4.嬉しく楽しい昼休み
――遥か遠くから。
確かにそれが届いた……
届いた……
届いた……
ここにいる全てが、形のないそれに感応した。
が、唯一、届いたのは自分であろう。
何せそれは、自分に向けられていたのだから。
また同時に自分は数少ない、それを捉え、汲み取ることのできる存在なのだから。
誰か、が……
――首を傾げる。
誰が、何故、呼んた?
自分が、何故、呼ばれた?
分からない。
が、それは些末なことだ。
自分が呼ばれたのだから、当然その元へ向かべきだ。
特別、頭を抱えることでもない。
瞑目する。
再び脳裏に過る、届いたそれ。
不思議なことに、胸の中央で何かが広がる。
何かが体内に侵入したのだろうか。
触ろうとするが、肉体の壁に阻まれる。
その障害など構わずに自らの手を胸へと進める。水面のように波紋を広げながら、腕が胸中に入っていく。
探るが、何かが入った様子はない。身体中を引っ掻き回すが、特に変わったものはない。
腕を入れたまま、再び首を傾げる。
届いたそれを思い起こすと、やはり胸の中で何かが広がる。
分からぬが、やはり瑣末なことだ。
自分はただ、呼んだ元へ行けばいい。
眼前に広がる、世界。
そこに点在する、星。
〈星域〉と名づけられた、それ。
その内の一つ。届けられた方を向く。
距離など関係ない。
光は自分と同じ存在。視覚にいくらでも入れられる。
距離など関係ない。
時空は自分と同等の存在。数秒先には目の前にいる。
{何故、呼ぶ?}
何一つ、答えない。
応えない。
堪えない。
当たり前だ。
木々や動植物。空や大地が、人間を理解することなどない。
ここに在る全てが、感応したそれに様々な形で何かを起こそうとしている。
ただ、そこに意味を見出し、実行に移せるのは、やはり自分しかいない。
他のみなは耐え切れずに動くだけ。
対し、自分は己の意思で、ゆっくりと歩を進めた。
と、同時に。
『終わり』もまた一歩、そのあとに続いた。
◇◆◇◆◇◆
「ういっす。ファルにゃん」
頬杖をつき、半眼で目の前に立つ者を見上げる。
いたのはチェーロ。仁王立ちで、腰に手を当てていた。
「青春と言えば何? そう、屋上での食事」
「俺に考えさせようとはしないわけね」
ため息を吐くが、どういうわけかチェーロの耳には入っていない様子。
恐らく、無性に疲れ果てたこの態度も見えていないのだろう。
「せっかくボク達の手で掃除してるんだよ? 有効活用しなきゃ」
やはりというべきか。こちらに答えさせぬまま、二の腕を掴まれ強引に連行される。
教室内の少々周りに目が気になったが、説明する間もなく廊下へ。
そんな中、瞳の端にルノの横顔が映った。
「るーのんとヴェントくんも一緒に行こー」
「るーのん?」
聞き慣れぬ単語にファルステールが反芻すると、その答えは、
「ちぇーが私につけたあだ名だよ」
なんと、ルノから返って来た。
『ねー』なんてチェーロと声を揃えたことから、『ちぇー』という単語はチェーロを表しているようだ。
授業や休み時間の間で仲がよくなったのだろう。
と、そんな仲睦まじい二人の後ろを歩くヴェントが、割と残念そうに呟く。
「僕にはないの?」
「残念だけどヴェントくんの場合は、ファンの女の子達への配慮と同時に、極力敵を作らない対策を取らなきゃいけないでごんすよ」
「なんか、そういう理由でつけてもらえないのは嫌だなー」
「モテるヴェントくんが悪い」
きっぱり断言する彼女に、ファルステールは自然と頷いていた。
「そこをなんとかしてくれないかな? 他の女の子も気を遣ってくれて、昼食誘ってくれないんだよ」
「あれ? いじめられてんの?」
「……あれ? もしかして、そうなのかな……?」
ゆっくりと俯き始めるヴェント。笑顔が徐々に陰り出す。
「いや、不安がるなよ? 女の子に誘われねぇのが普通だ。男達でむさ苦しく食ってるいつもが正常なんだ」
思わず、ファルステールが半眼で突っ込む。
「まぁ、ヴェント君はどうでもいいんだけどさ――」
「酷くない、ルノ?」
ヴェントの訴えを完全に無視し、ルノが続ける。
「――ちぇー。そもそも屋上って行っていいの?」
「ふふっ。ラーフォちゃんに事前に許可は取ってるよ――と、いうわけで。いざ参ろうぞ」
それからはルノがこの学園ツィトロン、チェーロが学園グリズのことを互いに話し合う。なんだかんだでヴェントもついて来ている。
途中、学食によってルノ以外の三人は昼食を買い、屋上へと向かった。
「ごごごごごぉぉぉ!」
チェーロのなんか頭の悪そうな効果音とともに、鉄扉が開く。
ただ、重い扉を開いたのはファルステールとヴェントだ。
屋上に着いたからといっても、何があるわけではない。
椅子どころか代わりになるようなものすらないため、仕方なく地べたに直に座る。
昼食を取るという当たり障りのないことなのだが、ファルステールにとっては幸運極まりない。
ルノと会話ができ、かつ彼女の手作りのおかずを数品食べることさえできた。
昼食を終えても、そのまま自然と会話が続く。
ふと意識した優しく撫でる風は少し暖かい。このまま昼寝をしても、風邪は引かないだろう。
隣にいる少女のように、臍を出して寝転がってはいない限り。
上へ視線を向ければ、雲一つない青々とした空が広がる。
それはその先に、天蓋があるということを忘れさせるほどのものだった。
〈星域〉内の天候や光などは全て、世界側から〈星域〉へ干渉してくるものをリアルタイムで模倣している。
ただし、災害回避や外界の『拒絶』率(時間の大幅なずれなど)が高過ぎる時などは、気候を人為的に変化させることもあるが。
(明日は本物の空を見ることになるんだな)
俄かにざわつく胸中。
不安が滲み出るとほぼ同時だった。
こちらの感情などお構いなしの声が上がったのは。
「よし! 決めた!」
むくっ、と起き上がるチェーロ。
「このあとは明日の説明くらいで、もう授業はないでしょ? だから、三人に遊びに連れてってもらう!」
「おいおい! なんのための半日授業だと思ってんだよ?」
「だって、このまま寮に戻っても明日のことで緊張し続けるだけでしょ? みんな気張ってんだからなおさらね――ならさ、少しでも忘れたいじゃん」
「だからってな……」
「私は賛成かな?」
「ルノさん!?」
遠慮がちに片手をルノに、ファルステールは目を丸くする。
どちらかといえば、真面目な人間の彼女の口からそんなことが出るなどとは全く持って想像していなかった。
チェーロの毒に冒されつつあるのか?
「ということで、僕も賛成」
にやにやと楽しそうに手を上げるヴェント。
ひとまず、気を使ってくれたということにしておく。
結果、孤立するファルステールにチェーロが半眼を向ける。
「うわ~。まさか、ファルにゃんって空気読めない子?」
「そっくりそのまま返してやりたいところだけど。まぁ、俺も付き合うよ」
観念するように手を挙げる。
それに、彼女の言い分にも一理あると思えたから。
明日のことで緊張して疲れるよりも、気晴らしに遊んだ方がずっとマシだ。
それになにより、ルノと出かけられるのは素直に嬉しい。
(もしタイミングさえ合えば……)
勇気を出してみようと、ファルステールは小さく思う。
心の内を明かさずとも、せめて明日の訓練のパートナーを誘うだけでも。
ほとんど告白ではあるが、それでも好きだというよりはずっと気が楽だし、誤魔化せるかもしれない。
自らの恋心らの逃避なんて、情けないにもほどがあるが。
そのパートナーの決定報告を提出する締め切りが、今日の五時。
ちらりと本校舎にある十三の時計塔を見る。
琥珀の庭園は現在、十二時三五分。
残りは四時間ちょっと……




