6.教育者
「凄いものを見てしまったな……」
罪悪感に苛まれながら、邀撃科用教師室のベランダでラーフォは煙草を吹かす。
ファルステール達がサボらぬために設置した監視カメラに、まさかあんな映像が映ってしまうとは。
普段は生徒が入れぬ場所だからと油断していた。
「そうだよな……誰も入らない場所だもんな……」
吐き出される煙は自由奔放な姿に様変わり、やがて溶けるように消えていく。
だが、一向に心が晴れることはない。
何度も吸い、吐いたところでむしろ靄が濃くなる一方だ。
「きちんと喫煙室で吸って下さい、ラーフォ先生」
扉を見れば、インスラルがやや困り顔を浮かべていた。
コーヒー片手にラーフォの隣まで歩き、同じ風景を見やる。
「それにこの扉も閉めて下さいよ。部屋の中に煙が入ります」
「誰もいないんだからいいだろ?」
「エガレーツォ先生があとからぐちぐち言ってくるんですよ」
「そりゃ、初耳だ」
「でしょうね。僕に言ってくるんですから」
よほど言われているのだろう。見ずとも、口調が全てを物語っていた。
煙草を吹かせ、間を置く。
ラーフォが話を切り替える時によくする行動だ。
「運が良かった、というべきなのかな。インスラル先生?」
「そうでしょうね。あれだけの『天吏』相手に死人を出さなかったんですから」
操縦の慣れていない生徒達の被害がなかったのは、例年に比べて生徒達が目的地に向かえず〈星域〉近くにいたことが幸いしていた。
が、それが最たる理由ではない。
「『御遣い』のお陰、か」
恐らくだが『天吏』達は陽動だったのだろう。
本丸は『御遣い』の〈星域〉侵入だ。
そもそも、天災である『天吏』達にはそんな思考など持ち合わせていない。
ただ、『御遣い』は別だ。
元は人間であったが故に、人間的思考を所持している。
だがしかし、おかしい点がいくつかある。
まずは、仮に陽動だとしても『天吏』達が本格的な攻撃に移らなかったこと。本当に時間稼ぎをしているようでしかなかった。
そしてもう一つが、そもそもあんな大量の『天吏』、ましてや『終界獣』などというものさえも連れていたということだ。
十四群体もの『天吏』が〈星域〉に同時襲撃をしてくるなど、ここ数十年一度足りとない。
それに何か、この特異な事態を紐解く鍵となるのか……
(やはりその鍵になるのは、あの『御遣い』か……)
彼ら『御遣い』は何もかもが異質だ。
誕生から消滅まで、何もかもが……
「『御遣い』は見つかったのか?」
「難しいでしょうね。いくらあれが人の姿をしているとはいえ、基本的に何を考えているのか見当がつきませんから」
ただ、確かに分かることもある。
(〈星域〉消滅による、人類の完全『拒絶』――そのために何かしらの方法で〈創天球儀〉に向かうはずだ)
今回の『御遣い』の狙いも十中八九、そこだろう。
〈創天球儀〉は〈星域〉の全てを管理している心臓部だ。
いくら予備動力が備えられているとはいえ、そこを破壊されれば〈星域〉の防御は圧倒的に弱る。
ましてや、『終界獣』に攻められなどしたらひとたまりもない。
到達までのタイムリミットは、過去の状況からして約二一時間。
それまでに『御遣い』と『終界獣』を倒さなければ〈星域〉崩壊が現実となる。
「運が良かった、か……」
インスラルは何故、そこが引っかかっているのか理解している。
『御遣い』の侵入もあるが、それよりもファルステールとチェーロが〈魔法少女〉を召喚してしまったことだ。
ただですら、学生による〈魔法少女〉操縦の数少ない反対派だというのに、自分の授業でそれを防ぐことができなかったのだ。
誰よりも自分を責めているのだろう。
もちろん、彼女が反対派の体面というものを気にしているわけではなく。
遠くを見つめながら煙草を吸う彼女に、インスラルは堪らず口にした。
「ラーフォ先生。別に、僕はいいと思いますよ」
「ん? 何がだ?」
「弱音を吐いたって……なんなら、泣いたって」
彼の瞳をラーフォはじっと見つめ、視線を空に移す。やや曇りがかった、偽りの青空に。
「それは辛いだろ」
ふぅ、と普段より少しだけ長く煙を吐き出し、
「お前が」
「……そうやって気遣いをされる方が、よっぽど辛いですよ?」
見ずとも、こう言う時の彼の顔は知っている。
すでに自分の瞳に焼きついてしまっているのだから。困り顔を浮かべながらも、場を取り繕おうとする引きつった笑みは。
(最初は確か、〈魔法少女アクタコヌス〉を召喚して『浄玻璃の鏡』に入っただったか)
またしばらくの間が空く。
それはラーフォがつい「悪い」と謝りそうになり、口ごもってしまったから。
もしそれを口にしていたら、余計に彼を傷つけてしまっていた。
理解はしているつもりだ。優しさは時として誰かを傷つけてしまうことになると。
このぎこちない空隙を誤魔化すように、ラーフォは煙草を吹かせる。
せめて今の瞬間だけでも頭の中を空っぽにしておきたかったが、いくら煙草を吸ったところで占めているそれらは渦巻き続ける。
主張するように。
責めるように。
酒を呷っても無理だろう。むしろ悪夢となって襲いかかるかもしれない。
陰鬱に染まる気分を少しでも紛らわすため、ラーフォはなんとはなしに呟いた。
「私は決めているんだ」
「? 何をですか?」
「私があいつらのために泣いてやるのは、もっと先ってさ」
「先、ですか?」
「ああ。あの馬鹿どもが大馬鹿さえしなければ迎える、約束された先だよ」
そんなことを言っていたら、ふいに今の自分が何をすべきか思いついた。
卑しい話だが、それをすれば少しでも自分の責が軽くなりそうな気がしたから。
灰皿に煙草を押し潰し、それらを手に職員室に戻る。
「どこに行くんですか、ラーフォ先生?」
「放送室。二名、呼び出すからね」
「二名を? なんでまた?」
「一人にはぶっとい釘を刺す」
「もう一人は?」
「……どうしたものかね?」
眉根を寄せ、ラーフォは自嘲気味な笑みを浮かべた。




