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なまえのないうた  作者: pu-
第五章 言葉
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2.形持つ、形のないもの

{君は、イィクドゥを知っているかい?}


 ファルステールは眼前に在る異物を。

御遣い(アンヂェーロ)』という未知そのものを。

 俄かには受け入れられずにいた。

 恐怖や畏怖よりも、理解ができないという感情が塗り潰してしまう。


{聞いているだろう? 少なからず君は、聞こえていないはずがないと思うのだが}


 世界の『拒絶』と同様に『御遣い(アンヂェーロ)』もまた、多くの謎を孕んでいる。

 人間は本来、世界に『拒絶』されている。

 なのに、どうして世界側に回ることができるのか?

 契約でもあるのか。

 人間、または『天吏(リフューゾ)』の突然変異なのか……?


{私は確かに呼ばれたのだが……}

「お前は……なんなんだ?」


 純粋な問い。

 色々な意味が含まれた当たり前の疑問をぶつけると、『御遣い(アンヂェーロ)』はやや難しそうな表情を浮かべた。

 向けられる薄紫の瞳は、人間と同じ姿形こそしている。

 ものの、輝きは具体的には言い難いが、決定的に違うということは分かる。

 目を合わせようとしても、ファルステールの胸の奥の何かがそれを避ける。

 それこそ『拒絶』するように。


{ふむ。そうだな……そうだな……そうだ。レ・リ}

「れり?」

 そう。レ・リと名乗ろう}

名乗ろう(・・・・)?」


 思わず、そのまま聞き返す。

 そして湧き立つ疑問。この『御遣い(アンヂェーロ)』はクレスツェントではないのか?


 そう。私はレ・リだ。そして、イィクドゥを探している}

「イィクドゥっていうのは、なんだ?」

{たった今、名づけた名前だ}

「はっ?」


 全く話の噛み合わないファルステールに、『御遣い(アンヂェーロ)』レ・リは眉根を寄せる。


{人間というものは厄介だね。名がないと存在を指し示すことさえできない。本来、存在の言語化など無意味なのに――言うならば、存在という言葉さえ無意味だ}


 未だにその存在が詳しく解明されていない彼ら、『御遣い(アンヂェーロ)』。

 どうして、人類と同じ姿をしているのか。

 様々な犠牲を経て導き出した推測の一つは、〝魔石〟(オクルタ・ユヴェール)からの『拒絶』を軽減するため。 

 つまり、〈創天球儀(トゥタルバム)〉に侵入しやすくするためではないかということだ。


(まさか、その『イィクドゥ』ってのは〈創天球儀(トゥタルバム)〉のことか?)


〈星域〉の中枢を担う〈創天球儀(トゥタルバム)〉さえ破壊すれば、世界側の人敵は〝魔石〟(オクルタ・ユヴェール)に邪魔されることなく人間を『拒絶』できる。

 ファルステールは口をきつく噤む。

 その姿に、『御遣い(アンヂェーロ)』はどこか落胆のような顔を見せた。


{言語化そのものが、世界の領域を狭めることに何故気づかない?}

「世界を、狭める?」


 反射的に問うたのは、少しでも〈創天球儀(トゥタルバム)〉から話題を避けるため。


{ああ、そうだ。君達は様々な事象を名前という『枠』に嵌めていった。だが言語化は同時に矛盾の召喚でもあった。そして、生じた『空隙(むじゅん)』は人類の首を絞め始める}


 世界の代弁者は悦に浸ることもなく、ただただ事実を述べる。

 内容はいまいち理解し難いが、ファルステールにとっては好都合だった。

 最悪を回避するため、自分にできることは時間稼ぎだ。

 誰かが軍でも教師にでも報告すれば、悲劇から逃れられる。


{厄介なことに、一度名づけてしまうと人類はそう簡単には『(なまえ)』を変えることができない。それが古ければ古いほど余計に。その『(なまえ)』が人類が育んだシステムの基準となってしまっているが故に}


 説明を理解せんと。相手に興味を失わせんと、耳を傾け続けるファルステール。

 思いもよらぬ重責に押し潰されそうになるが、逃げ出したい衝動を抑えて立ち続ける。

 それに何より、目の前の外敵がクレスツェントなのかを確かめたい。


{人類は急速な進化をし、森羅万象の仕組みを次々『枠』に嵌め(なづけ)ていった。それに伴って世界に生じた『空隙(むじゅん)』。それを埋めるものを欲した結果、〝魔石〟(オクルタ・ユヴェール)が現出した}


 わけの分からない説明から、〝魔石〟(オクルタ・ユヴェール)という身近な単語が出たことに息を呑む。


{あれは人類が生んだジレンマを失くすために現出してしまった、万能の猛毒(・・・・・)。人類の都合に世界を歪める、自傷の意志――〝魔石〟(オクルタ・ユヴェール)の現出は世界の縮小を確約した。人類の理解が届く範囲という、限りなく矮小な世界へと}

「だから、人類は『拒絶』されたっていうのか!?」


 感情的になってしまったファルステールに対し、無感情にレ・リは首を振った。


{いいや。君達が呼ぶ『拒絶』に自然破壊や人類増加。戦争。運命。宿業……それらのような君達が求める意味も理由もない。ただの現象(・・・・・)。ただ、そうなっただけにしか過ぎない。人類が欲する明確な答えなど、世界には始めから有していない。別に人類が善行を行おうが悪徳を積もうが、これはどちらでも起こっていたことだ}


 人間の姿であるのに、まるで人間ではない。

 言葉の一つ一つがそれを物語る。


{原因も同様だ。〝魔石〟(オクルタ・ユヴェール)による世界に対する『拒絶』によって世界が歪んでしまったから、そういう疑問が沸くのだ。人類の現存を無理矢理延長させてしまったことと、君達の言う『御遣い(アンヂェーロ)』と呼ばれる我らが生まれてしまっていることこそ異常なんだ}

「なら、人類は絶滅すべきだったとでも言いたいのか?」

{違う、かな? 消滅すべきだった、と言うべきなのかな?}


 自分でもそれが正しいのか分かっていない様子だ。

 その不理解は正否の判断ではなく、言語化という煩わしさから来るものだろう。


{この歪み切った現状の最たる危機こそ、君達が縋る〈魔法少女(マギスティーノ)〉だ}

「それは世界にとって(・・・・・・)、じゃないのか?」


 と、レ・リは首を傾げ――人間らしいことをされると、余計に不気味だ――、訝しむ。


{何故、気づかない? 人類が望んでしまったものだろう?――まぁいい。〈魔法少女(マギスティーノ)〉の真実を話せば君達の置かれた危機を実感し、『拒絶』してくれるかもしれないしな}

「〈魔法少女(マギスティーノ)〉の……真実だって?」


 拒絶者が語る、人類未踏の暗黒地。

 その、さらなる深奥。

御遣い(アンヂェーロ)』は、当り前のように言葉を重ねていく。


{そうだ。〈魔法少女(マギスティーノ)〉とは人類が有史から抱く存亡の危機感から現出した、現人類に取って代わる完全人類として君臨せんとするものだ。そのために男女(にんげん)の思考から人たるものを理解し、超人化へと至ろうとしている――人間を始めとした、超人化の可能性を持つ生命を〝魔石〟(オクルタ・ユヴェール)を使って召喚できない理由はそれさ}

「犬や猫も、完全な人間とやらになれるっていうのかよ?」

{心を有しているからだ。少なからず、〝魔石〟(オクルタ・ユヴェール)はそう判断している}


 俄かには信じられないが、こちらのそんな気持ちなどどうでもいいのだろう。

 教科書には書かれていない。そして今まで誰も教えてはくれなかった歴史が、よりにもよって人類の大敵であり裏切り者の口から語られた。


{『魔法のような石()から生まれた、(ほう)未成熟な人間(しょうじょ)』。実にらしい(・・・)名前だ。『少女』としたのは、『まだ人間を繁殖させる過程に至っていない』ということなのだろう?}


 この〈魔法少女〉という名には以前の授業の説の他にも色々とあるが、目の前の化物にとってはどれも関係ないことだろ。

 そして。それよりももっと、深刻なことがある。


(なんで、周りの人間は気づかないんだ?)

{単純だよ。君は僕の侵入をあらかじめ知っていた。他の者達は知らない。だからだ。人間は知らないものを認識することはできない。認識できないものを知ることはできないのだから、それは当り前だろう?}


 心の中を読まれた。

 が、ファルステールの驚きに、むしろ『御遣い(アンヂェーロ)』の方が解せないといった様子だ。


{驚くことでもない。君は世界の一部だ。世界なのだから、隠せるものなど何もない}


 そう言う『御遣い(アンヂェーロ)』に、ファルステールはあることに気づく。


(人の気持ちを、少なからず『御遣い(アンヂェーロ)』は理解できるのか?)

{――呼んでいるのかい、イィクドゥ?}

「はっ?」


 いきなり明後日の方向を向く『御遣い(アンヂェーロ)』。

 両目は片時も離していない。

 が、次の瞬間には、その姿が消えていた。


「――っ!?」


 もはやわけが分からない。

 いや、分からなくなったのか?


御遣い(アンヂェーロ)』の言葉を借りるなら、認識ができなくなったから見えなくなった。

 だとすれば、これはかなり厄介だ。

 敵はこちらの認識を自在に変更できるということになる。

 

 これはやはり、こちら側の心を読めることに起因するのか?


 完全に姿が見えなくなったことで、今さらになって化物との対峙に身が足がすくみ、地面に寄りかかりながらずりずりと座り込む。

 今さらになって、会話をしていた――成立していたかどうかは別として――自分の度胸に驚き、呆れる。

 それでも、どうしてそんなことができたのか。

 なんとなくは分かる。


(やっぱり……クレスツェントだったから、か……?)


 見たことなど当然はない。今日、初めて知った人物だ。

 しかしながら、それよりも前に(・・・・・・・)知っていた(・・・・・)から、警戒心が弛緩したのだろう。

 と、緊張の緩和と精神的に視界が白んでいくが、まだ自分の役目は終わっていない。

 携帯端末を取り出し、教師に繋ぐ。

 危機は迫っている。

 しかし、どういった形のものなのか、まるで見えない。

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