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月並亭にて。  作者: 灯子
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「あれま。どちら様かね」


かなめが玄関の引き戸を引いた音に、祖母がいつも通り玄関まで迎えに来てくれた。

そこで開けた戸の外に立っているのが孫だけでないことに気付き、祖母は目をぱちくりさせて背の高い男の顔を見上げた。


「こんばんは。突然すみません。私は川下さんの担任だった者です。今日は川下さんとたまたま同じ電車に乗り合わせましたもので、帰りをご一緒させて頂いたのです」


金城はにこやかな営業スマイルで戸の敷居を跨ぎ、祖母に握手を求めそうな勢いで捲し立てた。


「あ、ありゃあ担任の先生ですかぁ。いつも孫がお世話になっておりますれば。先生、立ち話もなんですからどうぞ中へ入って下さいな。ああ、ごめんなさいねちょっとだけ片付けて来ますんで」


『担任だった』の部分は祖母は聞こえていないらしく、あくまでこの見た目は爽やかな好青年をかなめの担任だと信じた様だった。

驚いた顔で見るからにあたふたしだした祖母は客用のスリッパを金城に出し、自分はスリッパをパタパタ言わせながら居間へと戻っていった。



金城とかなめの目線が同じタイミングでかち合った。


「…スリッパ、使って下さい」


「上がっても良いんですか?」


「はい。その荷物は居間まで持って行くのも大変ですし、とりあえずこっちの部屋に置いて下さい」


かなめ的には微妙な気持ちではあったが、この男には一度祖母を助けてもらっているのだ。別段彼を家に上げない理由などはない。


思えば彼の事を祖母にきちんと話していない。もちろん担任だと言う事ではなく、彼の力の事を。

ややこしい事になりそうだからととりあえず隠していたが、ちゃんと本当の事を話した方が良いのだろうか。

もし本当の事を祖母に話したとして、どうなるだろうか。きっと驚きはするが、信じるかどうかは別にしても私達を馬鹿にしたりはしないと思う。

しかし彼の力の事を話してしまえば、必然的に彼の正体についても話さなくてはいけなくなってしまう。

そして遂にはかなめ自身の正体さえも。


そう思うと胸に無数の針が突き刺さるかの様な痛みを感じてしまう。


―――『認めてしまえば最後、夢から醒めてしまう』


かなめはもう自分の事をあの黒猫だと認識する事にした。そこからは逃げられないし、逃げてはいけない。

逃げてしまえば良いのだと思い過ごそうとした矢先に起きた、あの土曜日の祖母の発作騒動。

そして月曜日に金城が早朝の職員室で見せたあの記憶。かなめは立ち向かわなくてはいけないのだ。


わかっている。でも。


それでもまだ怖い。祖母に知られてしまうのが。

何故だろう?そんなに怖がらなくてもいいのではないかと思うのに。きっと祖母は自分が急におかしなことを言い出したとしても、頭がおかしくなったと非難したりはしないと思うのに。

祖母に馬鹿にされるかもしれないから怖いという訳ではないのなら、一体この漠然とした、けれど確かな不安は何なのだろう。



「かなちゃん、先生に座布団出してあげて。ばあちゃんはお茶淹れるから」


金城を導く為に先に居間へ入って来たかなめに、祖母が金城に聞こえないように耳打ちする。

かなめは押入れから客用の座布団を用意した。



「ああ、申し訳ありません。お邪魔をしてしまいました。しかし私はもう川下さんの担任は降りさせて頂いておりますので、本当にお気を遣わないで下さい。寧ろ途中で任を降りた事にお詫びを申し上げたいと思っているのです」


「ええっ、それはどういう事ですかいな。何かご不幸が?」


「いえ。急ではありますが、私自身色々と考える事が御座いましたので」


「それはそれは。先生というご職業も大変なんでしょうからねぇ」


丁度夏休み前の蒸し暑い7月初頭。こんな時期に教師を辞めるというのは、改めて疑問を抱かれる条件だとかなめは思った。

祖母が盆に乗せて持ってきた麦茶のグラスの氷がカランと鳴る。


夕飯時でもあったので、祖母はそのまま金城に夕飯を家で食べてはどうかと勧めた。

かなめは若干の気まずさを覚えた。金城を家に上げない理由が無いのは確かだが、いざ金城が自分の家の居間に座って自分の家のグラスで祖母のオリジナルブレンドの麦茶を飲んでいる光景を目の当たりにすると激しい違和感がある。

狭い居間に背の高いモデルの様な男が座布団の上で正座しているのだ。足が長い所為で座高はそれ程高くはないが、背筋がピンと伸びスッとしていて、どこぞの上流階級の人間なのではないかという印象を与える。

もし彼が着物を着ていたならばそれは完全に絵になる光景だった。

中身はどうであれ、見た目は爽やかなモデルで立ち振る舞いも完璧な若い男が目の前に座って微笑みかけて来る非現実的な現状に、かなめはどうすれば良いのかと多少混て。祖母がちらちらと視線を私達に向けてくる事とか。


それでもやはり彼は祖母の恩人で、自分にとってもこれから助けて貰いたいと思っている人なのだ。

そして何より今日は祖母がいつもよりき活きとして見える。それは思わぬ客が訪れたからだ。祖母は賑やかなのが好きだから。



「先生、遠慮しないで下さい。おばあちゃんのご飯は世界一美味しいんですよ」



祖母が先に夕飯の用意をしていたので、そう金城に言い残すとかなめも祖母を手伝う為に台所に向かった。

金城はにこやかに微笑んだ。そこでまた『貴女も手伝われるのでしたら貴女の手料理でもありますよね』等と言ったセクハラ発言が出てくるかと身構えてはいたが、しかし彼は唯目を細めて微笑んだだけで何も言っては来なかった。


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