08
「聞いていますよ。貴女の口から零れる言葉は吐息も含め全て漏らさず聞いています」
「そ、そういう言い方、先生らしからぬと思うんですけど」
「言ったでしょう。今は“先生”として貴女に接していませんから」
「じゃあ先生じゃなかったら何なんですか」
金城は ふ、と笑うと、瞑目して一呼吸置いた。
しまった。墓穴を掘ってしまった。
「だから、見せたでしょう。僕は―」
「あーあー!やっぱ先生は先生です!金城先生!」
この男と昨日の非現実的な事実を話したくないから彼がここにいるのを是としていないのに、自分からその話になるように持って行ってしまった。
「…分かってます。こんなの全然信じられないけど。先生は前世がユニコーンで、今も元に戻る事が出来る」
「そうです。貴女は聡い方です。前からそうでした。そこも貴女は変わっていない」
『前から』
前世という概念が本当に成立するのなら、かなめは金城と前世で出会っていたのだろう。
曰く、そこでは金城は一角獣、かなめは黒猫だったのだとか。
到底信じられないとは思う。しかし、自分の中で『信じられない』という概念も薄れつつあるのをかなめは確かに感じていた。
ただしそれを認めたくない。絶対に認めないと、心の奥から悲鳴が聞こえる。
『認めてしまえば最後、夢から醒めてしまう』
「…何が言いたいんですか」
「では、教えます。初めに僕が言いたいことを一つ挙げますと、『兎に角間に合って良かった』と言う事です」
「はい?」
またこの男は突拍子も無い事から話し始める。
「つまり手遅れにならず済んだと言う事です」
「だから何がですか」
「最近、貴女は焦っているでしょう。高校に入学してまだ半年も経たないのに、早く卒業しなければ、と。それは何故ですか」
レジカウンターの前で立ったままだった男が、片方の手をカウンターの上に置いて前屈みになる。
カウンターで守られていたかなめの城壁を片手でいとも容易く越えてくる男。
飄々(ひょうひょう)として掴み所の無い金城はともすれば軟弱そうに見える。なのにその手の甲は筋張っていて、そこからすらりと伸びる腕も程良く筋肉を纏っている。
白いシャツと濃い目の紺のカーゴパンツを纏っているだけの何の変哲も無い(下手をすればダサい)格好だが、金城が着ると何処かのモデルかと思う程しっくり来る。
前屈みになっているせいか、その身長差のせいか、シャツから鎖骨が覗く。
距離は縮まり、端正な目鼻立ちの金城の顔がかなめに影を落とす。
「別に、焦ってなんか」
担任として、クラスにあまり馴染めていないかなめを心配しての事だろうか。
しかしかなめが焦っている原因はそう言う事ではない。
確かにかなめは焦っている。それをどうして見抜かれたのかは解らないが、何分別の理由なのだ。
「貴女は医学に興味があるのですよね。それは何故ですか」
「それは…看護師になりたいから、」
「そうですか。…良い夢ですね」
いつものにこにこ顔ではなく、急に真面目になる時のあの顔でもなく、ただ何の表情もなく金城は笑った。
そしていきなりかなめの胸に手を伸ばして来た。
「はぁっ?ちょ、ちょっと!」
「衣装を貸して下さい」
(ひ、ひょえーーー!な、何を言い出すんだこの変態は、、)
かなめが思いっきり身体を(心も)引いても物ともせず、カウンターの端にあるレジ内への入り口にひょいと身体を滑り込ませた。
「ちょっとちょっと、駄目ですから!衣装とかもですけどそれ以前にこっち入ってきたら駄目で――」
「運命とは、常に残酷なのです。同じ事を繰り返し繰り返し、まるでそれが固定の事項でありどう足掻いても変わらないのだと言う事を刷り込ませるかの様に。神が下した気まぐれを臣下達が忠実に実行して自らの立場を守っているかの様に」
「―どういう事ですか」
「貴女は昨日仰いましたよね。『もうあんな失敗はしたくない』と。それならば今日は早めに帰りなさい。後は僕が代わりを勤めます」
「え?」
「貴女の、―そう。お祖母様が今日の午後、体調を崩されます。今日は病院に行く日ではないでしょう。出来るだけ早く連れて行くことです」
おばあちゃんが――…?