1.届くかは定かではないもの
現在、覚醒が確認された『終界獣』は五体。
人が抱く原始的恐怖を体現した《死》。
この世の終わりを体現した《地獄》。
信仰の不実さを体現した《冒涜》。
未来への絶望を体現した《暗黒》。
絆の喪失を体現した《孤独》。
そして、〈星域〉外で不気味に居座り続ける、六体目となり得る可能性を孕んだ破局の塊。
果たしてそれは、人類のなんの終焉を体現しているのか。
ラーフォは分かるはずのない。そしてできることなら、分からぬままでいて欲しい疑問を胸に、邀撃科用教師室の隣にある個室(要は説教部屋)にて静かに待つ。
殲滅戦まで、あと九時間。
今、星軍が大きく動き、その決戦に備えている。
こうしていられるのも、残り一時間もない。
(三度目とはいえ、慣れるものじゃないな……)
過去に『終界獣』殲滅戦に参加している――いずれも覚醒前の撃破だが――が、その経験値は吐き気を催すほどの緊張感を解す材料にははまるでならない。
殲滅戦に於いての絶対条件は、覚醒させないことに尽きる。
〈魔法少女〉での戦闘には、各機に相互で共感チャンネルを繋げるのが必須だ。
何よりもまず、戦場での孤立という最悪の事態を避けるため。
また作戦と戦況。加えて、搭乗者の精神状況を瞬時に共有できるメリットがあるために。
ただ、覚醒した『終界獣』の前では、共感チャンネルは最悪の事態を生む。
何せ、『終界獣』とは『人類滅亡の形』そのものだ。
それに対して、人間が恐怖を抱かないはずがない。
自らが抱く恐怖は他者へと伝播し、他者からの畏怖は自らに混ざる。
増幅し続ける絶望感は、相乗効果によって戦闘参加者全員が死滅するまで起こり続けてしまう。
(所詮はその効果も、覚醒した『終界獣』の特徴に一つにしか過ぎないがな……)
絶望に直結する戦いを前に、気持ちは嫌が応にも張り詰める。
時計の音が静かに響く中、コンコンと丁寧なノック音が鳴った。
「どうぞ」
「失礼します」
扉を開けるヴェントは、何か言いたげな雰囲気を醸している。
これからこちらが何を話すか、おおよその見当がついてのことだろう。
「こんな時に悪いな。とりあえず、そこに座ってくれ」
それを分かっていない振りをするのは、大人の仕事の一つだ。
机越しに座る正面の彼を無言で眺めたあと、ラーフォが口を開く。
「さて、ヴェント。一つ問題だ。万能に近い物質たる〝魔石〟が発見され、この五〇〇年近く。有機物以外で、未だに召喚で観測されていないものはなんだ?」
いきなりの問い。
しかも、優等生の彼なら分からないはずがない質問。
ただ、ヴェントは特に感情を露わにすることなく、実に優等生らしい態度で口を開いた。
心の内に潜む苛立ちを隠すように。
「時間――過去と現在と未来です」
「詳しく」
「過去が召喚できるなら、人類は『拒絶』される前の時間を召喚しているはずです。でも、それは不可能だった。時間の変質は、〝魔石〟を『拒絶』する世界そのものにも影響を及ぼさなければ成立しないからです」
ヴェントはこちらを真っ直ぐ見つめたまま、淡々と模範解答を続ける。
「現在は今という時間の線引きが曖昧であるが故。今と判断した瞬間にはもう、その時は過去になっています」
一つ一つの事象を区切り、分かり易く説明していく。
「未来は過去と同じですが……それ以前の問題に、人間はたとえ数秒先でも、数歩先でも未来の招来を望めないから喚べない。全く想像できないものは、望み方も分からないから召喚できない」
答案用紙上では間違いなく丸を貰えるヴェントの答えに、ラーフォは言う。
「及第点というところかな?」
もちろん、彼女の問答がそういう目的のものではないと、ヴェントは察しているだろう。
が、真意が掴めない。
優等生であり多くの希望を背負った稀代の天才であろうとも、所詮は十六の男子にしかすぎない。
彼の善人の鱗は徐々に剥がれ落ち、苛立ちの肌が現れつつある。
「それで、僕はどうして呼ばれたんでしょうか?」
「お前なら分かっているだろ? 私はな、お前には戦って欲しくはない」
「じゃあ、この前のシミュレータの件はなんなんですか? 僕の機体の改造を許可したのは先生じゃないですか?」
珍しく突っかかってくるヴェントに、ラーフォは用意していた材料を広げる。
「そうだな……それも話すか……」
自分が微笑んでいるのか。
それとも自嘲しているのか。
どちらともつかない複雑な表情を、ラーフォは浮かべていることを自覚している。
言うべきだと用意と覚悟はしていたが、それでも決心がなかなかつかない。
今から口にすることは、楽しい話ではないし、ましてや生徒に聞かせるものではない自分語りだ。
ついでに言えば、できれば心の中に潜めておきたいものでもある。
それでも、この生徒を危険に晒すよりはずっといい。
それを言い訳にして、心を決める。
「もう、六年くらい前のことかな? まだ邀撃科じゃなくて、一般科の教師成り立てで右も左も分からない時に。親類がな、亡くなったんだよ」
と、恐らく間違った解釈を持ったままヴェントが話を聞きそうだったので、説明をつけ足す。
「ああ。別に『天吏』とかじゃない。誰にでも訪れる、ありふれた死に方だった」
その一言に、目に見える変化ではないもののヴェントの顔が強張ったのが分かる。
話が逸れることが分かって、少し苛立ってしまったのだろう。
それを表に出さないのは、精神制御に長けているからか。
それとも、祖母の死という重い話題だからか。
「ただ、な。亡くなるほんの数週間前に会ってて。その別れ際の挨拶として『また今度会おう』なんて、当たり前のように約束してたんだよ。誰だってするだろ? まさか、そのほんの数週間後に永遠の別れを迎えるなんて、誰だって思わないし思えるわけもない」
ふと過る祖母の顔。
こういう時は癖で煙草を吹かせてしまうのだが、吸う状況ではない。
やはり、習慣で置いてしまった灰皿を忌々しく思う。
果たして。
今、自分はどんな顔をしているだろうか。
少なからず、教師の仮面は脱げていないことはヴェントの態度で確認はできる。
「葬式が終わってから、色々と漠然と考えたんだよ。ただ、その時に分かったものは……死は怖いってだけだ。見知った顔がこの世からいなくなることが怖かった。そして、同じ思いをそいつらがするのも」
語っていない当時のことを、漠然と思い出す。
しかし、どこか分明瞭な部分が多いのは、まだ思い出すのが辛いのか。
本当に忘れてしまったのか。
それとも、その当時に記憶しようと思う気持ちが抱けなかったのか……。
「その時だったよ。邀撃科が気になったのは。先生が生徒として邀撃科に入る前くらいから、生徒が軍に引っ張られるようになったのを思い出したんだ」
ただでさえ人材不足だった星軍は、その当時に起こった悲劇によって急減する。
『終界獣=《孤独》』による翡翠の郷の壊滅。
未曽有の災厄がが相俟って、著しく入隊率が低下してしまう。
そしてその頃から、学園への人材急募と圧力が顕著となる。
「で、決めたんだ。もしこれからの子供達が成長して〈魔法少女〉に乗るようになったら。その時は最低限、自分の命だけは守れる技量を身につけられる子供達に育てる人間なろうとね。ただ、乗るのを反対だと口にするだけじゃ、なんにもならないからな」
慣れぬ教員の仕事にてんてこ舞いになりながらも、邀撃科教師の勉強を始めた。
幸いにも、ラーフォ自身邀撃科に在籍していたので、〈魔法少女〉の操縦に問題はなかった。
「――じゃあ、そろそろ話を戻そうな」
ピリッと、僅かだがヴェントの雰囲気が変わる。
今まで聞き流していたわけではないだろうが、それでも先に比べたら真剣さが増していた。
「ヴェント。たとえお前がこれからいくら成績を落とそうが、軍は特待生として迎える――その時のためのカスタマイズだ。お前は誰よりも特別な訓練をしなければいけなくなる」
ヴェント・デクナウという稀代の天才は、軍が喉から手が出るほど欲している。
それこそ、学園を遠巻きに脅すほど。
数多くの重圧をその双肩に乗せなくてはならぬのは、誰が定めた運命か。
それを振り払う力を、ヴェントは手にしなければならない。
「……これも言いたくはないが、お前は軍の上に立つ人間になるのだと思う……お前の意志、私達の願いなど関係なくね」
それが、力持つ者の運命。
そういった風に結論付けたくはないが、一定の基準を超えた者達は、必然的に高次元のステージに立ってしまうものだ。
「だがな、それは今じゃない。まだお前は戦場に立つべきではない」
「僕は『天吏』を倒しました」
「実力なんて関係ないんだ。お前がいくら思おうと、お前らは子供だ。そして、先生達は大人だ。自分達の世界を守ること。何より、子供達を守ることが役割だ――もし、子供達が率先して世界を守ることとなるとしたら……もはや、その世界は狂いに狂った末期状態だ」
「時として大人は、その子供から学ぶこともあるんじゃないんでしょうか?」
「随分と噛みつくじゃないか」
「先生、何も戦いたいんじゃないんです。役に立ちたいと。役に立つと思っていっているんです。身の程知らずの発言かも知れませんが、それでも戦える力は持っていると自負しています」
無自覚に英雄の素質を持つこの少年は、やはり危うい。
自らをなげうってでも、人類に勝利を齎せる覚悟をこの歳で有している。有してしまっている。
「ヴェント。『天吏』との、世界との戦いの勝利とはなんだと思う?」
問いに、ヴェントはすぐには答えが出せかった。
人類と『天吏』の争いとはつまり、世界そのものと戦うということ。
それは人類に、勝利など初めから存在していないということだ。
世界を倒すということは、人類の滅亡と同意である。
何せ、人類はこの世界でしか生きられないのだから。
故に、この闘争を延々と続けなければならない。
それを踏まえての質問。
『天吏』との戦いの勝利とは?
「それが即答できぬ内は、先生は認めないよ」
ヴェントは少なからず答えの中に、先の話の内容が含まれているだろうと分かりはした。
だがやはり、答えは出せない。
漠然とは、いくつか浮かぶ。
ただ、そのどれが正しいのか選択はできない。
「――で、話が長くなったが、今の話が時間の召喚と繋がる」
本題はすでに話し終えている。
それでも気づいてもらうためには、多くのことは話しておくべきだろう。
「生命は召喚できない。生命は今を生きることしかできないから。時間を超えることはできないから。〝魔石〟を使って、〈星域〉を行き来できない理由はそれに該当する」
一拍置き、次の言葉を自覚させる。
わざとらしいと思わせるくらい、強調させて。
「そして、死んだ人間は召喚できない。それはもう、過去のことなんだ。死んだ人間はもう、今を生きることはできないからな」
当たり前のことを説法することほど馬鹿げたことはない。
だが、そんな馬鹿な話ほど当たり前過ぎて脇にどけて忘れてしまう。目を背けてしまう。
「いいか? これからどれだけ人類が世界に尽くそうとも、善行を果たそうとも。失ったものは何一つ戻らない。取り戻せない。やり直せない。それが健全な世界の姿だ」
それでも、もし突破してしまったら……
そんな訪れるはずもない未来を夢想するまでもない。
が、それを望んでしまうほど純粋で優しい過ちを止めるのが、指導者の仕事だ。




