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「あ、川下さんおはよう。調子はどう?」
教室の戸を引くと佐山が一人教室の窓を開けていた。今日は勝手が違うから、佐山が先に着いたのだ。
かなめは彼がまず自分の体調を気遣ったことに対して一瞬なんのことやら分からなかった。そういえば昨日は早朝から意識を失い、保健室で放課後まで眠りこけていたのだった。
昨日は心配して保健室まで様子を見に来てくれた佐山を放り出して、そのまま帰ってしまったのだった。しかもその事を今の今まですっかり忘れていた。申し訳ないことをしてしまったと反省する。
「ありがとう、大丈夫だよ。それより昨日はごめんなさい」
「ん?なにが?」
「昨日、急に保健室から出て行ってそのままになってたから。心配してくれていたのに」
「そんなのは気にしなくていいよ。それより元気になってよかった。でも無理はしない方がいいよ」
鞄から下敷きを取り出し扇ぎながら笑う。金城とはまた違うベクトルの爽やかさだとかなめは思った。
金城の“爽やか”な笑顔と佐山の笑顔は違う。佐山は少々日焼けしていることも相まって健康的なそれだ。体育会系の爽やかさ。
しかし金城はそういったタイプではない。スポーツが出来ない訳では無く、むしろ上手い方だと言う事はクラスメイトの女子達が話していた。だが体育会系ではない。担当科目が化学という理系科目だったから、先入観を良い意味で裏切られた反動の所為で“爽やか”が売り、という事になってしまったのではないだろうか。
正直に言うとそんな事はどうだっていい。かなめにとっては彼は“まだよく掴めない人”だった。
悪い人ではない、と思う。信用出来るとも思う。
でなければ、いくら祖母の為であっても自分からキスなど出来なかったのではないだろうか。
多少でも信じていなければ、今こうして金城の言葉を間に受け、彼に祖母を任せて学校に来たり等しなかっただろう。
―――大丈夫です。言ったでしょう?僕はいつ何時も貴女の味方であり続けると。
いつもの胡散臭い笑顔でそう言ってくれた方が良かったのに。
大真面目な顔で見つめてくるその瞳から目を逸らし、小さく「はい」としか言えなかった自分が解らない。
本当に祖母を助けてくれるのだろうか、という不安は確かにあった。しかし彼が約束を破る様には思えず、任して来てしまった。その勘はきっと外れてはいないと思う。
不思議と安心している自分がいる事にかなめは戸惑っていた。
誤魔化す様に佐山に話しかける。昨日の事を聞いておきたい。
「あの、昨日急に金城先生が退職されたでしょう?クラスの皆はやっぱりがっかりしてた?」
「えっ?先生が退職?何で?」
「…え?だって、昨日…」
予想外の佐山の返事にかなめはまごついてしまった。佐山は何か勘違いをしているのだろうか?昨日の今日で実感が沸かない、とか。
「川下さん、金城先生は今日も元気に野球部の朝練見てるよ。ちょっと頭皮が薄くてメタボだからって、そんな冗談言ったらさすがにかわいそうだよ」
“かわいそう”と言いながらも笑いを堪えきれない風で、窓の外を指差しながら破顔した。
思わず開いた窓まで駆け寄り、佐山が指差した方向の人物を確認する。
佐山が“金城先生”だと言う男は、彼の形容通り頭がやや禿げかかった中年の小太りの男だった。かなめはその男に見覚えは無かった。
「どういう事…」
佐山はまるで“金城先生”を初めからあの小太りの男だと認識している様だった。なら、彼の事は?
「あ、やっぱりこの二人だねー!早いよね、二人とも」
「大変だね。私達も早い方だとは思うんだけどさー」
クラスの女子達が教室に入って来た。気付けばもうそんな時間だった。
「なあ綾瀬、広田。金城先生のことどう思う?」
「えーデブでハゲ」
「でもまあ良い人だよねー」
佐山の問いかけに女子達は高い声で笑いながら答えた。どうやら彼女達も“金城先生”をあの男だと認識している様だった。
では本当の“金城先生”は?あれだけ黄色い声を上げて付き纏っていた先生の事を忘れてしまったのだろうか。
(ああ、そうか―…)
否、あらかじめ“金城先生”とはあの小太りの男だったのだろう。
かなめの知っている“本物の金城”の方が偽者だったのだ。
彼は会いに来た。―――転生した自分に。自らも転生して。
その不思議な力をもって自分に近付いたのだ。都合よく周囲の記憶を操作したのだ。
そうか、彼は人の記憶を操れるのか。自在に?
突然教師を辞めた事、利便性皆無の田舎に大きな病院を誘致したらしい事、車を一日で用意した事。
祖母の発作を予知する事やコンビニでかなめの姿になりきった事も彼の不思議な力の一つだったが、まさか人の記憶まで操作出来るとは。
彼が伝説の生き物であるユニコーンだという事は目で見て強制的に認識させられている。彼は確かに人間であって人間ではないらしい。
そんな不思議な力を持った伝説のユニコーンが、何故自分なんかを追って転生して来たのだ。一体前世で自分達の間に何があったのか。
彼は何故人の記憶を操ってまで自分を助けてくれるのだろうか。
あの夢の続きに答えがあるのだろうか―――。
知りたい。
でもこれは祖母を助ける事に関係あるのか?
(お祖母ちゃんを助けてくれる人の事だから。素性が知りたいだけ)
確かにそうだ。もし自分の勘が外れていて金城が信用ならない人物だったなら、祖母を任せる事は出来ないのだから。
(助けて貰うならお返ししないといけないし)
金城はかなめに記憶を取り戻して欲しいと言っていた。それならば思い出した方が良いのだろう。
(いっその事、すべてを一気に教えてくれたら)
“思い出すべきだ”と言った割に、金城はかなめに与える情報を随分と小出しにしている様に思う。
そうやって焦らしてまた身体を要求しているのかとも思ったが、それもなんとなく違う気がする。
今はもう“金城”と呼んでも良いのかどうかもわからない彼の事が、まだなにもわからない。