4.美麗世界
ファルステール達ペア組はインスラルの指示の下、自らが搭乗する〈魔法少女〉に向かう。
一歩。
一歩。
一歩。
踏みしめる度に心臓の鼓動は激しくなる。
意識して数えたわけではないが、三〇歩ほどで自分が乗る〈ファルサコロソ〉の前に着いた。
そこから機体脇に設置された、コックピットである頭部へと続く簡易エレベーターへと乗り、数十秒で頂点へ。
骨色の横顔はやはり、人とは呼び難い。
「んじゃ、ボクがおっ先―!」
ラジエータや頭部保護などの役割を担う髪の下。うなじの辺りに隠れた搭乗口へ、チェーロが真っ先に入る。
ファルステールも続いて入室。
前後ある座席の内、チェーロは後部。ファルステールは前部にそれぞれ着座する。
複座式の操縦室は一人乗りに比べると狭く(この広さが本来なのだが、単座に慣れているためそう感じる)、操縦席と接続されているヘルメットを被ると圧迫感が増す。
ファルステールが座す前部の役割は機体操縦であり、後座のチェーロの役割は情報分析と機体制御補佐。
この分担は、彼女が後座の方が得意ということですんなり決まった。
「訓練はしてるとはいえ、やっぱ奇妙な感覚だな……」
「この思考の概括?」
苦笑いをしながらファルステールは頷く。
「ファルにゃんの思考も分かっちゃうかもねぇ」
「俺は今、あんたがしょうもないことを想像していることは分かるよ」
「さすが『浄玻璃の鏡』」
〈魔法少女〉の操縦空間――『浄玻璃の鏡』では互いの思考が擦り合わせられ、自然と最良の解答が思いつく。
なんの違和感もなく。その付加として思考を共有するのだ。
疑似〈魔法少女〉である〈ファルサコロソ〉の操縦席もそれを、人工技術で模倣している。
この部屋そのものが脳波を受け取り解析するデバイスであり、補助電脳が導き出した最善を操縦席と繋がったヘルメットから脳波を受ける。
思考の共有と言っても、〈ファルサコロソ〉では相手の思考が漠然と分かる程度だ。
実機の感触を確かめている間にも〈鬼瓦〉は第八隔壁――最終隔壁が開く。
上下に開閉する様は、まるで口の中にでもいるようだ。
世界との繋がりを隔てるものはなくなり、〈星域〉の外が露わとなる。
「凄い……」
心の底から呟くファルステール。
他の生徒達も同様の反応のようだ。
〈星域〉の外。
眼前に広がる圧倒的な自然。
遍く蒼穹にたなびく純なる白い雲。
緑が繁茂し花々が彩る。
生命が溢れ世界を謳歌する。
そこはまるで、桃源郷。
《では、現時刻を持って訓練を開始する》
――を、一歩一歩〈魔法少女〉達が踏み躙っていく。
かつて、そこに人類が存在していたとは思わせない桃源郷を、破壊しながら進む。
まるで、あてつけだ。
人類がいなければ、世界はこんなにも美しいと皮肉っているのだ。
そんな美の中に、すでに七機の〈魔法少女ファルサコロソ〉が外にいた。
その内の二機は軍関係者のもの。琥珀の庭園星軍の紋章が刻まれ、装備と装飾も学園の六機とは違う。
やはり、この美しい世界において、〈魔法少女〉はあまりにも異質で異常だ。
陽は燦々と輝いているのに、〈魔法少女〉の足元には自らを映す延長はない。
つくづく『拒絶』されているらしい。
陰はあるのだが、〈魔法少女〉自身の魔導装甲が発光しているため。太陽光の恩恵などまるでない。魔導装甲の光でできるはずの影は、当然『拒絶』されている。
《では、七番機。ファルステール・クヴィンデクドリ。チェーロ・オクデクセス。規定訓練を始めて下さい》
「了解しました」
「ました」
共感チャンネルから聞こえるインスラルの指示に対しての各返答だが、チェーロのものは、緊張のあまり前半が出なかった。そうしておこう。
さすがにここまで来て緊張しないわけがない。どんなアホの子でも。
今回の演習の主目的は〈魔法少女〉を、外界で実際に動かす。
それだけ。
だが、最初はそれが上手くいかない。
目標位置に到達した者から軽い戦闘訓練があるものの、ほとんどの生徒はそこまでには至らず、初日の訓練を終了させる。
ちなみに〈星域〉内で訓練をしないのは、それほどの広い場所を確保できないため。
三〇メートルもある巨大なものが、不意にこけたりするのがしょっちゅうあるのだから。
加えて、〈星域〉という限定された空間内において、活用できる土地は少しでも欲しいためそういった施設が作れない。
いくら拡張工事は行われているとはいえ、その拡張率は微々たるものなのだから――そもそも〈ファルサコロソ〉そのものの数に余裕がないのだが。
(シミュレータで訓練しているとはいえ、『拒絶』された世界を拒絶しながら歩行するのは、随分と勝手が違うな)
特に〈ファルサコロソ〉機体の構造上、思考と行動にどこか気持ち悪い差異が生じる。
瞳に映るヴェントの四番機でさえ、動きはどこかぎこちない。
たがしかし、歩くことすらままならない機体がほとんどなのだから、やはり彼の呑み込みは異常なほど早い。
だというのに――
(なんなんだ、本当に……?)
多少の違和感は残るものの、ファルステールはほとんどシミュレータ通りの動きができてしまっていた。
だがそれは彼の才能ではない。操作の際に発生する召喚齟齬の補正を、チェーロが正確に行っているが故。
彼女の動作補助に、躊躇いや戸惑いが見られない。
それこそまるで、何度も外界で操縦したことがあるよう……
(出発前に『全員が出たことを確認してから先生達も出るから、焦らず自分達のペースで動かしていけ』なんてラーフォは言ってたけど、まるで心配ないよな。これだと……)
とはいえ、油断するわけもなく、しばらくは歩くことだけに神経を注ぐ。
やがて〈星域〉が小さくなったところで、あることを思い出し振り返る。
(しまった。〈鬼瓦〉を見るのを忘れた)
小さく舌打ちをする。
ただ帰りもあるのだ。その時に確かめればいいだろう。
割とどうでもいいことだが、気になってしまったので確認せずにはいられなくなっている。
そこから三〇分。
外界の美しい姿を横目に、モニターに表示されるナビゲーションルートをなぞるように歩行する。
チェーロの補正のお陰で進行具合は他を突き放し――それこそヴェントより――、単独トップだ。
背後には当たり前だが、はっきりと〈星域〉が映る。
天を衝かんばかりに広がるそれは、約六〇〇〇万の人口を内包するのだ。ラグナロク大陸と呼ばれていたこの地にいる限り、見えないはずがない。
だからかだろうか。〈星域〉から離れているという感覚が、どうも希薄だ。
「おっ。見えてきたにゃー」
後ろからの気の抜けた報告は、ひとまず情報だけを入れることにした。突っ込むほどの精神的余裕は皆無だ。
〈ファルサコロソ〉のモニターに《瞳》が一つ浮かび、開く。
拡張視覚が捉えたそれは、目的地であるシーフィネハ城跡。
ただ、そこには一片の名残もない。あるのは、かつて人が定めた座標のみ。
「七番機。目的地に到着しました」
ラーフォが乗る〈アクタコヌス〉の共感チャンネルに合わせ、チェーロは報告をする。
《了解。んじゃ、七番機搭乗者、ファルステール・クヴィンデクドリ。チェーロ・オクデクセス。規定訓練を戦争行動に移してくれ》
「了解です」
「了解しました」
今度は真面目に返したチェーロ。
「さて。戦闘訓練開始にゃー」
瞬時に緊張を殺ぐことに関して、この少女を超えるものなどいないだろう。
残念な彼女は無視し、ファルステールは事前に配られていた訓練内容を思い起こす。
記されていたのは、規定位置にあるターゲットに攻撃をするというもの。
二人が乗る〈ファルサコロソ〉の武装は、ファルステールが搭乗時に使用するワンド。
志願書を退出する際に武装をどうするかメールしたところ、『ファルにゃんの得意なもので』と返って来た。
正直、色々と不安だったのだが、彼女の動きを知った今ではむしろ自分が足を引っ張りそうだ。
指定位置に着くと、カラス除けのような的が五つ、〈浮遊〉の魔法陣の欠片を棚引かせながら宙を浮いている。
ファルステールが集中すると、それに倣って〈ファルサコロソ〉もワンドを構えた。
〈魔法少女〉の操縦というものは、正確に言えば操縦ではなく召喚。
両の掌に握っている操縦桿は人の意志を〈魔法少女〉に送るデバイスであり、これを右や左に動かして操縦するわけではない。
「天弓連撃!」
〈衝撃〉の魔法陣は、敵を射抜く形に。
五つの光線は望むまま、各々弧を描きながら的へ伸びる。
全ては一瞬。着弾の確認は土煙や破壊音より、共感チャンネルの方が早かった。目視はまだできないが、全弾命中の結果はもう知った。
あっさりと訓練は成功。
あまりのことに、思わず拍子抜けしてしまう。
モニターに次々と展開される戦闘訓練結果の詳細。
その数値はどれも、シミュレータよりも向上していた――ただし、数値の横に記されている、赤字の補正値を合算させたものではあるが。
(本当に、何者なんだ?)
結果値を見るに、独りで訓練をしたらよくて二発着弾といったところだろう。
「訓練はこれで終了だにゃー」
「あんたまさか、今の発言を〈アクタコヌス〉に送信してねぇだろうな?」
「もちろん。繋がったままだから、当然送られてるにゃー」
「もう少し真面目に報告しろ!」
《了解したにゃー。ファルにゃんとチェーロはハイル先生が到着後に帰還するにゃー》
「……先生、歳を考えて下さい――ギリギリ痛いですよ?」
《口は災いの元だってことを、戻ったらみっちりと教え込んでやるから覚えてろにゃー》
「……分かりましただにゃー……」
力なく呟くファルステール。
だが後悔はない。
時に人は、我が身を犠牲に払ってでも間違いを正さなければならないのだから。
訓練の全工程を終了したからか、ファルステールにどこか余裕が出てくる。
少し休憩したあとで戻っても大丈夫だろう。
(ルノさんは大丈夫かな?)
一帯を見渡しながら思う。
数体の〈魔法少女〉が到着し、各々の訓練を始めようとしている。
その中にはやはりと言うべきか、ルノの十六番機の姿はなかった。
「あっ、そうそう」
「なんだよ?」
「言わなきゃ分かんにゃいか……」
はぁ、とチェーロはため息一つ。
ファルステールは彼女に呆れられることに小さく屈辱を覚えた。
「ファルにゃんが一途なのは分かったけど、こんな時はるーのんのことじゃなくて自分のことを心配した方がいいよ?」
「なっ――!?」
驚きのあまり、勢いたっぷりに振り返る。
いくら思考の概括を行っているとはいえ、〈ファルサコロソ〉では心理まで読み取ることはできないはずだ。
だがチェーロはそれこそ、心の内を読み透かしたかのように返した。
「心なんて読まなくても、その背中と雰囲気で丸分かりだよ」
何も言えず、ファルステールが正面へと向き直すしかない。
そんな少し小さくなった彼の背中を見、決して気づかれぬようにチェーロは口にする。
「あと、ボクのこともね」
――去来した胸の中の寂しさは、果たしてファルステールに伝わってしまっただろうか?
チェーロはほんの小さな期待をしてみた。




