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Virtue and Vice  作者:
第四章 最後の戦い
18/22

4-2

 空は馬鹿馬鹿しいほどに晴れ渡っている。その青さが目に痛いほどだ。

 屋上には優愛と怪人達がいる。白くも醜い怪物達だ。そして、丁度黒い影が飛来したところであった。

「早かったわね」

 優愛が笑う。どこか嬉しそうに。

 今すぐに来いと言ったのは優愛だ。だから、希織は特急で来たのか。いや、放っておけないから、結人が連絡した時には既にこちらに向かっていたのかもしれない。彼女達はいつだって魔女の存在を察知していたのだから。

「今なら空だって飛べるもの」

 ふわりと希織がフェンスの上に降り立つ。全く危うげなく安定している。

 自分から行けばいいのに、と結人は思ったが、優愛は翼を持たないのだ。彼女の背からは生えないらしい。

 二人には近付けない。だから、離れたところから見守るだけだ。

「それに、呼び出されなければ、私が呼び出すつもりだった。二人の思い出の屋上にね」

 思い出というのは皮肉なことだ。きっと、突き落とされた時のことを言っているのだ。あまりに暗い過去だ。

 そして、希織の言葉は彼女の覚悟を窺わせる。莉愛がいなくなって優愛が暴走することは昨日言葉をかけた時から既にわかっていたのだろう。だから、すぐに終わらせるつもりだったようだ。

「もう完全に後戻りできなくなったってわかってる?」

 希織は更に続けた。

「あんたを殺せばそれでいいじゃない!」

 優愛は叫ぶ。光の球がいくつも希織へと放たれる。足下が弾けて、それでも希織はひらりと舞って、屋上に着地してみせる。

「私を消したら、あなたはまた次の誰かを手にかける。たとえば、彼、とか」

 希織の視線を受けて結人はドキリした。希織が倒されるとは考えていない。その時は玻璃が出てくるのだろうとぼんやり考えるくらいだ。

 自分が希織のように殺されるとは思ってもみなかった。伊万里が莉愛の二人目の犠牲者であったように、可能性がないとは言えないのだろう。希織が言うということはそういうことだ。

「だから、そうなる前に私が終わらせるわ。あなたが私を自分の獲物だって言うなら、私にとってもそう」

 やはり希織は頼もしい。結人は安心感を覚えていた。希織が勝てば、優愛が存在しなかったことになる。そして、希織とは出会わない。結人の世界から二人とも消えてしまうのだ。

 それでも、やはり希織を応援したかった。たとえ、もう二度と彼女と会えなくなるとしても。偶然、街で擦れ違ってお互いがわからないとしても、彼女には生きてほしいと思うのだ。

 このまま彼女が魂を取り戻せず、いつかその死を忘れてしまうよりは良いことに違いないのだ。自分が二の舞になるとも限らない。だから、他人になっても生きてほしい。

 彼女が正しいから死んでほしくないのかと言えば違う。好きだから死んでほしくないのだと不意に自覚する。本当はもう少し前からわかっていたのかもしれない。何度も己の内の嫉妬心を打ち消してきた。彼女を自分のモノにしたいわけではないと莉愛の誘惑をはねのけてきた。

 いつからかはわからない。もしかしたら、彼女を自らの腕で抱き締めた時から彼女が好きだったのかもしれない。

「希織のくせに、偉そうにしてるんじゃないわよ!」

 優愛が憤慨した。自分が馬鹿にされることを極度に嫌がっているようでもある。彼女は猫かぶりで嫉妬深く威張りたがりだ。

「あなたの信者、随分減ったんじゃない?」

「うるさい! うるさい!」

「お姉さんがいなければ何もできないのね」

 希織は優愛を怒らせたいのか、挑発しているのが結人にもわかる。なぜかは理解できない。兜に覆われて表情は見えないが、感情的になっている風でもない。酷薄というにはまだ優しさが残されているように思えてしまう。

「黙らせて!」

 優愛が怪人達をけしかける。いや、この時ばかりは結人はそれらを怪人ともシモベとも呼びたくなかった。全く知らない人間ではない。苦手な人間でもクラスメイトだったのだ。その悪意の姿だとしても情がないとは言えない。

「希織ちゃん!」

 結人は叫んでいた。希織は自分の周囲を炎の壁で囲むことで彼らを近付けないようにしながら、振り返った。

「そいつら、クラスメイトなんだ!」

 炎に包まれたところで悪意の具現でおそらく肉体はそこにはない。だが、確かに彼らであるからこそ、障害が残らないとは言えないと伊万里は言ったのだろう。

 希織を危険に晒すことだとわかっていながら結人は叫ばずにはいられなかったのだ。

「そう……じゃあ、早々にお帰りいただいた方がいいわね。浄化してあげる」

 希織が腕を広げれば一帯が炎に包まれる。数にして十数人が為す術もなく炎の中に消えていった。苦しみはなかったように思う。以前聞いたような断末魔もない。

 希織は浄化と言った。苦痛のない方法を見つけたのかもしれない。莉愛にもそうしたのかもしれない。彼女は一々丁寧に説明してくれるわけでもないのだから推測に過ぎない。

「くそっ、役立たずが!」

 一人になった優愛が吐き捨て地団駄を踏んだ。

 クラスメイトをあんなものにして、そう言えることが結人には許せなかった。彼女は彼らを道具くらいにしか思っていない。現実でも自分を引き立てるものとしてしか見ていなかっただろうか。

「自分の制御が甘くなってることを認めたら?」

「そんなわけないじゃない!!」

 優愛は希織の言うことの何一つを認めたくないようだった。

「希織、戻しなさいよ! こんな醜い姿あたしじゃないわ!」

 もう優愛は支離滅裂なのかもしれなかった。理性があるとも思えない。

「さっきの質問聞いてた? それとも、それが答え?」

 完全に後戻りができなくなったことをわかっているかと希織は問いかけた。あの時、彼女は答えたとは言えない。

「それが紛れもなくあなたの姿だと思うけど。だって、自分で自分を汚したでしょう?」

 希織が何を言っているかは結人にはわからない。説明されていないことは山のようにある。伊万里も適当な説明ばかりだったし、玻璃も全ては教えてくれない。

「あなた達は白い悪魔と交わるんでしょう?」

 希織は質問を続ける。いや、答えなど求めていないのかもしれない。

 それはつまりどういうことなのか、と結人が問いかけたくてもできないわけだ。考えてしまったことに顔が赤くなる。違うと言ってほしかったが、そもそも蚊帳の外である。

「怪人ともそうしてると思ってたけど、それじゃあ、とても体が足りないものね」

「ごちゃごちゃうるさいのよ! あたしが戻せって言ってるんだから、あんたは戻せばいいのよ、この愚図!」

 こうなると優愛は暴君である。

「そんなに言うなら……」

 希織が頷く。戻せるのだろうか、と思った矢先、優愛の体が燃え上がった。

「何するのよ! 消しなさいよ!」

 火を消そうと優愛は必死だ。

 しかし、もがけばもがくほど火は勢いを強める。

「戻りたいって言うから……改心すれば戻るのに」

 つまり、終わりの一瞬に元の姿になれるということだろう。どこか騙し討ちのような戦法だ。

「犯した罪が少なければ、苦しみも少なかったかもしれないのに」

 希織に消すつもりはなく、優愛もそのまま終わるつもりはないのだろう。光が生み出され、弾ける。

 見ていられないほど激しく光が明滅して、結人は目を閉じていた。

「ねぇ、結人君」

 優愛の声はひどく近くで聞こえた。目を開けて結人は驚倒した。すぐ前に優愛がいる。炎は纏っていない。

「あたしのシモベになってよ。希織を殺して。ねぇ?」

 伸ばされる手に後退る。頭がグラグラと揺さぶられているようで、それは抗い難い誘惑だった。

『こんなの間違ってるって思うでしょう?』

 声は頭の中で聞こえた。ひどく甘ったるく、思わず頷きたくなる。同時に精神的に犯されそうになるような、そんなおぞましい感覚もある。

「どこまでも邪魔をするのね、希織」

 忌々しげに優愛が吐き出す。

「この程度じゃあ、もう効かないのよね」

 希織は優愛の背後にいる。そして、彼女が手にしているだろう剣が優愛の腹部を貫いている。しかし、大きなダメージにはなっていないようだ。

 だが、そこで手を止める希織ではなかった。剣を抜くと、すぐに結人の隣に立ち、優愛から引き離すようにするとその体を力強く蹴り飛ばす。まるで踵が傷口を抉るような、希織からは考えられないような暴力的な蹴りだ。

 優愛の体はまるで人形のように吹き飛ぶ。コンクリートに強く叩き付けられても終わりではない。

 希織は攻撃を続ける。仰向けに倒れた優愛の体を踏み付けて、剣を出現させる。その切っ先は喉元に向けられていた。

「希織ちゃん!」

「終わらせなければならないのよ」

 背中に翼を生やした黒い少女が今、復讐の鬼のように見えた。怒りに捕らわれて黒い鬼になってしまったのではないか。

「こうするしかないのよ」

 言葉と共に彼女の周囲には炎が生まれる。彼女は炎の断罪者の如く、いや、少女を地獄に突き落とす悪魔のようにも見えた。そのビジョンの中で優愛はあの赤と白の可愛らしい姿をしていた。

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