ホームメイドとおねにーさま。
「じゃあ、お邪魔虫は退散させてもらいます。あ、奈々はこの部屋に誰も近づかないように戒厳令を言いふらしてくるけど……でも、あんまり声出しちゃダメだよ? 寮の壁は薄いんだからね☆」
「奈々ぁっ!!!!」
開いた扉、してやったりという表情で部屋から出ていく奈々に大声を上げても、彼女が戻ってくるはずもなく。
「新谷君……都ちゃんのこと、頼んだからねっ」
扉の前で立ち尽くしている彼の背中を押して、半ば強引に室内へ押し込むと……そのまま、扉を閉めた。
目まぐるしく変わっていく現実。彼女がこんなにアクティブだったことに驚きを隠せないのだが、今は……それよりも……。
「……都」
私の部屋、目の前に広がる惨劇。普段は自室を完璧に整理している彼――薫は、引きつった顔で彼を見つめる私を、本気で呆れた表情で見下ろし、
「……コレ、男の台詞じゃないとは思うけど……」
「な、何……?」
どこからともなくゴミ袋を取り出した(まぁ、奈々の仕込みだろうけど)薫が、床に積み重なったプリントの束をつかんで、一言。
「ったく……都には、俺がいなくちゃダメみたいだな」
……ごもっともでございます。
普通は世話好き幼馴染系キャラ(♀)が、主人公に嘆息しながらツンデレ風味に呟く台詞を、すっかり諦めた薫が目を細めて呟く。そして、硬直して動けない私を見下ろしたまま、
「都、動ける?」
「う、うん……少しくらいなら……」
びくびくしながら頷くと、彼は笑顔で手を伸ばした。
「じゃあ、一緒に片付けるぞ」
奈々は……このために彼を呼びつけたんじゃないだろーか……。
薫と一緒に部屋を掃除しながら、彼女の策にはめられたような気がしてならないのである。
黙々と片付けること30分。部屋にあるモノはほとんどゴミなので、片っ端から袋に叩き込むだけである。
ただ、
「しっかし……都さん、机の陰からこんなものが」
「え? あーっ!! それ、ずっと探してた初回限定版小冊子!!」
しゃがんだ姿勢で片づけをしているのだが、彼がひょいと掲げた冊子に、子犬のごとく飛びつく私。
それは某ゲームを予約したときにもらった限定冊子で、下着姿のキャラクターがどばーんと表紙に描かれている、年齢指定漫画雑誌と思われてもしょうがない代物である。
露骨に表へ出しておくわけにもいかないので、隠してから早数ヶ月。ずっと探していたけど見つからなかった一品と運命の再会を果たし、絶対捨てるなと目で訴える私に、薫からの視線が……痛い。
「……都……さすがに少しは恥ずかしがってほしいというか、「み、みないでよ!」って頬を赤くしながら言ってほしいというか……」
「だってコレ、今となっては本当に貴重なのよ? ヤフ○クでも高値で取引されてるんだから」
思わずパラパラと中身を読み返してしまう。だって、掃除してるときって無性に漫画本を1巻から読み返したくならない?
あぁ~……この魔女っ娘なヒロインが一番好きだった。このゲストイラスト描いてるイラストレーターさんも、今では業界の人気ナンバーワンになっちゃったんだよねー……そんなに昔のことではないけど、何となく懐かしい。
すっかり掃除を放棄した私に、呆れる以外の感情が出てこない薫。
「いや、俺が言いたいのはそういうことじゃなくて……って、まだあるぞ、ほれ」
「えぇっ!? あーよかった……間違って捨てちゃったのかと思って、諦めてたのよね」
更に私のお宝コレクションを発掘してくれる薫は、笑顔の私に残り数冊を渡しながら、
「本当に……しょうがない奴だな、都は」
不意に――私の頭に手をのせ、頬を緩める。
彼が至近距離にいることを自覚して、思わず頬が紅潮した。
「そういえば、薫……バイトは?」
「無断欠勤」
しれっと言い放った言葉だが、その中に聞き捨てならない事実がある。
「ちょっ……! ダメだよそんなの! 今からでも遅くないから――」
私のせいで、薫にそんなことをさせたくなかった。ただ、
「嘘だよ。実際は、ちょっと身内が病気になったから看病してくるって、俺しかいないんだって店長を泣き落としたんだ」
泣き落としたのか。薫……君はいつの間に、そんな高等技術を? っていうか男の泣き落としに屈したのか店長さん。
「でも……身内って……」
「俺は間違いじゃないと思ってるけど、違うの?」
意地悪に聞き返す彼に、言い返せない私。
「それに……都には、誤解したままでいてほしくなかったから」
「……薫のせいだよ?」
憮然とした表情で呟く私の額に、彼がそっと手を当てて、
「分かってる。だからこうして、ちゃんと話を聞いてもらおうと思ったんだ。都にまた、辛い思いをさせたくなかったから……多分させたと思うけど」
そのまま自分の額をくっつけて、「ゴメン」と一言。
そして、
「藤原さんのことだけど……俺があの人と浮気とか、ありえないから」
「ありえないって言われても……じゃあ、さっき、一緒にエレベーターから降りてきたのは?」
部屋の中で発見したマグカップに関しては追求しないことにする。そこまで言わなくても、薫は……本当のことを教えてくれるはずだから。
上目遣いで説明を求める私に、彼は「いいか都、俺は絶対嘘なんかつかないからな」と、念を押して、
「藤原さん、女じゃないぞ」
「…………は?」
彼が何を言っているのか分からなかった。
思いっきり目を丸くして呆然とする私に、「信じられない気持ちは分かる、だけどな……」と、薫は言葉を必死で選びながら続ける。
「普通に考えて、俺が都以外の女性と遊ぶような余裕や度胸があると思えないだろ?」
それ、誰かも同じようなこと言ってたけど……でも、自分で言っちゃうんだね、薫ってば……。
「……仮にその話が本当だったとするわよ」
「いや、事実なんだって」
「いきなりあんな美人でカッコいいお姐さんが男でした、なんて言われて信じられると思う!? お姉さんだと思ってたのがお兄さんだったなんて……「お○ボク」じゃあるまいしっ!!」
じゃあ、私があの人にそこまでときめかなかったのは……あの人が男性だったから、というオチ? 今から私はあの人を「おねにーさま☆」って呼べばいいの? そういうことなの!?
空想としか思えない彼の言葉に、私は怒りを通り越して呆れてしまう。
それに、
「それに……だったら薫は現実でもBLってことなの!?」
「違うから!」
業を煮やした薫が私の口を強制的に塞ぎ、そのまま、抱きしめる形で床に座り込む。
少し強引なキスに流されること数秒、呼吸を整える私を、彼が少し怒ったような(いや、怒られるのは私なの?)顔で見据え、
「……俺だって、嘘ならもっとマシなこと言うよ」
確かにその通りなんだけど……。
釈然としない私を、彼はそっと抱き寄せて、
「正直に言う。今日、藤原さんを部屋に呼んだのは……アドバイスがもらいたかったからなんだ」
「アドバイス?」
「都は会ったことないか? 俺たちと大学が同じで、よく隣にいる……ある意味藤原さんとは対照的で、物静かな女性なんだけど」
思い出すのは、今日……林檎ちゃんと一緒にいるとき出会った、実際は会話をしたわけでもないんだけど、私達を見つめていた、ちょっとミステリアスなお姉さん。
「その人、上田真雪さんっていうんだけど……藤原さん、上田さんとルームシェアしてるんだよ」
「ルームシェア?」
って、二人以上で一緒に住むこと、だっけ?
まぁ……家賃半額の方が一人暮らしより安上がりとか、そういう利点があるのは分かる。だから、同性なら珍しくもないけど。
「ちょっとまってよ、薫の話を信じるなら……」
「藤原さんは藤原さんで、昔色々あったみたいだから。その時自分を受け入れて助けてくれたのが、上田さんだって聞いたことがある」
過去に色々あったとしても……それで世間が、というより親が納得してるんだろうか? 同棲(いや、違うかもしれないけど)なんて実際、色々問題があるんじゃ……。
……同棲?
私の中に浮かんだ可能性が、一つ。
どうして薫が、千佳さんにアドバイスをもらいたかったのか。
まさかと思った。いやまさか、いくら薫でも、そんなこと考えてるなんて……私じゃあるまいし。
答えを知りたくて、今度は私から彼を抱きしめる。位置的に私の耳元にある彼の口が、躊躇いながら言葉を紡いだ。
「……俺も……いつか都と、って……思ってる、から……先輩からのアドバイスってことで、色々聞いてたんだよ。まぁ、藤原さんたちの場合は事情が特殊だから、あまり参考にはならなかったけど……」
彼の言葉を、もう一度、頭の中で再生する。
「……嘘……」
ぽつりと呟いた言葉は、私の正直な思いだった。
「嘘じゃない」
「だ、だって……そんな、そんなに都合のいい展開があるわけ、あるわけないじゃないっ! そんな、の……」
脳内が沸騰して破裂するかと思った、それくらいの衝撃。
素晴らしい現実を否定する私に、彼がため息をついたのが伝わる。
「都は俺を信じてくれるんじゃないの?」
「そうだけど、でも……」
「今回も……俺が紛らわしい態度だったのが悪いのかもしれないけど、俺だって藤原さんに口止めされてたんだ。あまり自分のことは人に喋らないで欲しいって。誰かに喋ったって知られたら、あの人からのお仕置きが待ってるんだぞ、俺」
「おっ……!?」
その甘美な言葉に、私は目を見開く。
案の定、その反応の意味を察した薫は、「いや、変な妄想しなくていいから」と、的確に突っ込んで、
「都に誤解される方が、お仕置きよりずっと辛いから。だから都、俺が都に喋ったって言わないでくれよ?」
腕の力が――というより体中の抜けた私の両肩を掴んでその場に座らせ、そのままじっと、私を見つめる薫。
そして思った。林檎ちゃんが千佳さんを嫌悪している理由が、千佳さんが男性あることに起因するのだとしたら。
さすがにバイト先の人は千佳さんのことを知っているだろう。林檎ちゃんにしてみれば変態やヲタクとある意味同レベル、そんな、見た目綺麗なお姉さんである彼が、最近、BL疑惑の浮上した先輩に近づいている……。
……そりゃあ私だって、好きな人(♂)を男性に寝取られたくはない。
初対面のとき、私に触れようとした千佳さんを制した薫の態度にも、納得せざるを得ない。
何だか……こう考えてみると、色々納得してしまうんだけど。
「……薫がそんなこと考えてるなんて、知らなかったよ」
真っ直ぐ見つめるのが恥ずかしくて、私から視線を下にずらした。
「都ばっかり通わせるのは申し訳ないと思ったんだよ。最近はこの辺も物騒だし……だけど、俺が都の部屋に行こうとすると、頑として拒否するし」
ぐさ。
「その理由は、今日、ようやく分かったけど……でも、都、やっぱり今度から少しは……」
「分かってます分かってますからっ!!」
彼の口から直接言われるのが嫌で、強制的に割り込んだ。
あぁ~……やっぱり私、ヒロイン無理だわ。
がくりとうなだれる私の肩を、薫はぽんぽんと叩いて、
「まぁ、任せとけ。俺の趣味は整理整頓だから」
「……初めて聞いたんですけど」
「でも、これでお互い隠し事はなし、だろ?」
彼の言葉に、私は顔を上げる。
私を見つめる薫は、前よりもずっと……優しい目で、
「今日は、俺がココに泊まってもいい?」
「へ!? あ、いやあの、それは……」
別に構わないんだけど、寮則に引っかかるようなことでもないんだけど、その……心の準備というか、何それ今更って言うかっ!!
突然の攻撃に防戦の私へ、薫の綺麗な笑顔が追い討ちをかける。
「一晩あれば、この部屋の掃除も終わるだろうし。二人でやっちゃえば早いよな。
ってことで都、とりあえず一旦ゴミを出すぞ。その後は床を雑巾がけして、シーツを変えて……あ、ここの洗濯機でシーツは洗えるのか? 乾燥機は? っていうか都、洋服はハンガーにかける! 椅子の上にかけたりするなっ!!」
「もう勘弁してください……スイマセンでした」
結局その日は、遅い時間まで部屋の大掃除。途中から奈々も参戦し、「仲直りした二人へ、奈々からのプレゼントだよー」「い、Yes/No枕!?」という、なんとも私の友人らしいボケ(ボケなの、ボケで片付けるの私!?)をかましたりして……気が付けば時計の長針と短針がぴったりくっついてる、そんな時刻。
「……本当に勘弁して……」
ベッドの上に伸びた私が、情けない声で降伏した。
「まぁ、夜も遅いし……この辺で勘弁してやるか」
騒ぎを聞きつけた寮母さんから服が汚れないようにと割烹着を支給され、奈々と共にそれを着て頑張っていた薫が……ふぅと額の汗をぬぐい、周囲を見渡す。
……割烹着が非常に似合ってるんですけど、薫。
彼のそんな姿を見るためにギャラリーも大集合。寮内は一時騒然としたのだが……奈々も自室に戻り、すっかり整理された私の部屋に、二人きり。
「薫……戦うメイドさんじゃないんだから……」
「そういうキャラ、確かいたよな? えぇっと……そうだ、あふろさん?」
「まほろさんよっ!!」
私のまほろさんを愚弄するとは笑止千万!
思わずくわっと顔を上げた私に、彼は着ていた割烹着を脱ぎながら釈明。
「悪い悪い。やっぱりどうも、そっちは範囲外で……」
それを綺麗に折りたたむと、一旦ベッドの上に置いた。
そして、
「都」
「何?」
自分もベッドの縁に腰を下ろし、転がっている私を見下ろす。
「バイトを休んで部屋を完璧に掃除した俺としては、御褒美とか欲しいんですけど」
「……綾美の新作でいい? 冬コミにも個人本は出すって言ってたし」
薫が喜びそうなものを具体的に提案するも、彼は「それはそれとして」と、否定も肯定もしないまま私を見下ろし、
「俺が欲しいもの、分からない?」
「今、どのシリーズ読んでるんだっけ……今度リストアップしといてよ……」
ベッドに転がっていると、眠たくなってくる。
今日は今日で、色々あったからなぁ……すっかり清浄化された部屋の空気は、私に快適な眠りを提供してくれそうだ。
眠くなっている私を見下ろしたままの薫は、その瞳を少しだけ細くして、
「……都なんだけど」
「ダメっす」
即答するしかなかった。
伸ばしかけた手を硬直させる薫を、今度は私はじぃっと見上げて、ずばっと。
「私、本調子じゃないし。今日は我慢して」
「……やっぱ、ダメ?」
負けじと食い下がる薫。
「ダメっす」
二度目の否定。さすがに彼も諦めたのか、「……スイマセン、俺のワガママでした」と、深いため息をつき、
「じゃあ俺、帰ろうかな……」
「それもダメっす」
三度目の否定。私はその場に起き上がると、自分から彼に軽くキスをして、
「……話したいこと、色々あるんだ。奈々のこととか、綾美のこととか、私のこと、とか……。だから……」
だから。
「私は……一緒にいたい」
正直な思いを、そのまま伝える。
後先のことなんか何も考えてなかった。明日の朝、どれだけ奈々やみんなに冷やかされてもいい。
私は……一緒にいたい。それ以上でも、それ以下でもない。
自分でも頑張ったと思う、そんな私を見つめる薫は、顔を真っ赤にして視線を泳がせていたが……不意に、
「へ? あ、ちょっ……うわっ!?」
私の上に覆いかぶさるようにしてベッドに倒れこむと、そのまま私を抱きしめて、呟く。
「……都はこれ以上喋らないでくれ、お願いだから……」
「え? 喋っちゃダメって言われても……」
ついさっき、薫に色々話したいと言ったばかりなんですけど私。
混乱する私を強引に黙らせるように、腕の拘束が強くなる。
「……一緒にいるから。だから、お願いだから喋らないでこのまま寝てくれっ!」
それはきっと、彼に出来る精一杯の警告だったのだろう。
結局私はそのままぐっすり。薫の苦悩など微塵も感じないまま、幸せな夢を見ることが出来たのだった。
おねにーさま……この言葉が分かる方は私と同世代ですねっ!
片付けが出来ない女の子は、霧原のことではありません、ええ決して。