3-2
学校を出て、向かう先は駅の方か。結人は何も聞かされていない。どこへ行くのかと聞いても、良い所だとはぐらかされるばかりだ。
カラオケなど嘘だと結人も気付いている。
先週も行って、彼女達がどれだけカラオケに行くかなど知らないが、今回は違うと直感している。周囲の自分に対する人気を利用した罠、張り巡らされた蜘蛛の巣に絡め取られた形だ。
暫く歩いて、着いたのはカラオケ店の前だった。
本当だったのかと驚いて結人は姉妹の顔を交互に見た。勘はあてにならないものだ。微笑む二人に腕を引かれて中へ、個室に入るとソファーに座らされ、両側から姉妹に挟まれる形になる。
莉愛は手慣れた様子で選曲し、歌い出すが、店員が飲み物を持ってくるまでのことだった。
やはり、ただ楽しくカラオケを、ということではないらしい。
「ねぇ、協力してよ、結人君」
優愛が言った。いつかの梨愛の誘惑を思い出す。あの時、彼女は協力すると言った。
「希織を殺すのを手伝って」
物騒なことを言い出すのは莉愛だ。つい先日は解放などと言っていたのに、あれも結局は結人を取り込むための甘言でしかなかったということか。あの後にはなぶり殺すなどと言っていたのだから、そちらが本性だろう。
あれから姉妹は和解したのかは知らない。話を付けて合意したのかはわからない。玻璃が言うように二人が潰し合って自滅すれば最良なのか。
ただの見物人でしかないからこそ、甘さを持っていることを結人も自覚している。捨てるべきかはわからない。
「殺すって……」
「そう、あの死に損ないを殺さないといけないのよ」
死に損ない、呟けば不思議な感情が溢れてくる。彼女を曖昧な存在にしたのはそう揶揄する優愛であるはずなのだから。
「あの子は死んだはず。普通なら生きてちゃいけない存在、あたし、何か間違ったことを言ってるかしら?」
莉愛に言われて結人ははっとする。そうなのだ。
彼女に倒されれば久慈希織は元通り屋上から飛び降りて自殺した少女でしかない。出会うはずのなかった存在だ。世界の道理に反するのは間違いない。けれど、先に間違ったのは彼女の方であり、それもまた歪みだ。
こうして聞いていると彼女達もまた正しいように聞こえて結人は頭を振る。
自分もきっと種を植えられているのだと気付く。知らず知らずの内に自分の内で芽吹く時を待っている。もう既に芽が出てしまっているのかもしれない。見えるものではないのだろうから自覚もなく、全くわからない。
心を奪う術を彼女達は持っている。いつか心を失わされるかもしれない。そう思えば恐怖で心臓が冷たくなっていく気がした。
「だって、君が彼女の背中を押したんだろ?」
結人は優愛の方を見る。すると、彼女は何がおかしいのかケタケタと笑い声を上げる。可愛らしいとは程遠い邪悪な笑みだ。
「そう、ちょっと押したら希織が空を飛んだ。あの時の希織の顔を思い出すと笑えるわ」
目尻に涙を浮かべるほど笑いながら優愛が肯定した。
写真の二人を思い出せば、親友に裏切られた絶望感は想像を絶するものだろう。
不意にひたりと頬に手が触れた。莉愛だった。
「ねぇ、私と優愛、どっちを選ぶの?」
急に何を言い出すのか。両者に横に張り付かれ、逃げ場のない状況で。
「そんなの選べません」
選べるはずもなく、選ぶ理由がない。結人にとって至極当然の答えだった。どちらかを選択する必要などありはしない。たとえば、どちらのシモベになるかということであれば尚更ノーである。
本当にその気があるなら問答無用でされてしまう気もする。もしくは、結人に選択を委ねることで姉妹喧嘩は休戦したのか。彼女達相手に探りを入れることはかなり精神を消耗するものだ。
「本当にずるい人ねぇ。どっちもなんて手に入るわけないじゃない」
クスクスと莉愛は笑い、手に立てられた爪の痛みに結人は顔を顰める。
そんなことは一言も言っていないのだが、結人は弁解しようとは思わなかった。彼女達とは話が通じないのだと思う部分もある。
ちらりと見た手の甲にはくっきりと赤い線が刻まれ、血が滲んでいる。その手を取られたかと思えば、莉愛が舌を這わせる。くすぐったさと気持ち悪さに総毛立つ。魂さえ凍り付く思いだった。
今や彼女の顔は蛇にしか見えない。その幻覚が目に張り付いて消えない。思えば、昨日、晒された姿においてその頭部は蛇を模していたかもしれない。伊万里が黒い蛇であったように対である彼女も蛇であっても不思議ではない。だが、伊万里と違って莉愛は猛毒を持っている。傷口から毒を入れられるのではないか、そんな幻想さえ抱き始めるほどに。
「まあ、希織が来るまで待ってみましょうか」
結人の手を離し、ぺろりと唇を舐め、梨愛が言った。
「そうね。あの子、馬鹿だから絶対に来るわ。結人君が連絡しなくたって」
結人の行動など優愛は見透かしているらしかった。
確かに希織は来るのだろう。嘘は言わないはずだ。結人も信じられる。
けれど、自分の存在によって引き起こしたこの事態に安心して待つのも違う気がした。どうしても申し訳なさが勝る。このまま消えてしまいたいと願わずにはいられない。
玻璃はわからない。あの様子では簡単には加勢してくれないだろう。たとえ、希織が不利な状況に飛び込んでも。彼女が玻璃に協力を仰ぐのも考えにくいことだった。
希織がどれだけの思いでこれまで戦ってきたかは知らない。伊万里や謙、それ以前にも彼女は仲間を失っているのだろう。無念の死を遂げた仲間達の思いを背負い込んでいるのかもしれない。個人の戦いとは言っても魔女達よりはずっと繋がりを持っている。
そして、今は自分の対である優愛だけでなく伊万里の対であった莉愛もいる。
希織が自分を切り捨ててくれたなら、と何度考えたかわからないが、その非情さを持ってしまったら彼女ではないような気もするのだ。彼女が彼女でいられなくなるような、優愛達と同じ側に堕ちるのではないかと恐怖する。彼女が化け物になるのは見たくないと結人は願うのだ。
本当にこんなことがなければ希織は全く闘争とは無縁の存在だっただろう。優愛や莉愛のように平気で他人を蹴落とすことなどできるはずもない。
あの小さな体で、心優しく強い心を持っている。
結局、一時間で希織は現れなかった。優愛と梨愛は悠々とカラオケを楽しんでいたが、結人に余裕があるはずもない。抜け出す方法も何も思い浮かばなかった。
希織は来ないのではないかとさえ思っていた。そうしたら、このまま何事もなく解放されるのではないかと感じた。
だが、カラオケボックスを出てすぐ息を切らす希織の姿があった。ここまで来るのに時間がかかったか。いや、それまでに襲撃があったのかもしれない。
二人がただ待っているだけとも考えにくい。
途中、莉愛も優愛もパチンパチンと指を鳴らしていたが、その時は気にも留めなかった。癖か何か、特に意味のあるものだと深く考えなかったのだ。
周囲には何やら異様な空気が漂っている。
「遅かったわね」
「あたし達から王子様を奪いに来たの?」
笑う姉妹の問いに希織が首を傾げた。
「……どこに王子様がいるの?」
本気で聞いているのだろう。結人が見てきた限り希織は冗談など言える風ではない。本当に不思議そうである。
どうやら彼女は自分を王子様とは認めてくれないらしい。そう思うと少し悲しいやら寂しいやら複雑な気分になるものだ。
尤も、謙をイケメンだと言ったことに首を傾げるのだから、自分など全く評価に値しないのではないかと結人は内心ショックを受けてもいた。駆け付けてくれたのは嬉しいが、気持ちが半減したのは否めない。王子様が姫に助けられると合っては情けないものだが。
「ああ、あなたはあの優男に夢中だったかしら?」
莉愛は謙のことを言っているのか。結人とてその関係を疑いもした。嫉妬もしたものだ。
「あんたって昔っから周りに男はべらしていい気になってたわよね」
「……本当にそう思ってたの?」
希織の問いに優愛は答えなかった。今聞いたところで本心はわからないものだ。今の優愛はもう優愛ではないのかもしれない。
「智春も哀れだわ。顔だけの男に惚れて自分の身を滅ぼした」
「あんな男のために死後に罪を着せられて、ほんとバッカみたい!」
莉愛も優愛も智春のことを微塵も悲しんではいないようだ。伊万里の時だってそうだった。あれは敵だと言ってしまえばそれまでかもしれないが、智春に関しては軽蔑していると言っても良いのかもしれない。彼女に助けられたこともあったはずなのに。
「私は貴方達と違って死人の悪口を言う口を持たないけれど――あれは彼女の狂気が招いた結果。謙を自殺に見せかけて殺した罪から逃げていた報い。当然の結果」
希織もまた冷酷な面を持ち合わせている。彼女達の目的は魔女を倒すことだ。理不尽な自分の死をもたらした魔女達のものとすること、それは次の犠牲者を出さないために倒すことになるだろう。
「あんな男相手に狂えるなんて、ほんと安い女だわ」
「ブスが勘違いしちゃってて可愛そうだったわ」
「仲間じゃないんですか?」
思わず、結人は聞いていた。聞くまでもないことであるのかもしれない。しかしながら、聞かずにははいられなかった。
「あたし達は魔女みたいに傷を舐め合ったりしない。気持ち悪い!」
優愛が吐き捨てる。同じ苦痛を背負う者達を、自らがその闇に堕とした者をそうやって切り捨てられるほうがよほど気持ち悪いものだ。それをわざわざ吐き出して優愛に睨まれる度胸は結人にはない。
彼女達は自分への攻撃手段を持っている。しかし、自分には何もないことが痛いほどわかっている。力の男女差など通用するとは思えない。ただの人間と相手は魔女だ。
「仲間と思ってないなら、こっちも断罪に躊躇いはない。同情しなくて済む」
希織はわかっているはずだ。それらが優愛の本心ではないのだと。
そこでふと結人は考える。では、何が彼女の本心なのか。本当にそうは思っていないと言えるのか。
何が真実なのかわかったものではない。
「あんた、ほんと何様なの!?」
優愛が激昂し、姿を変える。いつの間にか世界がずれていたことに気付く。
そうして、莉愛も希織も変身する。姉妹の姿はあの醜い姿のままだ。
「あなたのせいで、戻れなくなったのよ」
「でも、あんたを殺せば元に戻れるわよね?」
「それが本当の姿でしょ?」
結人としては姉妹が自信過剰ではないかと思うところもある。
「まあ、いいわ――踊りましょう?」
「遊んであげる」
クスクスと姉妹が笑み、周囲に怪人の姿が現れる。
「あなたの死はせめて鮮やかに彩ってあげる」
「簡単には殺してあげない。あんたが殺してってお願いするまでなぶってあげる」
「私がのこのこ死ににきたとでも?」
希織の手には炎が揺らめく。いつでも二人を倒す覚悟を決めているのかもしれない。
「とりあえず、彼から離れてくれる?」
結人の両脇には莉愛と優愛、拒否したにも関わらず腕を組まれて抜け出せずにいたのだ。
「結人君がそんなにほしいの?」
優愛が挑発的に問う。結人としてはそこで肯定してくれた方が嬉しいのだが、相手は希織だ。ありえないことはわかっている。
「そこにあなた達がいるから。倒すべき敵がいるから。だから、私が来た。ただそれだけのこと」
彼女は使命を執行することには冷酷で、それでいいのだとも思う。非情さも必要だ。そうなれば、彼女は死ぬのだから。
「じゃあ、彼がどうなっても構わないと?」
「あなた達が他人を巻き込もうとするならば阻止する。それが誰であっても」
ゆらりと炎が揺らめいて、結人は希織を見失う。熱さに触れたと気付いた時、彼女は目の前にいた。手には炎の剣、背には炎の翼がある。
「誰でもなんて嘘ね」
莉愛が嘲り笑うが、希織は冷めた眼差しを送る。
光の球が浮き上がり、弾ける。希織は軽やかに宙を舞っていた。
「いたずらに人を偽りの正義で闇に堕とす魔女――恥を知れ!」
着地して、鋭く希織は吠える。そこには一体何人分の既に散った仲間の思いが込められていただろうか。
「そうねぇ、男がほしいならあたしと勝負しなさいよ」
莉愛は自分を解放する気はないのだと結人は察する。彼女達にとって有用な手札である。
「応じる必要がある?」
「彼をシモベにするだけ。あなたが勝てば彼から手を引くわ」
「あなたの言葉を信じられるとでも?」
希織は再び剣を形成し、莉愛の方へと向ける。もう彼女は言葉なくとも自在に炎を操ることができるのだろう。
「そうね。約束は守られないわね、きっと。だって、勝負に勝つのはあたしって決まってるのもの」
希織が勝つことは想定されていない。そういうことだろう。それをわかった上で希織が応じる理由があるか。いや、ないと結人は結論を出したつもりだった。
そもそも、ここに至るまでの足止めで希織が万全の状態でないのは明らかだ。相次ぐ仲間の死からも立ち直っているとは思えない。
「わかった。応じる」
希織はあまりにもあっさりと決断した。
なぜ、そこまでするのか。そもそも、自分のためなのか、そうでないか結人は気にせずにはいられなかった。その答えを知りたがっている。
「あら、必死ねぇ? 勝てるとでも?」
莉愛が嘲笑を浮かべる。
「私はあなたを倒したいだけ。だって、それって一騎打ちに応じるってことでしょ?」
希織の挑発的な笑みは結人を震え上がらせた。自分に向けられているわけでもないにも関わらず、結人は希織を恐れていた。
やはり彼女は莉愛を今日この場で倒すと決めて来ているそういうことだろう。
「一騎打ちねぇ……あたしは構わないけど?」
好戦的な莉愛は応じる気があるようだが、黙っていないのは優愛だ。
「希織はあたしの獲物、お姉ちゃんでも許さない!」
本来、希織の相手が優愛であることは何も間違っていない。しかし、希織は莉愛も優愛も討たなければならない。単純な伊万里の復讐ではなく、それが使命だからだ。魔女を一人たりとも放っておくわけにはいかないはずだ。
梨愛は希織を優愛と共に嬲ろうと考えているが、優愛の方は同意しているわけでもないらしい。梨愛が勝手に言っていることのようだ。
「今日はあなたの相手をするつもりはない」
言葉と同時に火の玉が優愛へと放たれる。まるで雨のようでもある。
「きゃっ!」
火の玉は容赦なく次々に優愛へと殺到する。見た目は禍々しくも、仕草は彼女のままで何とも奇妙だと考えていた。
更なる熱に見ればいつの間にか希織が背後にいた。そうして、彼女は優愛の首に手刀を叩き込み、気絶させた。
「見張ってて」
「え?」
希織が指さすのは地面に倒れ込んだ優愛だ。
「目を覚ます前に終わらせるから大丈夫」
兜の向こうで希織が笑った気がした。だから、結人は頷く。彼女は勝てると信じる。




