本の人と海の羊竜と赤い悪魔
「――彩萌ちゃんは下僕になーる……、彩萌ちゃんは僕になーる……、彩萌ちゃんは幻想が好きになーる……」
「うう、ん……あやめはふぁんたじーのしもべ……ふぁんたじー?」
変な声が聞こえた様な気がして、彩萌は目を覚まします。
夕焼けがものさびしく、肌寒いです。
枕元にはふあふあな物があります、シーシープドラゴンのしーちゃんです。ちーちゃんではありません。
彩萌は眠くて、重たい瞼をこじ開けながら視線を動かしました。
「だれ……」
「リーディア・マクレンシア・ドルガー」
「――……魔法書の?」
「魔法書の」
ベッドの近くに、しゃがみ込んで彩萌の顔を覗き込む人が居たんです。
とっても若かったです、お姉ちゃんと同じくらいだと思います。
目が大きくて、幼い感じがします。
「どうしてもやらないといけない事があるから、隙を見て来ちゃった」
「隙?」
「猫は敏感だからね、魔法使いの僕だからね」
「ねこさん……」
リーディアさん(仮)は彩萌の腕を取って、袖をまくったんです。
そこはマルクス君の所為できらきらです。
「こんなの体に毒だよ、彩萌ちゃんにとっては毒だよ」
そう言ってリーディアさん(仮)がなでなでしたら紫のきらきらは消えてました。
マルクス君ざまーです。
「それとあの王子の事なんて呼んでる?」
「まるくすくん」
「不敬罪だね、今度からはユヴェリア王子って呼ばないとね」
「でも……本人がそれが良いって」
「ユヴェリア」
「本人にかくにんしなきゃ……?」
「ユヴェリアだよ、ユヴェリア、分かる?」
「……ユヴェリアおうじ」
「あの王子、僕の事嫌いらしいんだよね。ムカつくよね、あんまり近づかない方が良いよ」
そう言うとリーディアさん(仮)は彩萌の頭をなでなでしました。
なんだか、そうされるとすっごく眠くなって、彩萌は目を閉じたんです。
私の名前は叶山彩萌、ドラゴン使いの勇敢な乙女です! 羊ですけどね!
さっきまでお昼寝をしていたのです、そこに誰かが居た様な気がしましたが誰も居ません。ホラーですね。
ふと、枕元を見るとしーちゃんが居ません。どこ行っちゃったんでしょう?
「それにしても……、本当にお兄さんが居た様な気がしたんだけどなぁ」
「それは俺の事だね、きっとそうだよ、だって彩萌ちゃんにとってちょっとカッコよくて素敵なお兄さんは俺ですからね」
「まおうかっこいいー! でもちーちゃんのほうがかっこいい! だってちーちゃんはどらごんだからね! がおー!」
「ははっ、このヒツジカワイイー、焼いて食べたら絶対おいしいよ」
「ありがとー! まおうもぜったいおいちい!」
「どういたしましてー」
おいしいは、幻想では褒め言葉なんですか……?
突然音もなく現れたびっくりな頭の赤いお兄さんを見ます、ヘタレによるとこの人の名前はディーテさんらしいです。
なんか、自然な感じでしーちゃんがディーテさんの頭の上に乗ってますよ、良いんですか?
「これ、なんていう動物?」
「えっ、お兄さん魔王様なのに知らないんですか? イズマさんが連れてきたんですよ」
「ちーちーぷどらごんのちーちゃんだよ!」
「魔王だからって魔物に詳しい訳じゃないよ、国王が国民の名前とか一々覚えないみたいな感じですよ」
「ちーちーぷどらごんのちーちゃんだよ!」
「ちーちーぷどらごんのちーちゃん?」
「ちがうよ! ちーちーぷどらごんのちーちゃん! まおうなのにちーちーぷどらごんのちーちゃんもいえないの?」
「ごめんね、俺にはちーちーぷどらごんのちーちゃんって言ってるようにしか聞こえないや、難しい問題だよね」
「あってますよ、お兄さんは間違ってないですよ、この子はちーちゃんって言ってますよ」
「ちーちゃんだよ!」
「だよね、ちーちゃんにしか聞こえないもんね、この子なりに頑張ってるみたいだけどちーちゃんだよね」
「シーシープドラゴンのしーちゃんですよ」
「へぇ、シーシープドラゴンってこんなにヒツジだったんだ、知らなかったなぁ」
頭の上に乗ったもふもふしたしーちゃんを触りながら、ディーテさんはのほほんと驚いてました。
……本当に驚いてるのかな? この人何考えているのかいまいち分かんないです。でもイズマさんがしーちゃんを捨てた訳がなんとなく分かりました。うるさいです。
無断でベッドに腰掛けるディーテさんは、しーちゃんをもしゃもしゃ触ってました。
「しーちゃんさー、魔法使えるでしょ?」
「えっ、知らないです」
「そうなんだ、しーちゃん魔法使えるよね? どんな魔法使うの?」
「えーっとねー! ちーちゃんうぇいぶがつかえる!」
「あれ、今名前考えたんですか? しーちゃん今名前考えたんですか?」
「ふはははは! こむすめよくぞみやぶった! おほめする!」
「何処でそんな言葉おぼえて来たんですか……」
「ねーちゃん!」
「しーちゃんうぇいぶ見たいなぁ、やってよ」
「いいよ!」
「えっ、ちょっと……まって!」
なんだか嫌な予感がして、立ち上がった時には時すでに遅しでした。
一言で言うなら、しーちゃんうぇいぶの威力恐るべしでした。伊達にドラゴン名乗ってないね! って感じでした。
家中水浸しになりましたが、ディーテさんが魔法で戻してくれたので問題なかったですけど……。
というかディーテさんが居なかったら無事じゃなかったですよ? というかディーテさんしーちゃんうぇいぶの威力分かってたんじゃないですか? 魔法準備してましたよね?
お母さんの記憶を消すのに手間取りましたよ! ディーテさんが!
「いやーすごいねしーちゃんうぇいぶ、また見たいな」
「いいよ!」
「ダメですよ!」
しーちゃんがイエスマン過ぎて困ります……。
彩萌が溜息を吐いたのを見て、ディーテさんは笑って言ったんです。
「今日の夕飯カレーだって、楽しみだよね」
「何いただいて行く気満々になってるんですか!? ダメですよ!」
「ちーちゃんはちーふーどかれーがいいな!」
「俺はねートマト入りのカレーが好きかなぁ、夏野菜カレーって美味しいよね」
「今は夏じゃありませんよ」
「彩萌ちゃんのお母さんには許可取ったから大丈夫だよ、今日の俺は猪妻・カーマイン・五郎だから」
「家族を洗脳するのは止めてください! というかなんで五郎なんですか?」
「響きが好き……かも?」
「ちーちゃんも……すき!」
「相思相愛だね、俺もしーちゃんは好きだよ、ラムは美味しいからね」
「ちーちゃんもらむたべるよ!」
「共食いかぁ、しーちゃんワイルドだね」
「わいるどだろー!」
「彩萌の家が幻想色にしんしょくされている……!」
ちなみにこの魔王、泊まって行きやがったんですよ!
なんでも、リーディアさんに家を追い出されたらしいです。しらねーですよ!
その理由が彩萌に何も言わずに魔法を使わせようとしたから、らしいです。自業自得だ!
というかそんな事で怒られたのになんで彩萌のとこに来てんですか!
どうやらジェリさんもリーディアさんに怒られていたらしいです。自業自得です。
なんでも、彩萌は魔法が使えない体なのでいきなり魔法を掛けたりするのは危ないらしいですよ。
ちょっとずつ食べ物とかで慣らさないといけないんですって、お断りします。
彩萌は幻想にしんしょくなんかされないんですからね!
――アヤメちゃんの魔法日記、九頁