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アナウンスが乗り換えの駅名を連呼したので、金城は器用にも山の様な荷物を一人で持ち、かなめを先導して電車を降りた。
10分程この駅で次の電車を待たなければいけない。時間帯によって乗換えが必要ない場合もあるのだが、この時間はその必要があった。
「あの、私の家の近くってマンションとかアパートとか無いんですけど」
自分の家の近くに引っ越すとは言っても、学校周辺からは遠く離れた小さな村である。怪しげな不動産屋でよく紹介されている様なボロアパートすらない。まさか。
「僕は色々な事が出来ると、もうそろそろ納得して貰えているものだとばかり思ってましたが…」
ああ、そうか。やはりそうか。
「車も用意しようと思っています。そうだ、かなめさん、今度ドライブに行きましょう」
物凄く素晴らしい事を思いついたとでも言う様にキラキラと瞳を輝かせ出した金城に、かなめは音が出そうな程大きな溜息を吐きたい気持ちになった。そしてもう一つ疑問が浮かぶ。
「教師、辞めてしまいましたけど、これからどうするんですか」
何だか就職活動に失敗してそのまま卒業してしまった元大学生にこれ以上ない冷たい言葉を投げているかの如く、聞いている方も気まずくなる。
そんなかなめの複雑な気持ちとは相反して、当の本人はけろっとした顔で言い放った。
「僕、カフェというものを開こうと思っているんです。あ、心配しないで下さいね。お金は山程ありますので生活面は当面大丈夫ですよ」
丁度乗り換えの電車がホームに入って来た。
―――カ、フェ?
それはつまり喫茶店の事だろうか。
再び荷物を持ち直してドアが開くのを待っている金城を、いつの間にか学生鞄が肩からずれ落ちていたかなめは凝視した。
そう言えば、かなめが保健室から出て職員室に行った時、他の教師が言っていた。
『“他にやることがあるから”って。まあ、珍しいことでもないからな。夢を追うことを選ぶのもそれはそれで良いと思うよ』
またもや車内はがら空きだった。金城は何でもない風に荷物をまた座席や足元に置いていく。
「先生の夢って、カフェを開くことだったんですか?」
「夢?そうですねぇ。そうと言えばそうです」
と言う事は違うのだろうか?
何とも煮え切らない返事にますます混乱する。
「こう、ゆっくりと時間が流れる空間で、夫婦二人でたまに来る客をもてなすんです。二人で悩みに悩んで生み出した最高のコーヒーを客が注文し、僕が淹れて妻が運んでくれる。僕らの努力の結晶を飲んだ客は感嘆する。そして『君達は最高の夫婦だ。この世の全てのつがいは君達に嫉妬するだろう』と残し席を立つのです。そこで奥手な君は照れの所為で不貞腐れてしまい僕が抱きしめて君の機嫌を取ると…」
「ちょっと、ちょっと待って下さい。途中から貴方の妻が私になってるんですけど?」
「嫌ですか」
「嫌とかそういう話じゃなくて、そうやって勝手に…」
「嫌ではないんですね」
「………」
別に肯定した訳ではない。単に呆れて物が言えなくなっただけだ。
「かなめさん?」
何故こんなにもこの人は自分に執着するのだ。
逃げたい訳では無い。もし彼が祖母の命を人質に取って『妻になれ』と命じてきたなら、かなめは大人しくその通りにするつもりだ。
それが単なる命令であるなら、かなめだって何も考えずにそのまま金城の支配下に収まる事が出来る。きっとその方が楽。
それなのに。
「…これが脅しだと思っているのですか」
「いえ…」
「心配しないで下さい。先程は冗談で言いました。必要が無い限り、貴女に無理強いをする様な事はしません」
ただ、と彼にしては弱弱しく囁いた。
「ただ、もし貴女が少しでも僕に触れられても良いと思ったならば、その時は…」
隣に座っているかなめの、座席の上に乗せた指に少しだけ触れた。
冷たいのか熱いのか、その判断すら出来ないくらい、ほんの小さな接点だった。