2-7
その希織は平然と飲み物と菓子を持ってくる。
「私と伊万里は同じ中学だったわけじゃないの」
向かいにちょこんと座ってぽつりと話し出す。
大平姉妹が希織と伊万里を繋げていたとわかって結人は何となく四人が同じ中学の出身であると考えていた。
「二人が転校してきたのは伊万里が殺される前のことだった。こんなことにならなければ私達は出会ってなかったの」
悲しく、そして暗い繋がりは強く結びついていたように見えて儚くもちぎれてしまった。
「でも、それじゃあ莉愛先輩に伊万里さんは殺せないんじゃあ……」
伊万里は校庭で首を吊って自殺している。それが本来の伊万里の死であり、莉愛が当時そこにいないのなら殺したとは言い難いのではないかと結人は疑問に思う。
いじめなどで絶望させられ、死に追いやったというのかもしれないが、結局は本人の弱さではないかとも思ってしまう。直接手を下したとは違うのだ。
「狂気は潜伏することがある。そして、種を蒔く。狂気が他人に感染すると思えばいい」
結人はイメージしてみるが、今一つしっくりこないところがある。
「大平莉愛は些細なことが原因で伊万里をいじめの対象に選んだ。伊万里は本来忍耐強い人だから普通ならいじめにも負けなかったと思う」
確かに結人の中の伊万里はいじめに屈するようには思えないが、死後の人格とも考えられる。使命を果たすためにああなったのではないかと考えられる。
「首を吊った時のことは伊万里から聞いてる。夜に莉愛に呼び出されて、学校に忍び込んで桜の木の下で話をした。そして、蛇が莉愛から伸びてきて自分の首に絡みついたって言ってる」
蛇――それは伊万里の腕に絡み付くものであり、莉愛のイメージでもある。赤い舌を覗かせ、蛙の気分を味わったのは一度ではない。
そこで希織が立ち上がり、何かを探し始める。そうして差し出してきたのはアルバムだったようだ。中学校の卒業アルバムらしい。
クラスのページを開くとある一人の少女の顔写真を希織が指さす。黒髪で大人しい雰囲気の少女、その下の名前は大平優愛、今とは印象が異なって見える。
「これが大平さん……?」
「うん、中学の時の優愛。今ほど派手じゃなかった。あれはあくまで彼女に憑いてるものの影響」
それは性格をも変えるのか。何を言ったらいいか結人にはわからない。少し視線を動かせば今とあまり変わらない希織の顔写真もあった。
「私と優愛は親友だった。優愛が私のクラスに転入してきて隣の席になった。学校を案内したりしてる内に意気投合したの」
見せられるのは二人の少女が笑顔で映っている写真だ。希織と優愛、彼女の言葉を疑うわけではないが、本当だと感じるものだ。
「でも、何が原因だったかわからない。私の何気ない言動が優愛を傷付けたのは確かだと思う。それは今もわからないけど、ある日突然優愛は私のことを避けるようになった」
女心が結人にはわからない。だから、二人に何があったかは想像も付かない。
「玻璃姉が言ったように莉愛の影響下にあった優愛は心を蝕まれてたんだと思う。それを私が刺激した」
希織は何もしていないと被害者面するわけでもない。けれど、理由は優愛にしかわからないだろうし、本人にもわからないことなのかもしれない。
「私が悪いとも思う。私がいなければこんなことにならなかったと思う。でも、魔法使い達は言う。私じゃなければ他の誰かがこうなってたって」
「そうなんだろうね」
無差別に人に種を蒔いているのだから不思議はない。
「私も伊万里と同じ。優愛に無視されて皆も私から離れて嫌がらせが続いて、誰も助けてくれなかった。死にたいって思った。これは間違ってるって思った。もし、あの時、もっと強くそう思ってたら私も今は魔女だったかもしれない」
対になる魔女と魔法使い、それは紙一重なのか。今、ここに生きていても希織が追い詰められたことは確かなのだろう。
「私の死因は屋上からの飛び降り」
「君も自殺ってことだよね?」
結局のところ、飛び降りたのは希織の意思なのではないかとも思うのだ。
「いじめはひどくなる一方である日私は優愛に屋上に呼び出された。多分、私は何をされても優愛のことを憎み切れなかった。だから、また優愛と話せるのは嬉しかった。話せばわかり合えるって思ってた」
そんな言葉とは裏腹に今の希織は彼女に対して激しい感情をむき出しにしているように見える。
「でも、優愛が私の背中を押した」
結人は絶句した。希織の言うことを全面的に信じようとは思っても、どこかではまだ優愛を庇おうとしている。
「玻璃姉の言葉覚えてる?」
問われて結人は思考を巡らす。言われたことは忘れないようにしているつもりだが、一体何のことを指しているのか。
「心を奪われた時点で死んだのと同じ。使命に忠実な傀儡になってるって」
「ああ、うん……」
「一線を越えて生け贄を捧げて彼女達は完全に魔女となって、自由に力を使えるようになるのかもしれない」
魔法使い側も魔女のことは何もかもわかっているというわけではないのだろう。魔女のことは魔女に聞かなければならないのかもしれない。優愛か莉愛か、聞いたところで答えてくれるともわからない。
聞いて何になるのか。自身の身を危うくするだけかもしれない。彼女達への接触はできることならば避けるべきなのだろう。本当は希織が全てを終わらせるまで。
その時は、世界から優愛と莉愛が消えるということになるのだろうか。
「あの時、優愛はもう優愛じゃなかった。莉愛もそう。だから、本当はそんなことしたくなかったんじゃないかって私は思う。彼女達の本当の心が助けを求めるから私達が生まれるんじゃないかって」
不可解な魔女と魔法使いの関係、全ては推測、それでも納得するしかないのだろう。
「彼女達を突き動かす感情は正義でありながら悪意でしかない。自分に優しい正義を信じている。何が彼女達をそうさせるのかはよくわかっていない。悪魔なのかもしれない。嘆き怒る心が悪魔を生み出したのかもしれない」
魔女達は正義の味方というにはそれらしいことをしていない。怪人を倒してきた伊万里を光によって焼き殺した。
しかし、悪魔というのも躊躇われる。
「自分が何なのかもわからない。私も悪魔なのかもしれない。それでも、私は止めなきゃいけないから」
結人の脳裏に希織の姿が蘇る。魂の在処に手を当てて震えていた。自分が本当に生きているかもわからずにいた。自分が何であるかもわからず、苦しんでいる。
そうして、結人は改めて希織を見る。ひどく顔色が悪い。伊万里の遺言通りにとデートを決行したものの、そうするべきではなかったのかもしれない。
だが、放っておけば戦いに出てしまうような空気が希織にはある。こうして留めておくのも自分の役目なのではないかと結人が思うくらいには。
「希織ちゃん、ちゃんと寝てないよね?」
「大丈夫。戦える」
やっぱり、と結人は内心溜息を吐いた。判断基準が戦えるか戦えないかとは悲しいものだ。
「ダメだよ、このままだと希織ちゃんが壊れるよ」
「私を止めないで」
希織の声は鋭く、悲鳴のような声である。
「だって、俺、伊万里さんから任されてる」
結人も引くわけにはいかなかった。
「私が伊万里の敵を討つ!」
希織が叫ぶ。だが、そうやって大声を出したせいか希織の体が傾ぐ。ふらりと床に倒れそうになるのを結人は支える。その体はやはり小さく、かかる重みは前より軽くなったようにさえ感じる。
しばらく希織は大人しくしていたが、急にはっとしたように体を押しのけようとするから結人は更に力を込めて逃すまいとする。
そうして、思い出すのだ。図書館裏でのことを。だから、結人は率直に今浮かんだ疑問を希織にぶつけてみることにした。
「あのさ、前に、このままって言ってたのは何?」
希織はきょとんとして結人を突き放そうとするのをやめて見上げてくる。
「図書館の裏で、火のドラゴンを出した時」
「わ、私、何か言った?」
希織は動揺している。心当たりがあるといった表情だ。
「希織ちゃん、とぼけるの下手だね」
「聞き間違いとか……」
「本当にそう?」
じっと見れば見る見る内に希織の顔が真っ赤に染まっていく。
「教えて? じゃないと離してあげない」
強気に出る結人に希織も観念したようだ。
「笑わない?」
「笑わない、と思う」
「思う?」
前科があるからか希織が疑いの眼差しを向けてくる。
「保証はできないよ。可愛いこと言われたら我慢できないかも」
我ながら臭い台詞だと思わなかったわけではないが、希織は何も言ってこないからこそ、結人は続ける。
「何でも言ってよ。俺にはさ。玻璃さんや謙さんに言えないこともあるでしょ?」
結人は中途半端な存在だ。魔法使い側でもなく、魔女側でもない。だからこそ、言えることもあるのではないか。いつまでこんな状態が続くのかもわからないが、いられる限りは彼女の支えになるつもりだった。
「伊万里に言われたから?」
だから、仕方なく世話をするのか。希織の目はそう訴えている。
「違うよ。俺自身がそうしたいって思うから。伊万里さんは俺に大義名分を与えたんじゃない?」
結人は自分自身の選択だと思っていた。たとえ、伊万里に何を言われようと本来守る理由はない。首を突っ込むのも危険を承知したつもりの上で自らそうしたことだ。
「私達は一度死んだはずだった存在、だから他人との繋がりが希薄になる。生きてるのに生きてない。死んでるのに死んでない」
「でも、生きてるよ」
確かな体温を、その存在を結人は今抱き締めている。その甘い香りを感じている。優愛や莉愛ほど強くないのは彼女の存在が薄いからではない。不自然さがないだけのことだ。
そして、希織が泣きそうな顔をするから結人は一層守りたいと思うのだ。自分の腕にさえ彼女はすっぽりと収まってしまう。代わりに戦ってあげることができたら、とさえ思うのだ。
どうして、この残酷な運命が彼女だけのものなのか。
どうして、自分は見ているだけで何もできないのか。
このまま巻き込まれているだけでいいのかとは思う。何か糸口があればと考えてもそう簡単なことではないだろう。それこそ中間に立っているからこそ、見届けることしか許されないのかもしれない。
きっと終わった時には忘れてしまう結末を見ることに何の意味があるのかと結人自身も思うが、誰にもわからないことだと諦めもある。
「だから、あんなに他人の存在を感じたのは久しぶりだったの」
言いにくそうに、恥ずかしそうに、ぼそぼそと希織が言う。今、彼女は抵抗を忘れているようだ。
「暖かくて優しくて一人じゃないって、強くなれると思った」
希織が炎のドラゴンを出したのはあの時が初めてだったのだろうか。結人という足手まといを背に迅速に決着をつけてみせた。
「今も凄く安心してる。幸せ、ってこういうことかなって……」
はにかむ希織にむしろ結人が幸せを感じていたが、言えるはずもない。言ってしまえば、全力で突き飛ばされているのは目に見えている。そして、心の内に暗い感情が広がるのも感じる。
「謙さんじゃなくても?」
「何で謙が出てくるの?」
希織は不思議そうに首を傾げる。
「いや、謙さん、イケメンだし?」
「そう、かな?」
更に不思議がるからこそ、結人の方が怪訝に感じるほどだ。
「身内に厳しくない? あの人、モデルでしょ?」
見慣れているからか、案外謙の扱いが悪いのか。どちらにしても、一般的に彼がイケメンであるのは間違いないはずであった。
「謙、伊万里に散々ヘタレってからかわれてたし、謙の載ってる雑誌見ようと思っても目が腐るからダメって言うし」
伊万里なら言いかねない。結人は納得する。きっと、伊万里こそ同性にモテたのだろうというのも容易に想像できることだ。
「謙さんは、ち……何さん、だっけ?」
「智春さん。ただの幼馴染みだって。死因は痴情のもつれだってみんな言ってるけど、謙は本当にただの妹くらいにしか思ってなかったって」
「それも残酷だと思うけど」
これだからイケメンは、と結人は今ここにはいない謙に腹を立てていた。幼馴染みというものに憧れる時期が結人にもあったものだ。
「謙がモデルになるきっかけって智春さんだったんだって。でも、謙が有名になって遠く感じたのかもって。それで嫉妬心が生まれたんじゃないかって。だから、謙は責任もって智春さんとのこと決着つけるってる」
自分は関係ないでは済まない。それが彼らの世界というものだろう。使命から逃げることはできない。
「それで、どうする?」
「ど、どうするって……?」
希織が動揺しているのがわかったが、結人はそれを楽しんでいる部分があった。
「このままがいい?」
問えば、弱々しく顔を真っ赤にして希織が首を振る。
「いいよ、このままでいよう」
「ちょ、ちょっと……」
無視する結人に希織が抗議の声を上げる。
「どうせ、することないし。仲良く昼寝でいいんじゃない?」
そのまま、結人は希織の言うことを無視した。
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