表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
Virtue and Vice  作者:
第二章 魔法使いの宿命
9/22

2-5

 駅を抜けてロータリーに出ても怪人が現れるわけでもない。何事もなく学校に着く。教室が近付くと結人は急に憂鬱になった。ここで引き返すわけにもいかないのだと自分を奮い立たせようとした瞬間、肩が叩かれ、結人は振り返る。そして、固まった。

「おはよ、結人君」

 太陽よりもずっと眩しい笑顔を浮かべるのは優愛だった。今日も変わらず彼女は明るく元気だ。やはり何かの間違いだったのではないかと思う心と同時に体はひどい寒気を感じている。

 人が一人、この世界から消し去られて、その手を下したのが姉であっても、彼女は笑っていられるのだ。

 校内で美人と有名な彼女とその姉が凶悪な魔女であるのは誰も知らないことだ。たとえ、結人が吹聴しても誰も信じない。頭がおかしいのだと言われるだけだ。世界はきっと彼女達に味方する。

 憤りも感じる。どうして、希織が笑わないのに、きっと優愛のせいで笑えなくなったのに、彼女は笑っていられるのか、と。

 結局、優愛は何も匂わせることなく、いつも通りに接触してきた。校内に怪人が現れることもない。

 しかし、昼休みに接触してきたのは莉愛の方だった。逃げることを彼女は許してくれなかった。周りからはひどく羨ましがられたが、良いことではないのだ。


 莉愛に連れて行かれたのは茶道部の部室の前だった。結人の記憶では彼女に関わりのないような気がしたが、心を読んだように莉愛が笑う。

「友達が部長で快く貸してくれたのよ」

 可愛らしいキーホルダーの付けられたそれを彼女はちらつかせる。そうして鍵を開けると「さあ、入って」と結人の背中を押した。

「そんなに緊張しなくても取って食いはしないわよ」

 悠々と莉愛は笑う。支配者を思わせる笑みは、いつでもそれができるということでもある気がした。

「話って何ですか?」

 声が強ばるのも無理はなかった。彼女は敵であり、魔女。自分に何かするのも容易いと考えられるのだ。結人も危機感は持っている。

「まあまあ、座りなさいよ」

「嫌です」

「言うこと聞かせる方法があるって言ったでしょ?」

 そうなのだ。結人は彼女を拒絶できなかった。優愛にしてもそうだ。周りが彼女を支持する以上、下手な態度はとれない。皆の前で彼女に恥をかかせようものなら、即座に結人の居場所はなくなるかもしれない。その上、先手とばかりに耳元で囁かれたのだ。

「無理矢理、あなたの心を奪うことだってできるのに、しないであげてるんだから感謝してほしいわ」

 莉愛が蠱惑的な眼差しを向けてきて結人はたじろぐ。

 話を聞かなければ解放されることもないのだろう。結人は諦めて彼女とは距離をとって座ることにした。

「あなたに力を貸してあげるわ」

 莉愛はそう切り出してきた。力とは魔女の力、即ち悪の力だと結人は認識する。だから即答する。

「必要ありません」

「あたしはあなたに協力してあげたいだけよ」

「結構です」

 協力などとどの口が言うかと、思い付く限りの罵声を浴びせたいほどだった。

 彼女は昨日結人の前で伊万里を消しているのだ。

 焦っていると伊万里は言った。だから、彼女を消して、この行動に意味があるのかと考えてみても結人にわかることなど高がしれていた。

 けれど、莉愛が結人に協力する理由など思い浮かばない。

「あの子……久慈希織を手に入れたいでしょう?」

 莉愛は胸中を見抜いていると言わんばかりだった。

「そんなこと思ってません」

 結人は首を横に振る。希織がほしくて友達になったわけではない。下心などありはしない。それは断言できるはずだった。

 彼女を手に入れてどうなると言うのだろう。彼女達の運命はどうなるというのか。

「あの子をこの運命から解放することができる」

「本当、ですか……?」

 そんな方法が存在するのだろうか。甘言に惑わされてはいけないと言い聞かせても、ひどく魅力的なことに聞こえてしまった。

 もし、彼女がこれ以上戦わず、傷付かずにいられるのなら、と思わずにはいられないのだ。目の前で伊万里を失ったからこそ余計なのかもしれない。

「ええ、そうして、あなただけのものにできる。あなただけの希織。素敵だと思わない?」

 艶やかな唇が笑みを作る。赤い舌が這うのが妙に印象的だ。蛇のように見入られそうになる。

「いいえ」

 答えは簡単だった。魅力を感じない誘惑なのだ。結局のところ、彼女は何もわかっていないのだと白々しく感じる。劣情を抱いて彼女と関わっているわけではないのだ。

「残念だわ。でも、見逃してなんかあげない。だって、あの子を追い詰めるのにこれ以上ない餌だもの」

 伊万里が黒い蛇だったならば莉愛は白い蛇だろうか。そんな風に感じるくらいに何かが絡み付いてくるようだ。気のせいではないのかもしれない。

「それとも、やっぱりあたしのモノになる?」

 それは蛇ではなく、もっと獣じみたものだった。リボンを弛め、ボタンを外しながら雌豹の如く這い寄ってくる莉愛から逃れる術を結人は持ち合わせていない。

「優愛の方が好みかしら?」

 しなやかな指が這わされるのは二度目だが、あの時とは状況が異なる。

 なぜ、こんなことになっているのか、結人にはまるで理解できない。言葉も出ない。

 背中に感じる畳の感触のようなどうでもいいことに意識が飛ぶのは現実を見たくないからなのか。畳と莉愛の間に挟まれて結人は身動きが取れずにいた。あと少しで唇が触れるところまできている。

 顔の脇に覆いのように垂れる髪がくすぐったい。

 体にかかる重みは心地よくも感じてしまう。何よりも胸に押し付けられる柔らかさのせいか、見事な谷間が露わになっているせいか。

 それとも、脳髄を痺れさせる香りのせいか。もう脳はドロドロに溶けてしまっているのかもしれない。

 めくるめく官能の世界へと旅立ちたがっている。本能に忠実になれと囁きかける声が聞こえる。己の欲望の声か。

 莉愛の唇が近付いてくる。結人は自分がゴクリと唾を飲み込む音がやけに大きく響いた気がした。もう身を任せてしまおうと諦めていた。

 けれど、夢は覚める。

「なんてね、いかがわしいことに使ったなんて言ったら怒られるわ。あたし、信用あるもの」

 体を起き上がらせて、莉愛はクスクスと笑う。からかわれたらしい。あるいは、試されたのか。

「あなたじゃ希織は守れないわ」

 突き付けられる言葉に結人は反論もできない。その通りだということは既に痛感している。

「だって、あの子はあたし達がなぶり殺すって決めたもの」

 残酷さを隠しもせず、莉愛は言う。二人がかりで伊万里よりも凄惨な最後を彼女に贈ると言うのか。

「どうして……希織ちゃんが何をしたっていうんですか?」

「それは優愛に聞いてみたら? あたしは使命として魔女を倒すだけよ。ううん、あれはもう悪魔ね」

 クスクスと莉愛は笑みを浮かべている。確かに希織の対は優愛であって、彼女の対は伊万里だった。伊万里がいなくなっても、彼女は存在する。

「あなたがいたから伊万里さんはああなったんじゃないんですか?」

「可愛そうな子。魔女達に騙されて……伊万里がああなったから私が彼女を倒す使命を背負わされたのよ」

 心底哀れむような目の奥にはやはり冷たさしか感じられなかった。

「優愛も希織のせいで辛い思いをしてる。いっそ、あなたが彼女にとどめを刺してあげたら?」

 希織を殺す。そんなのは考えられないことだった。だが、逆に考えるとして優愛を手にかけることもできない。

「それが優しさだと思うわ。だって、あの子は本来生きていてはいけない子だもの」

 もうこれ以上彼女の言葉を聞いていられない。結人は茶道室を飛び出していた。



 放課後、結人は図書館へと向かう。希織は既に待っていた。

 悄然と所在なげにベンチに座って足をブラブラさせている。

 弱り果てている。そんな姿に近付いてもどう声をかけていいか結人は思案する。だが、口を開くよりも先に希織が顔を上げた。

「伊万里がいなくなっちゃったの……」

 大きな目いっぱいに悲しみを溜めている。憔悴しきった表情だ。それだけ彼女にとっての伊万里の存在の大きさを窺わせるものだ。

 立ち上がる希織がふらついて結人は慌てて支える。昨日はちゃんと眠れたのか、食事は取ったか、そんなことは聞くまでもないだろう。

 やはり彼女は脆い。散り際の伊万里の言葉が思い起こされる。その意味が今わかった気がした。

 戦いに関しては自分よりも強いと言った。しかしながら、彼女の心は誰よりも弱いのかもしれない。

 無言のまま希織に促されて、結人は後に続く。

 図書館に入って希織は過去の新聞を持ってきた。細い指が指さすところにその記事があった。中学生が学校の桜の木の下で首を吊って自殺したというものである。

「これ、伊万里さん……?」

 希織は何も言わずに頷く。本来の彼女の死因なのだろう。生きていることの方がおかしかったのだとそう思わされる。

 希織にとって確かに伊万里は生きていた。それが嘘になった。

「これから、みんなで伊万里の追悼式をするの」

 黙って図書館を出てやっと希織が口を開いた。それでも、まだ何かを我慢しているようである。

「もう伊万里の葬式は終わってるし、生きていたことになっていたことを他の人達は知らない」

 彼女が死んだ当時、葬式が行われたことになっているのだろう。単に希織達がその世界の流れに逆らってきただけで元通りになったとも言える。

「結人君も来てくれる……?」

 縋るような眼差しにはっとして結人はすぐには返事をできなかった。必要とされているという愉悦があったのかもしれない。

「結人君は伊万里を知ってるから。伊万里も喜ぶと思うから」

 結人は伊万里を覚えている。たった数日であるが、彼女は確かにそこにいたと言える。結人もまた世界の流れに逆らっている。いずれ忘れてしまうのかと思う。けれど、まだ覚えているのだ。だから、頷いていた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ