2.どっと疲れるホームルーム
そして、罰清掃から約一時間後の朝のホームルーム。
担任のラーフォは、相も変わらず化粧をしているのかいないのかよく分からない。
眼鏡の奥の瞳は半分くらいしか開いておらず、時折欠伸までする始末。
そこからさらに、面倒臭そうに『今日、転校生が来るから』なんて唐突に知らせたものだから、教室内が俄かにざわついた。
その中でただ一人、頬杖をつくファルステールは冷めた心で聞き流していた。
誰が来るのか。
どんな者が来るのか。
そんなことは、すでに知っているのだから。
ヴェントとルノにはそれとなく教えていたが、どういう人間かまでは伝えるのを躊躇った。
『あっ、そうそう。今日から教室に入るから、よろしくね』
まだわずか疼く鼻の痛みを気にしながら、チェーロとの清掃中の言葉を思い起こした。
「じゃあ、入って来い」
ラーフォの呼びかけに、なんとも言えない嫌な悪寒が背筋を這う。
ガラッと扉が開くが鳴ると同時に教室内は騒がしさを増し、張本人が登場する頃にはピークに達していた。
第一印象で見たチェーロに対する、教室内の様々な評価を耳にする。
そのただ中で、ファルステールは黒板の前に立った彼女の、にこやかな笑みに嫌な予感を覚えた。
(釘は刺したはずだ。『とにかく。とりあえず普通にしてろよ?』って)
――で。
「んじゃ、歌います」
これが転校生の第一声。
【♪木星人間 空を飛ぶ 木星人間 空を飛ぶ】
そして放たれる、カオスソング。
ぶれることのない綺麗な声と魅力的な調子がより、その混沌を際立てる。
【♪分厚い雲を 突き破って 大気圏を 飛び越えて
目指すは故郷 母なる木星 脳裏に浮かぶ あの日の光景
笑う友 笑う家族 温かな日々 故郷を想い 思い出が駆け巡るよ
熱くなる胸 燃える心 そうか そうなんだね
生身だからなんだね 僕が燃えているのは
僕は確かに 帰ったよ みんなの心に いつまでも】
しんと静まり返る教室内。みながみな、言葉を失っていた。
さすがのラーフォでさえどうしていいか分からず、困惑の表情を浮かべて固まる始末。
ただ一人。ご満悦な顔なのは、もちろんチェーロ。
ふんっと鼻を鳴らしたあと、愛らしい満面の笑みを浮かべながら、ごく一般的な自己紹介を始める。
ファルステールといえば、そんな彼女の自己紹介を聞き流していた。真新しい情報は特になかったし、なんか少し疲れた。
「……自己紹介は、終わったんだよな?」
どこか不安げに確認するラーフォ――恐らく、まだ歌う気なんじゃないかと思ったのだろう。ここにいる誰もが同じ不安を抱いていたのだから――に、チェーロは力強く頷いて応える。
一息つき、ラーフォは自らのペースを立て直す。
狼狽する彼女の姿など、二度と目にすることはないだろう。
案外、チェーロは貴重な体験を与えてくれたのかもしれない。
まぁ、かといって褒めることでもないが。
「んじゃ、ナルツィスとパンテル。一つずつ席を下がって」
『はい?』
それは当然、彼ら二人の疑問の声。
ナルツィスはファルステールの隣の席の女子であり、その後ろが熱血馬鹿野郎ことパンテル。
「机はいいからな。机の中身と横にかけてあるもの。それと本人が移動すればいい」
「いや、だから……」
言うものの、パンテルはいそいそと移動の準備を始める。何を言っても無理だと、重々理解しているからだ。
そんな彼に釣られて、ナルツィスも移動を始めた。
隣の出来事をファルステールは、彼らと同様に頭の上に『?』を浮かべながら眺める。他の生徒もみな同じものを浮かべていた。
『?』が教室内に増殖する中、謎の移動は終了する。
――ファルステールの隣の席が空く。
今になって、その事実に気づく。
刹那、悪寒が襲う。
何が起こるのかはやはり分からないものの、何か面倒なことが起こると本能が察知する。
だからであろう。はっ、と正面を見直したのは。
見える。そして合う。
目と。
ラーフォの蒼い瞳と。
なんかもう、すっげぇ悪巧みを腹に抱えている双眸と。
そこから覗けば、腹の中に広がる黒さが見るのではないかと思うほど綺麗な瞳でこちらを見つめ、口紅を引いていない紅い唇を彼女は開く。
「んで。君は空いたファルステールの隣に座って」
「はっ――はいぃぃっ!?」
今度はファルステールる疑問の叫び。
「あっ、ファルにゃんの隣か。よろしくね~」
なんて言う彼女に、教室内がざわめく。
それは無理もないだろう。何せ、他のみなは今日が初対面なのだ。
なのに何故、自分だけがあだ名で呼ばれるほど親密な仲になっているのか。
たとえ始めから自らの常人の理解を超えた中身を曝け出したとしても、見た目はそこそこ可愛い少女だ。
野郎どもから放たれる視線は痛く、女子の興味の目からは逃れられそうにない。
「はい。というわけで、みんなもチェーロさんをよろしくな。特にファルにゃんは隣なんだから、きちんと説明してあげろよ?」
「………………はい」
なんだかもう、ファルステールは泣きたくなってきた。