7.非情願望
踵を返すファルステールとチェーロが乗る〈ファルサコロソ〉。
拡張視覚でハイル教師が仕留め切れなかった怪獣型の『天吏』の動きを見やる。
のっそり、のっそり。真っすぐこちらへ――〈星域〉へと進む。
ワンドの先端を、敵へ。
さわさわと聴こえる『風』の『音』。
そよぐ『草木』。
『青』々とした『空』。
流れる『雲』。
どれもが次の瞬間に敵へと豹変する可能性を持つ。
正直、一秒でも早く〈星域〉の中へ戻らなければ、精神がおかしくなりそうだ。
「目視間距離にしてあと二〇秒で、相互『拒絶』領域に入るよ」
脆い精神を支えるように、チェーロは随時状況を報告する。
「五……四……三……」
秒読みの声が僅かに震えていた。
チェーロが緊張するという事態に、こちらまで伝播しそうになる。
それを目の前の敵に集中することで、なんとか誤魔化す。
「……二……一……ゼロ!」
「黒殲破!」
ワンドに〈衝撃〉の魔法陣が浮かび、崩れ、閃光となって怪獣へと伸びる。
黒殲破に抗うためか、怪獣は『顎門』を開くと口腔から真っ白な塊が吐き出された。
黒い光と白い塊の衝突。
無機質な激突音とともに『拒絶』のうねりの余波が、一帯を荒廃させていく。
黒の閃光にぶつかるものが、真っ白な鳩であることは戦いのあとで気づくことになる。
何せ、この時にはそれが心を塗り潰していたから……
(俺の最大技で無傷かよ!)
相殺された事実に愕然とする。
ただでさえチェーロが捉えられなかった別の、『天吏』がいるというのに。しかも、相互『拒絶』領域外から〔ツェンタウロ〕を退場させたと思わしき難敵が。
そうだというのに、必殺の一撃が通じなかったという絶望。
そこに追い打ちをかけるかのように、目の前の怪獣も姿を変え、分離を始める。
(どうする?)
『浄玻璃の鏡』は『離脱』を挙げている。
電脳もチェーロも、ファルステール自身だってそれが正しいと分かっている。加えて、敵を引きつけることにも成功しているはずだ。
(でも、こんなやつから逃げ切れるのか……?)
《大丈夫か!?》
恐怖で閉じかけた帳を斬り裂く、『4』の数字。
「――ヴェント!?」
《ああ! 増援が来るまでなんとか持たせる! それまで救援を頼む!》
刀と剣を手に、目の前を横切る〈ファルサコロソ〉。進む先は決まっている。
「馬鹿野郎! お前一人で何ができるって言うんだよ!」
《何かだ!》
止める術はない。
何せもう、ヴェントは怪獣に駆けて行ってしまったから。速度はもはや、チェーロの補佐すら越えている。
四群体に分かれた怪獣の内、最も近く、かつ大きな怪獣型『天吏』を二本の剣で×字に切断する。
武器を既に使いこなしているのだろう。
刃の『拒絶』率はシミュレータ時よりも高く、その一太刀だけで完全消滅させた。
が、すでに残り三群体は彼を包囲している。
地を這い、空を舞い、正面で対峙する三つの怪獣。
距離を取るため後方に跳ぶが、這う怪獣が触手のようなものを伸ばし――単に獣達が一斉に飛びかかっただけだが――、無理矢理地に引き込む。
怪鳥はここぞとばかりに両肩を掴み、天へと引きずり込もうとする。
正面には、今にも首を食い千切らんと間合いを測る怪獣。
上下から引っ張られ身動きの取れないヴェントは、あろうことか左上腕を剣で突き刺した。
自棄になったわけではないのは分かる。
左手の刀を右に持ち替えたのだから。
ヴェントは刀で左肩を切断すると、天へと放り投げる。怪鳥を構成する獣達の中心へ。
剣に浮かんだ〈爆破〉が崩れ、橙色を帯びた途端、腕ごと爆発。
拡散し、降り注ぐ腕と剣の破片一つ一つも、当然だが〝魔石〟製だ。
飛び散る破片は時に刺さり、押し潰すことで『天吏』を『拒絶』する。
最も被害を受けたのは、直撃を受けた怪鳥だ。
上半身が解放されたのとほぼ同時、『拒絶』の雨中から顎門を開いて喉元を狙う『天吏』。
その中へと右腕を突っ込み、再び刀を爆破させる。
だが頭部を失ったところで、『天吏』は止まらない。
地を這っていたもの達と結合し、また一つの巨大な『天吏』を構成する。
あと何度、繰り返せば倒せる?
あとどれほど血を流せば滅ぼせる?
友が命を削ってまで戦う間も、『浄玻璃の鏡』は常に最善を伝える。
『離脱』を。
(できるかよ、んなこと!)
それでも、親友を置いて逃げれば助かる。そう思っている自分がいるのは確かだ。
頭を振り、別の最善を探す。
分かっている。
この状況を一変する力など、自分達が持ち合わせているわけがないということくらい。
そんな奇跡さえも超越してしまう力など……
「……ある」
助かる唯一を思い出すファルステール。
どうして『浄玻璃の鏡』が、それを導き出さなかったのかは分からない。
が、次の瞬間に起こったことに、ファルステールは全て把握する。
「嫌だ! やめて!」
チェーロが叫ぶ。
その青い瞳には、涙が滲んでいた。
彼女はパイロットスーツの下に潜む、金鎖のネックレスを両手で覆う。
〝魔石〟を隠すように。守るように。
今の今まで見てきた彼女の、どの表情にもなかった顔を浮かべる。
だがファルステールは彼女の意志など構わず、ヘルメットを脱いで近づく。
「奪わないで! ボクの大切な人のために、ずっと取っておいたの! 誰にも穢されたくなんてない!」
「このままだと死ぬんだぞ! ヴェントも死んじまう!」
「それでもいい! 奪われるくらいなら死んでもいい!」
「ふざけんな! 俺はまだ死ぬ気なんてないんだ!」
綺麗な歌を紡ぐその口で、喚き散らす。
澄んだ青い瞳は、涙で歪む。
彼女の頬を伝う大粒のそれは、ヘルメットの内側を濡らし続ける。
どれほど大切なものなのか。ファルステールには想像できない。
だが、とても大切なものだということは分かる。
分かってしまっていた。
なのに、奪わなくてはいけない。
どうして、こうしなければいけないのか。
どうして、こんなことになってしまったのか。
それら全てから、ファルステールは目を瞑る。
望む。
チェーロは暴れ回って拒絶するが、意志の前に物質の隔たりも、時間の障壁も意味をなくす。
彼女の胸元の〝魔石〟から、複雑な魔法陣が浮かんだ。
ファルステールとチェーロのどちらが望んだものか分からない、唯一無二の、二人だけの〈魔法少女〉の魔法陣が。
そして――
チェーロはまるで、助けを求めるかのように……
ファルステールはまるで、許しを請うかのように……
その名を喚んだ。
『〈ノクタラメント〉!』




