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月並亭にて。  作者: 灯子
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――――かなちゃん


――――…かなちゃん



懐かしい声。暖かい声。


大好きなあの人が私を呼んでいる。溢れんばかりの愛情が籠った優しい響き。


その温もりにすべてを委ねていたい。その手で包んで、抱きしめて欲しい。


けれどそのひだまりの様な声は次第に小さくなり、掠れていく。


差し出された両手は私を通り過ぎ、天を仰ぐ。



―――…リア、私のカナリア。


――――ここへ来て、カナ。ああ、会いたい。会いたい。何故私は貴女を放してしまったの。


―――――どうか、どうか。一目で良いから。ああ、神様。あの子に会いたい。もう一度。…カナリア。



涙を浮かべて見えない神に祈っている、縋っている彼女の瞳に私は映っていない。


光に包まれていた場面が反転し、暗い闇の中に堕ちていく。


その先で嘲る様に薄く笑っている口元が見える。全貌は暗くて見えないけれど、この人が夢で見た私を人間にした男だと直感で分かった。


その人が暗く微笑みながら私に手を差し伸べた。



―――――おいで、俺のカナリア。



違う。違うの。私はカナリアじゃない。


そう、私はあの子じゃない。だからあの人は泣いている。寂しくて心が病んで、身体まで侵された。


何も出来ないの。私はあの子じゃないから。


私は求められていない。あの人が必要としているのは、私じゃない。



私じゃない、なのに、何故私はここにいるの?









「…さん、川下さん」


「…えっ?」


肩を揺さぶられている事に気付いたと同時に現実に引き戻される。


「なんか、うなされてたけど…大丈夫?」


心配そうに眉尻を下げているのが隣の席の佐山だと認識するのに幾分か時間を要した。

彼いわく、授業中に俯いて寝始めたと思うと暫くして苦しそうに小さく呻いていたそうだ。悪い夢でも見てるいるのかと気になっていたが授業が終わっても一向に起きないため、肩を揺らして無理やり起こしたとの事だった。


(夢…だったの)


ぼんやりとその情景を思い出す。白と黒の世界。首筋を噴出した生汗がたらりたらりと流れていく。これほど嫌な気分で目覚めたのは、あの煉獄の炎に溶かされる夢を見た夜以来だった。



「俺、起こしてよかった、よね?」


「あ、うん。うん。ありがとう。心配かけてごめんね」


「謝んないでよ。新学期始まって最悪な気分なのは俺も同じだしね」



夏休終わり、9月に入った世間は鬱屈な雰囲気を垂れ流している。課題の提出が滞っている生徒がちらほらいる中、かなめも佐山も一応全て提出済みだった。かと言ってそれが夏休み明けの気だるさを打ち消すかと言うと佐山にとってはそうでは無いらしく、かなめのうなされ具合をその所為だと勝手に判断した様だった。



「でもまあ、席替えで川下さんの隣になれたしそんなに最悪な訳じゃないんだけど」



スポーマンタイプの爽やかな笑顔でにっこりと微笑まれた。

その後すぐ、友人に呼ばれて彼は席を立った。




.......




夏がもう終わる、その証拠に幾分か日が沈むのが早くなってきた。夕暮れの紅に包まれ、かなめは家に近い無人駅を出た。

いつもならまっすぐに家に帰る。けれど今日は何故か足が重く進まない。教科書もそう入れていない筈なのに、肩に掛けた鞄が鉛の様だ。


少し伸びた黒い髪。7月頃は肩につくくらいだったが今は肩を越している。意識して伸ばしているつもりはないと思っていたのに、何故か今日はもっと早くもっと長く伸びて欲しいと思う。



――あの夢はなんだったんだろう。


思い出そうとすると、拒否反応を起こすかの様に震えてしまう。怖い、やめて、と口をついて出てしまいそうになる。


重いローファーは帰るべき家の逆方向にかなめを連れて行く。夏休み中に古めかしい民家を改造した、出来立ての“喫茶店”へと。


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