表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

ブラックコーヒー

作者: 長一

 目覚めはいつも気だるい。なぜ気だるいからと言うと、夢から覚めてしまうのが嫌だからだ。契約が切れて仕事がなくなって一週間が経つ。顔を合わせると年末までのバイトをしてはどうかと母と姉に言われ、生返事をしつつ自室に篭り、本やお気に入りのゲームをする。名実共にニートである。

 働くのが嫌な訳ではない。実際、つい一週間前までさせてもらっていた仕事は自分としては充実した内容の仕事だった。が、悲しいかな。そこは派遣社員の常で、契約満了となってしまえばハイサヨウナラ。年末までの一ヵ月少しのライフラインを、こうして断たれてしまったのだ。

 そんな誰に語る訳でもないどうでもいい自分の身の上を布団の中で独白し、俺はすぐ横で鳴っている携帯のアラームを切る。くそ、扱い難いスマホだ。セキュリティの為に設定したタッチスクロールが変な順番で反応しやがる。三回失敗を三セット繰り返してようやく解除する頃には俺の頭は完全に目が覚めてしまっていた。

 こうなるともはや起きるしかない。折り畳み型のベッドで上体を起こし、冷たいフローリングの床に足をつける。想像通り。やっぱ冷たい。

 自室から下の階の居間に降りると母親はいなかった。壁にかけてある時計の時刻を見ると針は九時半を示していた。なあるほど、仕事か。伸びきった髪をボリボリ搔きながらポットの中にお湯が入っている事を確認し、カップの中にインスタントコーヒーを入れてお湯を注いだ。朝の冷たさを包むような暖かさと湯気が顔に直撃し、冷たく固まった肌を和らげたような気がした。


 さっきも言ったが、別に働くのが嫌な訳ではない。ではどうしたいのかと言われれば、ちょっと返答に困ってしまう。言うのが憚られる事なのかと言われれば、そうでもない。が、大っぴらに言うにはそれは少しばかり身分不相応であり手遅れであり、且つ井の中の蛙だった。

 苦く熱いコーヒーを一口。喉から食道を通り、空っぽの胃へと黒い濁流が落ちていく感覚を体の中で感じる。舌で熱いと感じても、胃の中に入れば特に何も感じない。「慣れてしまえば特に何もない」と感じるのが、俺という人間だった。最初はそう、夢や情熱といった類の事を体の中に入れて突き動かされるように行動する。が、しばらく経てばその熱を「こんなものだ」と思って動くのを止めてしまう。なんとも度し難いほどに「飽きっぽい」のだ。

 そんな人間が語る夢というのは総じてただの夢であり、妄想であり、現実を見ないただの逃避でしかない。一時の熱にほだされて目の前にいくつもあるチャンスを不意にするのは、ただの愚行だ。目を閉じて俺はまたコーヒーを一口飲む。まだ熱い。

 結局のところ、俺はどうしたいのだろう。こうして朝とは言い難い時間に起き、寝巻きのままコーヒーを飲み、自分に対して自問自答する。しばらくすれば姉が起き、母も帰ってくるだろう。そして言われる言葉は「働かないの?」。生返事をし、自室へと逃亡。しばらくゲームをしてほとぼりが冷めたら降りる。そこには何の目的も意図も存在しない。死に体の自分しかいない。この一週間はずっとこんな感じだった。


 このまま、この体が「突然の不幸」に見舞われるか皺が刻まれた老人になるまで俺はこうしていくのだろうか。なんとも無様である。そう思ったら自然と卑屈な笑みが出て、カップに手を伸ばした。その時だった。手元が狂ってコーヒーが太ももに零れてしまった。当然、淹れたばかりのコーヒーだから熱い。それもとんでもなく。あまりの熱さに声を上げる事も出来ずにしばらく俺は太ももを抑えた。熱い、熱すぎる。苦くて熱いとかとんでもない。

 途端、そこで俺の中で何かが変わる音がした。明確には、そのコーヒー零しが原因なのかは分からないが、とにかく俺の中で「カチッ」という音がした。テーブルの上に出来たコーヒーの海からは未だに湯気が昇っている。触ると熱いだろう。身を以って知ったばかりだ。そう、熱いのだ。冷たい陶器のカップに注がれたコーヒーは、時間が経てば冷めるだろう。だが今目の前にあるこのコーヒーは「熱い」のだ。そしてそれが外に出ても熱いままなのは、このコーヒーに「熱」があるという事だ。

 体の中に入ってしまえば何も感じなくなる。だがそれが体の中ではなく体の外にあれば、それがある限り「何も感じなくなる」という事は無いだろう。例えば「情熱のある」場所だったりだとか。


 テーブルを拭き、俺は寝巻きを洗濯機に投げ入れると服を着替える。洗面所の鏡を見ると、そこにはボサボサの髪とヒゲが伸びきった男が写っていた。なんともみすぼらしい。食事を取ったらまずは身なりを変えに髪の毛を切りに行こう。その後は、家のPCは古いのでネットカフェに行こう。そこからは、とりあえず「あそこ」を見よう。

 軽い朝食を済ませると、俺は革靴を履き外に出た。日差しが強い。冬にしては今日は暖かい方だろう。コーヒーを飲んできて正解だったと思った。

 今日の事がこれからどうなるか。まったく意味の無い事になるのが大半の落ちだろう。が、さっき感じた事は、俺にとって大事なことになると思う。そう思いながら、俺は一歩足を踏み出しながら呟いた。

 

「小説家になろう」


 読んでくださりありがとうございます。サイトには随分前に登録しておりましたが、近年まで存在を忘れていました。

 あまりに独善的な内容ですが、要するに「熱い事が身近にあれば中々冷める事はないんじゃね?」という事を伝えたかったりします。

 これからどんどん投稿して行こうと思いますので、よろしくお願いします。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[良い点] このサイトを思い出したこと。 [気になる点] このサイトを忘れていたこと。 [一言]  僕も覚め易いコーヒーです。 一緒にがんばりましょう。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ