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莉愛がいなくなって優愛の輝きは失われていた。世界が梨愛の生をなかったことにした。彼女は希織によれば伊万里と同じ頃に交通事故で亡くなっているとのことである。
あれだけ梨愛派か優愛派で議論していた男子達も他の先輩マドンナに夢中であるし、優愛の周りに集まっていた女子達の数も減った。それだけ莉愛に価値があったかと言えば、結人にはわからないものだ。
とにかく、これほど顕著に変化するとは思っていなかったのだ。
優愛は昨日までと同じように振る舞っているが、もう昨日までのように周りを大きく巻き込むこともない。
過去の栄光というのは語弊があるような気もするが、すっかり自分が注目されなくなったことで優愛は唇を噛んでいる。
一夜にして世界は変わってしまった。希織はこうなることをわかっていたのだろう。派手な姉のお下がりがなければ、優愛は普通の女の子に見えた。それこそ、希織と笑い合っていた頃の彼女なのかもしれない。
「あー、こういうの何だっけか」
一人、ぽつりと結人は呟いてみる。ずっともやもやしているのだ。直面したことについて的確な言葉があった気がするのだ。
希織達は明確な表現を避けている。そして、結人も自分が感じた現象に勝手に名前を与えているだけにすぎない。世界の流れであり、歪みであり、ずれであった。伊万里や謙、智春のような遠い人間であれば結人の周囲には変化がなかった。希織の周囲で起きる彼女に近い人間の消失でしかなかった。
しかしながら、今回は本当に近い人間なのだ。だから、今まで以上に不思議な感覚があるのだ。これまで世界のずれは何度となく感じていた。人々が忘れることを結人だけは覚えている。だが、これは変化としてはあまりに大きい。流れや歪みなどと言った言葉では説明不足なような、それこそ本当に別世界だと思うのだ。
優愛がいなくなればどうなってしまうのだろうとも考える。しかし、その時は希織が役目を終えているということに他ならない。
姉の莉愛ほど派手好きでないにしても、優愛も目立ちたがりであることは間違いない。だからこそ、耐え難かったのだろう。自分の周りに人が集まらないこと、ちやほやしてもらえないことが許せなかったに違いない。
かつての自分のような扱いを受ける女子に向ける嫉妬の眼差しは結人が隣で見ていて震え上がるものだった。
とにかく優愛には人望というものがないらしかった。
時間が経つほどに優愛は貧乏揺すりをしたり爪を噛んだりしていたが、遂に勢いよく机を蹴飛ばした。
「あーもうむかつく、ほんとむかつくわ!」
我慢の限界とでも言うように優愛が叫ぶ。
彼女の前の席の女子が突然の暴挙に振り返る。皆、優愛を見る。けれど、そこには軽蔑が色濃く出ている。
「きゃああああっ!!」
耳をつんざく悲鳴があがる。声の主は立ち上がり、指さして震えている。皆がその指の先を辿り、すぐに恐怖は伝染する。ガタガタと音を立てて皆が教室の隅へと逃げていく。教室の外へと逃げようとした男子の手前で扉が勝手に音を立てて閉まる。手をかけて開けようとしているが、びくともしないようだ。
「ば、化け物……!」
「嘘、だろ……」
絶望の声は次々に上がる。まるでホラー映画のようだ。ぼんやり考えて結人は希織を呼ぶべきかを考えていた。
「正木、逃げろ!」
一番仲の良かった友人に自分の名を叫ばれて結人は気付く。教室の中央にいるのは自分と優愛だけだ。
座ったままでいるところを恐怖で動けなくなったと思われているのか。
優愛は変身している。自分は見慣れすぎたのだと結人は思い知らされる。何体もの怪人を見て魔女達の変貌をも目の当たりにして、特に恐怖もないのだ。
いつも怪人の出現から世界が切り離されるまでは時間がかかっていたように思う。これまで学校の狭い教室でなどということもなかった。朝であったり放課後であったりというのはまだ魔女達にも節度があったということか。
希織が駆け付けるのかもわからない。この世界のずれには漠然とタイムリミットがあるらしいと昨日聞かされたばかりで、生じる範囲もわかっていない。敵がいなければ戦うこともない。
希織が来なければ種が蒔き散らされるだけで済むのか。いや、それすら許されないからこそ希織達は戦ってきたはずだ。これ以上の悲劇が生み出されるのを未然に防ぐために、いつでもどこであっても魔女の前に現れる。
そして、魔女達も魔法使いを目障りに思うからこそ、常に仕掛け続けていた。
「みんなみんな、あたしをこけにして!」
優愛が叫ぶ。今まで自分が中心であることに、周囲から構ってもらえることに優越感を覚えていた優愛には屈辱的だったのかもしれない。
光が彼女の周囲で弾けた。
「お姉ちゃんは生きていたのに。あんな死に損ないと違うのに。あの時、確かに殺したはずなのに! どうして希織が生きててお姉ちゃんが消えたの!?」
優愛は癇癪を起こしている。そして、光の球は教室内を縦横無尽に跳ねる。クラスメイト達が苦しみ始める。
何がそんなに疎ましいのか、所詮結人には理解できないことだった。
「全部希織が悪いのよ。何もかも希織のせい。希織さえいなければ、希織なんか死んじゃえばいいのよ! ……ううん、希織は殺したのよ。あの時、確かに希織を屋上から突き飛ばしたはずなのに!」
発狂したような優愛をただ怯えて見ていたはずのクラスメイト達が光を浴びて、怪人へと化していく。そして、また悲鳴が上がり、逃げ惑うが、次々に変化は起こる。
エイリアン物か何かと結人は自分の席に座ったまま溜息を吐いた。
「やめよう、大平さん。こんなことして君が辛くなるだけだよ」
結人は莉愛を落ち着かせようと声をかける。凶悪犯を説得している気分だ。自分でも白々しさに笑いがこみ上げてくるし、それが何になるのかもわからないほどだ。
本当は優愛達も踏みとどまろうとしていたのかもしれない。けれど、もうたがが外れてしまった。
クラスメイトがシモベにされたことはこれまでなかったと結人は考えている。しかし、結人自身、優愛と莉愛の影響で世界の歪みを認識してしまっているように、彼女の周囲にいる人間がそうなった場合、どうなるのかがわからない。たとえ、威光がなくなったのだとしても。
結局のところ、結人が忘れられない理由もはっきりとはわかっていない。
「希織を呼んで。今すぐ来いって言って! 屋上で待ってるから!」
一方的に結人に命令して、優愛は教室から出て行く。怪人達はやはりシモベであるからか、後に付いてく。
仕方なく、結人は希織に連絡を入れる。そうするしかなかった。このおかしな世界でも携帯電話は通じるのかと疑問に思うものの、あっさりと繋がった。
そうして、彼女は今向かっていると短い言葉を返して、すぐに通話を切ってしまった。結人への指示は何もなかった。だからこそ、どうするべきか悩むのだ。
助ける方法を知らない。ここで怪人にならなかったクラスメイト達と震えているべきか。半数くらいは残っているだろうか。残っている面々を見て、怪人となった人間を考えれば結人が苦手とするタイプばかりで妙に納得できた。昨日まで優愛に付き従っていた者、莉愛を崇拝していた者、正義感の強い者……シモベとしやすい人間は限られているのだろう。残っている者こそ素朴で良い奴ばかりだと結人は感じる。
「希織って、久慈希織?」
問いかけてくる声に結人は驚く。先ほど結人に呼びかけてきた男子だった。彼は周囲を警戒しながら近付いてきた。
「希織ちゃんのこと知ってるの?」
「俺、大平と同じ中学だったし、他に聞かない名前だからさ……お前こそ知ってるのか?」
自分が知っている方がおかしいのだと気付いて結人は少し寂しさを覚える。本来、出会わなかったはずなのだから。
「大平がなんか変なこと言ってたけど、久慈は生きてるよな?」
結人は頷くが、本当のことは言えない。今は希織も生きていることになっている。だけど、死んだというのも事実なのだ。優愛が彼女を殺したのだ。
「大平が転校してきて、久慈がよく世話を焼いててほんと仲良かった。それなのに、いつの間にか大平がみんなを扇動して久慈をいじめてた」
彼はぽつぽつと呟く。結人自身知りたいと思っていたところでもある。誰かは優愛と同じ中学の出身だと記憶していたが、デリケートな話題だけに探りを入れられなかった。
「……俺、久慈のこと好きだったんだよな。まあ、昔の話な」
今の彼女になる前の希織のことだろうと結人は解釈する。自分が知りようもない彼女の昔を知っていることには少し羨ましさがある。むしろ、妬ましいというべきか。
彼と希織がどの程度の関わりだったのかはわからない。それが少し腹立たしくも思えてしまうのはなぜか。
結人から見て彼は好青年だ。顔も良いし、面倒見もよく、運動や勉強もクラス内ではかなりできる方だが、全く鼻にかけた様子がない。だから、結人も彼とは自然に付き合っていた。以前、優愛がアプローチしていたという話もある。
そして、彼女を覚えている人間がいるということもまた結人の頭上に暗雲をもたらす。自分だけで良いのに、とどこかでは思ってしまっている。
「何で大平はあんな化け物になっちまったんだ? お前、なんか知ってるんだろ?」
知っていると思ったから話してくれたのか。しかし、結人は答えを持ち合わせていない。
「いや、いい。後でちゃんと話せよ」
察したのか彼は言う。その『後で』があり得ないというのに、それでもこの場から逃れられるとわかっているからこそ結人は頷く。果たすつもりのない約束をしたことに罪悪感を覚えるが、数分後には約束も何もかもなかったことになるはずなのだ。
「大丈夫だよ、希織ちゃんが助けてくれる」
それだけは間違いないと言える。彼女による救いは必ずある。そうして、結人も屋上へと向かった。彼らは放っておいても問題ないだろう。怪人は皆優愛について行ったし、いずれ、世界が完全にずれるだろう。




