4.心を映すもの
――ファルステールは〈ノクタラメント〉に乗ることで、それらを知ることになる。
この世界は人類のことごとくを抹消したがっている。
幾星霜の時を繋ぎ、幾許の想いを積み重ねて築いたはずの文明の数々が、跡形もなく消え去っているこの平原こそ何よりの証拠だ。
骨色の〈魔法少女ファルサコロソ〉と真なる〈魔法少女〉数体、隊列を成して敵の腹の中を進む。
「ごめん……」
「ん? 何が?」
「何がって……チェーロをここに連れてきてしまったことだよ……」
『浄玻璃の鏡』によってチェーロの不安が伝わってしまったのだろう。
前座席のクレスツェント・クヴァルは溢れる自然に、ますます顔を歪めた。
金髪碧眼で容姿も悪くはない。そんなチェーロより一つ年上の彼は半年前、進級ではなく軍に所属した。
チェーロがクレスツェントと共鳴感応紋が最も近かったのは、当たり前といえば当たり前だった。
誰よりも同じ時を歩んで来たのだから。
第二席だったクレスツェントは〝魔石〟を手にしたのだが、二人は使い慣れた〈ファルサコロソ〉のカスタマイズ機を乗っている。
「何言ってんのさ。ボクはいつだってクーの相方だよ?」
「でも……」
「んじゃ、今日は夕食奢ってもらう」
「……了解」
それから改めて、チェーロは自分の居場所を自覚しようと意識する。
それは何より、クレスツェントのために。
(軍演習って言ったって、やってることは学園とそれほど変わらないけど)
強いて違いを挙げれば、学園の演習よりも〈星域〉鉱石の渓谷から離れているということだろうか。
ただ、どこにいても見える巨大な〈星域〉――それこそ、他大陸の〈星域〉さえ見える――を見る限り、いまいち実感が湧かないでいた。
ラグナロク大陸の方へと視線を移せば琥珀の庭園が見える。
遠方からなら、確かに星のようだと素直に思った。
《総員に告ぐ! シバルバー抗戦跡地において『天吏』を発見。直ちに殲滅せよ》
そんなことが過ったちょうどその時、先頭部隊からの緊急伝達が飛ぶ。
伝令はクレスツェントを機械のような無へと変える。
幾度も見た、敵を屠るためだけの仮面を覆ったのだ。
索敵を開始する。
それに合わせるかのように周囲の気温は急激に下がり、霜が地表を埋め尽くす。
草木が枯れること。
生命が凍死すること。
そんなことなどお構いなしに。
ただたた、人類を『拒絶』するために、あろうことか世界は摂理までも拒む。
やがて、空は鈍色の厚い雲に覆われ、しんしんと季節外れの雪降る。
すると、どうだろう。相互『拒絶』領域が拡大し、『拒絶』率が異常数値を計測する。
(まさか、敵の狙いは道連れ!?)
ぞわり、と全身に寒気が走る。
当然、外気など『拒絶』しているため、そういったものではない。
世界が人を理解した上での、持ち得るはずのない戦術を駆使している。
今まで持っていたチェーロの世界に対する常識が、ことごとく打ち砕かれていく。
その不安は彼女の思考を蝕み、行動を隔離させ始める。
「チェーロ。大丈夫。この異常は『御遣い』が加担しているからだ――って、まぁそれはそれで大変だけどさ」
戦闘中に冗談など言わない彼のそれに、
「うん。ありがと――これ以上ない変なことが起こったから、もう大丈夫だよ」
互いに顔は向けずとも、どのようなものなのかは分かる。
人類の叛逆者たる『御遣い』。その姿は確認できない。
しかし、それを倒さない限りは状況を打破できないのは間違いない。
(『拒絶』率の拡大はまさか、索敵をしづらくさせるため?)
相互『拒絶』を利用しての索敵なだけに、それが頼れなくなった。
『御遣い』というただでさえ相互『拒絶』の低い、人間大のものを探すというのは困難を極める。
それを極小の雪の結晶と戦いながら、行わなくてはならない。
小さな雪の『天吏』一つ一つは、魔導装甲の『拒絶』によって勝手に消滅する。
だが、同じ個所を何度も攻められるとダメージが積もる。
クレスツェントが得意とする二挺拳銃を駆使し、雪と気温そのものを撃つ。
補正はせずとも彼は精確だ。
自分がすべきことは〈星域〉に破滅を齎しかねない要素を探し出すこと。
モニターに広がる数字と画像を解析する中で、ある項目の数字が目に留まる。
「クー! ここから離れて! ボク達の『拒絶』率が急速に上がってる!」
最も『天吏』に接近していた〈魔法少女ヴァルメガロス〉の数値。
それが今までに見たことのない上昇を始める。
もはや他の機体を遥かに跳び抜けている。
計器が限界地に達し、数値を正しく表示できないほどに。
そして、それに近い二人の機体も、また。
「くっ! 次から次に!」
二人の〈ファルサコロソ〉の魔導装甲に雪が積もり始める。逃すまいと拘束するように。
『拒絶』率を引き上がれば、雪は消滅するだろう。が、現状はそれをすれば命取りになる。
ついにモニターの映像さえも純白で覆われる。
〈魔法少女〉の制御が全く効かなくなる。
「大丈夫だから、チェーロ」
そう彼が口にしたのだろうと、チェーロは憶測することしかできなかった。
何せ、音もなく。
光も、闇もなく。
ただ、変転したから。
次の瞬間――なんの次なのか、自身分かっていないが――、チェーロはどこかにいた。
(いや違う。さっきと変わってない)
確認するよりも早く、生じた問いに対してあらかじめ用意されていた答えのように察す。
だが、何もかもがおかしい。
自分は確かに〈ファルサコロソ〉の『浄玻璃の鏡』に座っている。
外では未だ雪が降り積もり、〈魔法少女〉達とと『御遣い』が激しい戦闘を行っている。
〈ファルサコロソ〉の三番機が、巨大化した雪の結晶の『天吏』に殴りかかる、その光景。
雪の結晶に包まれ、共倒れするその光景。
その時間経過の全てが、同時に見えている。
その途中経過、順番さもチェーロの瞳ははっきりと押さえている。
ただそれは、静止画が一緒に映るというわけではない。
どちらかといえば、こちらが時間を超越して同時に捉えている、という感じだ。
自分でも意味が分からないが。
(待って。クーは!?)
前座席にいるはずの彼の姿がない。
当たり前のように傍にいるクレスツェントがいないことに、今になって不安が過る。
と、背後の搭乗口へと通じる隔壁扉が開く。
そこから現れるクレスツェントはチェーロの態度に、彼は少し困った顔を浮かべた。
「ごめん、ごめん。せめて『浄玻璃の鏡』からでも出られるか確かめに行ったんだ。〈魔法少女〉がまるで機能していなくてさ」
ヘルメット越しに頭を撫でながら、今自分達が置かれた状況をクレスツェントは纏める。
「正直、分からないことだらけだけど。二つ、分かったことがある。一つはここが外界と『拒絶』されていること。そして、もう一つは……」
目線を合わせる。
たったそれだけで、会話は成立する。
〝魔石〟の全てを知った。
それはもはや口に出すまでもなかった。
「でも、分かんないよ」
「そうだね、ほんと。ここ、なんなんだろ?」
{ここは『空隙』。存在してはおらず、また存在してはならぬもの}
誰に向けたわけでもなかったチェーロの疑問は、『何か』が返す。
唐突に現出した第三者にチェーロの心臓は撥ね、思ってもいないほど息を吸い込んでしまったためにむせる。
その『何か』に対し、
「お前はなんだ?」
問うたのはクレスツェント。
口調から、少なからずの推測が立っているようにも聞こえる。
いや、そうに違いない。
それはもう、知っていたから。
{我はのちに、汝らに『御遣い』と呼ばれるもの}
「のちに?」
{そうだ。私はまだ何でもない。が、そのままにはいられない。だから『御遣い』となる}
『何か』の回答など、チェーロの理解の範疇を大いに無視している。
それでもクレスツェントが何かを察したのを、チェーロは察した。
「だから、『御遣い』は現出したのか――いや、これから現出するのか」
「クー?」
置いてきぼりにして進むクレスツェントが、まるで知らない誰かに変化してしまったような錯覚に襲われる。
その胸騒ぎはさらに増す。
普段ならぎこちなくとも、それを解消してくれるクレスツェントがこちらなどお構いなしに未知に問うから。
「だがどうして、お前が生まれる必要がある? 『空隙』を埋めるための道具はすでにあるじゃないか」
{ここは〝魔石〟によって生じた『空隙』でもある。『空隙』の原因そのものでは『空隙』を埋めることはできない}
「その代替が『御遣い』か。なるほどな。まさかこんなところで、『御遣い』と呼ばれるその理由と正体が分かるとは」
クレスツェントは恐らく自分よりも遥かに〝魔石〟を熟知し、同時にそのほとんどを自分の知識と化している。
だから、未知との会話が成立している。
「最後の確認だ。お前はもう現出してしまう。それは止められないんだな?」
{『空隙』が現出したからな。あるべきではないものは、あるべきではない。汝らが生み出した結果だ}
「それなら……」
クレスツェントがこちらを見る。
そのいつになく優しい笑みに隠されたものなど、この世界を介せずとも嫌というほど知っている。
「……やだ」
何を言うかまでは把握できないが、どういった内容なのかは察知できる。
そして、クレスツェントもまた、チェーロが何もかもを分かっていると知っている。
「最期の言葉に『僕のことを忘れてくれ』なんて言葉は矛盾しているから、だから……」
「クー! やめて!」
「僕のことを覚えていてくれても構わない。ただせめて、僕に縛られないでくれ。思い出にしてくれ。チェーロには幸せになって欲しいから」
「待って! まだ、ボクは何も言ってない! 伝えてない!」
クレスツェントは何かを決意し、まだ存在していない何かと向き合う。
「ボクは! クーが大好――!」
――全てはすでに終わっていた。




