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月並亭にて。  作者: 灯子
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時計を見ると8時を回っていた。

金城は祖母に深々と頭を下げて夕飯のお礼を言った。祖母も何度も何度も腰を折って、もうかなめの担任ではない金城にお礼を言った。

山の様な荷物を手繰り寄せている金城に、畑で取れた野菜やら果物やらを詰めた袋を持って帰らせようとする祖母。かなめが止めようとすると「家が近いなら持って行く」等と言い出し自分も草履を履こうとしたものだから、かなめはさらに急いで止めた。

結局かなめが金城の家まで荷物を届ける事になった。


「いやあ、すみません。夕食を頂いてさらにお土産まで。僕も何かお礼をしなければいけませんね」


「お礼をしなくちゃいけないのは私の方です」


夏と言えども流石に8時を回るとすっかり日は落ち、夏の夜の独特の雰囲気を醸し出している。

並んで歩く二人を、ぽつぽつと離れて立つ街灯が照らしている。


「…祖母は、私の恩人なんです。まだ全ては思い出せないけど、貴方の言う“前世”で確かに私はあの人と暮らしていた。それがすごく幸せだった」


俯き加減に歩きながら独白の様に零すかなめに口を出すでもなく、金城はただ静かに横に並んで歩いた。


「でも何かが起きて、あの人が苦しんだ。私はそれを阻止出来なかった。ひどく非力で、そんな自分が嫌で嫌でたまらなかった」


無意識に足元の小石を蹴っていた。石は思うより飛ばずに道の外れの草に突っ込んだ。


「私を人間にしてくれた人がいたんです。声を聞いたの。その人の事を、先生は何か知っていますか?」


顔を上げて隣の金城を見る。彼の足は自分のよりも幾分も長いのに、歩調を合わせてかなめの隣にいてくれていた。それにやや気恥ずかしさを覚える。


「…まあ、知っているのは知っていますが」


「えっ。教えて下さい」


「そうですね。キスしてくれたら。って、嘘です、早くも僕は約束を破りそうになっていましたね。危ないあぶな…」


ドサッと鈍い音が下方でして、地面に落ちた袋から出た野菜がごろごろと道の端へと転がっていく。

それを無視し、かなめはスーツの上着を脱いでいる金城のワイシャツの襟付近に手を伸ばし、彼の持つ荷物が崩れない程度の力で引き寄せる。

屈んだ姿勢になり、爪先で立ったかなめの唇と、苦笑して口角が上がっていた金城の唇が触れ合った。


「…っ」


目の前で、長い漆黒の睫毛の弧が二つ、震えている。

こういう行為には慣れてなどいないだろうに、それでも気丈に唇を合わせて来たかなめを抱きしめるために、金城は煩わしい大量の荷物を投げ捨てた。

何度も「持ちます」と心配されても頑なに渡さなかったのは、確かにかなめに持たせたくなかった事が一番だったが、別に重くもなんともなかったからでもあった。

身体は人間でも体力は一角獣のままの金城にとっては別段煩わしい荷物でもなかった。それなのにもう、かなめをかき抱くことを邪魔するそれらをこの世の最高悪の様に憎く思ったから。


愛しい人から触れられるだけで、こんなにも崩れていく。理性も何もかも。冷静な王であったあの頃の面影も。

ただの一人の男でしかない。

ほんの冗談だったとしても口をついてその単語を出してしまった数秒前の自分を呪う。

彼女の行為は自分を好いてのことではない。知っている、分かっている。だから苦しいのに、それでも。



触れるだけだったのに、いつしかもっと深くを求めてしまう。



「…は、せん、せ」


「名前で…呼んで下さい」


「……晶、さん」



ぎゅっと抱きしめて、かなめの背中で返事をする。

たとえまだ彼女が自分を抱きしめ返してくれなくとも、この腕の中の小さな少女をずっと抱いていたいと心から願う。

この少女を、あの時の黒い猫を助けるために自分は望んで転生した。

彼女が巻き込まれてしまった禍々しい輪廻を断ち切るため。彼女の想いを遂げるため。

膨れ上がった自分の想いなら、隅に置いていれば良いと思う。そう思っていた。

ああ、でも。もう。



金城はやんわりと、しかし剥がす様にかなめの身体を離した。

道の上に散らばってしまった野菜を屈んで拾い始める。



「かなめさん、もうここまでで良いです。後は僕で持って帰れますから」


「え、あの、ごめんなさい。荷物が散らばって…」


「大丈夫ですよ。僕の方こそ申し訳ありませんでした。近いと言っても、夜の女性の一人歩きは危ないです。本当はまた送って行きたいんですけど」


「この辺りは大丈夫です。でも心配して頂いてすみません。それで、あの…」


「今夜、夢を見ると思います。残念ながら全てを見せて差し上げる事は出来ませんが」



かなめが記憶を取り戻したくて、そのために自分に口付けをしたのは明白だった。

教えて欲しければ身体を差し出せ、といった意味の半ば脅迫の様な言葉をかなめに吐いたのは他でもない自分自身だったから。

切実に知りたいと願っているかなめは、律儀にもその通りにしようとしている。

自分をこの世で最も頭の良い生物だと崇め恐れていたあの頃の世界の住人達が聞いて呆れる。

かなめの前だと、唯の馬鹿な男に成り下がる。

そんな自分を隠したくて、彼女の期待に応えてしまう。そしてきっとそれを繰り返す。本当に馬鹿だ。



「先生…晶さん。本当にありがとうございます」



それでもなめが自分の名前のその一部を紡ぐだけで、こんなにも胸が温かく満たされるのだと、金城は瞑目して薄く笑った。



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