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Virtue and Vice  作者:
第二章 魔法使いの宿命
8/22

2-4

「間に合わなかった……」

 元の姿に戻って、ガクリとその場にくずおれる希織の体を抱き留めるのは結人ではなかった。

 結人にはそれがスローモーションのようだった。何もできずに彼女を見ていて、急に現れたその人物に驚くばかりだ。

「希織」

 甘く優しい声が彼女を呼ぶ。すらりと背の高い男だ。穏やかそうな雰囲気で大きな手が希織の頭を撫でる。彼女が安心したように見えたのは気のせいではないのだろう。

 自分がそうしたかったのに、と思ってしまうのを結人は止められなかった。絶対的な敗北感を覚えている。それは嫉妬か。

 そんな気分になるのはおかしいと自分を叱咤してもどうにもならない。心の片隅に存在するその感情を追い出せない。

「ゆず……! 伊万里が、伊万里が……!」

 希織が彼の腕の中で咽び泣く。誰も気にとめない。世界は彼女に優しくない。何もかもが冷酷だ。慈悲など存在しない。

「これからは俺が君の側にいるよ。大丈夫。一緒に乗り越えよう?」

 聞く者をとろけさせるような言葉だった。そのまま希織は彼に体を預けるように気を失ったらしかった。

 そして、男が結人を見る。雰囲気で察していたが、イケメンだと結人は衝撃を受けた。背は百八十ほどあるのではないか、すらりとスタイルが良く、顔も小さい。何よりその顔が整っているのだ。

 自分とは雲泥の差だと元々大してあったわけでもない自信が打ち砕かれるくらい結人は彼の容姿に劣等感を覚えた。

 彼はとても完璧に見えた。異性の好意を一身に受けるどころか、同性にとっても羨望の的のはずだ。希織をその腕に抱いて、王子様のようでもある。

 歳はそう変わらないのだろうと思うものの、おしゃれな私服姿であるのは大学生だからだろうか。

「正木結人君、でいいのかな?」

「は、はい……」

 ゆっくりと近付いてきた彼の口から確かめるように自分の名前が出たことに結人は驚いて彼を見上げる。

 この美男と彼女達の関係は何だろうか。

「そう警戒しないでよ。伊万里から聞いているんだ」

「はぁ……」

「俺は譲原謙(ゆずりはらゆずる)。上から読んでも下から読んでもじゃないからね」

 謙はニコリとするが、結人は愛想笑いも返せなかった。警戒するなと言われても無理な話だ。

「俺も魔法使いでね」

「えっ……」

「女の子しかいないと思った? 残念、俺がいるよ」

 彼は特に女性的というわけでもない。

 たまたま出会ったのが女性だけだったというだけで、女しかいないと思うのは偏見か。魔女という言い方をしていたのは相手と彼女達に対してであり、自分達のことは魔法使いという言い方をしていた。伊万里は謙のことを言わなかったし、言う必要もなかったのかもしれない。

「まあ、紫の魔女を見ただろう? あれの対なんだよ、俺は」

 一瞬だが、結人は昨日大平姉妹を助けに入った紫の魔女の姿を見ている。そして、魔女がいれば対の魔法使いがいる。敵の数はわかっていて、その顔もわかっている。だから、結人は彼に疑いを持たなかった。

 何より希織に向ける眼差しが本当に彼女を大事に思っているとわかるのだ。見せ付けられているのではないかと思うほどに。希織は彼をどう思っているのだろう。そんな風にさえ考えてしまう。

 きっと心を許しているのだ。縋りついて泣けるくらいには。

「どこかで見たような……」

 じっと謙の顔を見て、結人は見覚えがあるような気がしていた。優愛と莉愛のことについて目を背けていたが、それとは意味が異なっている。

「あ、俺、一応、モデルだから。ドラマにもちょい役で出させてもらったことあるよ」

「えっ……」

 驚いて結人はまじまじと謙を見る。譲原謙、その名前を頭の中で繰り返してみても、はっきりと思い出せるわけでもなかったが。

「何? 俺のファン?」

「いえ、どうりでイケメンだと思って……」

「嬉しいな。君もなかなかだと思うけどね」

 嫌みのつもりはないだろう。しかし、結人の心の中に靄を作り出す。

 胸の内に小さな黒いシミができたのを感じる。容姿のことを言われたからではない。コンプレックスに思ってもどうにもならないことはあるし、舞い上がるほどお幸せではない。そんなことではないのだ。

「少なくとも伊万里は君のこと、高く評価していたみたいだよ」

 伊万里は自分のことを何と言っていたのだろうか。気になってももう本人に聞くことは叶わない。

 目の前で彼女は消えてしまったというのに、実感が沸かないのだ。自分でも冷たいことだとは結人も思う。けれども、彼女とはほんの数日前に出会った関係でほとんど何も知らないのだ。

 今まで全ては何事もなくなっていた。だから、彼女も戻ってくるのではないか。明るかった彼女のことだ。ニカッと笑って目の前に現れそうなのだ。

 全て悪い夢、幻覚だったようでさえある。もうどこからが現実で、どこまでが夢なのか曖昧だ。どうしようもない現実の全てだとわかっているはずなのに、逃避しようとする心がそうさせる。

 しかし、希織の方が辛いに決まっているのだ。彼女の喪失感は計り知れない。

 彼女を失って世界はどうなるのだろう。死ななかったことになっていたのが生きていなかったことになって、彼女の痕跡などなくなってしまうのか。そもそも、彼女達の存在感そのものが希薄であるのはそのためか。そこで結人は気付く。

「あれ……認識されにくいんですよね?」

 モデルとは目立つ仕事のはずである。不思議なものだと結人は首を傾げる。

「そうそう、だから俺もすっかり落ち目だよ。モデルになった当時は魔法使いじゃなかったから騒がれたけどね。まあ、ちょっとした仕事でも貰えれば嬉しいよ。いてもいなくてもわからないような役でも」

 なるほど、と結人は納得する。

「さて、そろそろいいかな? 希織を休ませてあげないとね」

 少し話が長くなってしまったようだ。彼の腕の中の希織は安全なところにいると言えるだろう。無防備に眠っている。しかし、安らかな寝顔というには顔色が悪く幾筋もの涙の痕跡が痛々しい。

「この子のことは任せて。大丈夫、何もしないと誓うよ。俺にとってもこの子は妹……ううん、みんなにとってそうなんだ。末っ子だからね」

 自分に何ができるわけでもない。結人は彼に預けるのが最良であると判断した。その言葉に偽りはないだろう。そうするべきなのだと言い聞かせる。

「君もちゃんと休みなよ? 何もしてないと思うだろうけど、精神的にくるものがあるだろうし、そういうところに付け込まれるからね」

 謙の忠告に結人は素直に頷くしかなかった。彼の言うことは尤もだろう。

 大平姉妹が敵であることが結人の頭上に暗雲をもたらすのだ。莉愛はともかく優愛とはクラスメイトで隣の席で、毎日顔を合わせる。明日、どんな顔で会えばいいのかもわからない。



 その夜、結人ははやりかけのゲームに手を着ける気にもなれなかった。そんな気分になれるはずもない。作り物の物語にはもう興味を持てなかった。結末へ向かっていたはずなのに、もうどうでも良かった。虚しく思うばかりだ。現実はゲームなどよりもずっと残酷すぎた。

 すやすやと眠れるわけもない。けれども、朝はくる。どんな日でも必ず訪れるものだ。それが救いであり、残酷でもある。

 悶々とする内に結人は寝ていた。謙が言ったように精神的には疲れていたのだろう。

 眩しい朝日は非情なほどで、伊万里を焼き尽くした光を思い出してしまう。夢を覚えていないからこそ、昨日の出来事が夢であることを強く願ってしまう。しかし、そうするほどにあれが夢ではないのだと奇妙な実感が沸き起こるのだ。

 絶望と言うには結人はやはり自分が部外者であることを思い知る。失意のどん底にいるとは言えない。始まりから今に至るまでずっと非現実的な夢のような世界を漂っているかのようだ。

 伊万里のことだけでなく、全てが夢であればいいのかもしれない。希織と出会ったことさえなかったことになれば……。

 そこまで考えて結人は頭を振った。彼女のことを嘘にはしたくなかった。自分は彼女の友人である。そうあろうとする思いがなかったことにはさせない。

 何ができるかもわからず、むしろ状況を悪くするだけのように思えても立ち向かうしかない。彼女達がどう出るか確かめなければならないとも思っていた。あるいは、彼女達に付け入る隙を見つけられたなら、少しは希織の力になれるかもしれない。

 謙のことを思い返せば結人は自分にできることなど何もないのだと言われているような気にさえなった。彼のことを考えてしまうと少し暗い気持ちになる。だから、できるだけ考えないようにしようと努めていた。

 希織からメールが来たのは結人が家を出る頃のことだった。放課後、用事がなければ図書館に来てほしいと言うことと大平姉妹に気を付けろということが簡潔に書かれていた。姉妹の名前を出したのは最早隠す必要もないからだろう。

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