【第一章】†ep.7 胸の内†
一方、ここはエンブレミア王国マールシェスタ城、第一王子エルトの部屋――。
三兄弟の部屋は、廊下よりドアを抜け、その通路の正面にある部屋はレティシア。その右へ続いている通路を少し進んだ隣の部屋はミグ、その隣の一番奥の部屋がエルトの部屋となっていた――。部屋が近いため行き来がしやすく、レティシアは自分の部屋に先程ミグを残して、隣の隣にあるエルトの部屋まで足を運んでいた――。
しかし、エルトの部屋にはレティシアの姿は見る限り見当たらない――。
執務を手伝わされているエルトは、明日行われる会議の資料を机の上に広げて事前に見直していた。
レティシアの姿は見えないのだが、机からベッドの方に椅子を回転させてしばし様子を見た後、ゆっくりと穏やかにその口を開き始める。
「――で?お前は何をしに来たんだ……」
声をかけられたベッドの中には、実はレティシアが潜り込んでいた。
エルトの元に来て何も言わずベッドに潜り込むという行動と、いつも投げかけられるこの質問というのはいつも同じであった。
そう――、それはいつもの“決まり文句”だった――。
「別にぃ……」
すねた様子でつれない返事を返すレティシアに、エルトはため息を吐く。
――いつもこれだよ…やれやれ。困ったものだな…
と思いながらも、ベッドの中のレティシアに向けられるそのエルトの琥珀の様な金色の瞳は優しかった。
金色のその瞳と同じ髪色も、レティシアやミグと違うのは母リーディアから譲り受けたものである。顔立ちはとても端整で、レティシアがカッコイイと思うのも頷けるほど綺麗である。剣術に長け、その真剣な剣を構える時の表情は、まるで獅子の様に勇敢であり、冷淡な表情を浮かべてもいるが美しい。
その影すらなく穏やかにレティシアに向けられるそのエルトの普段の穏やかな表情は、城外にも姿を見せれば黄色い声が聞こえてくる程、街の女性達も憧れの視線を注ぐ存在であった。
レティシアはそれに嫉妬もしていたが、そんな兄を持っていることも自慢だった。
18歳とレティシア達とは歳も少し離れているせいか、しっかり兄としてミグやレティシアの面倒をよくみており、時に厳しく――、時に優しく――。とくに手のかかるこの妹の扱いも手馴れたもので、レティシアにとって適度な距離感を上手くとって近づき、レティシアをよく手懐けているようである。レティシア自身もその居心地の良さに、時々、こうやって面倒な甘え方ではあるものの、エルトの部屋に足を運んでいた。
――エルトは、自分の部屋にレティシアがこのようにやって来るという時は、何か落ち込む事でもある時というのが経験上わかっていた。だからエルトは、呆れながらもいつもどんなに忙しくとも途中で手を止め、この困った妹であるレティシアの相手をしてあげていた――。
だがレティシアはこれといって、何か理由を言うわけでもない――。
ただ、部屋に来るなりベッドに潜り込んだかと思うと、眠ってしまうというわけでもなく、いつも自分から口を開かない。しかし、エルトは何も動じずにその時の対処方法を実行するだけだった。
「――仕方ないな…また、ミグとケンカでもしたか……?」
「………別に…」
「…そうか。では――、そういえば…“新しい教育係”とやらは、頭が切れそうな者だな……?」
「………」
―――こうやってそれらしき質問を並べて行くと、どれかが当たる。
レティシアが何の返事もしなくなるので、それが原因だとわかるという訳である。
そして、レティシアはその質問に対し何も言わなかったので、どうやら今回は二回目で正解の様だ。
それがわかれば、少し思考しなけらばならない。しかし、今回は単純なものだなと苦笑した。
エルトの中では、こう結論が出ていた――。
“新しい教育係が来た=大嫌いな勉強をしなければならない”
という事なのだろう。
エルトはこの原因を当てるのをゲームの様に楽しんでいた。
少し同情もしながら呆れた様子で微笑むと、ベッドの横に向かった――。
「やれやれ…、困った妹だな……。――あと今日は、テストだったんだろう?」
呆れたような表情を浮かべてそっと布団をめくったエルトが、レティシアやミグとは違うその金色の優しい瞳で穏やかに微笑んでいる。
「…ちっとも……出来なかった……テスト………」
「…ただの学力テストだ。気にする事はない……そう落ち込むな。それより、布団にもぐりこんでいたから顔が赤いぞ…はは」
始めはいつも照れくさくてベッドに隠れてしまうレティシアは、結局こうやって慰めてもらって気が済むと帰って行く。エルトは、そのレティシアの少々面倒な甘え方を理解していたのだった。
またそれが、レティシアにとっては安心出来て居心地が良かった。
忙しいエルトの元に常にやって来ても多分構ってはくれるだろう――しかし、エルトは言わないが仕事の邪魔になるため、よっぽど気分が晴れない時ではないと、レティシアはエルトに頼らないようにしていた。
エルトは周りからは一目置かれ、時折『冷静沈着』とも言われているのが想像がつかないくらい穏やかな微笑を浮かべて、よしよしとレティシアの頭を撫でてやろうと額に触れた時だった――。
「!?」
はっとしてエルトは自分の額をもう片方の手で触れている。
「お、おい…! 顔が赤いと思っていたら――お前っ、熱ないか……!? た、大変だ………っ」
レティシアの額は、自分とは明らかに違い熱く感じられ、エルトはすぐにレティシアを抱えて部屋を飛び出した――。
「――だっ、誰かっ! 誰かいないかっ? レティが大変だっっ…!」
エルトは廊下に出るなり叫んだ。
周りからも精神的な疲労だと思われていたレティシアのぼーっとした様子というのは、バルコニーの窓を開けっぱなしで布団も掛けず夕方に仮眠を取った事によることなど、誰も知らなかっただろう……。
―――…薄れゆく意識の中で、レティシアはエルトに呟いた。
「…ごめん……なさい…」と―――。
――――…
エルトの声を聞きつけ、レティシアの部屋のお茶を下げに廊下から歩いて来ていた侍女マリア――。
自分の部屋の前で叫ぶ声がしたため、何事かとドアを開けて出てきたミグ――。
二人ともレティシアの異変に気付き、あたふたと動揺しては先程レティシアがぼーっとしていた様子だったのにも関らず、何も気付かなかった自分達の過ちを懺悔する様二人で口を揃えるように会話している。
その様子にエルトは呆れ、苛々としながら二人の間をおもむろに通り抜け、レティシアを部屋に連れて行く。そして、ベッドに寝かせたかと思うとマリアとミグに指示を出すように声を荒げた。
「二人とも状況はいいからっ!! そんな事よりもミグはタオルとか急いで取って来い! マリアさんは早く医者をっ! 知ってると思うが一刻を争うかもしれん! そうだ。リュシファーとか言ったな? あの者を――」
「わかった…!」
「は…はい! も、申し訳ございませんっすぐに!」
パタパタと走っていく二人の後姿を鋭く緊迫した面持ちで見送った後エルトは、熱が高いのか朦朧とした様子のレティシアの手を握り締めると、呟いた。
「……しゃれにならんぞ…また“あの時”と同じだ――……」
――――…
……
―――レティシアは熱を出すと、高熱が出てしまい城中大騒ぎになるほどで、一度、生死を彷徨った事があった。
原因はわからないが、熱が上がり始めると微熱では絶対に済まず、早めに対処せずに放っておけば熱が極限にも上がる程、危険な状態になりやすい体質だと医者は言った――。
したがって城中の皆誰もが、レティシアに対しては『体調管理は万全に気をつけるように』と注意するよう言われていたのだ。
同じようにレティシアが意味のわからない調子で部屋に来ていた時、エルトが気がついていたから良いものの、『気づくのがもう少し遅ければ、おそらく――…』と、医者が首を横に振っていた事にエルトはショックを受けたのである――。
エルトにとってレティシアは、手はかけさせられるものの、素直じゃない子供の様な所さえも可愛らしく思っており兄として、その大事な妹の面倒をよくみていたつもりだった。
しかし、それなのに自分のせいで命が脅かされた――と自分を責めていた。
あの時、“もう二度と同じ過ちは繰り返さん”ともその心に誓っていた。
ここ最近レティシアが熱を出す様な事もなかったため、少し気を抜いていてこの惨事は起きたと――再び今も自分を責めていた。
――なんと自分は愚かなのだ……!
何故もっと早く気付いてやれなかった……!?
レティシアがあの時の様に命を脅かす事にならない様、レティシアのその手を強く握りしめて祈っていたエルトのその胸の内を知る者はいないであろう―――。
“自分の事は自分が一番解っている――”
エルトは、そう全てを自分の中で解決し、その胸の内をエルト自身しか知らぬ様なところがあり、年齢も離れているせいかミグやレティシアにも弱さを明かす様な事は決してしなかった――。
しかし、それでもミグはあの時の一件でエルトが自分を責め続けていることには気付いており、レティシアもまた自分のせいでエルトが責任を感じている事もちゃんとわかっていた――。ただ、その事に関しては触れずにいたが、先程レティシアはそんなエルトに気に病まぬ様、エルトには聞こえてはいなかっただろうが詫びたのだった。
一方、ミグもいつも穏やかなエルトが尋常じゃないその剣幕を見せつけながら、指示を仰ぐのも無理はないとエルトの胸の内を思いながら、厨房に足を走らせていた――。
――――…
……
リュシファーが来て皆が寝てからも看病を続けた末、レティシアが落ち着いて来た頃には、もう1時半を過ぎていた――。
エルトが最後までレティシアの側に居続けようとしていたのだが、明日の仕事に差し支えると思いリュシファーは寝るよう薦めた。
「…そう…だな。会議があった――レティシアが心配でつい忘れていた…あと、少しだけしたら失礼する事にしよう――すまないな…」
と、そう言ったかと思うとエルトはレティシアの掛け布団を直す。
「――すまないと言えば、他にも妹が色々世話になっているな、足の怪我も診たとか」
ぶつかった後に色々と手をかけさせられた事は、リュシファーは口にしなかった。
少し早く城に着いてしまい、レイモンドに城を少しご覧になられると宜しい――と言われ見て回っていた時に、何かはわからないが済んだ翡翠の様な緑石色の何かが突然、階段に差し掛かった頃に飛び込んで来て――それが階段から足を踏み外してしまったレティシアであった事――。そして、足を挫いた様だったので手当てをしたまでである事をリュシファーは掻い摘んで説明した。もちろん、切り札の件については何も言っていない。約束はきちんと守る男の様である。
大丈夫か声をかけた際に、レティシアとは知らずについ上から飛び込んでくる様なまだまだ子供の様な少女を、“お嬢ちゃん”と呼んでしまった辺りを正直に話した時、エルトが苦笑を浮かべた。
「お…お前、それはマズイな…コレを子供扱いすると後々面倒だぞ。たいていの者は反感を買ってな…子供扱いされるという事が一番嫌いな事だ。…まぁ、実際子供なのだがな…ははは…。まぁいいさ。紹介される前からそんな印象だ…どうせコイツはちゃんと礼もろくに言ってないだろう――代わりに私が礼を言おう――感謝する」
エルトが言った一言で、リュシファーはきょとんとしながらも苦笑した。
さすがは兄――レティシアの事をよく把握しているとリュシファーは思ったのだった。
「いえいえ、大したことなくて良かったです。それに、“一応”――とは仰ってましたが、一応、礼は言われましたしね」
その言葉に今度はエルトがきょとんとした表情の後、笑い出した。
「コイツらしいな――ははは…すまないな。『一応』は余計だが、素直に礼は言わずともコイツなりに感謝はしているのだ――。ただ、照れて言えぬのだ…困ったヤツだが、これからもよろしく頼む――お、そろそろ2時になるな…では、そろそろ私は失礼しよう」
リュシファーは微笑んでエルトに挨拶すると、エルトの後姿を見送っていた。
途中、エルトが振り返った――。
「お前とは…なんとなく気が合いそうだ。今度――機会があれば酒でも酌み交わそうじゃないか」
「ええ、是非――」
リュシファーの返事を聞き微笑んでいたエルトの表情は、とても冷静沈着とも言われているとは思えない程優しく穏やかであった――。
そして――。
この後、歳も近いエルトとリュシファーは、時折互いの部屋で語り合ったりする様な仲になったのは言うまでもない――…。
つづく。
第一王子エルトの回でした。
エルトの性格とレティシアとの関係性。エルトは孤独でもある様なその胸の内に過去の傷を少し持っている様です。レティシアに優しいのはそのせいもあるのかもしれません。
リュシファーとは今後腹を割って話せる仲に…というエピソードでした。