想い
どこまで前向きに解釈しようか? どこまで自分に都合よく解釈しようか?
二人仲良くエレベーターから降りて出てきた……こんな光景、見せ付けられて。
軽く立ち尽くした私の姿に気が付いた薫は、
「都……どうしたんだ?」
ど、どうしたんだって……ちょっ、この状況でよく平然とそんなこと聞けるよね!?
あまりにも普通、動じるわけでも開き直るわけでもない彼の態度が、私は理解できなくて。
私は感情を押し殺し、真っ直ぐ彼を見据える。
「やりかけのゲームの続き、やらせてもらおうと思って」
声が震えなかったのは立派だと思いたい。
「でも都、今日はバイトじゃないのか?」
私がバイトだってことを知ってたから、私が今日は来ないと思ったから……先輩を部屋に連れ込んだってこと?
今まで二人っきりで……何を、してたの?
「代わってもらったの。まだ本調子じゃないし」
「そっか……大丈夫か?」
「うん。二人はこれからバイト?」
私がちらりと彼女を――千佳さんを見やると、彼女は笑顔で首肯して、
「都ちゃん、誤解しないでね? あたしは別に、新谷君を奪おうとか、そんなこと考えてるわけじゃないから」
私を挑発するような言い方に一瞬カチンときたけど、ココで切れると全てが台無しになるような気がして、
「大丈夫です。私、彼を信じてますから」
信じてる、この事実に嘘はない。ただ……。
エレベーターは1階で止まっているので、ボタンを押せばすぐに扉が開いた。
私は彼らの間をすり抜けてエレベーターに乗り込み、4階のボタンを押して、
「じゃあ、後は勝手にさせてもらうから……バイト頑張ってね、“新谷氏”」
「みやっ……!」
扉が閉まる。
……私なりの抵抗は、後から考えると至極惨めな気がした。
慌てて私の後を追おうとした彼だが、
「新谷君、今日はバイト休んじゃダメよ? 店長が過労で死んじゃうから☆」
笑顔で腕を引っ張る千佳は、そのままマンションを出て裏にある駐輪場へ彼を引きずっていく。
力の差は歴然。彼の抵抗など彼女にとっては痛くも痒くもないらしい。
「さー、今日も元気に頑張りましょー♪」
「5分でいいんです、遅刻するって伝えて……うわぁっ!」
転びそうになっても、彼女は腕を離してくれない。
「都ちゃん、信じてるって言ってくれたからいいじゃない」
「あんなの口先だけです! それに俺は……!」
「悪いけど、君に休まれると困るのよ。それに……どうせ彼女、新谷君が帰ってくるまで部屋にいてくれるでしょ? 誤解ならその時解けばいいじゃない」
「ですけど……!」
往生際の悪い彼に、見かねた彼女がため息をつき、
「……ココで壊れるような関係なら、それ以上先のことなんか考える必要ないじゃない」
その言葉に、閉口する薫。
立ち尽くす彼の肩を、千佳さんはポンポンと叩き、
「ま、とりあえずあたしは原チャリだから……また後でね、新谷氏?」
エンジンをふかして走り去る後姿を見つめながら……薫は、自転車の鍵を握り締め、
「……バイト、行くか」
一度だけ部屋のほうを見上げ、きびすを返した。
逃げるように部屋へ飛び込んだ私は、扉を閉め、鍵をかけてから、
「……はぁっ……!」
玄関に座り込み、ため息をつく。
正直、薫は追いかけてきてくれると思った。だけど……足音は聞こえない。私を呼ぶ声は、聞こえない。
ゲームみたいな現実が、いつも訪れるとは限らない。もしもこれがバッドエンドへのフラグだとしたら……私に何が出来るだろう。
ふと、テーブルに目線を移すと……そこには片付け損ねたマグカップが二つ、二人の座っている位置を示すように置かれていて。
向かい合って座ってたんだろう。きっと、色々話が盛り上がって、それで……バイトに行かなくちゃならない時間になったから、片付けもそこそこに二人で出てきた。
怖くて、これ以上部屋に踏み込めない。もしも、これ以上の何かを発見してしまったら、私は――
「……信じるって……結構キツイかもなぁ……」
ぽつりと呟いた本音が、誰もいない室内に響く。
彼を信じていることに何の疑いもない。だけど……いつも、そんなに強い意志を持ち続けられるわけでも、ない。
信じてる、そう思いたいだけなのかもしれない。だけど……。
「大好きなんだから……しょうがないじゃない……!」
思い出すだけで悔しくなる。動揺していたのは私だけで、薫と彼女は……清々しいくらい平然としていて。
私の思いだけが募っているみたいで、一方通行みたいな気がして……悔しい。
顔を上げて、部屋の奥を見据えた。
私を待つパソコン。やりかけのゲームがあるのは事実なので、少しくらい続きを進めても薫は帰ってこないだろうし……。
ヒロインは私を笑顔で迎えてくれる。私を受け入れてくれるだろう。
だけど、今、私が一番受け入れてほしいのは――笑顔を向けてほしいのは、考えるまでもなく、
「……帰ろ」
さすがに、そんな気分にはなれなかった。
寮に戻った私は、そのままフラフラと自室のベッドに転がった。
腹部の鈍い痛みが消えない。天井を見上げ、何度目か分からないため息をつく。
と、
「都ちゃーん、いるんだよねー?」
扉の向こうから奈々の声がする。私は上体を起こして返事をすると、扉が開いて洗濯物を抱えた彼女が顔を出し、
「はい、奈々の洗濯物デリバリー……って、まだ調子悪いの? 大丈夫?」
綺麗にたたんでくれた洗濯物をベッドの上に置きながら、奈々が私を心配そうな顔で覗き込む。
「薬、のんだ?」
「うん……一応」
「そっか。じゃあ、しばらく大人しくしておくしかないね。奈々セレクトの少女漫画、持ってこようか?」
彼女の提案に、私は首を横に振る。今は、彼女が選ぶ恋愛モノの漫画に浸りたい気分じゃないから。
多分、浸れないから。
「……新谷君と、何かあった?」
ベッドにひょいと座って、優しい顔を向けてくれる奈々に、
「ねぇ、奈々……」
私は思わず、これまでのことを打ち明けていた。
彼が私に隠し事をしているんじゃないかという疑惑、私以外の女性が彼の近くにいるという事実。
……抑えられない、不安。
「まぁ、相手が新谷君だからねー……都ちゃんもいつかはそういう悩みを抱えるんじゃないかと思ってたけど」
話を一通り聞いてくれた奈々が、苦笑で頷いて、
「都ちゃん、そんな頑なにならなくてもいいと思うよ」
「頑なになってる? 私が?」
「新谷君を疑うこと、当然だと思う。だって、悪いのはそういう態度を取っている新谷君だもん。都ちゃんも無理して彼を100%信じることはないと思うんだよ」
彼女の意外な言葉に、思わず目を丸くした。
目からうろこの私に頷く彼女は、ぴっと指を立てて言葉を続ける。
「都ちゃんが新谷君を信じたい気持ちは分かるよ。だけど、それで都ちゃん一人が無理することないよ。新谷君だって、都ちゃんが無理してるんだって知ったら……絶対、本当のことを教えてくれるはずだよ。新谷君は嘘に嘘を塗り重ねるような人じゃないって、奈々は思ってるからね」
「教えてくれる、かな……」
少し不安だった。前に一度、私は彼に踏み込むタイミングを計りきれずに……何度も泣いたのだから。
あのことがあってから、正直、彼との距離をどこまで近づけていいのか、たまに考えてしまう。
近づきすぎると、彼は私を拒絶しないだろうか?
だけど、遠ざかると……彼は、私を追いかけてくれるだろうか?
彼は、どこまで私を求めてくれるだろうか?
どこまで……私に自分をさらけ出してくれるだろうか?
一度考え始めると、答えなんか出てこない堂々巡り。だけど、横に座っている奈々は、そんな私を否定するような笑顔で見つめ、
「教えてくれるよ。だって……」
だって、
「新谷君、今、扉の向こうにいるんだもん☆」
……何ですと!?
一瞬心臓が止まった。止まるかと思った。
気が付けば私に意地悪な表情を向けている奈々が、親指で扉の向こうを指差し、
「さっき、寮の入り口の所でウロウロしてたから……思い切って声かけちゃった。別にいいよね?」
「よくないよくない何してくれるのよ奈々ってば!!」
あのスイマセン、コレが事実だったら……シャレにならないんですけど、色々。
私が彼を自分の部屋に呼べない理由、それは、私の掃除力が欠如していることに原因がある。
今の状況も、2日前よりは――実は昨日奈々にけしかけられ、少しは片付けたのだけど――マシとはいえ、それはあくまでも「2日前」、比べるのが最低の状態なのならば、改善されないほうがおかしい。
だから、多分今の状況を一般論を比べると……マシじゃないってことになるんだと思うけど。
「お部屋を日頃から片付けておかない都ちゃんが悪いんだよ?」
「いやそれはその通りなんだけど……う、嘘で、しょ……?」
この部屋の惨状を知られたら、彼はどんな顔をするだろーか……。
幻滅? それだけならばまだマシ?
心臓の音が頭の中まで聞こえる。顔が赤くなり、情報処理が追いつかない。
「嘘だと思うなら、呼んでみれば?」
呼んで声が返ってこなければ奈々の首を絞めるだけで終わるのだが、もしも、声が返ってきたら……。
もしも今、彼が、扉の向こうにいるとしたら――!
「新谷君、ずっと廊下で待ちぼうけなんだから……可哀想だよ?」
「あ、あの……薫、いる、の?」
恐る恐る声をかけてみる。
すると、
「……そろそろ中に入れてもらえるとありがたいんだけど、“沢城”?」
苦笑した彼の返事に、私は逃げ場がないことを悟ったのだった。
ここから新谷氏のターンです! 個人的には奈々が欲しい…。