8.この歌に意味があるということ
真実の名。
〈ノクタラメント=〔夜鶫歌姫〕〉
だがそれはチェーロからでも、ましてやファルステールからでもない。
言うなれば、〈ノクタラメント〉から、とでもいうのか……
すると、歌い続ける〈ノクタラメント〉の魔導装甲が次々剥離され、それらは金色に輝く黒鳥〔吟遊詩鳥〕に変形する。
魔導装甲から解放された〈ノクタラメント〉の姿は、エンパイアラインとでも呼ぶべきか。歌姫のドレスに相応しい容姿へと変わる。
長い髪からは黄金を発する燐光体が棚引き、放射される熱で踊るように漂う。
一本一本を循環する冷却液は、波のように移り変わる金のグラデーションを作っていた。
そして最後に、赤の五つ目が外へとスライドし、繋ぎ止めていた仮面を解き放つ。
現れたのは歌姫の素顔。
黒白の両眼に鼻と口。
それは未だかつて一機も存在したことのない、人間に酷似した相貌を持っていた。
文字通り、全身を使って歌うこの形こそ〈ノクタラメント〉の本当の姿。
それは同時に、チェーロの歌を最大限に発揮するための在り様でもある。
〈ノクタラメント=〔夜鶫歌姫〕〉になった途端、相互『拒絶』領域が拡張し、歌の影響距離が跳ね上がる。
それこそ、この大陸そのものを包まん限りに。
(これがチェーロにとっての本当の歌なんだ)
チェーロが口にする歌には、綴られるべき歌詞はない。
そこにあるのは感情そのもの。
載せるべき言葉なんていらない。
ただ、ただ。
この歌は感情を吐き出す。
何にも覆うことなく、型に嵌めることもなく、形に整えるわけでもなく。
でもそれは、歌と呼べるものではない。
(いや、だからこそだ……)
だからこそ届く。響く。『世界』に。
混じり気のない、純粋な状態のまま。
言語化されていない。でも、確かなものだから。
(俺がさっき大見得を切ったのはなんだったんだ?)
『拒絶』された空間で『その意志を言葉にしてくれなきゃ、あんたが本当に願うことなんて誰も分からねぇんだ』なんて叫んだばかりだと言うのに。
――でもね、気持ちを口にすることは大切なことだと思う。人間同士ならなおさら。だって、『言葉』っていう大切なものがあるんだから――
脳裏に浮かんだ言葉。
振り返ると、チェーロは歌を口ずさみながらも柔和な笑みを浮かべた。
慰めてくれたのか。本心から出たのか。
分かるが故に、気恥ずかしくなる。
そして、今の言葉から求められていることも、また。
「……ありがとよ」
感謝の『言葉』を口にすると、満足気な顔でより心を込めてチェーロは歌う。
黄金の雪が舞う中心で歌う歌姫と、その歌をより多くの耳に届けようと歌い飛び回る〔吟遊詩鳥〕。
神秘的なその光景に目を止め、耳を傾けてしまうのは人間だけではない。
悲しみの歌を、当然のことながら『終界獣=《多幸》』は聴き入る。
この世界に起こり得る破滅の一つが具現化したのが『終界獣』だ。
故に、響き渡るチェーロの『悲しみ』という絶望を手にするため。
(いやむしろ、チェーロの悲しみそのものを知ろうとしているのか?)
『御遣い』レ・リもまた、チェーロの歌を聴き入る。
自分に向かられた、でも全く別のものに捧げられた歌を。
人間も、世界も、幸せと悲しみに身を委ねる。
血戦の最中だというのに、戦場には歌しか存在していない。
その膠着を破ったのは、共感チャンネルに表示される未確認の〈魔法少女〉。
〈ファルサコロソ=〔チオサヴァント〕〉
モニター上では〔万物の救世主〕を冠する謎の〈魔法少女〉の軌跡を辿るように、次々と『天吏』の反応が消滅していく。
視覚を拡張させ、感応がある方へ《瞳》を向ける。
そこでは三〇メートル近くはある断頭剣に似た二本の武器で『天吏』を断ち斬りつつ、尋常ではない速度で戦場を駆けるトリコロールカラーの〈魔法少女〉の姿があった。
(『主役は遅れてやってくる』ってわけか?)
見たこともなければ聞いたことのない〈魔法少女〉ではあるが、誰が乗っているのかははっきりと分かる。
《なんで出てきた!? ヴェント!》
搭乗者の名を怒鳴ったのはファルステールではなく、担任であるラーフォであった。
《答えが分かったからです》
《何を――》
《僕達の勝利とは生きることです。どんな過酷な世界でも、状況でも生き抜くことです》
最も過酷な当たり前を口にするヴェント。
その碧眼には、曲がらない信念が宿っていた。
対して、ラーフォの表情は複雑だった。
感情のほとんどを汲み取ることはできないが、それでも一つだけ見えたようなものがある。
後悔だ。
《先生、これは僕が決めたことです。まだ子供ですが、もう子供でもいられません》
沈黙が続いたのはほんの数秒。
それほど時間的余裕がなかった。
《……分かった。ただし、前線には出るな。あくまでも後方支援だ》
《分かりました》
重々しいラーフォの忠告に、ヴェントは素直に頷いた。
「今の聞いたか? 危うく、あんたのせいで敗北するところだったじゃないか」
「過ぎたことをぶー垂れるのは格好よくないっすよ?」
口を尖らせるチェーロに対し、半眼のファルステール。
一つため息をついて、意志を言葉にする。
「まぁ、なんだ?――勝とう」
頷き、チェーロは再び歌を歌う。
今度は悲しみの中にも、希望を見出せるような歌だ。
やはりというべきなのか。『終界獣=《多幸》』はその歌に感応する。戦闘が緩慢になり、どこか時間が停止しているような錯覚に陥りそうになる。
一体を除いて。
《すいません、ラーフォ先生!》
「――って、ヴェント! お前まさか――っ!?」
《ヴェント! いい加減にしろ!》
制止を無視し、ヴェントが駆る〈ファルサコロソ=〔チオサヴァント〕〉は〈魔法少女〉と『天吏』の合間を縫って、『終界獣=《多幸》』の元へと走る。
その移動速度は疑似〈魔法少女〉とは言えない。
それどころか、もはや凌駕さえもしている。
『終界獣=《多幸》』に身体中に邪眼が開く。
滅びるのは〔チオサヴァント〕の足元だけではなく、宙を舞う微細な粒子さえも。
そして、疾走する〔チオサヴァント〕を囲うように邪眼が、地面や空中などお構いなしに開く。
瞬時に第二の破局――『邪閃』が〔チオサヴァント〕を包む。
「ヴェント!?」
虹色の繭に封じられた〔チオサヴァント〕にファルステールが叫ぶ。
ラーフォや他の者も、それぞれの言葉で叫んだ。
その内のいくつかには、絶望さえも混じる。
まるで、唯一の希望が今の瞬間で絶たれたかの如く……
《邪魔だぁああああああ!》
ヴェントの咆哮が聞こえると、繭の頂点から剣が飛び出した。
真っ直ぐ降ろされると、『邪閃』の繭は真っ二つに両断される。
そこから脱出する〔チオサヴァント〕は、魔導装甲の一部に破損が見られるもののの活動には全く支障がないようだ。
そこから《多幸》との距離を一瞬にしてなくすと、『破邪の利剣』の刃をに叩きこんだ。
だが、異質な皮膚が『拒絶』する。
数度斬り込むが、結果は同じ。
ヴェントは一度距離を置き、『破邪の利剣』を背中のホルスターへと収める。
《ファルステール、少しだけ時間を稼げるか?》
「……何をする気だよ?」
《『破邪の利剣』を最大出力状態に変形させる》
「お前、いい加減に――」
《現状を打破できるのは僕しかいない》
それが自意識過剰でも血迷ったわけでもないと伝わったのは、長年友として触れ合ってきたからか。
そして何より、思えてしまう。
ヴェントなら、本当に倒せてしまえる、と。
「信じていいんだな?」
《ああ。みんなで必ず帰る。ルノとも約束したしね》




