3.心底面倒な授業
朝のホームルームは終わり、授業は引き続きラーフォの座学。
科目は〝魔石〟学。
ただ、みなが今開いているものは、教科書は第二等の一年生の頃のもの。
授業内容も同様。三年も前に学んだことを復習していた。
鉱石の渓谷の学園、グリズで使われていた教科書はツィトロンとは違うよう――持ってきてはいないが――で、チェーロはファルステールと机を繋げて一緒に眺めている。
「〝魔石〟とは、人の意思を汲み取り、召喚する石の名である」
ラーフォがこう真面目な面持ちで教科書を読む姿だけは、教師としての面持ちがある。
「〝魔石〟が発見されたのは、今から約五〇〇年前。昔はポポルヴフ大陸と呼ばれ、現在はチェーロが来た鉱石の渓谷が存在する場所で見つかった。ただ、当初は『地球上に存在し得ない未知の鉱石』という認識でしかなかった」
教師の声が均一に教室内に広がる一方で、ぺらぺらとページをめくる音にばらつきがある。
単純に、真面目に受けていない者が多いからだ。
「その性質が発見されたのは、〝魔石〟の初発掘から約半年後。学者どもの間で流行っていた『嫌いな学者の顔を思い浮かべ罵声を叫びながら、当たったら痛そうな石をベニヤ板に向かって投げよう大会』の石に使用されたんだ。で、開催中に『この石があいつの頭まで飛んで行け!』って言ったら、本当に飛んでいった」
教科書を見ながら当たり前のようにラーフォは説明しているが、載っている文章は全く違う。
実際にはこうだ。
『最初の性質発見は、まだ鉱石の存在が広まっていない頃。
宝石の採掘をしていた貧困層の少年が、屑石しか出てこなかったことに疲れ果て、
『この屑石が金にでもなってくれれば』
そう願ったところ、本当に金が召喚された』
「それが確認できたってことは、思い浮かべた嫌いな学者が近くにいたってことだな。叫んだ名前こそ違ったが、心に秘めていたのはそいつだったんだろう」
独り納得し、ラーフォは一切悪ふざけのない面持ちで続ける。
「ここからは先生の想像だが、間違いなく取っ組み合いの喧嘩になったはずだ。その際にも〝魔石〟が使われ、流れた血の量だけ知識の量も増えたに違いない」
どうしてか、ラーフォは『石投げ大会説』を強く推している。
ただそれは出鱈目でなく、しっかりとした根拠があるのだ。
ファルステールはそのことを纏めたレポートの原本(ラーフォがオークションで競り落とした)を見せてもらったことがあった。
そこには確かに、どす黒い血がこびりついていた。大会中に書いたのであろうか……
生々しいレポートを思い出し、ファルステールは頭を振った。
あの色褪せた紙には、どこか怨念のようなものまで染み込んでいたような気がしてならない。思い出すだけでも、気味のいいものではない。
「やがて採掘される量が多くなったことも重なって、〝魔石〟の研究が飛躍的に加速していた。その研究結果は今の常識にまで昇華している」
と、先程から執拗にファルステールの背中を、ペンで突っついてくる男にいい加減うんざりし、肩越しに振り返る。
そこにはにやけたパンテルの顔があり、気持ち悪かったので正面に向き直した。
「おいおい。ファルにゃん。無視すんなよ」
「お前までそう呼ぶな」
「あれ? もしかして、チェーロさんにしか呼ばせないとか?」
「黙って授業聞いてろ、色ボケ」
ショートホームルーム終了後から授業開始までの十五分間という短い時間で、『ファルにゃん』はクラスのほぼ全員に感染した。
「んでさ、チェーロさん。いい加減、そこんとこ白状してくんない?」
「えっ。そんなこと言われても……」
どこかわくわくしながら訊くナルツィスに対し、チェーロは頬を赤く染めて、もじもじしながら恥じらう。
「あんた。紛らわしい演技をすんな」
教室内の一部は、授業の退屈さも相俟ってファルステールとチェーロの関係に興味津々。
交際していると誤解する者などまずいない。みながみな、ファルステールという人間に甲斐性がないことを知っている。
癪な話だが。ただ、面白おかしく話を広げたいだけだ。
ファルステールはちらちらと斜め前に座るルノを見ていたが、彼女は真面目に授業を受け、こちらはまるで見ない。
(俺に興味がないのかな……?)
もはや授業の内容など入って来ない。
その口から何を発射するか分からないチェーロには注意しなくてはいけないし、ルノが何を思っているのか気になる。
で、チェーロのわけの分からない発言に対して、通訳及び訂正をしなくてはいけない。
普段なら板書するためにペンが踊る音が聞こえるものの、今日の授業は三年も前にやっていることであり、暗唱さえできる常識だ。
そんな授業に大半の生徒は暇そうにしている。
真面目に授業を受けているのは、ヴェントやルノなど。数にして教室内の三分の一くらいであろう。
「――って、いい加減、ファルにゃんに構うな。なんで今さら〝魔石〟や〈魔法少女〉の基礎を教えているのか分かっているのか?」
パンパンと、ラーフォが教科書を叩く。
言われずとも分かっている。明日の行動訓練に向けた〈魔法少女〉の基礎の再確認だ。同時に、明日へのプレッシャーを和らげるためでもある。
「じゃあ、ファルにゃん。一二四ページ読んで」
「先生。気に入ったんですか、それ?」
立ち上がりながら、思わず半眼で突っ込んだ。
「えっと、最初の〈魔法少女〉が発見されたのは、約四八三年前。漆黒の魔導装甲に『ワンド』を手にしていた――」
「はい。そこまででいいや」
みなを黙らせるための人柱にされたことに、ファルステールはどこか釈然としない。
座りつつ、やや不貞腐れながら教科書に載っている写真を見る。
そこにはまるで穴でも空いているかのように、周りの一切を拒絶するような漆黒の魔導装甲を身に纏っている〈魔法少女〉が映っていた。
それには固有銘がない。
また、呼称も現在使われている〈魔法少女〉ではなく〈魔女〉と記載されていた。
「当初はその姿と、当時使用されていた他の兵器を圧倒的に凌駕することから、〈魔女〉と呼ばれ畏怖されていた。が、世界の『拒絶』に対抗する唯一の手段と分かってからは、畏怖の象徴たる名前を変更した。今の〈魔法少女〉にな」
(俺は案外、あの馬鹿みたいな説な気がするけど)
ふと頭の中で思い起こされる別の由来に、ファルステールの思考は授業から逸れ始めた。
〈魔法少女〉の名の由来は、ラーフォの説以外にもいくつかある。
定かなものがないのは、人類の遺産の多くが『拒絶』されたことで失われたため。
故に『拒絶』以前の記録は乏しく、記憶と口伝で繋がれた歴史は大きく枝分かれしてしまっおり、遡ることが困難になっている。
その不確かな学説の中でファルステールが馬鹿馬鹿しく、かつ『意外に案外そんな理由じゃないのか?』という理由で密かに好きなものがある。
『『拒絶』以前の映像データには『魔法少女』と呼ばれる存在が、人類の敵と戦う伝承がいくつもある。それもアニメーションという分かり易い形で。
〈魔法少女〉の姿と『魔法少女』の姿が似ていることもあり、人類の希望の名としてあやかったのではないか』
ちなみに。ラーフォにこの説を出すと、無言のまま蔑んだ眼で見返される。
「〝魔石〟や〈魔法少女〉の研究が盛んになった頃。〝魔石〟を用いて造られた代表的なものはなんだ、ルノ?」
「〈ファルサコロソ〉です」
「そうだな。汎用目的で製造された〈ファルサコロソ〉は〈魔法少女〉を模倣して人工的に製造されており、〝魔石〟から直接召喚されるわけではない。〈ファルサコロソ〉と真なる〈魔法少女〉の大きな違いは、その構造にある。違いはなんだ、デルフェン?」
生徒を指名したのは、増える私語に目を瞑れなくなったからであろう。
俄かに指される緊張が走るが、今日に限って難しい質問が来ることはない。
そのためか、普段の授業よりはやはり緩い。
「真なる〈魔法少女〉は純粋に、細部に至るまで人の意思を反映する〝魔石〟のみで構成されています。一方の〈ファルサコロソ〉は濃度の薄い〝魔石〟と、〝魔石〟によって召喚された部品を組み合わせて人工的に造られています」
「そうだ。〈ファルサコロソ〉は複数の〝魔石〟の組み合わせによって製造されているため、人の意志の反映具合にばらつきが生じる。だから、僅かではあるが操縦者の意志情報に齟齬を発生してしまう」
初期開発者達は二つの違いを短く、『〈魔法少女〉は〝魔石〟によって生まれ、〈ファルサコロソ〉は〝魔石〟で造られている』と語っている。
授業の流れからして、そろそろ〈魔法少女〉操縦の教科書が必要となるだろう。
やはり持ってくるよう指示された、三年前に渡された別の教科書を開く準備を自然と始める。
「――と、ここまで理論的な部分を説明して操縦方法を君達は習ったわけだが、そんなもんは深く考えんでもいい」
身も蓋もないこと口にしながら教科書を閉じ、
「つまるところ、〈魔法少女〉の操縦なんて根性論だ」
なんて、元も子もないことを言う。
「気合いで動かせ、〈魔法少女〉!――はい。全員で復唱!」
いきなりのことに、みなどうしていいか分からず戸惑っている。
「気合いで動かせ、〈魔法少女〉!」
真っ先に口を開いたのはチェーロ。
実ににこやかな笑みを浮かべ、なんだか楽しそうだ。
「なんだなんだ? チェーロが一番ノリがいいじゃないか? いいか? 今ぐらいは難しいことは忘れて馬鹿をしろ――じゃあ、いくぞ。気合いで動かせ、〈魔法少女〉!」
『気合いで動かせ、〈魔法少女〉!』
すると今度は、教室内の生徒全員が声を出す。
その馬鹿馬鹿しさに、みながくすくすと笑ってしまう。
「気合いで動かせ、〈魔法少女〉!――はい、もう一度!」
『気合いで動かせ、〈魔法少女〉!』
「ファルにゃん、単体で!」
「気合いで動かせ、〈魔法少女〉!――って、先生。結構気に入ってますよね?」
半眼を向けるが、ラーフォは聞いているのかいないのか分からない至って真面目な顔で資料を取り出した。
ファルステールのツッコミなどなかったように、明日に迫った訓練の注意事項などが淡々と説明される。
この時ばかりはラーフォも真剣であり、教室内もピンと張りつめた空気が流れた。
身体に沁み渡るように実感する、〈魔法少女〉に乗り〈星域〉の外に出るという現実。
自然と胸に手を当てていた。
早まる動悸を掌で感じる。
「きんちょーしてますなー」
半眼で隣を見ると、にまにまといやらしい笑みを浮かべるチェーロが映る。
「あんたは少しぐらいしろ」
「ボクは遠慮しておくよ」
「いや。遠慮するとかって問題じゃないだろ?」
どうして、この状況下で緊張ができないのか。常人とは違う神経回路でも編み込まれているのだろうか。
ただ、この度胸は少し欲しいと思った。
それが少しでもあれば、告白ができるのかもしれないのだから。