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「病院側に細工する事に気を取られ、貴女の大事なあの方…ミエさん自身の様子をきちんと観察出来ていませんでした。もし発作がなければどうなっていただろうと思うと恐ろしい。申し訳ありませんでした」
違う。
謝らなければいけないのは明らかに自分の方だ。
早とちりして、逆上して。いつも助けてもらってばかりだというのに。
彼が笑顔でいたのも、祖母が無事だったから。関係なんて無い筈なのに自分の事の様に喜んでくれる人。それなのに。
「…とりあえず早くお家に帰りましょう。お祖母様が待っています」
一向に泣き止まないかなめに、今度は苦笑して唇から指を離しその手で溢れている涙を拭った。
...........
「おばあちゃん!」
玄関を開けるなり靴を脱ぎ捨て、急いで居間の戸を引いた。
「あらあら。お帰り。調子はどうかえ?」
「おばあちゃん、私の事じゃなくてさ」
「ああ、うんうん。金城先生から聞いたんかいな」
「うん。…ガンだって」
祖母は困った様に眉を下げ、目尻の皺を寄せて微笑んだ。
「ばあちゃんもな、びっくりした。でも早くに見つけたから治るんやって」
「うん、うん。おばあちゃん、ずっとごめんね。無理させてたね」
また涙が溢れてくる。不安なのか安心なのかもう分からない。後悔も自分に対する怒りもやっぱり含まれている。
完治するとは言っても、やはりそんな病気にさせてしまった事自体が悔しい。
祖母、もといミエはかなめの顔を見て安心したのか、崩れる様に泣き笑いした。
「おばあちゃん。ごめんね。ずっと一緒にいるから。大丈夫だよ。大丈夫だから」
ミエの丸まった背中に手を回し、ふわりと包み込んで抱きしめる。壊れないように。もっとぎゅっと抱きしめたいけれど。
暖かい、小さいけれどごつごつした老人の手の平が自分の背中を包み返してくれているのにかなめはまた泣いた。
..............
夕方、まだ蝉が鳴いている。
「先生」
金城はすぐには振り返らず夕日を眺めていたままだったが、暫くして横目でかなめを見た。
「先生ではありません」
確かにそうだ。彼はもう“金城先生”ではない。
「…貴方は人の記憶を操る事が出来るの?」
学校で彼の存在を覚えている者はいなかった。
自分だけが彼を“金城先生”だと認識していた。
それは彼自身が何か細工をしたからなのか。
「それは少し違います。僕が直接彼等の記憶を操作した訳ではありません。単なる、運命の辻褄が合う様に元に戻っただけです」
「運命の辻褄?」
「ええ。本来存在し得ないものが消え、正常な状態に戻ったのです。歪ませたものはその原因がなくなれば元に戻ります。運命の空間とは柔らかいゴムの様に形を変えやすいですが、異物を除けば徐々にでも本来のあるべき姿に戻るのです」
「じゃあ、運命はあらかじめ決まっているっていう事ですか?」
「そうです」
「変えられないの?私がやろうとしてる事は無駄なの?」
「いいえ。無駄ではありませんよ」
それは何故?
あらかじめ決まっているものを歪ませても、その歪みが長続きしなければその反発力で元に戻ってしまうんでしょう?
「僕が心動かされます」
ボンネットの上に軽く腰掛けていた金城…晶が、隣で同じく車にもたれ掛っているかなめの髪をひと房掬った。
「せんせ…晶さんは、クラスの皆に忘れられても寂しくないんですか」
かなめの髪を掬って撫でていた指が止まる。
「寂しくはありませんよ。もう数え切れない程で、僕の方こそ忘れてしまいました」
「私は…」
この人は“数え切れない程”運命を捻じ曲げて、その都度自分の存在を消去されて来たのか。
「私は寂しかった。皆が貴方なんて居なかったみたいに振舞うのが。…たとえ赤の他人からであっても忘れられるのは悲しい」
晶がかなめの髪を放した。
その手で俯いたかなめの頬を髪の上からゆっくりと撫でる。心なしか震えている様に感じた。
「かなめさん…」
何を言われるのだろう。何をされるのだろう。
真剣に目を覗き込まれる。何度かこの瞳で見つめられたけれど、今程この瞳が美しく哀しく思えた事はなかった。
「前にも言いましたが、僕と喫茶店を営みませんか」
本当に真剣にそんな事を言ってくるものだから。まるでそれがプロポーズの言葉であるかの様に、緊張が伝わって来る。
普段は飄々としている変態セクハラ教師なのに。正体がユニコーンで、不思議な力をいくつも持っているのに。
何故こういう場面では“可愛い”と思えてしまうのだろう。
「…はい」
気付けばそんな短い言葉で返事をしていたのだ。
これで一旦一区切りのつもりでしたが、次回も普通に続くので別に区切る必要もないかなと思い、ここで章分けはしません。でも一旦一呼吸です。