2.形持つ、形のないもの
{君は、イィクドゥを知っているかい?}
ファルステールは眼前に在る異物を。
『御遣い』という未知そのものを。
俄かには受け入れられずにいた。
恐怖や畏怖よりも、理解ができないという感情が塗り潰してしまう。
{聞いているだろう? 少なからず君は、聞こえていないはずがないと思うのだが}
世界の『拒絶』と同様に『御遣い』もまた、多くの謎を孕んでいる。
人間は本来、世界に『拒絶』されている。
なのに、どうして世界側に回ることができるのか?
契約でもあるのか。
人間、または『天吏』の突然変異なのか……?
{私は確かに呼ばれたのだが……}
「お前は……なんなんだ?」
純粋な問い。
色々な意味が含まれた当たり前の疑問をぶつけると、『御遣い』はやや難しそうな表情を浮かべた。
向けられる薄紫の瞳は、人間と同じ姿形こそしている。
ものの、輝きは具体的には言い難いが、決定的に違うということは分かる。
目を合わせようとしても、ファルステールの胸の奥の何かがそれを避ける。
それこそ『拒絶』するように。
{ふむ。そうだな……そうだな……そうだ。レ・リ}
「れり?」
そう。レ・リと名乗ろう}
「名乗ろう?」
思わず、そのまま聞き返す。
そして湧き立つ疑問。この『御遣い』はクレスツェントではないのか?
そう。私はレ・リだ。そして、イィクドゥを探している}
「イィクドゥっていうのは、なんだ?」
{たった今、名づけた名前だ}
「はっ?」
全く話の噛み合わないファルステールに、『御遣い』レ・リは眉根を寄せる。
{人間というものは厄介だね。名がないと存在を指し示すことさえできない。本来、存在の言語化など無意味なのに――言うならば、存在という言葉さえ無意味だ}
未だにその存在が詳しく解明されていない彼ら、『御遣い』。
どうして、人類と同じ姿をしているのか。
様々な犠牲を経て導き出した推測の一つは、〝魔石〟からの『拒絶』を軽減するため。
つまり、〈創天球儀〉に侵入しやすくするためではないかということだ。
(まさか、その『イィクドゥ』ってのは〈創天球儀〉のことか?)
〈星域〉の中枢を担う〈創天球儀〉さえ破壊すれば、世界側の人敵は〝魔石〟に邪魔されることなく人間を『拒絶』できる。
ファルステールは口をきつく噤む。
その姿に、『御遣い』はどこか落胆のような顔を見せた。
{言語化そのものが、世界の領域を狭めることに何故気づかない?}
「世界を、狭める?」
反射的に問うたのは、少しでも〈創天球儀〉から話題を避けるため。
{ああ、そうだ。君達は様々な事象を名前という『枠』に嵌めていった。だが言語化は同時に矛盾の召喚でもあった。そして、生じた『空隙』は人類の首を絞め始める}
世界の代弁者は悦に浸ることもなく、ただただ事実を述べる。
内容はいまいち理解し難いが、ファルステールにとっては好都合だった。
最悪を回避するため、自分にできることは時間稼ぎだ。
誰かが軍でも教師にでも報告すれば、悲劇から逃れられる。
{厄介なことに、一度名づけてしまうと人類はそう簡単には『枠』を変えることができない。それが古ければ古いほど余計に。その『枠』が人類が育んだシステムの基準となってしまっているが故に}
説明を理解せんと。相手に興味を失わせんと、耳を傾け続けるファルステール。
思いもよらぬ重責に押し潰されそうになるが、逃げ出したい衝動を抑えて立ち続ける。
それに何より、目の前の外敵がクレスツェントなのかを確かめたい。
{人類は急速な進化をし、森羅万象の仕組みを次々『枠』に嵌めていった。それに伴って世界に生じた『空隙』。それを埋めるものを欲した結果、〝魔石〟が現出した}
わけの分からない説明から、〝魔石〟という身近な単語が出たことに息を呑む。
{あれは人類が生んだジレンマを失くすために現出してしまった、万能の猛毒。人類の都合に世界を歪める、自傷の意志――〝魔石〟の現出は世界の縮小を確約した。人類の理解が届く範囲という、限りなく矮小な世界へと}
「だから、人類は『拒絶』されたっていうのか!?」
感情的になってしまったファルステールに対し、無感情にレ・リは首を振った。
{いいや。君達が呼ぶ『拒絶』に自然破壊や人類増加。戦争。運命。宿業……それらのような君達が求める意味も理由もない。ただの現象。ただ、そうなっただけにしか過ぎない。人類が欲する明確な答えなど、世界には始めから有していない。別に人類が善行を行おうが悪徳を積もうが、これはどちらでも起こっていたことだ}
人間の姿であるのに、まるで人間ではない。
言葉の一つ一つがそれを物語る。
{原因も同様だ。〝魔石〟による世界に対する『拒絶』によって世界が歪んでしまったから、そういう疑問が沸くのだ。人類の現存を無理矢理延長させてしまったことと、君達の言う『御遣い』と呼ばれる我らが生まれてしまっていることこそ異常なんだ}
「なら、人類は絶滅すべきだったとでも言いたいのか?」
{違う、かな? 消滅すべきだった、と言うべきなのかな?}
自分でもそれが正しいのか分かっていない様子だ。
その不理解は正否の判断ではなく、言語化という煩わしさから来るものだろう。
{この歪み切った現状の最たる危機こそ、君達が縋る〈魔法少女〉だ}
「それは世界にとって、じゃないのか?」
と、レ・リは首を傾げ――人間らしいことをされると、余計に不気味だ――、訝しむ。
{何故、気づかない? 人類が望んでしまったものだろう?――まぁいい。〈魔法少女〉の真実を話せば君達の置かれた危機を実感し、『拒絶』してくれるかもしれないしな}
「〈魔法少女〉の……真実だって?」
拒絶者が語る、人類未踏の暗黒地。
その、さらなる深奥。
『御遣い』は、当り前のように言葉を重ねていく。
{そうだ。〈魔法少女〉とは人類が有史から抱く存亡の危機感から現出した、現人類に取って代わる完全人類として君臨せんとするものだ。そのために男女の思考から人たるものを理解し、超人化へと至ろうとしている――人間を始めとした、超人化の可能性を持つ生命を〝魔石〟を使って召喚できない理由はそれさ}
「犬や猫も、完全な人間とやらになれるっていうのかよ?」
{心を有しているからだ。少なからず、〝魔石〟はそう判断している}
俄かには信じられないが、こちらのそんな気持ちなどどうでもいいのだろう。
教科書には書かれていない。そして今まで誰も教えてはくれなかった歴史が、よりにもよって人類の大敵であり裏切り者の口から語られた。
{『魔法のような石から生まれた、未成熟な人間』。実にらしい名前だ。『少女』としたのは、『まだ人間を繁殖させる過程に至っていない』ということなのだろう?}
この〈魔法少女〉という名には以前の授業の説の他にも色々とあるが、目の前の化物にとってはどれも関係ないことだろ。
そして。それよりももっと、深刻なことがある。
(なんで、周りの人間は気づかないんだ?)
{単純だよ。君は僕の侵入をあらかじめ知っていた。他の者達は知らない。だからだ。人間は知らないものを認識することはできない。認識できないものを知ることはできないのだから、それは当り前だろう?}
心の中を読まれた。
が、ファルステールの驚きに、むしろ『御遣い』の方が解せないといった様子だ。
{驚くことでもない。君は世界の一部だ。世界なのだから、隠せるものなど何もない}
そう言う『御遣い』に、ファルステールはあることに気づく。
(人の気持ちを、少なからず『御遣い』は理解できるのか?)
{――呼んでいるのかい、イィクドゥ?}
「はっ?」
いきなり明後日の方向を向く『御遣い』。
両目は片時も離していない。
が、次の瞬間には、その姿が消えていた。
「――っ!?」
もはやわけが分からない。
いや、分からなくなったのか?
『御遣い』の言葉を借りるなら、認識ができなくなったから見えなくなった。
だとすれば、これはかなり厄介だ。
敵はこちらの認識を自在に変更できるということになる。
これはやはり、こちら側の心を読めることに起因するのか?
完全に姿が見えなくなったことで、今さらになって化物との対峙に身が足がすくみ、地面に寄りかかりながらずりずりと座り込む。
今さらになって、会話をしていた――成立していたかどうかは別として――自分の度胸に驚き、呆れる。
それでも、どうしてそんなことができたのか。
なんとなくは分かる。
(やっぱり……クレスツェントだったから、か……?)
見たことなど当然はない。今日、初めて知った人物だ。
しかしながら、それよりも前に知っていたから、警戒心が弛緩したのだろう。
と、緊張の緩和と精神的に視界が白んでいくが、まだ自分の役目は終わっていない。
携帯端末を取り出し、教師に繋ぐ。
危機は迫っている。
しかし、どういった形のものなのか、まるで見えない。




