2-6
希織に連れて行かれたのはマンションだった。その一室、名前は『救仁郷』と書かれている。
扉を開けて出迎えたのはセミロングの黒髪の美女だった。背は高いが、伊万里ともまた違うグラマーな女性だ。しかし、莉愛や優愛のような嫌みもない。吊り上がり気味の目を取り囲む濃いアイラインが印象的で唇は輝きを押さえたベージュだ。格好いい女性だと結人も思う。
「私は救仁郷玻璃。長女ってところかしらね」
結人の姿に気付いて彼女は言う。伊万里が言っていた姉御なのだろう。その雰囲気に結人は納得する。不意に伊万里がニヤニヤと笑いながら女子大生と言っていたことを思い出した。
「君のことは伊万里から聞いているわ。とりあえず入って。謙はもう来てるから」
自分が知らない相手に知られているということは必ずしも嬉しいことではない。本当に伊万里は何を言ったのだろうと結人は不安になったが、玄関で突っ立っているわけにもいかなかった。
玻璃の部屋は一人暮らしなのだろうが、女子大生の部屋と言うにはこざっぱりしすぎているようでもある。
忍成伊万里を偲ぶ会は四人で小さなテーブルを囲み、しめやかに始まった。テーブルには伊万里が好きだったと言う食べ物や飲み物が並べられている。彼女が確かにいたということを実感するための行為なのかもしれなかった。
「もし、自分が負けた時はそれでも華やかにやってくれって伊万里は言った。笑ってくれって。遺言ね」
玻璃は微笑んでいるが、それでも寂しげだ。悲しみを消すことなど誰にもできないだろう。謙も飲み物を手にしたまま俯いている。
「伊万里は私なんかよりもずっと仲間意識が強くて、人一倍この儀式に強い思いがあったと思う」
それが伊万里らしさというものなのかもしれない。
「誰かが敗れた時には一晩中思い出を語り、役目を終えた時には盛大に祝った」
彼女の好きそうなと言えば語弊があるが、その様を想像するのは容易い。自分の家族のように悲しみ、喜んだのだろう。結人も彼女のそういうところが良いと思う。
「あの子、何がそんなに面白いのか、いつも私のことを救仁郷の姉御、姉御って言うのよ。ヤクザじゃあるまいしせめて玻璃姉にしなさいって言ってたのに」
玻璃は苦笑いだ。
「そういうところ頑固で、特に伊万里は魔法を使いたがらなかった。あれで本当は臆病なところもある子だったから、自分の力に飲まれるのが怖かったのね」
意外な一面であるが、彼女も女の子であるのだし、何より結人が知るのは彼女のほんの一部分でしかない。
ここにいていいのかと場違いに感じるくらいだが、歓迎されていないという風でもない。
伊万里を知っていること、謙と玻璃の二人にも話をしているからか。
「魔法使い、なんですもんね……」
結人の中で不思議だったのは魔女や魔法使いと言われながら伊万里にはそれらしさがないことだった。炎を自在に操る希織はまだわかるが、彼女が鞭以外を持っているところを見たことがない。最後まで魔法と言えるようなものを一切公使していなかったようでもある。
「変身すること自体が魔法であるとも言えるし、私達の存在に明確な定義があるわけでもないのよね」
何であっても人知を越えた存在であることは間違いない。
「あっちはみんなを魔女って言うけど、そうすると俺は女じゃないし、魔男と言われたこともないし……でも、魔法使いっていうと嫌がられる。まあ、確かなものなんてないよ」
謙の言う通りなのかもしれなかった。彼らにとっては対を倒して生きるか、倒されて死ぬか、それだけしかないのだろう。
死んだようで死んでおらず、生きているようでやはり生きていない。宙ぶらりん、狭間で生きているとも言えるのかもしれない。そして、結人はその狭間を垣間見ているだけにすぎない。
「私がもう少し早く駆けつけていれば……!」
ずっと黙っていた希織が口を開く。
「私のせい。私が優愛を振り切ってれば間に合ったかもしれないのに……!」
自責の念に駆られているのだろう。堰を切ったように希織は言葉と感情を溢れさせる。ボロボロと涙が零れ落ちてカーペットにシミを作る。その背中をさするのは玻璃だ。
「伊万里がなんと言おうとこれは個人の問題だって私は主張を続けてきた。あの子も本当はわかってる。責めたりしない」
伊万里の死は希織のせいではない。結人から見ても間違いない。結人に希織を託した伊万里が責めることは考えられないことだ。
そもそも、伊万里と莉愛の因縁があり、その戦いに決着がついたということだ。希織にとっては割り切れないことだろうが、彼女にも彼女の――優愛との戦いがある。
「怒りに身を任せて力に飲まれないことよ、希織。わかってるでしょ?」
玻璃は姉のように、あるいは母親のように優しい声で語りかけるが、希織は涙を流すばかりだ。
「伊万里はあなたを希望だと言った。それはわかる」
生前というのも妙に思えるが、伊万里は玻璃に何を伝えていたのだろうか。希望であるからこそ側にいて守ろうとしたのだろうか。
「私にとってあなたは小さくて甘ったれな末っ子。でも、同時に世界を飲み込む紅蓮でもある。恐ろしい早さで進化してる。使いこなしてるとは言い難いけど、誰よりも強い力を持っている」
結人が見た限りでも彼女は炎のドラゴンに魔女のシモベを飲み込ませたり、炎の翼を広げたり、昨日はその姿を変化させもした。
伊万里があちらが焦っていると言ったのは相手が希織を脅威と感じ始めているということか。だから、伊万里を失わせることでその勢いを殺ごうと言うのか。
「どうして、こんな小さな体の中にあれだけのパワーを秘めているかわからない。でも、だからこそ怖いのよ。あまりにも危うい」
結人も同じように不思議に思っていた。彼女は強いのだ。だが、どうして、あれほど強くあれるのかはわからない。今、玻璃に宥められている彼女はやはり小さく弱い少女でしかない。
炎を生み出す原動力はどこにあるのだろう。優愛に見せたあの怒りだろうか。希織は自分を死に追いやった優愛を憎んでいるのだろうか。
そもそも、二人の関係も明らかにはなっていない。どうして、優愛が希織を死なせるようなことをしたのだろうか。それは莉愛と伊万里に関しても言えることだ。
「あなたの力があれば乗り越えられると思う。けど、私達は暴走する正義を止める力であって正義ではない。偽りの白と対とは言ってもその黒い姿を見ればわかる通りにね」
魔女達は白とそれぞれのカラーなのか二色の可愛らしい服を纏い、白い怪人を生み出す。正義を掲げるが、そうとは思えない。断罪する側も黒を纏い、正義であるとは言い切れない。希織が嫌うようにその姿は可愛らしいとは言えない。
「私達は魔女を倒すことで、彼女達にもたらされた理不尽な死を彼女達のものに変えられる。代わりに生を得る。それが正しいことかと疑問を投げかけた魔女もいた」
結人も疑問に思わなかったわけではない。魔法使いが魔女に倒されれば死を回避できず、死を回避したならその死はどうなるのか、魔女はどうなるのかと。
だが、どちらか一方しか救われないのなら、希織と優愛のどちらかは必ず世界から消える。両方を救う方法は存在しないのだろうか。それは部外者だからこそ抱く希望か。
「不条理に怒りながら闇に飲まれ、確かな死を知覚して声を聞いた。深淵から蘇った私達は本来あってはならない。世界をねじ曲げて生きている。失ったものを取り戻すために。それでも、帳尻は合わされる。世界は残酷だわ。私達なんか些細な存在でしかない」
淡々と玻璃は続ける。今は落ち着いて見える彼女の内にも激情があるか。魔女を倒し、それでも見守るために狭間に留まっている。まだ死ぬ可能性があるというリスクをおかしながら。
彼女は何を思っているのだろうか。
そこで玻璃が結人を見る。不躾な視線に気付いたか。
「何か聞きたいことはある?」
「救仁郷さんは……」
「玻璃で良いわよ。救仁郷なんて喜んで呼ぶのは伊万里だけ」
どうやら彼女は名字で呼ばれることをあまり好んでいないらしい。
「相手の魔女を倒しているんですよね?」
「そう、魔女は倒さなければならない。私達は使命を終えれば消えられる。私はこの狭間にいることを引き延ばしているだけにすぎない」
その程度の歪みなど世界にとってはやはり瑣末なことなのかもしれない。
「けれど、魔女は止める者がいなくなるだけ。だから、私は留まる。次の犠牲者が出る前に魔女を倒す。新たな魔法使いが生まれた時の語り手でもある」
その信念を失った時、彼女は狭間から去るのだろうか。
魔女は存在する限り種を蒔き続けるのだろうか。
「現に大平姉の対は伊万里で二人目。その前にも一人やられてる」
そういうこともあり得るのだと結人は驚きを隠せなかった。だが、納得もできる。莉愛は伊万里の死を何とも思っていない様子だった。結人に迫るあの目は次の獲物を探しているともとれた。
「妹の方はしばらくその影響下にあったから、あの姉妹はかなり凶悪」
「希織ちゃんをなぶり殺すって……」
狩りを楽しむような莉愛を思い出して結人は身震いした。
「今、大平姉妹が希織をターゲットにしてるのなら、それはそれでいいのよ。希織は大変だろうけどね」
「私は大丈夫」
一対二、圧倒的に不利だというのに希織は怯えるわけでもない。
莉愛を倒したとしても、もう二度と伊万里は帰らないのだろう。もうそれは決定したことであり、魔女と魔法使いの存在の違いなのかもしれない。無念に対する救済であり、それを受けられるかどうかは本人にかかっている。
それでも、放っておくことなどできない。
「可愛い末っ子でも、私は一緒に戦えないわ」
「……わかってる」
玻璃は積極的に味方するわけではないようだ。責める権利は誰にもないだろう。
「俺も智春がいるから助けてあげられないよ」
智春、それが彼の対となるあの白と紫の魔女の名前だろうか。
「両方死ぬか、どちらかが生きるか。全て何事もなくとはいかない。時は巻き戻らない。心を奪われた時点で死んだのと同じ。使命に忠実な傀儡となっているだけ。それは覚えていて」
玻璃の言葉は誰に向けたものだったのか。けれども、玻璃はそれ以上答えてくれそうにはなかった。
彼女もまた伊万里の死を悼んでいる。伊万里は彼女を姉御と慕っていたし、玻璃にとっても妹分であったに違いない。
だから、そっとしておくべきなのだろうと結人は口を噤む。謙も何を考えているかはわからないが、少しずつそこにあるものを食べているだけだった。
玻璃の部屋を出て、結人は希織を途中まで送っていくという任務を言い渡されていた。
けれど、何かを言える空気でもない。ただ並んで歩くだけだ。
「明日のことだけど……」
先に口を開いたのは希織だった。明日は土曜日、希織とのデートを決めたのは伊万里だった。デートは中止だと彼女は言うのだろう。そんな空気を感じたからこそ、結人は先手を打つ。
「予定通りデートはしよう」
「こんな時に何言って……!」
希織は非常識だと言わんばかりだ。けれど、結人はそんな非難も今は怖くなかった。
「こんな時だから言うんだよ。だって、デートしろって言ったのは伊万里さんじゃないか。あれも遺言だって俺は思うんだよ」
伊万里が半ば強引に決めたことであり、頼んだと彼女は言った。だから、結人は希織を放っておくわけにはいかない。
「気乗りがしないなら、無理にどこかに行かなくたっていい。一緒にいよう。そういうデートもあるよ」
「そういうデートをしたことが?」
じーっと見られて結人はたじろぐ。
「な、ないけど……」
当然のように言ったものの、結人とてデート経験があるわけではない。希織を納得させられればそれで良かった。彼女を放っておくわけにはいかないのだから。
「一緒にいるよ。それだけ」
そうして、希織が小さく頷くのを見て結人はほっと胸をなで下ろした。
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