったのだった。
そんな西城にドキッとしたのを隠しつつ、俺はその提案に乗ることにした。このままじゃあここにいても寝る事は出来ないし、そもそも夜の海を見ながら少し考え事をしたかったのだから特に断る理由もない。......隣にこいつがいて、果たして考え事ができるのかどうかは疑問ではあるが。
「......別にいいぞ。俺も少し外に出て海を見たかったところだ」
俺が行くと告げるとわかりやすく元気になった。そしてなにかに気づいたかのようにはっ!とすると、今度はニヤニヤしながら俺のことを見てきて、
「なんだ〜。先輩も私と同じことを考えていたんですね〜。流石お似合いカップル!思考回路まで一緒とかコレはもう誰がなんと言おうと運命ですよ!」
と、超謎理論を展開した。
......何なんだろ。この残念極まる馬鹿みたいな考えは。
イラつくことを通り越して呆れてため息が出てしまう。そもそもどこからカップルという言葉が出てきたのか。ップルを消してバを付け足した方がいいと思うぞ。
「......先輩? なんでそんなに可哀想なものを見る目で私を見るんですか? なんで頭を抑えて首を降ってるんですか? ちょっと先輩!? 置いてかないで下さいよ〜!!」
俺は西城を置いてとっとと部屋を後にした。後からドタバタと騒がしい音がするが無視をする。これで他のお客さんが出てきて俺まで怒られるのは馬鹿らしいからな。そんな役割は馬鹿に任せればいい。
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玄関でスリッパから靴箱にある誰でも利用可能のサンダルに履き替える。外に出ようとすると強面おじさんに、「お気をつけて」と頭を下げられたので会釈を返しつつ旅館を出ると、俺を出迎えてくれたのは満天の星空だった。
よく小説やアニメなどでは、満天の星空というフレーズは使い回されているが、実際に夜空を埋め尽くすほどの光の海を見たことがある人間というのはそうそういないだろう。現代の科学という都会から漏れ出す偽物の光に慣れ親しんだ俺にとっては、思わず押し黙ってしまうほどに幻想的で心奪われる景色だった。
「............綺麗ですね」
いつの間にか隣に来た西城が、思わず心の声が漏れだしたように言った。
今回に限ってはこいつと同じ意見だ。それだけは否定しようがない。ここまで大自然の壮大さに圧倒されてしまったらどんな悩みもゴミクズみたいにちっぽけに感じることだろう。
「......ああ」
俺は上の空で西城の感想に返事をし、そのまま夜空を見つめていた。
その後も俺と西城はその場で馬鹿みたいに突っ立って、しばらく星の海を眺め続けていた。
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「いやぁ、自然の素晴らしさというものがわかった気がしますね!」
元気に腕を降り歩いているのは、先程から妙に上機嫌で夜なのに無駄にハイテンションな西城である。
果たしてこいつに自然の素晴らしさというものを感じられるような感性があるのか少し疑問に思うが、考えるのは面倒なので保留することにする。俺には他に考えなくてはならないことがあるからな。
俺の悩みの大部分を占めているのが、今隣で歩いているやつのことだ。どうしてもこんなことで頭を悩ませなくてはいけないのか、というやるせなさしか感じられないが、すべては自分が先延ばしにしていた問題に過ぎない。
俺は西城が何か言っていることに適当に相槌をうって考えをまとめることにする。
面倒ごとというものはなるべく早めに対処した方が良いに決まっているのだから。
まず考えなくてはいけない事は、こいつの告白に対する返事である。あいつの真剣な告白に対して出した俺の答えは『親友』などというなんともまぁ都合の良い言葉でその場を濁していた。
今考えると、いかにクズ発言だったかというものがわかる。が、当時の俺にとってはこれは革命に近いくらいのことだった。あのクソッタレな中学時代の時に固く決めた心の鎖を、曲がりなりにも緩めることになってしまったのだから。
その衝撃は大きい。だから俺はこの答えがすべてだったからこれで良しとしたのだ。しかし、それでは西城はどうなのか。
ここまでで俺は自分のことしか考えていなかったのは、先程までまとめていた通りだ。それは否定のしようがない。だけど、西城は?
こんな宙ぶらりんな関係で満足できるのか。そして、その状態を見続けている雪月はどんなことを考えて今までの時間を過ごしていたのか。
......どう考えても、この状態を良しとは思わないだろう。
ここまで考えがまとまり、答えが出かかっているのにそれでも俺は自分の答えを出すことが怖い。
今の俺を築き上げて来たものが崩れるような気がしてならない。
変わるのは怖い。人と接するのは恐ろしい。他人の目が怖い。他人の考えを押し付けられるのはひどく面倒だ。他人の御機嫌を取りながら過ごすなんて馬鹿げてる。でも、......そんな生活を俺は昔だけど、送っていたんじゃないのか......? ああ、わからなくなる。
どんどんと思考が泥沼に囚われていくのを自覚しながらも、俺はその泥沼から抜け出す事はできなかった。
「......先輩? どうしたんですか?」
気がつくと西城はその歩みを止め、俺の顔をのぞき込むようにして俺を心配そうに見つめていた。
そのあまりの近距離に俺は驚き体を反らした。
「っ! ビックリするから急に人の前に出てくんな」
気がつくと俺はあの泥沼から抜け出せていた。あのまま考え続けていたらどうなっていたか。俺という存在意義を否定する言葉が出てきたに決まっている。そうなった場合に俺は果たしてどうなるのか? それは俺にさえわからない。
「ふふっ、それじゃあ今度から気をつけます! ......それにしても海が綺麗ですね」
そう言われてふと顔を上げて見ると、星空がそのまま落ちてきたんじゃないかと錯覚するような光景が目の前に広がっていた。
星空の明かりが黒い海に反射して、空と海の境目が曖昧になる。そんな美しい景色が俺の視界に飛び込んできた。
一体、俺はここに来てから何回自然の素晴らしい景色に圧倒されるのだろうか。自分はここまでなにかに心揺さぶられるような人間であっただろうか?
「確かにな。......それにしてもお前はいつでも楽しそうだな」
「ええ。もちろんですよ! 先輩といられることが出来たならそこはどこでも天国ですよ!」
両手を広げて星を掴むようにそう宣言した。
こいつは、どうしてここまで真っ直ぐなんだろうか。
とても俺には真似出来ない。
「......そうかよ」
俺のつぶやきは暗い海の波に吸い込まれて消えていった。
隣で西城はどんな表情をしているのか見ることは出来ないが、きっと晴れ渡る空のように幸せそうな笑顔を浮かべているのだろう。
対して俺の表情は......?