【第三章】†ep.2 海と陸†
2時間前――…
ルクチェは、思いついたかの様にこう言った――。
『エンブレミア王国には確か双子がいたわね~』――と。
的確に――そして、最初からその思惑が脳裏にあったかの様にそう言った――。
今思うと、ルクチェは自分の部屋に私達を連れて来た時にはもう既に、私達がエンブレミア王国の王女と王子であることを、見当付けていたのかもしれない――と、そう思う。
―――…
「ねぇ…エルフィン」
「ん…?」
「――抜け出してきた理由は言わなかったけど、『あらそう…まぁ色々あるわよね』――って言ってたな…」
「あぁ…ルクチェさんか――。…俺はまだ信用はしてないけど、まぁ…城に戻されるかと思ったら、『別にそういう気はないから、安心してちょうだい』とも言ってたな。つっても…、わかんないぞぉ? 大人って言うのはそう言っておきながら、結構なんだかんだで言いつけたりするからなぁ~」
そう言ってミグはベッドから起き上がり、微笑みながら隣で横になっているレティシアの頭をくしゃくしゃと撫でた。突然、くしゃくしゃと髪の毛をかき乱されたレティシアは、もちろん怒って文句を言う。
「はは…っ。“短いなぁ~”と思ってさ」
「に、似合わないか? …これ」
とレティシアは少し不安そうにミグに聞いた。
少しの間の後に、ぷっと吹き出したように笑ってから言った。
「――その髪型の時の俺は似合わなかったって言ってるの? それ」
言われてレティシアは思い出したかの様に納得すると、嬉しそうに言った。
「うんう、――似合ってた」
二人は、ルクチェに問い詰められて素性を話すことになり、止む終えなく明かしたのだったが、ルクチェは少し驚いただけで別に城に戻るよう説得されるわけでもなく、『行く当てもないのなら、じゃあ少し一緒にミールティアの街へ来てみない?』と言っただけだった――。
その後ルクチェは、ミグの顔をまじまじと見ては『いや、本当よく似てるわねぇ~女の子にしか見えないわね、ふふっ。エルフィン』と言って微笑んでいた。
ルクチェに昨晩はあまり睡眠をとっていない事を告げ、昼寝をすると言ってルクチェの部屋を後にしたのだったが、なかなか二人は眠れずに、話しながら起きていたのであった。
レティシアはベッドの上に座っているミグに言った。
「ねぇ――。リュシファー…私達を探しに出されてたりする…と思う?」
「あぁ…――目付け役だからなぁ…父上なら、見つけるまで帰らなくてよいっ――なーんて城の兵士にもリュシファーにも、怒鳴りつけてるんじゃないか?」
「………」
その時、レティシアに返事をしたミグがベッドから立ち上がった。
「俺、ちょっとトイレ行って来る――」
ドアへ向かうミグに、レティシアは慌てて自分もばっとベッドから起き上がると言った。
「あっ、私も行くっっ――」
パタパタと部屋のスリッパを鳴らし、レティシアはミグの後に続いたのであった――。
――ミグには言っていないから知らないだろう……。
確かに、リュシファーはエルフの一族なので魔力は高いかもしれない。
きっと私があの時見た魔力も――、ほんの片鱗に過ぎない……。
仮に力ずくで連れ戻しにやって来られたら、今の私達ではかなう筈がない――。
――こうしていつもと同じ様にミグとケンカをしながらも行動を共にして――…
………ひとりにならないようにしていた。
ミグと笑い合っている時も、心のどこかで怖れていた――…
……ずっと―――離れ離れになるみたいに、……怖かった。
一方で、自分に眠っているという魔力のことも、よくわからなくて何だか不安だった――。
―――…
――トイレが済んだ後、二人は再び甲板に来ていた。
潮の匂いのする少し湿気を帯びた海の風――。きらきらと太陽に輝いて深い蒼の海の色――。周りを見回しても、遠くに目を凝らしても――どこにも大陸はもう見えない。
空は太陽が真上に輝いて、昨日までの悪天候が嘘のように海を照らす。
レティシアは、甲板の手すりに腕をかけながら、後ろのベンチに座るミグを振り返って聞いた。
“詠唱もなしに魔法を使うとは、どういう原理なのか”――と。
――精霊は、魔法の呪文の呼びかけに応え、魔法の力を貸してくれる――。
それが魔法という物が発動される原理である――。
精霊は使う者の意志を読み取り――、呪文を唱えると同時に力を貸してくれる。
どんな者が魔法を使おうと思った時でも――、精霊はいち早くそれを察知し、その者の側に来て、――まだかまだかと呪文の言葉が口から紡がれるのを、待っているのである。
高等魔術師ならば呪文の言葉を紡がなくとも、精霊の方が自らいち早くその意思を感じ取り同調し、呼びかけに応えてくれるだろう――。
しかし我々の場合は相性により、応えてくれる場合が稀にあるかもしれないが、精霊は気まぐれでもあるので修行を怠ってはならない――。魔力が低ければ、いくら呼ぼうとする精霊と相性が良くても、その様なことも起こり得ないことである。したがって魔力を高めるということは、魔法を使いこなす上で必須条件なのである。またこれは、高等魔術師ルーザスも言っている――。
“魔力無き者――…”と、ミグがその名言の部分を教本から読み上げようとした時、レティシアは勿論知っていて、続きを思わずその口から紡いだ。
「“――有りき者見えず滅す”…」
ミグが信じられない様な顔をしている。
「あ、いや。ちょっと――」
「…なんだ。まともに魔法の勉強してないくせに、それは知ってるなんて――変なの。まぁいいけど、ってなわけで…まぁ、魔力が高くないと詠唱なしで魔法使ったりなんて出来ないってことだ」
そう言いながら、ミグは教本を閉じて異次元空間にしまったかと思うと、風に吹かれて揺れる淡いピンクの髪の乱れを直して続けた。
「――だから、高等魔術師っていうのは凄いんだ。修行だけじゃなくて、資質みたいなのも多分あるんだってさ…本には書いてないけど、高等魔術師の多くは幼い時からその魔力の資質に気付いていたとか言うしな……」
「………」
隣にミグが同じ様に手すりに手をかけて、海を眺めている。
レティシアは、ミグにはやはり言えないとそう思った。
詠唱もなしに自分が魔法を使ったこと――。
リュシファーに何か資質を秘め、眠っていると言われたこと――。
そして、いつもは同じ歳の友達みたいに思っていたミグだったが、逃亡してからはいつのまにか少しだけ――、兄の様に自分が少し頼りにする存在になっていた事――。
………言えない――と、そう思っていた。
フリシールは風の魔法――。風の精霊とは相性がいいのだろうか……。
…他の魔法を使えないから他は知らないけど、やっぱり怖い。
呪文だけは知っているけど、使う事はない。
とくに炎は――嫌だ……。
「あらぁ~二人ともぉ~寝たんじゃなかったのぉ?」
声のする方向に二人一緒に振り返った。――ルクチェだ。
ルクチェに向けて二人して微笑んで、ミグが手を振って答えた。
「…あはは、なんか眠れなくなっちゃって、ルクチェさんは?」
「天気いいしねぇ。二人が寝るって言うから少し風に当たりに来たの」
ミグが元気に答える中、レティシアは黙っていた。
それに気付き、ルクチェは声をかける。
「あらティアラちゃん、どうしたの?」
ルクチェは優しい光を揺らすその瞳で、レティシアをじっと顔を覗きこんで見ている。
奥に奥に、レティシアは吸い込まれる様にそれを見ている。
「優しい…光――」
「え?」
ルクチェが不思議そうな顔でそう聞いたが、レティシアははっとしてぎこちなく微笑むと笑った。
「あぁ、いや。目が綺麗だなぁと思って、あははは……は」
「……あ、あら…そ、そぉかしら。ティアラちゃんも綺麗な目をして―――」
そう口にしたルクチェの表情が少し驚愕した様に作られていた。その優しい光を携えた瞳は、レティシアの瞳をじっと見つめている。レティシアが困惑して声を漏らすと、ルクチェははっと気がついた様にぎこちなく微笑んだ。
「あ…あの――?」
「あ――いえ、ごめんなさい。あ、あんまり綺麗だったからつい見とれてしまって…あはは。噂には聞いてたけど、近くで見ると本当に綺麗な顔立ちねぇ~さすがは――おっと、危ない…素性がばれる事を口にするところだったぁ…あ――えと。私、これからお風呂に行こうかなぁと思ってもいたんだけど、良かったらティアラちゃんも、一緒に行かない?」
取り繕ったようにルクチェは見えたのだが、自然にお風呂に行くと言ってレティシアを誘ってきた。それを聞いて、ミグが何かをルクチェにこそこそと耳元で囁いている。その次の瞬間、ルクチェは吹き出しては笑いをこらえた様にレティシアを見ていた。
その横でぎこちなく微笑むミグに、レティシアは何を言ったのか問い詰めた。
「い…いや、そりゃ言っておかないとと思ってな」
次にルクチェが言った。
「あはは、いいわいいわ。――大丈夫よ。ティアラちゃん。頭くらい洗ってあ・げ・る・か・ら」
「!」
ミグはレティシアが体はちゃんと自分で洗えると思うけど、頭洗うのがまだ出来ないということと、エンブレミアの慣わしのことをルクチェに話していた様だった。
なんだか恥ずかしくなったレティシアは、ぷいっとそっぽを向いた。
それでも、結局ミグがルクチェによろしく頼み、風呂に連れて来られたのだった――。
「わぁ………」
海の上の船の中にある大浴場――。レティシアは、なんとか体は自分で洗い、後はルクチェに頭を洗って貰って、浴槽に浸かる。城の中の様に広い風呂だったが、違うのは知らない人たちも何人か入浴していた事。お年寄りや子供など、数人の人たちが湯に浸かっている。レティシアはそれが珍しかったので、浴槽に浸かる人たちを目で追っていた。
「――そんなに珍しい目で見てたら変に思われるわよ?」
ルクチェが上に上げた黒く長い髪を、タオルで巻いた後れ毛を艶やかに垂らし、微笑まし
いものでも見るかの様にくすっと微笑んではその目をレティシアに向けて言った。
「あ…いや……つい…」
恥ずかしそうに肌を紅潮させながら、レティシアはさらにその身体を湯に沈めた。
と、突然、海の波に揉まれたかの様に、ふわっと体が浮き上がるような感覚に包まれて、レティシアは驚いて声を漏らす。
「くすっ…ここは海の上だから、海の波で船が揺れるとお風呂のお湯も揺れるのよ」
「へぇ~なるほどぉ…びっくりしたぁ」
「船――乗ったことないの?」
乗った事ある筈はなかったので、レティシアは頷いた。
「そう――よね…。何があったかは知らないけど、今頃大騒ぎになっているんじゃなぁい?」
ルクチェはそう言った。レティシアは黙って俯いた。
「――でも、これは私の独り言。いい? 独り言よぉ? ――私はね…いいと思うのよ。ずっと言いつけられるままにおしとやかにさせられて? 自分のやりたいことも叶わないなんて、もったいない。それに――あ…ううん。何でもない――独り言終わりっ…ふふっ…」
ルクチェは独り言といって、レティシアにそう言った。レティシアは少し嬉しかった。でも、何かを言いかけて口を噤んだ様子だったのは気になったが、何となく聞き返せなかった。
そして、レティシアはルクチェに聞いた。
「――ありがとう…ルクチェ。あの…精霊使いって言ってたけど、…それって何だ?」
一瞬、きょとんとしながらルクチェは静かに話し始めた。
「…精霊の声を聞き、精霊の呼びかけに応えよ――…これが精霊使いなの。普通は、精霊に呼びかけるでしょ? でも精霊使いは違う。使うべく時に精霊の方から力を貸してくれようと語りかけてくれるのよ。だから、ミールティアは精霊に守られし町とも言われる由縁なの」
「ふぅん……。じゃあ、ルクチェも精霊の声を聞くの――??」
レティシアの質問に、ルクチェは浴槽から出て言った。
「――まぁね。でもね、お告げをしに来る時もあるんだけど、時々しか来てくれないわ。お父様の様には、まだまだ私も修行が足りないみたいでね…。ふふっ…そろそろ出ましょう」
「あ――あぁ」
そう言ってレティシアは、ルクチェと一緒に部屋へ戻って行ったのだった。
―――――…
そして、翌朝――午前7時。
イオネ大陸クトレス港に船は入港し、レティシア達一行はクレトスの港町のカフェに入っていた。何故なら、ルーセスト大陸の北にあるイオネ大陸は気候が少し寒く、港に着くなり冷え切った空気にレティシアとミグは寒くて死にそうと騒ぎ、ルクチェがやれやれと温かい飲み物でもとここへ連れて来たのだった。
「もぉ、こんなんで寒いと言っていたら、ミールティアまでは持たないわよぉ? ミールティアは雪が降ってるのよ?」
ルクチェが飲み物を片手にそう言った。
「こ…こんなに寒いとは――冬服なんて持ってきてない…後で何か買おう」
「そ、そぉだな…でも寒くて外出られないぃぃ。エルフィン、行って来て」
「何言ってるんだよ、お前も来るのっ」
「えぇぇ~」
と、相変わらず目の前の同じ顔をした二人は息が合っているかの様に、言い合いをしているのを見て、ルクチェが少しくすっと微笑んだ。
「私が適当に見立てて買って来ましょうか? お金さえ渡してくれれば適当に買ってくるわよ」
「ほんとにぃっ? はい、じゃあこれで。とりあえず適当に何か暖かい格好になる物をお願いっっ」
そう言って渡されたお金を受け取ったはいいものの、ルクチェはため息を吐いた。
ルクチェの様子に、レティシアとミグは顔を見合わせて不思議そうにしている。
――ミグが渡した額は10万レクス。それは二人に10着ずつは買える額だったのだ。
「あ、あのね……こんな額――」
――貰っても、そんなに一着高い服どこで買ってくればいいのよっ――とルクチェが言いかけたのを途中で聞かずに、レティシアがミグに呆れた様に言った。
「――ほら~、足りないと思ったんだ。まぁ、エルフィンには宿代も船代も出して貰ってるから私が残り出す――で、いくら足りないんだ?」
ミグにそう言ってからルクチェに聞くが、ルクチェはもはや唖然とした表情をその顔に浮かべていたかと思うと、再びため息を吐いて呟いた。
「――はぁ…これは先が思いやられるわね……」
「?」
「?」
もちろん何のことを言われているかわかってなさそうな二人に、ルクチェは席を立って言った。
「あ…えと、まぁいいわ、後で。とりあえず額は足りるからここで待ってて。いい? 勝手に動いちゃだめよ?」
とルクチェは二人にそう言い残して、服を調達しにカフェを出て行った。
残されたレティシアとミグは、きょとんとしてその後姿を見送った。
ルクチェが買ってきた服をレティシア達がトイレで着替えると、先程までものすごく寒く感じた外の空気も少し平気になり、三人はやっとその歩みを進めていた。
レティシアには、剣を扱うのに動きやすい“シヴァの羽衣”と呼ばれる防寒素材で出来ている精霊のミニローブ。
ニーハイソックスと、ふわふわとした動物の毛素材で、ウサギの耳まで付いた可愛らしいフード付のピンクブリザードケープに雪ウサギの手袋――。
ミグには魔力を高める精霊石のチャーム付で、レティシアと同じ防寒素材で出来た精霊のドレスと、雪飾りの帽子という可愛らしいデザインの動物の毛で出来た帽子。レティシアと同じ手袋などを買ってきた。そして、雪道を歩くためこの大陸で誰もが履く“精霊守りのブーツ”を二人に買った。
もちろん、大量にお釣りが発生したため二人にため息を吐きながら、金銭感覚の違いを説明しながら返したルクチェは、ひとまず寒がっていた二人もこれでやっと満足そうにしているので安堵していた。
「はぁ……疲れたぁ~」
レティシアが歩きながらそう言った。
ミールティアはまだまだ先だ――。
おまけに、先程町を出たばっかりである。レティシアは、その場に立ち止まり疲れた様に言った。ミールティアに着く途中には、カザフールの村が中間辺りにあるが、それまではかなりの距離がある。それを思うと出たばかりだと言うのに億劫になって来たのである。
「まだ先だぞ~? 今からそんなこと言っててどうするんだ。お前より俺のが歩いてるんだぞぉ~」
「はは…そうだったなぁ。――フリシールでも使おうかなぁ…歩かなくていいように」
「ったく…しょーがないなぁ。じゃあかけてやるよ――」
ミグがそう言って詠唱し始めていたが、途中でぴたっとその詠唱を止めた。
不思議に思って、レティシアがミグの驚愕した視線を怪訝そうに見た。
「――え?…なんだ??」
そう言った自分の視界の前に、以前見た透き通った様な風の渦が目の前に横切った。
レティシアの表情もミグと同じに驚愕のものへと変わる。
「お……おい―――、レティ…お前―――」
ミグがそう言った時、先を歩いていたルクチェが、なかなか来ない二人に遠くから声をかけてきた。
「二人ともーっ、ほら早く~夜になっちゃうわよぉ~っ」
その言葉にはっとしてミグがルクチェに返事をする――。
「――あっ…はぃっ、い、今すぐーっっ」
レティシアはミグに見られてはいけないものを見られてしまった気分だった――。
そして向き直るミグの顔を凝視した後、今度は心の中で詠唱したわけでもなく、使おうかなと思っただけで発動したことも怖れ、レティシアは教本の文章を思い出していた――。
――高等魔術師の資質を秘めている魔力の高い者は、精霊がその意志を感じ取り、精霊自らが呪文の詠唱をしなくとも、呼びかけに応える――……
その時、レティシアの身体は――、既にふわふわと宙に浮いていたのだった――。
――――……
つづく。
ピンチかと思われたがなんとかルクチェの理解により、ミールティアへ向かうこととなったレティシア達。
自分でも得体の知れずに目覚め始める自分の魔力を怖れて、はっきりと何かがわかるまではミグには知られないようにしていたレティシア。
しかし、その片鱗はどんどんと力を目覚めさせていくのを感じて…?
という回でした。船旅を終えて陸での話に入ったので、海と陸ということでタイトルをつけました。では、また。