2-2
外に出れば、目の前に魔女がいた。
「よお、あんたらと仲良くお茶する趣味はないぜ?」
伊万里は挑発的に笑ったのだろうか。結人は希織の隣で彼女の肩越しに彼女達を見ることしかできない。
そう彼女達――魔女は二人だった。昨日結人も見た紅白の魔女ともう一人、白とミントカラーのワンピースを纏った少女がいる。髪もウェーブのかかったパステルグリーンだ。
「でも、覚悟を決めて殺されに来たって言うなら、それは歓迎してやるぜ? いつでもどこでもウェルカムってやつだな」
更なる伊万里の挑発にどちらも何も言わず、同じタイミングで艶然と笑む。それはリアルとアンリアルが交錯する瞬間だったか、あるいは既に始まっていたのか。
二人目の魔女にも見覚えがあると思いながらも、結人の頭の中で繋がることはなかった。
突如、閃光が走り、眩しさに目を閉じる。
目を開けた時にはもう戦いは始まっていた。黒い姿へと変身した伊万里と希織が相手しているのは白い怪人が二体である。あの魔女二人のシモベであるのだろう。そして、彼女達の姿は向かいの建物の屋上にあった。
白と赤の魔女が縁に座り、足をブラブラとさせているらしい。白とミント色の方は傍らに立っている。どちらも危なげない。
おそらく伊万里は彼女達の気配を感じたのだろう。そして、店内での戦闘を避けるために急いで外に出たのだ。後々、何事もなくなるとは言っても、狭い上に障害物の多い店内では彼女達も戦いにくいだろう。何せ、伊万里は今日も第三の手のように鞭を自在に操り、希織も火力全開といった風だ。
こうしている時、世界は二つに別れているのではないかと結人は考えてしまう。世界が切り離されている。そう思えば、腑に落ちる気がしたのだ。自分だけが魔女とシモベ、魔法使いと共にそちらの世界に行くからこそ、元の世界に戻った時、不思議な感覚を覚えるのだと。
「ふふっ」
不意に笑い声が結人の耳を打つ。そして、鼻腔を擽るのはどこか官能的な香りである。
「騙されちゃダメよ、坊や」
声ははっきりとすぐ近くで聞こえた。肩に何かが触れている。目線だけを動かして、結人は背筋が凍り付く思いだった。動くことができなかったのだ。
ミント色の魔女が結人の隣に立っていた。怪人の攻撃を弾いて振り返った希織は気付いたのだろう。
「離れろ、汚らわしい魔女め!」
敵意を剥き出しに荒々しく希織が叫ぶ。彼女の手の上で炎が激しく揺れている。
「汚らわしいのはそっちじゃないの。男を誑かして」
魔女は悠々と結人の腕をとる。
誘惑されているように感じるのは気のせいか。結人はどぎまぎしていた。
白とミントグリーンの魔女は清楚なようで、そうではない。近くで見れば目のやり場に困るのだ。
胸の部分はチューブトップのようになっていて、豊満な膨らみを強調するようになっている。尚且つ彼女が腕に押し当ててくるのだ。
「あんた達がしでかしたことを忘れたとは言わせないよ!」
この前と同じように二体の怪人を同時に相手にしながら伊万里が叫ぶ。
だが、腕が解放されたかと思えば、しなやかな指が結人の頬に這わされていた。顔がそちらを向かされて結人はごくりと唾を飲み込んだ。魔女の顔がすぐ近くにある。自分を見上げている。
「でも、ほしくなるのもわかるわ」
魔女は舌なめずりする。少女らしい服装と裏腹にひどく妖艶でアンバランスさを感じる。まるで蛇のように絡みついてくる。蛇に見込まれた蛙のように結人は何もできない。悲しいかな男としての本能が彼女に食べられてもいいと思ってしまっているのを否定できない。甘美な匂いに酔わされたように自分の中に浮かぶ欲を振り払うことができない。
「離れて!」
希織が悲鳴のように鋭い声をあげ、炎がその足下に落ちるほどの業火へと変わる。地を這い、自分にさえ襲いかかってくるのではないかと結人は恐怖した。
魔女は何食わぬ顔で笑う。その怒りを楽しんでいるかのように。
「あらあら、そんなに怒っちゃって……よっぽどお気に入りなのねぇ」
じろじろと魔女は見回してくる。それこそ本当に舐めるようだ。伊万里よりもずっとねっとりしたものに感じる。本当に舌で味見されているような錯覚を覚えるくらいに何かが結人に張り付いているかのようだった。
そして、これだけ近くで見て声を聞いているのに、一向に結人の頭は朧気な感覚の正体を導き出せない。自身の心が拒否しているのか、思考が妨害されているのか。
「でも、それなら縛り付けておかないと。シモベとしてね。取られても文句は言えないわよ? ううん、まだ誰のモノでもないでしょう?」
魔女の手を振り払えないまま、絡め取られてしまいそうで結人は必死に理性を保とうとする。
「あなた達と一緒にしないで!」
希織は叫ぶが、動かない。動けないのだろう。彼女にとって自分は人質なのだろう。そう考えて結人は消えてしまいたくもなった。
友達だなどと言って自分が彼女を縛っているのだと気付く。足手纏いでしかない。いっそ、切り捨ててもらえればいいのに、彼女にはできないのだろう。それが辛い。
「あたし達は彼らを愛している。そう、だから、あなたが求めるならば愛してあげるわ。あたしのモノにならない?」
肉感的な唇が近付いてくる。あと、ほんの少し、身を乗り出すようにすれば触れられるのではないかと言うほどに近い。むしろ彼女のモノ――シモベに堕ちてしまった方がいいのではないかとさえ思い始める。そうすれば楽になれる気がした。この状況から一刻も早く抜け出したいのだ。自己嫌悪や緊張から解放されたい。
思考回路がドロドロに溶かされてしまったかのように正常に頭が働かない
「戯れ言を……! 自分を守るための使い捨ての道具にしか思ってないくせに!」
「熱くなっちゃって可愛いわね。でも、あなたの相手はあたしじゃないでしょう?」
魔女が笑う。希織の背後にはあの赤と白の魔女が迫っている。結人は声も出せない。
「今日は逃がさない」
そう言い放ったのは希織だった。
急に頭の中がクリアになって彼女が笑ったように見えた気がした。結人が見たいと願ったものではない。ひどく暗い笑みはまるで獲物がかかるのを待っていたかのようである。冷静でないように見えたのは演技なのか。
希織の背中が燃え上がり、まるで大きく広げられた翼のようにも見えた。魔女は後退するが、反応が遅れて少し炎に巻かれたのだろう。ゴロゴロと地面を転がる。
ミントの魔女は助けに入ろうとしたのか、結人を解放して動くが、その体も地に伏した。
「あんたの相手はあたしだろ?」
伊万里さえ劣勢を演じていたかのようだ。先ほどまで怪人と膠着状態だったはずだと結人は思うが、もうその姿がない。
女とは男にとってそれ自体が恐ろしい化け物かもしれないと一人考えてしまうのは現実逃避か。結人はもう自分が何を考えるべきか見失っていた。
燃え盛る炎の翼を広げる希織とぴしゃりと鞭を鳴らす伊万里、お互いの体を支えるようにする二人の魔女、形勢は逆転したと言えるだろう。
「図に乗るな!」
「いや、それはあんた達にこそ言いたいけれど」
このまま決着がつくのか、何とも言えない気持ちで四人を見る。希織の炎の翼がまた龍へと姿を変えようとする。その刹那、無数の光の球が周囲に漂っていた。
「くそっ……邪魔が入ったか」
伊万里が見上げる先に彼女は浮いていた。白と紫のワンピース、パープルの髪に帽子を被り、やはりあまり趣味がいいとは言えない。三人目、最後の魔女か。
増援ではなく、撤退を助けるためのもののようだ。明滅する光に目を開けられない内に三人の姿は消えていた。
そして、また何事もなかったかのように世界は元に戻っている。
魔女を仕留められなかったとは言っても、伊万里はひどく悔しがる素振りを見せるわけでもなかった。しかし、何事か考えているようで深刻な表情である。
そして、彼女はぽんと手を叩いた。
「そうだ、いいこと思い付いた! あんたら、デートしなよ」
真剣に考え込んでいたかと思えば唐突なこの発言である。ビシッと指を突き付けられた希織と結人は顔を見合わせるしかなかった。
「えっ、えーっと……」
「私達、友達だよ?」
ねぇ、と確認する希織に結人は頷く。
友達、とは結人が言い出したことであり、深い意味はないつもりだった。ただ支えとしてあれればいいと思っただけで、それも今は邪魔者でしかないと感じているくらいだ。いっそ、関わるなと言われる方が良いのかもしれない。
「思い出はさ、作れる内に作っておこうぜ」
ニカッと伊万里は笑う。ガシッと両肩を掴まれて結人は困惑する。彼女は真摯な眼差しを向けてくる。
「あたしは嬉しいんだ。あんたが希織の友達になってくれて」
伊万里が希織を純粋に心配しているのがわかる。自分のような思いを彼女にさせたくないというものか。
「悔いのないように生きろって救仁郷の姉御も言ってるし」
一度死に、死ななかったことになり、生きているとは言っても今度こそ本当に死ぬということもあるのだ。救仁郷という人物が言うことも当然なのだろう。たとえ、全て終わった時に記憶を失うとしても今生きているのだから楽しんでも罰が当たる事もないだろう。
「デートつってもさ、別に手ぇ繋いで歩けとか、チューしろとか言ってるんじゃねぇんだし、ちょっとフラっと楽しく遊んで思い出ができりゃあいいのさ」
「そういうことなら、俺は別に構いませんけど……」
人質にされて足を引っ張ることしかできないとわかった今でも必要とされるのなら、結人は友達になるといったことを嘘にするつもりもない。
「よし、早いほうが良いよな。結人、あんた、土曜は暇か?」
「ま、まあ、暇ですけど……」
土曜とは明明後日である。しかし、悲しいかな結人には週末の予定というものがなかった。外に出もせず、ダラダラとゲームをしようかというくらいである。
「そういうことだ、希織。羽根を伸ばしな」
希織の都合など伊万里はお構いなしである。
「希織に変なことしたら承知しねぇから」
念を押すように伊万里が睨み付けてくるものだから、結人は困った。
「い、伊万里……!」
完全に蚊帳の外にされている希織はおろおろするばかりだ。
「しませんって」
結人にとって今の希織は友達であり、それこそ伊万里と同じように妹として見ているくらいだ。
「まあ、いい。デート内容は考えておけよー」
一方的に言い放って伊万里は希織を連れてヒラヒラと手を振って去っていく。その背が寂しげに見えたのは気のせいだろうか。
*