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Virtue and Vice  作者:
第一章 怪人と魔女
2/22

1-2

 いつもより少し遅く学校に着いたところで何かがあるわけでもない。元より結人も遅刻するほどギリギリの電車に乗っているわけでもない。

 そうではないのだ。あれを目撃したのは大勢いたはずだと結人は考える。中には双羽東の生徒も多く含まれるはずだった。それにしては普段と何ら変わりない。誰もあのことを口にしている様子がない。クラスでも同じことだった。どうでもいいような話題が飛び交っている。

 席に着いて、本来ならすぐにここに突っ伏すはずだったのに、と思っても眠気は消えてなくなっている。それだけ衝撃的なことがあったのだ。

「結人君、おはよー」

 明るい声に結人はそちらを見る。隣の席の女子が今日も眩しいばかりの笑顔を見せてくる。

 大平優愛(おおひらゆあ)、クラス一の美少女といって間違いはない。今時の女の子らしく、肩より下くらいのふんわりした髪はブラウンに染められているし、化粧もしているのだろうが、けばけばしいというほどではない。身なりはスカートも短く、健康的な足を惜しげもなく晒しているが、他の女子に比べれば、見苦しくもない。

「お、おはよう……」

 今日もドキドキしながら結人は挨拶を返す。

 幸運にも彼女の隣の席を射止めてしまった時には周りから散々羨ましがられ、妬まれもしたものだ。

 話しかけてもらえるのは単に彼女が話好きで、誰とでもそうすると皆がわかっている。相手をすっかりその気にさせてしまうのだ。

 現在はフリーと言っているからこそ勘違いしてしまう者も多く、日々告白する者も多いと聞く。実際、隣の席になって、結人も彼女の机からラブレターらしきものが出てくるのを何度も目撃している。

 優愛には莉愛(りあ)という姉が一つ上の学年におり、彼女の方も人気が高く、美人姉妹として有名だ。日々、姉派と妹派の議論も耐えない。結人はと言えば隣の席の優愛を支持するわけでもなく、どちらでもない。他に好きな女の子がいるということでもないのだが。

「もー、結人君、朝から暗ーいっ! 月曜なのに」

 小突かれて結人は思わず笑みをこぼしていた。はたから見れば鼻の下が伸びていると言われただろうか。悪くない。全く悪くないのだ。

 自分が特別だと勘違いするほど馬鹿ではないが、クールでもいられない。たとえ、彼女に特別好意を持っているわけではなくとも。

「何かあった?」

 ふわりと甘い香りが鼻腔を擽る。気付けばすぐ側に優愛の顔があり、結人はどぎまぎする。

「う、ううん、何でもない。ちょっと昨日夜更かししちゃって」

「あ、もしかして、ドラマ見てた? あたしもなんだぁ」

 優愛はへらっと笑うが、その目の下にクマはない。ドラマを見ない結人としては返答に困るものだ。

「ごめん……ゲームしてて」

 正直に言っても、優愛は嫌なものを見る目をするわけでもない。

「ゲームかぁ、あたしもなんかやってみたいなぁ。オススメがあったら教えてね」

 これが彼女の良いところであり、男子達の勘違いを助長するところでもあると言える。

 そして、優愛はパンと手を叩く。

「そうだ! 今日、お姉ちゃん達とカラオケ行くんだけど、結人君もどう?」

「い、いや、俺は……」

「あたし、結人君の歌聴いてみたいなぁ」

 優愛の可愛らしいおねだりに結人は身の危険を感じていた。喜んでホイホイとついていく男子は他にもいるだろうに、どうしてここまで自分に構うのか。

 音痴とういうほどでもないと思いたいが、自信があるわけでもない。優愛や姉の莉愛、友達の女子、取り巻きの男子達の前で歌う度胸などあるはずもなく、うまい言い訳を考えるのに脳はフル回転を始める。普段、これだけ回転すれば、もっと勉強もできただろう。

「じゃあ、今度二人っきりで」

 そっと耳元で囁かれて、結人の心臓はビクリと跳ねた。驚いて見れば優愛はニコニコと笑っているが、からかわれているに違いない。そうして、本気にするなと結人は自分に言い聞かせなければならなくなるのである。

 自分さえその気にならなければいいのだ。そうすれば、いつも通りの平和な学園生活である。

 ふと、結人の脳裏にあの少女の姿がよぎる。双羽高校の制服に身を包んでいた彼女は実在するのだろうか。普段は学園生活を送っているのだろうか。

 そもそも、彼女は何者だったのだろうか。かなりの美少女だったと結人は思い返して少し残念な気持ちになる。恐怖の中にいたのに、過ぎ去れば彼女の顔をきちんと見なかったことを後悔してしまうのだ。

 変身し、炎を操った彼女は魔法使いなのか。怪人は魔女と言っていたか。

 しかしながら、怪人も魔女も魔法も現代に存在しないはずのものである。故に存在してはならない。つまり、あれは夢だ。自分の睡魔が作り出した幻影か、そこまでゲームをやりすぎているとは思いたくないものだったが。



 放課後、優愛のカラオケの誘いを回避して、結人は学校を出る。仲の良い友人は部活に励んでいる頃だが、結人は別段体を動かすことが好きではない。だから、一緒にどうだという誘いも全て断っている。助っ人になれるほどの力もない。

 ほどほどの関わりを続けていれば付き合いが悪いと言われることもない。結人は学園生活に特別な何かを望むわけでもなく、平凡であることに満足してもいた。非日常には憧れるだけで十分なのだ。胸にほんの少し夢が宿っていればいいのだ。途方もない夢を抱くこともしない。どれほど大きな夢を持とうと小さな夢で満足してしまうことはわかっている。

 とりあえず、今笑っていられれば、それでいいのかもしれない。

 真っ直ぐ帰るには少し寂しい気分で結人は駅の周辺で寄り道をしようと考える。早々に連れ立って出て行った優愛達にはあまり会いたくないと思いながら、本屋にでも寄ろうとアーケードの方へと進む。

 途中ちらちらと見かける双羽東の制服についつい目がいってしまうのは仕方のないことだろう。あの少女にさえ出会えれば、彼女が現実の者とわかれば心の靄が晴れるはずなのだ。

 そうして探していたからこそ、心が幻覚を造り出したのではないか。雑踏の中に彼女がいた。双羽高校の制服を纏った小さな体はすぐに飲まれて消えてしまいそうだ。

 結人は思わず目を擦るが、確かに少女はそこにいる。後ろ姿だけで確信が持てる。あるいは必然なのか。

 偶然であっても、声をかけないことには何も始まらない。自分から女子に声をかけることを結人は得意とはしていないが、今行くしかないという思いに突き動かされていた。

「あ、あの……」

 少女に近付いて、声をかけようとしたものの、結人は何と言うべきか迷う。そもそも、彼女の名前を知るわけでもない。何も知らない。

 急に恥ずかしくなって、喧噪に掻き消されていればいいと願ったのも束の間、少女が振り返ってしまった。離れることもできないまま、目が合う。

 初めてはっきりと見えた少女の顔はやはり美少女という安易な言葉が浮かぶ。人形のような可愛らしさで、結人は目が離せない。見とれれば、吸い込まれそうな、優愛とはまた違うタイプの美少女だ。

 それぞれのパーツが小振りな中で両の目だけは大きく印象的だった。それが更に見開かれる。

 結人は何を言ったらいいかわからないまま、少女を見ていた。

「キオ? 知り合い? あー、ナンパ?」

 声がして、少女と結人は同時にそちらを見る。

 結人は一瞬戸惑いながらも頭のてっぺんから足の爪先まで見て、女子であると判断した。肩よりも短い黒髪に切れ長の目が涼しげで、高くすっと通った鼻梁、薄い唇、シャープな輪郭、すらりと背が高い。少女が隣にいるからこそ余計に高く見えるのかもしれない。

 結人としては隣に並びたくないと思うくらいだ。しかし、双羽東の女子制服を着た歴とした女であるのだろう。

 今まで全く結人の視界に入っていなかったが、ずっと少女の隣にいたのかもしれない。とにかく結人は少女しか見ていなかったのだから。

 結人の脳は急速に回転数をあげていた。断じてナンパではないが、知り合いと言えるかもわからない。下手なことを言われて変質者に仕立て上げられる妄想が駆け巡る。

 特に双羽高校に比べて双羽東高校は下に見られている。東が付くか付かないかだけで馬鹿にして、と結人の友人達は憤っているのだが、そもそも県立という私立という差がある。あらゆる面で格差があるのは仕方がないのだ。

「えっと、朝の……」

 慌てて結人は口を開くものの、言葉が続かない。なんと切り出せばいいのかわからないまま今に至っているのだ。怪人のことが聞きたいとはっきり言えるわけもない。二人っきりでないならば尚更だ。

「うん、朝の……」

 少女の方も自分を覚えているらしいとわかって結人はほっとする。

「朝? あー……」

 背の高い女子は少女の友人なのだろうが、何か事情を知っているのだろうか。朝というたったそれだけで理解したようでもある。とりあえず変態の誹りを受けることは回避できたのだろうが、結人はまごついていた。

 少女に話しかけようとした勇気は最早霧散している。自分からは何も言えない、そんな状況である。

「どっか、その辺で茶でも」

 長身の女子は気を利かせようとしたのか親指で適当な方向を指す仕草を見せる。

伊万里(いまり)

 窘めるように少女が紡ぐのは女子の名前だったろうか。

「わかってるよ、キオ」

 キオ――先ほども言っていた気がするそれが少女の名前なのだろうか。彼女は目を細め、やれやれと肩を竦めた。

「……茶でもと言いたいところだけど、急用でね。悪いけど、三分待ってくれ」

 ニッと笑う様は結人をドキリとさせる。しかし、少女や優愛などの異性に感じるものとは違うようだった。どちらかと言えば、同性を格好いいと感じることに似ている。女性であり、本人にその気があるかはわからないが、男装の麗人のようでもある。

 一体、どんな急用か、自分は三分を計っていればいいのか、結人はついていけない。だが、彼女達は待ってくれそうもない。

「まったく、見境のない奴らだ。呆れるくらいに派手好きなのが変わらなくてうんざりするよ。もう少し慎みってのを持ってほしいね」

 伊万里が呟いた時、耳をつんざくような悲鳴があがった。それは結人に朝の出来事を想起させた。

 まるで同じだった。アーケードを行く人の流れが割れ、やはりそこに人々を襲おうとする異形の姿があった。朝の怪人はもう少女に倒されたはずだ。実際、その白い姿は似ているようで少し異なって見えた。

「キオ――さっさと片付けちまおうか」

「そうね――伊万里」

 二人はお互いを確かめるように顔を見合わせて頷く。仲の良い友人というよりは互いを熟知し、寄り添う恋人同士のようにも見える。いや、それも違うだろうと結人は頭を振る。

 深い絆を感じさせる様は安易に仲間と表現するのは軽々しく思える。

「戦友……」

 その言葉はぽつりと降ってきた。二人の姿は同時に黒い霧に包まれる。


 霧が晴れると二人は黒尽くめに変わっている。場所が変わり、少女が一人から二人になったが、やはり朝と同じだ。

 伊万里と呼ばれていた女子の上半身は丈の短いベスト、下半身はぴったりとしたレザーパンツに包まれている。露出されている腰は細くくびれ、やはり女性的なラインを描いている。細い両腕には蛇が巻き付いている。

「忌々しい魔女どもめ!!」

 怪人がやはり不快な声で吠えると同時に分裂した。怪人の姿が二人になる。

「まあ、こっちだって二人だしなぁ」

 伊万里が少女を見やって、右手を振るえば両腕に絡みつく蛇に似た黒い鞭が握られている。

「行くよ!」

 伊万里が声を上げ、ぴしゃりと鞭を振るい、怪人へと一直線に飛び出す。

「紅焔よ――剣となれ」

 少女は右手を伸ばし、どこからともなく生み出された炎が収束し、剣を形成する。そして、矮躯がその背に羽が生えたように跳ぶ。

 二体の怪人と少女二人がそれぞれ対峙する。また自分の存在などなかったかのようにされている。だが、結人に何かができるわけでもない。再び怪人の姿を見て、戦えるわけでもない。きっと二人の足手纏いになるだけだ。

 呆然と立ち尽くしながら、結人は目を動かして周囲を見る。あれほど活気があった商店街は静寂に包まれ、空っぽになってしまったかのようにほとんど人の影がない。倒れている者はいる。だが、そこに立って戦いを傍観しているのは結人だけだ。

 伊万里は鞭を振るい、キオと呼ばれていた少女は剣であり炎でもあるそれを自在に操っている。

「我が主のために!!」

 怪人が叫び、二人が同時に吹き飛ばされる。

 得体の知れない存在に対抗できるのは間違いなく二人だけであって、彼女達が倒れれば今度こそ自分は死ぬのだと結人は危機を感じる。

 けれど、逃げようにも足は動かない。二体の怪人が躙り寄ってくる。

 じり、と結人は後退る。たったそれだけだ。その場に縫い止められてしまったかのようだ。脇目も振らず、一目散に背中を見せて走れたなら良かっただろうか。

 動け、動け、と何度も念じたところで怪人の動きが止まる。二体ともだ。

「本当にお盛んな主様で嫌になるわ」

「まったくだ。淫乱な魔女様達には恐れ入るよ」

 二人の声ははっきりと聞こえた。両手に増えた鞭で伊万里が怪人の動きを止めているらしかった。

 両方同時に発火したのはあの少女の仕業だろうか。朝の怪人はその炎を物ともしなかった。彼女もわかっているのだろう。体勢を立て直すためのほんの時間稼ぎでしかなかったのかもしれない。

 すぐに二人は再び怪人に向かう。

 怪人には主という存在があり、少女達は魔女と呼ぶ。少女達もまた魔女と呼ばれる。夢の続きを見ているのか、それともこれが現実でしかないのかわからず、結人はいっそ気を失ってしまいたかった。

 だが、そんなことは許されないらしい。

「お前は一体何だ?」

 背筋が凍るような声が響いた。怪人は二体とも目の前で少女達と戦っている。声は真後ろから聞こえた。また分身したのか、別の怪人なのかはわからないが、確かにそこにいるのだと結人は感じ取っていた。

 やはり、そこに存在するだけで重荷を背負わせて戦わせているようなものなのかもしれない。

「何って言われても……」

 震える声が途切れる。答えられるはずもない問いだった。むしろ結人自身が聞きたいのだ。自分が何であるかはわかっているつもりだ。ただの凡庸な人間にすぎないのだと。異様なのは自分以外の全てであるはずなのに、なぜ、自分がおかしいように言われるのか理解できない。

「魔女のシモベか?」

 再び怪人が別の問いを投げかけてくる。シモベとは今朝少女が怪人に言っていたことだと結人は思い出して、嫌な気分になる。あんな化け物と同じにされたくはないのだ。

 振り返ることもできないが、おそらく背後にいる何かも醜い姿をしているのだろう。

「それ、自分のことを言ってるの?」

 澄んだ声がすぐ近くで聞こえた。すぐ側で何かが大きく動いた気配がした。結人はつられるように振り向く。

 いつの間にか少女が結人と怪人の間に割って入っていた。

 そして一閃、何が起きたか結人には理解できなかった。滑るように怪人の頭部が胴体から切り離され、飛んでいく。血が吹き出さないのは人ならざる者であるからか、あるいは切り口から上がる炎のせいか。やがてその体は灰燼に帰する。

 少女が振り返れば伊万里も鞭によって怪人を二体まとめて上下に裂いたところだった。

 三分だったのか、一瞬のようにもひどく長い時間だったようにも思える。

「これは何なの……?」

 結人が問えば少女の目が悲しげに揺れた気がした。そっと伏せられた瞼は語ることを拒絶しているかのようでもある。

「やっぱり……」

 消え入りそうな呟きにはどんな意味が込められていたのか。

「ありゃりゃ、マジかー」

 頭を掻く伊万里もこの状況を好ましく思っていないようだった。そして、ガシッと両手で結人の肩を掴む。

 こうして向き合うと結人は彼女を見上げる形になる。

「いいか、少年。これは夢だ。夢なんだ。だから、忘れろ、忘れちまえ」

 見下ろす目は強く真っ直ぐで、とても夢だとは思えない。けれど、彼女ははなから茶など飲む気はなかったのだろう。

「ちゃんと終わらせるから。すぐにこんなことなくなるから」

 忘れてくれとの懇願にも聞こえた。忘れられたならよかったのだ。何事もなかったかのように日常に戻れたなら、それで構わないのだ。

 なのに、もう笑えない気がした。何かが零れ落ちて、笑みも失われていく。

 後頭部をハンマーで打たれたような、と言ってもいいのかもしれない。確実に結人の周りで何かが変わり始めていた。

「ごめんね」

 少女の声が聞こえた気がした。熱気を感じれば目の前には炎の壁である。少女達の姿が見えなくなる。

 結人が辺りを見回せば、一瞬の内にざわめきが戻っている。もう一度前を見れば炎などあるはずもなく、二人の姿はどこにもなかった。

「何なんだよ、本当に……」

 一度だけではなく二度、非現実に直面した。その事実は結人の胸に確かに残っている。それでいて目覚めれば覚えていない夢のように薄れてしまいそうでもある。

 ふと、人とぶつかって結人ははっとする。人混みで立ち尽くしていれば邪魔になるものだ。立ったまま寝ていたなどということはありえないだろう。

 なのに、周囲はやはり何事もなかったかのようで、自分だけが異なる世界と交わったのではないかと結人に思わせた。


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