【第一章】†ep.3 10時01分†
―――。
「では姫様。10時よりさっそく勉強を開始致しますから、後ほど参りますね」
爺とともに去っていったリュシファーの微笑みは、言葉さえ丁寧なものの――…
“――逆らうわけないよなぁ?お嬢ちゃん。一応、ちゃんとおとなしく勉強さえしてくれれば、こっちも『切り札』は使わないでとっておいてやるから安心しろ。”
と、そう勝ち誇っている様に思えた。
そしてレティシアは、その高い壁の前に成す術を持っていなかった。
ずっと自分に向けられていたあの意地悪い微笑み――。
その理由も、切り札をかざされていたにすぎないという事を理解した。
一瞬、その事に気付かなければ別に恐れる必要はないとも思ったが…。
どう考えても天才的に頭のいいリュシファーが、気付かないという事はあり得ない事であることに、レティシアは落胆していた。
『現実はそう甘くない』
と、ついさっき思い知ったばかりであった。
そもそも、なんでエルフが教育係なんか引き受けたのだっ?
わからん………。ん? …待てよ?あいつの弱味を逆に見つければ……!
――――駄目だ。
…頭脳明晰。魔法に長け、若くしてエルフィード王立学院を首席で卒業――。
おまけに医学の心得もあり。あの者を絶対信頼している父上たちの評価を思えば、私の意見など勉強を嫌がって言っている戯言と思われるのがオチか………。
色々考えては見たが何も浮かばず、弱味を握ったとしても切り札の効力は絶大で、そもそもあの者に弱味など存在するのかさえ、期待するのも馬鹿らしくなりソファーに横になった。
「はぁ………」
いつも見慣れてる天井。今日は何故か自分に重圧をかける様に低く感じられる。
「――エルフィードから来た……リュシファー…かぁ~…」
そうレティシアが呟いてリュシファーの勝ち誇った顔を思い浮かべ、次第に苛々としてソファーでじたばたとした後、ため息を吐いてレティシアは目を閉じた。
――ところで。
“エルフィード”というのは『エルフィード王立学院』の名前であるが、リュシファーがいっていた“エルフィード”というのとでは、意味が少し違っている――。
リュシファーのいうエルフィードとは、“エルフの街名”のことを指していた。
――ちなみに。エルフィード王立学院は、そのエルフの街エルフィードに存在しているというわけではない。
それでは、何故『エルフィード王立学院』などという名前であるのか――。
エルフは博学でとても頭が切れるというのは誰もが知っている。
学院の創立者でもある初代校長は、学院の目指すところとして――、“エルフのような博学な知識を身につけ、学び、そして生かしていって欲しい”という精神を校訓に示し、エルフの街名を学校名に起用したのであった――。
したがって、エルフの街“エルフィード”という街は、今や世界中で一番のレベルを誇るとして有名なあの学院の名前にもなった街の事なのである――。
そして――新しい教育係兼目付け役として任命されたリュシファーという男は、ましてやその出身だということ――。
事もあろうか“エルフのような”――じゃなくて、“本物のエルフ”――なのである。
父上にも頭が下がるなぁ……はぁ…。
「あ~ぁ~…」
――――……
“エルフの森から外へ出るエルフはほとんどいない。
エルフの街にたどり着ける者もほとんどいない。
それでも時々、世界のどこかにいて、今も誰かが出逢っているかもしれない。
ほら、あなたのすぐそばにも―――…”
これは――。
昔読んだ絵本――…。
大好きだった絵本の最終文だ―――。
小さい頃に森でエルフと遊んだことがある主人公が、もう一度会いたくてその森に探しにいくけど、なかなか会えないで探し続ける。でも結局会えない。
――でも、そう思ってるのは主人公だけで気付いてないが、エルフは、森で迷ってしまった主人公のために、主人公と一緒に昔作った花飾りに使った花である“月夜草”という花を、森の出口までこっそりと道に続かせて落としてあげる。
姿を見せないまま――。
結局、エルフに再会することは出来なかったけど、夜になるとキラキラと輝く月夜草のおかげで森から出られたっていうお話。主人公はエルフには会えなかったと思い、さっきの最終文でしめくくっている。・・・とかいう内容だった気がする。
それは、幼い頃に城に来訪した吟遊詩人の者に貰った、大切な絵本だった――。
起き上がって本棚を探してみるが、ほこりをかぶったその本棚には見る限り、見当たらなかった。少し考えてみたがその本の行方は思い出せず、レティシアはまたソファに横になる。
――どうしてなくした物って忘れた頃に出てくるんだろう。その時に欲しいのに…。
と、物哀しげにレティシアは天井を見上げていた。
エルフは外に出ないとか見つからないとか言ってるけど、城に今いるんだよなぁ…それも厄介なのが…。
ぼーっとしていると――、変なことばかり思い出すものである。
―――…
―――城下へ出た時の事…。
自分より小さな子供がお姫様ごっこをしていた。
「あたちがお姫さま~」「あたし~」「昨日もお姫様だったじゃないっ」「いいのーっっ」「じゃああたし女王さまー」「えーずるい」「あははは」 ――…お姫様役を取り合う口げんか。
それを横目に、お姫様なんてちっともいいものじゃないのにって思った。
自由はないし、外で友達を気軽に作って、そんな風に楽しく遊ぶ事の方が羨ましいのになぁと、そう思いながら子供達を眺めていた事も思い出した。
“何故――私は、王女なんかに生まれたんだろう…?”
自分が成長する度に、一つ、また一つと――、そんな風に思わされる柵が増えていっていて、自由に憧れる気持ちが強くなっていた。
今回の事もそうである――。
きっとみっちり勉強させられて、またひとつ窮屈になっていくという事で落胆していた。
やはり城は――“煌びやかな牢獄”だな―――――…。
……これは、レティシアが書いた自由作文のタイトルだ。
何を書いていいかわからなかったレティシアに、教育係が『自由に書いていいんですよ』と言ったので、自分の思う通りに書き上げたそれは、自由に憧れていたレティシアからの目線で上手くまとめてられており、一国の王女として決して好ましい作文ではなかったが、レティシアにとっては無理もないことなのだろう――。教育係は、そう思い、『上手く書けているし発想も面白いじゃないですか?』と、褒めてしまった。
しかし、それが国王エリックの耳に入り、その教育係に解雇を命じた。その話は、解
雇された教育係の代わりに臨時で翌日に来た、レイモンドにより聞かされたのだった。
――“自由のない城の生活”を牢獄に例えたこの言葉は、時折レティシアの頭に浮かぶ言葉だった。再びレティシアが大きなため息を吐いた、ちょうどその時――。
突然、ドアがノックも無しにガチャッと開く――。
「よっレティ。新しい教育係、どうだったんだ?」
慣れなれしい調子で明るく声をかけながら、レティシアのベッドに座り込む少年――。
レティシアと同じ翡翠の様な緑石色の髪と瞳で、顔立ちは瓜二つである。違うといえば、髪が肩につくかつかないか位で、毛先が揃うことなくデザイン的にカットされた髪型くらいだろうか。――レティシアの双子の兄である、第二王子、『ミグ』だった。
レティシアにとって、同年代の唯一の友達の様な位置付けのミグの来訪は、いつもノックはない――。そんな風に入ってくるのはこの人物くらいだったので、レティシアは特に動揺もせずに、あぁ来たのかとしか思わなかった。
「おい・・・なんだよ、黙っちゃって。どういう感じだった??」
まるで犬の様にしつこくなついて来るミグの調子に、レティシアは横になったままため息を吐くと、冷めたような目線をミグに向けてこう言った。
「…ていうか、ミグは知ってたのか…今日あの者が来るの」
「ぁ……あぁ、父上に口止めされててな。悪いな。『アレには内緒にしとけ。明日、優秀~な人材を呼んである。今度こそ、真面目に勉強して貰うため、私自らが厳選した素晴らしい者だ』って父上が言っててさ、黙ってた――。悪い悪い」
ミグが自分の顔の目の前で、手で“ごめん”のジェスチャーをする。
軽くそれは見たものの、相変わらず心ない者の様に天井を見上げて、レティシアの口からは言葉がゆっくりと吐き出るように紡ぎ出された。
「――ふぅん。優秀ねぇ~…。首席だかなんだか知らないけど、なぁ~んか……。
“強敵”ぃ…って感じかなぁ~……」
一瞬、間が空いて、しぃーんと静まり返ったので、レティシアがミグに不機嫌そうな視
線を送る。
「ん? なんだ?」
「あ――…ああ、いや・・・。お前が教育係褒めるなんて珍しいなぁ…と…」
きょとんとした表情で苦笑い。そんなミグの様子に、レティシアはふと思い返す。そして起き上がり、少し顔を赤らめながら頭を振り乱して訂正の言葉を吐き出していく。
「べ、別に褒めている訳じゃないじゃないぞ! たっ、ただ――! …その――、ちょっと…………あって―――だな…―――…」
次第に声が弱まっていくレティシアに、ミグが“ちょっとの先が気になって仕方ない”
といった興味津々の眼差しを向けている。
その眼差しにうんざりとしながらも、仕方なくレティシアは今朝の経緯を掻い摘んで話して聞かせることにした。
ため息交じりで聞かされた話に、ミグは既に腹を抱えて笑い出していた。レティシアはその様子を見て、言うんじゃなかったと後悔の念も感じつつ、冷めた目でミグを見る。
「あはははっ、ひーお腹痛いっ…そりゃ、強敵だっ観念するしかないなっ。あはは」
「わ、笑い事じゃないっ。しっ、しかも! 性格が悪いんだ。私の前では敬語なんて使わぬくせに、爺の前だとちゃっかり“レティシア王女様”だとか“お目にかかれてご光栄”だなんて猫かぶっちゃってさぁっ、とにかく嫌なやつなんだっ!」
口調を真似て怒りをあらわにするレティシアの様子に、ミグは少し引きつる。
――こりゃ相当嫌ってんなぁ…大丈夫なのか?こんな調子で…。
と、ミグは内心教育係に同情した。とはいえ、ここで何か言っても焼け石に水とも思ったが、少しだけ教育係の肩を持ってやることにした。
「まぁまぁ、まだ若いって父上が言ってたし話せば話せるヤツかもしれないだろう」
レティシアはそれを聞くなり、憎き教育係が切り札を頭上に掲げて『はっはっは、お前はもはや奴隷だ~!』と脅し続ける構図が目に浮かぶことなどまでも並べ立て始めたので、少し呆れながらミグがため息混じりに答える。
「…それはさすがにないだろ。でもまぁ、そんなに性格悪そうなヤツのか?」
「な! 何故アイツの肩を持つっ。会えばミグもわかる。悪いなんてもんじゃな――――」
そこまで言いかけたところで、軽く咳払いが聞こえる。
次に、コンコンとドアを叩く音も響き、二人は一度顔を見合わせた――。
その視線の先を辿ると、ドアがわずかに開いている。
ミグは、自分が入ってきた時に閉め忘れていたことに気づき、唖然とする――。
本能的に、こういう時はごくりと息を飲んでしまうものだ――――。
「入ってもよろしいですか??お二人さん」
「!」
その声の主を――レティシアは知っていた―――…。
はっとして時計を見たレティシアの顔が青ざめて行く――。
時刻は、
『10時01分』を回っていたのだった――――…。
つづく。