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Virtue and Vice  作者:
第一章 怪人と魔女
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1-4

 希織はぎゅっと胎児のように体を丸めている。どうしたものかと結人はそっと様子を窺うことにした。

 彼女の頭を覆う刺々しい兜はよく見ればドラゴンを模しているらしかった。膝を折って座っているが、短いスカートの下はショートパンツになっているらしい。派手に戦ってもパンツが見えないようになっているのかと分析して結人はその思考を追い出すように頭を振った。

 そんな結人の不躾な視線に気付いているかいないか希織は咎めるわけでもない。再びどうしたものかと結人は頭を掻く。

「生きてる。今、私生きてる……?」

 消え入りそうな声だった。自問だったのだろう。首を垂れた希織は結人を見上げるわけでもない。

 結人は希織の前にしゃがみ込む。

「生きてるよ。だって、こうして。俺の前にいるじゃないか」

 死ななかったことになっていると彼女は言ったが、確かな質量を持って存在する。

 顔を上げて希織は縋るような眼差しを向けてくる。両の手は胸元で何かを握り締めるようにしている。

「魂はどこにあるか知ってる?」

「え?」

「脳? それとも、心臓?」

 結人は答えるどころか何も言えなかった。口を開くことさえできなかった。

 希織ははなから答えなどに期待していなかったのかもしれない。

「手を出して」

 言われるがまま結人は右手を前に出す。

 そっと希織が胸元の手をどければ、ペンダントがそこにあった。

 赤いハート型とは言っても可愛いと感じるようなものとは違う。大ぶりで希織には不似合いなほどハードなデザインで、メインである石は毒々しいほどの赤、鮮烈でありながら深みもあり、揺らめいても見える。吸い込まれそうなほど不思議な輝きを持っていた。

「触れて」

 希織はペンダントを指しているのだろうが、結人は躊躇する。真っ白な胸元に喉がゴクリと鳴った。

「私が触れたらきっと傷付けてしまうから」

 自分の手を見る希織に結人も納得する。彼女の黒い手は鱗のようなものに覆われて硬そうであり、何より鋭い爪を持っている。少しでも触れてしまえば肌が裂けそうだ。

 わかっていても、女の子の胸元に手を伸ばすなどという経験が結人にはない。

 誘われるように手を伸ばし、驚いて結人は引っ込める。冷たいものだと思っていたのに、指先に伝わる温度は驚くほど熱かった。

 希織を見れば、もう一度と瞳が訴えているようで、結人は再び触れる。今度はしっかりと確かめるように。そうすれば更なる驚きがあった。

「鼓動……」

 ペンダントが脈打っているのか、規則正しい拍動を感じる。それを通して心音さえ聞こえるようである。

「ここが今の私の魂のありか。これが壊れれば、今度こそ私は死ぬ」

 そんなに大切なものに触れてしまっていいのか結人は不安になる。あるいはただの人間には壊せないから許すのか。

「一度、私はあの魔女に殺されてる。私達は表と裏、彼女が生まれて私が生まれた。彼女がいて、私がいる」

 表裏一体ということか、二人の間には切っても切れないものがあるのだと結人は受け取った。

「彼女の心が闇に堕ちて、私は地獄に引きずり込まれた。あれは光ではない。光を騙る光の闇……」

 あれは光で自分が闇だと言っていたのは戦いの前だったか。思い返して結人は首を捻る。

「私は私を取り戻すために彼女達と戦わなければいけない」

 自分を取り戻すための戦い、生きるための足掻き、残酷な宿命を背負うには少女は小さい。あまりに繊細なガラス細工のように触れれば崩れてしまいそうなほどに。

「魔女はまだいるの?」

 達と言うからにはあの紅白の魔女だけではないのだろう。

「もう三人になったけど……」

「三人……」

 多いのか少ないのか、結人には判断できかねるところである。

「仲間だって六人いた。お互いに七人。全て対になってる。でも、役目を終えたり、二度目の死を迎えたり……」

 四人の魔女は既に倒せたということか。先程の魔女のような可愛らしい少女が七人もいるのかと結人は想像してみる。まるでアイドルグループだった。

「魔女って言うからもっとこう……なんか魔法少女って感じかな?」

 黒い装束ではない。とんがり帽子を被っているわけでもない。

 素直に感想を口にしてしまったことを結人は後悔させられた。希織の目に涙が浮かんでいた。軽々しく口にするべきことではなかったのだ。

 少なくとも希織は魔女と呼ばれることを嫌悪しているようでもあり、変身した自分の姿を醜いと言っている。

 ほんの些細な違いだと思うのは傍観者でしかない結人だからこそ言える心なき言葉であるのかもしれない。

「私だって、なれるなら、もっとひらひらの服を着た可愛い魔法少女になりたかった。可愛いステッキとかアイテムを持って戦えたなら良かったのに……!」

 希織は黒い霧に包まれ、一瞬にして制服姿に戻っていた。彼女の変身後の姿への嫌悪、拒絶の現れか。

 どれだけ彼女が戦ってきたのかは結人にはわからない。想像を絶するものがあったことだろう。

 白と黒がいて、この場合、白が正義であるという図式が当てはまらない。実際、現場を見た結人にとっては人々を襲う白い怪人を使役する白の魔女が悪だと判断できた。

 一般的な考えとは逆であること。だからこそ、希織は戦いの前に早口であんなことを言ったのだろう。型に当てはめるなということだったのかもしれない。

「あれは光、彼女は善、正義だと言う。でも、汚れた者が白を纏う滑稽さがあなたにわかる?」

 希織は大きな目に涙を浮かべている。それを拭ってやることも震える体を抱き締めることも結人にはできない。

 処女性を表す白、それも彼女にとっては特別な意味を持つのかもしれない。

「確かに彼女達も始めは正義だったのかもしれない。けれど、行き過ぎた。一線を越えてしまった。それでも、正義だと言える? もうそこに心もないのに」

 慈悲、正義、勇気、公平などといった言葉を口にした魔女はひどく傲慢だった。

 結人は時々夜遅くまでやって寝不足になることもある程度にはゲームが好きだ。そういったゲームの世界では正義が暴走することだってある。

 全てにおいての正義などありえない。正義を盲信するあまり悪に落ちることだってある。だから、ある程度は理解したつもりである。

 それは彼女にとって救いではないだろうし、彼女にとってのリアルが結人にとってのアンリアルということでもある。

「光があれば影がある。光が強すぎれば、より深い闇が生まれる。光が全てを奪うことだってある。だって、光がなければ影もないもの」

 白がいなければ黒もいない。魔女がいなければ希織は死ななかった。彼女は光に運命を翻弄され、闇に堕ち、這い上がろうとしている。

「わかるよ。わかる」

 わからないけれど、わかると結人は思う。どこかでは理解しているつもりだ。

「私はその光によって絶望させられた。光によって死に、今、闇によって生かされている。闇は私に優しい。でも、悪じゃない。それとも、弱いことは悪?」

「悪くない。君は弱くないよ。だって、立ち向かう勇気を持ってるじゃないか」

 彼女は強い。単純な力の強さではなく、簡単に折れはしない芯がある。そんな風に結人は考えていた。

 彼女は怪人こそ倒しているが、無闇な破壊をしていない。人を襲ったわけでもない。それらは相手がしたことだ。彼女の炎は怪人だけを焼いた。

「きっと、あなたは魔女の側にいるのね。その影響下に」

「それって……俺の知ってる誰かが魔女かもしれないってこと?」

 言われてみれば結人自身、声や顔に覚えがあると感じていた。

 希織も変身するのだから、あのままの姿でもないのだろう。俄には信じ難いことではある。見た目は可愛らしくも怪人を使役する恐ろしい存在が側にいるとなればぞっとする。それは人々を欺いて生きているのか。

「信じてくれなくていい。あなたは私達みたいにならないで」

 結人の反応は希織に誤解を与えてしまったようだった。結人としては希織が言うことを全面的に信じているつもりなのだ。

「信じるよ。だって、君がこんなにも苦しんでるから。だから、俺は俺の物差しを捨ててみるよ」

 自分の価値観から解放されることは簡単ではない。けれど、忘れられないから向き合おうと思うのだ。

「きっと、俺にできることなんて何もないんだろうけど……」

 何ができるとは思わない。力になるとは無責任なことも言えない。見ていることしかできない。足手纏いになることしかできない。

「それでも、目を逸らすことはできない。したくないんだよ。俺は君が生きていることの証人になる。だから、友達になろう?」

 最後は結人自身もわからない内に零れた言葉だった。

「いや、ほら、愚痴聞き係くらいにはなれると思うからさ」

 言い訳のように結人は続けた。そんなことで彼女の心が軽くなるかは知らないが、思い付くのはその程度のことだ。

 尤も、希織には伊万里がいて、彼女に話せなくて結人には話せるということがあるとも思えないのだが。

「ありがとう、正木君」

 希織の目から涙がボロボロとこぼれ落ちる。そして、結人がありもしないハンカチを探すよりも早く、希織がきちんとアイロンがかけられていたのだろう清潔そうなハンカチを取り出す。

「私、友達いないから、嬉しくて……」

 伊万里は彼女にとって友であって友ではないのだと結人は悟る。

 希織は笑っていた。喜んでくれたと思っていいのかと結人は不思議な気持ちだった。友達になることを彼女も望んでくれるのか、自分を必要としてくれるのかと。

「結人でいいよ、えーっと……希織ちゃんでいいかな?」

 久慈さん、と呼ぶことを通り越しているが、友達になるのだという思いがそうさせた。

 女子と話す機会がそう多いわけでもなく、得意でもない。恋愛経験も少なく、優愛と話すのも慣れたわけではないが、彼女にはそうしたかった。彼女が内気だからこそ、リードしようとするのかもしれない。

「うん、大丈夫。結人君」

 たった一言、名前を呼ばれただけで結人は心臓が大げさに跳ね上がった気がした。優愛にも一方的にそう呼ばれているのに、不思議なものである。

 希織も希織で異性と積極的に接するタイプでもなさそうだ。だからこそ、名前で呼ばれることに抵抗があるのかもしれない。それが大丈夫という言葉に現れているのかもしれない。

「じゃあ、よろしく」

 結人は右手を出す。握手を求めたつもりだったが、希織の方は困惑した表情を見せる。もう腕は普通に戻っているのに逡巡しているのか。

「気持ち悪くないの?」

 じっと希織が見上げてくる。その不安たっぷりの顔を見て結人は思わず吹き出していた。そうすると、今度は希織の表情が不機嫌に変わる。

「ごめんごめん、気分を害したなら謝るよ」

 馬鹿にするつもりなどなかったのだ。敢えて言うならば、可愛いと思った。そんな表情もできるのだと驚いた。先ほどだって笑ったのだ。

 希織は結人の想像を絶するほど辛い思いをして、人を怖がっているのかもしれない。伊万里以外に心を許せる人間がいなかったのではないかとさえ思わされるのだ。

「友達をそんな風に思ったりしない。思ってたら、友達になろうなんて言えないと思うけど、君はどう思う?」

 答えの代わりか躊躇いがちに小さな手が伸ばされて、結人はしっかりと握る。そうして、思わず引き寄せていた。

 前のめりに倒れてくる体を抱き留める。どこもかしこも細く、強く力を込めれば壊してしまいそうで結人の方が怖くなるくらいだった。希織の体が跳ねたのがわかったが、暴れ出すわけでもない。確かめるように細い腕が抱き締め返してくる。

 やましい気持ちなどその時は微塵もなかった。そうすることで彼女が自分の生を実感できるならそれで良かったのだ。

 もう一度、小さな声だがはっきりと「ありがとう」と言った希織の泣き笑いの表情が結人の胸を締め付け、焼き付いて離れそうになかった。

 なぜ、世界はこんなか弱い少女に残酷な運命を強いるのだろう。そして、世界、それは神なのか。

 できることなら、彼女には笑ってほしいと思うのだ。今度は涙のない本当の笑みを見たいと願わずにはいられなかった。たとえ、自分が見ることはないのだとしても、笑える日が訪れればいいのだ。

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