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Virtue and Vice  作者:
第一章 怪人と魔女
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1-1

 眠たげにしていた目が朝の眩しい日差しによって更に細められる。両眼は先程から睡魔と攻防を続けているせいで何度も閉じかかっている。もうくっつきそうなばかりだ。眠気に負けそうになりながら重い瞼を押し上げ、少年は空を見上げる。

 晴れ渡る蒼穹とほどよい風、しかし、清々しい朝とは言い難いのは自己管理に問題があるからだ。

 少しばかりゲームに励んで夜更かしをしたせいで睡眠不足の頭は働いているとは言い難いし、未だ体も布団の暖かさを求めているかのようだ。覚醒しきっていないのだ。月曜日だからこそ休日の怠惰を引きずっているようでもある。

 しかし、今、眠るわけにはいかない。少なくとも学校に着くまでは寝られるわけがない。

 登校の真っ最中である今、眠気に負けて意識を手放せば路上に転がることになる。だから、早くも帰りたいと思いながらもせめて硬い机に身を委ねようと何度目かもわからない欠伸を噛み殺す。

 取り分け怠惰ではないのだが、真面目とも言い切れない。学生の本分は勉強とは言わないものの、遊び呆けるわけでもない。学校にさえ着けば時々舟を漕ぎながらも授業を受け、起きている間ぐらいは必死にノートをとる。

 少年――正木結人(まさきゆいと)は極普通の高校一年生だった。平凡で、それ以上にも以下にもなれない。何もかもがそうであって、抜け出そうにも努力でどうにかなることは限られている。

 平均身長よりも低く、これからの成長に期待をしながらも、どこかではもう無理だと悟っている。両親の姿を見れば過度な期待ができるはずもない。


 駅を出て、前方には結人と同じ制服や他校の制服、サラリーマンの姿などが見受けられる。早足に人の波を抜けていく者、寝ぼけ眼をこすりながら歩く者や友達と談笑する者など様々だ。

 いつもの風景を見やりながら結人もとぼとぼと学校へ向かうはずだった。硬い机でもいいから突っ伏して眠りたいなどと思いながら。

 そんな朝の平和が一変したのは結人が瞬きをした瞬間だった。甲高い悲鳴に目が限界まで見開かれる。

 目の前には逃げ惑う人々、前方から波が来るように騒ぎが伝染する。

 モーセの十戒のように、とはよく言うが、正にそうなっていた。人の海が左右にぱっくりと割れ、呆然と立ち尽くす結人の前には得体の知れない姿があった。

 かろうじて人型と言えただろうか。白く、二足歩行する人とも獣とも言えない醜悪な姿は特撮テレビドラマに出てくる怪人を思わせる。むしろ、そのものだとも言えたかもしれない。

 結人はカメラを探す。特撮の撮影があるなどという話は聞いていないが、いるはずのものが見当たらない。

 目の前では次々に人が襲われ、悲鳴が上がる。あまりに現実味のない光景だった。変身するヒーローは現実には存在しない。背中にファスナーのある作り物がいるだけだ。

「あー、夢か」

 結人は呟いて、自分の頬をつねる。

 いつの間に眠ってしまっていたのだろう。電車の中で寝て乗り過ごしたことはあっても、未だかつて歩いている時に眠ったことはない。路上で寝転がっているなど遠慮したい事態であるが、夢ならば覚めなければならない。夢の中で登校してもどうにもならないものだ。

「あ、あれ……」

 頬は確かな痛みを伝えてくる。何度目を擦っても、異形の者がいる。その背にファスナーは見当たらない。

 くるりと振り返り、結人へとゆっくり近付いて来る目は爬虫類を思わせる。ぎょろぎょろとして気持ち悪い。

 これが現実なのか、結人の頭は酷く混乱して動くこともできない。死ぬのか、この化け物の手にかかって、無残な死を遂げるのか。

 背景には破壊されたロータリー、皆、逃げ去っている。異様な光景を撮影しようと試みた猛者は道の端に倒れ、生きているのか死んでいるのかもわからない。

 自分もああなるのか、伸ばされる凶暴な爪を持った腕を認識して、結人はぎゅっと目を閉じた。

「紅焔よ、踊り狂え」

 玲瓏な声が響き渡り、結人は急な熱さに目を開ける。紅蓮の炎が渦巻いて怪人を襲っている。

「下がって」

 もう一度、涼やかな声が聞こえ、見ればすぐ側に少女が立っている。

 腰に届かんばかりの黒髪は風に靡き、照りつける太陽の下で艶やかに煌めく。おそらく一度も染めたことがないのだろう。

 露出している僅かな肌もこれだけ日光に照らされているというのに、焼けることを知らないかのように白く、眩しいほどに輝いて見えた。

 制服を着ていなければ小学生かと思うほどの背丈しかない。いや、彼女より大きい小学生は今時大勢いることだろう。何もかもが小さいという感想を結人は抱く。ひどく華奢で、手足は棒のようであり、腰さえもどこもかしこもすぐに折れてしまいそうでもある。怪人の手に掛かれば一溜まりもないのではないかというほど頼りなげだった。

「君は……?」

 眼前で燃えさかる紅蓮の炎は彼女の仕業なのか。だとすれば、この少女は一体何者なのだろうか。

 制服を着ている。だから、学生だろう。中学生ではない。彼女が着ているのは結人が通う双羽(ふたば)東高校の近くにあり、紛らわしいとも言われる双羽高校のものだ。双羽東は県立、双羽は私立であり、東が付くか付かないかで大差がある。その制服を着たいがために受験する者もいるほどデザインがいいと評判だが、一式揃えるのにもかなりの金が必要になると専らの噂である。

 とは言え、双羽東も普通のレベルの学校である。もっと細かく分けるならば悲しいことに中の下程度ということにはなってしまうのだが。

「すぐ終わるから」

 追及を拒むように少女は右手をすっと延ばし、結人を制する。

 炎に照らされた横顔は美しくも悲しく見えた。

「おのれ、魔女め……!」

 不気味な声ははっきりと聞こえた。結人でも少女でもない。怪人は炎に包まれているはずだったが、次の瞬間にはそれが霧散する。

 火炎に包まれていたはずの怪人の体は焼け焦げた痕跡も見当たらない。確かにその熱を感じていた結人は困惑する。

「それはお前の飼い主のことでしょう。卑しいシモベの分際で」

 ひどく冷ややかな少女の声は、まだ熱気の残る空気を凍て付かせるのではないかと錯覚するほどだった。

「あんまり、見ないでね……醜いから」

 ぽつりと吐き出された寂しげな言葉が自分にかけられたものだと結人が気付いたのは、少女の体が一瞬にして黒い霧に覆われた後だった。

 何がなんだか結人にはさっぱりわからない。夢ではないようだが、現実とも思いたくない。完全に脳の許容量を越えた事態を飲み込めずにいる。

 昨晩遅くまでゲームをしていたせいだと思いたかった。これはやはり悪夢でしかないのだと。少しばかりリアリティーがあって覚めない夢なのだと。

 いつしか霧は晴れ、少女の姿が再び現れる。結人がはっと息をのむのも無理もないことだった。

 霧の中で何が起きたのか少女の姿はそれまでとは違うものとなっていた。手品かイリュージョンか、双羽高校の制服を纏っていた体は今や黒一色である。

 レザーか、ぬらりと光る漆黒が露出の増えた少女の透き通るように白い肌を際立たせる。細い腰を強調するように締め上げるコルセット、制服のスカートよりも短いプリーツスカート、膝の上まであるブーツは後ろが編み上げられている。

 それだけならばまだパンクファッションと言い切ることができたかもしれないが、何よりも異質なのは頭部と腕だ。刺々しい奇妙な形の兜を被り、腕はグローブと言うには途中から肌と同化するようである。鱗のようなものがあり、鋭い爪がある。

 少女が言ったほど醜いとは思えない。むしろ凛とした立ち姿は美しいと言えるが、尋常でないことは間違いなかった。夢が特撮からファンタジー――ロールプレイングゲームの世界にでも変わってしまったかのようである。

「邪魔をするな、汚れた魔女め!」

 声は怪人が発しているものらしかった。低く太く耳障りな声は男と判断していいのだろう。やはり中に人が入っているのではないかと思わされる。ファスナーがわかりにくい最新のスーツでも開発されたのではないか。

「汚れているのはお前の主の心――故に私が生み出された」

 何を話しているのか結人にはさっぱりである。両者が何者であるのかわからないまま、ないものとして扱われているようだ。わかることと言えば怪人が人々を襲ったこと、少女が怪人にとって敵であるのは確実だということだ。だとすれば、少女は正義の味方ということになるのか。

 ゲームのコスプレのようにも見えるし、全身を深淵の闇色に覆われた様は禍々しくも感じる。しかしながら、その華奢な背中に強い意志が見える気がするのだ。だから、結人は彼女を素直に格好いいと思う。

「お前を殺すことが我が主の望み! ぐおぉぉぉぉぉっ!」

 怪人が叫び、咆哮をあげ、獣のように少女に飛びかかろうとする。その体格差は歴然であるが、少女が臆する様子はない。動きもしないのは気圧されているわけではなく、それだけ落ち着いているということなのだろう。

「紅焔よ――」

 少女が紡ぐと同時に延ばした手に炎が収斂される。

「――剣となれ」

 言葉通り、炎は剣としての形を成していく。まるで生きているかのように、意思を持って少女の命令を聞くかのように。

 燃えさかる炎だったものは今や一振りの長剣と化し、少女は軽々と振るう。何やら複雑な装飾がされているようだが、見ている暇はない。怪人は意外にも素早い動きでかわし、崩れた体勢をも立て直し、また攻撃に転じようとする。見た目に反して軽捷な動作が可能らしい。

 それでも少女はまるで動じていない様子で剣を振るう。剣先から火炎が吹きだし、怪人を食らおうとするかのようでもある。

「そんなもの痛くも痒くもない!」

 怪人は笑ったようだった。実際、炎に巻かれて火傷一つ負っていないのだから虚勢とは言い切れない。少女はこの怪人に勝てないのではないかと結人が一抹の不安を抱くくらいだ。

「人間なんか庇って勝てると思ったか!!」

 怪人の攻撃の矛先が結人へと向けられるが、少女の冷静さを揺るがすことはできなかったようだ。

「紅焔よ、盾となれ」

 即座に結人の前に炎の壁ができ、怪人を阻む。しかしながら、剣は消え、少女に隙ができたように結人には見えた。それは怪人にとっても同じことだ。

「もらったぁっ! さらばだ、魔女め!」

 怪人は少女へと爪を振りかぶる。少女は避けようとはしない。結人は目を閉じる。

「ぐはっ……がぁっ……!」

 聞こえてくる苦悶の声は明らかに少女のものではない。結人は怖々目を開けてみる。

「業火に焼かれていた方がましだったかもしれないのに」

 少女の呟き、その黒き手は怪人の腹の辺りを貫いている。

「紅焔よ、焼き尽くせ」

 少女の腕が炎を帯び、怪人を内側から焼いていく。ずるりと少女の腕が抜かれれば炎は怪人を包み込み、爆砕した。

 怪人は跡形もなく消えていた。少女は振り返らないまま前へと進む。

「ねぇ、待って……!」

 結人の呼びかけは届かなかった。少女の姿は黒い霧に包まれ、消えていた。

「一体、何だったんだ……?」

 呟いて、結人は目を瞬かせた。特撮テレビドラマばりの怪人の出現に、皆、恐慌に陥り、逃げ去ったはずだった。なのに、なぜ、何事もなかったかのように、いつものように通勤・通学の風景が広がっているのか。ロータリーに破壊の跡はない。

 それこそ、全てが夢だったかのように。

 けれど、駅の時計を見れば、いつもより進んでいる。数分の空白、それは何かがあった証明と言うには不確かに思えた。狐につままれたようである。

「何なんだよ、本当に」

 もう一度、結人は吐き出す。眠気はもう綺麗さっぱり飛んでいた。

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