【第ニ章】忍びよる暗雲の影†ep.0 5ヵ月後†
第二章がスタートです。
城でのはじまりが第一章だったのですが、二章はやっと少しずつ展開します。
リュシファーがエンブレミア王国レティシア王女の教育係兼目付け役に任命されてから、もう5ヶ月が経過しようとしていた――。
――ここは、リュシファーの部屋…。
リュシファーは机に向かっている。黒縁の眼鏡をかけ、手に持っていた赤いペンを置き、何やら一段落した様子で息を吐いている。
「馬鹿姫…ね………」
“馬鹿姫”というのはもちろんレティシアのことだ。勉強が嫌いで切り札を手にしたから良かったものの…もし手にしていなければ、おそらく勉強などしなかっただろう。
「――兄さん!」
突然、扉が開いて振り返ると、自分と同じ日にエンブレミア王国王立研究所で勤務することになった弟のサーシャが姿を現した。
「なんだ。お前か…珍しいな。…どうした? 研究に行き詰まりでもしたか…?」
2つ違いのサーシャだが、背丈は少し低いくらいで二人は同じ歳位に見える。無論、エルフの血筋なので当たり前だが19歳のサーシャは、リュシファーと同じく18歳で見た目の成長が止まるためであった。
髪形や髪や瞳の色が違うせいか双子という程は似てはいないが、よく見ればどこか雰囲気が似ている。
「やだなぁ…上手くいってますよぉっ。僕の事よりもっ。…そちらの方はどうなんですか? そろそろテストも終わって成績つけるんですよねっ?」
「…心配して来たのか? はは、心配される事もないさ……」
「――というと…?」
リュシファーは先程まで自分が作業していた一枚の紙に目を配る。
「まだつけ途中だが、見るか?」
それを少し微笑んで差し出し、自分は煙草に火をつけた。
不思議そうに受け取ったサーシャは、それを見てしばし唖然としている。
リュシファーが教育係に任命されてからのレティシアの初めての成績表――それを見たサーシャの反応は、リュシファーの想像通りだった。サーシャは、どうやら固まったまま動けない様だ。灰皿の吸殻を一度ゴミ箱に捨てながら換気のため、窓を開けた。
風が部屋をかけぬけていくように吹き、リュシファーの髪を揺らす。
「…馬鹿姫なりにかなり頑張ったみたいだな。見ての通りだ。――今までやらなかっただけで出来ない訳ではなかった様だ…」
窓の枠に腰をかけながら煙草を一吸いして、心の中で切り札のことを思う――。
…それか、もしくは――俺に見下されるのが悔しかったのかもしれん…。
リュシファーは呆れた様に微笑んで白い煙を吐いた。
外を眺めるリュシファーに、サーシャが我に返るなり尊敬の眼差しを送る。
「すっ、凄いじゃないですかっ…でも一体…どうやって勉強させたんですっっ?」
サーシャに投げかけられたその質問に答えるわけにはいかず、誤魔化すリュシファーにサーシャは思考をあれこれめぐらせて予想を投げつける。
しかし、リュシファーは全て首を横に振ってこう言った。
「――悪いな…。いくらお前でも教えるわけにはいかない。」
「え…」
サーシャは意外そうに眉をしかめている。
「――俺と馬鹿姫の秘密…ってところだ。さ、俺は今日夕食前までにこれを仕上げて陛下に提出せねばならんのだ。お前も戻れ」
リュシファーに促されるままサーシャは、ぽかーんと唖然としながらドアの外に出されてしまったサーシャは、研究室までの帰り道も“兄さんと姫様の秘密”についてあれこれと頭を悩ませていたという……。
「偶然とはいえ、いいもの拾ったなぁ――」
ふ……と笑みをこぼしながら、リュシファーは呟いていた。
「…さてと、早くつけて陛下に報告に行かなくてはな」
リュシファーは、ふっと微笑んでそう独り言を言うと、再び赤いペンを手に取り作業を続けたのだった――。
一方――。
レティシアは授業も終わってすぐに、屋上に来ていた。
空は青く澄み渡っていた。一週間ほど、雨が降り続いていたので久しぶりの快晴だ。
「あーっこらっ。エミュ~! 駄目じゃないかぁ。頭の上でボロボロ落とすなっ――」
レティシアに“エミュ~”と呼ばれたのは、猫――の様で猫ではない…。それでは、『一体何なのか?』と聞かれても――『……猫?』としか答え様がないと知る者は言う。
白い猫の様な容姿だが、その背には羽が生えパタパタと飛び回り、「ミュ~」と鳴く。
なんともこの不思議な猫(?)は、レティシアとミグが城を抜け出し、こっそりと近くの森へ魔物退治に向かった際に、偶然、魔物に襲われている所をレティシアが魔物を倒し、怪我をしていたのでミグが回復魔法をかけてあげて二人で助けたのだった。
その後、森の魔物を退治してこの不思議な猫(?)とバイバイして、二人でレティシアの部屋に戻ると、バルコニーで鳴き声がして見るとその生き物がいた――。
背にある羽で空から二人を追ってきたその猫(?)は、ひょっとしたら魔物の子供なのかもしれないと二人は思ったが、見た目は白くて愛くるしい顔と可愛らしい声で鳴き、おまけにちゃんと言葉が解る様子で言いつけを守るので、いつか森に返す時までは内緒で飼う事にしたというわけだった。
城の者では唯一マリアがエミュ~のことを知っている。マリアは無類の猫好きで、それが幸いしてレティシアやミグが連れて来たエミュ~に『ちゃん』付けで“エミュ~ちゃん”と呼び、世話をしてくれているのだ。
エミュ~は基本的に何でも食べ、ぽんと空中に投げたクッキーまで食べる。
パタパタとそれを器用に飛んでキャッチし、レティシアの頭の上で食べる――というこの作業を何度繰り返しただろうか。
レティシアは自分の頭に何度も溢されるクッキーのカスを払うのも面倒くさくなり、エミュ~を床に降ろして自分は屋上の塀に「えいっ」と飛びあがり座って遠くを眺めながら呟いた。
「……暇だ」
この数ヶ月、レティシアはこっそり城下に抜けたりせず、真面目に城で過ごしていた。リュシファーは毎日、レティシアに宿題をたんまり用意してきた。
必死にそれをこなすため、勉強をしなければならなかった。
“もし、宿題をやってこなかったら…わかってるよな?”
とか言ってくるのはわかりきっていたので、言われなくてもやることにしていた。
リュシファーが“人間は難しく考えすぎる”と言っていたのが今はよくわかる。
エルフの者達が博学だと言われる理由は、そこにあるのかもしれない。
エルフ族流の考察で進む授業は、レティシアにとって目からウロコのようで、すんなり頭に入ってきて勉強が苦でもなくなっていた。人間、出来るようになってくると面白くなってもくるものだ。今日はテストの返却だったが、レティシアは意外と間違った箇所も少なかったので、解説もほとんどなく、おまけに珍しく宿題もない。1時間半程で授業が終わってしまい、11時半にお昼を食べたレティシアは、暇を持て余していたのだった。
ふと、頭にリュシファーの褒め言葉が浮かぶ。
“――よく頑張ったな…。”
レティシアは得意げに、ふふっと床にいるエミュ~に向かって微笑んでいた。
エミュ~は不思議そうにレティシアを見上げている。
遠くを眺めながら足をぶらつかせるこの姿を、リュシファーが見たら怒るだろうなぁとレティシアは思った。しかし、リュシファーはここにいない。怖いレイモンドもいない。
めったに人が来ることがないこの屋上だけは、唯一のレティシアの自由な空間かもしれない――。
しばし、暖かい陽気と心地よく吹く風に翡翠の様な緑石色の長い髪を揺らしながら、レティシアはぼーっと考えごとをしていた。
「…そうだ!」
突然、塀から床に飛び降りるとレティシアは、いい事を思いついた様に輝いた顔をしてから、申し訳なさそうにエミュ~に向かって言った。
「エミュ~、ごめん。用ができたから――またねっ」
そしてそう言いながら走って階段を駆け降りていくレティシアの姿を、エミュ~はきょとんとして首を傾げながら不思議そうに見ていたのだった。
―――…
その頃、大広間――。
国王エリックの元に、ダムルニクス王国よりの使者2名が謁見していた。
重い口を閉ざした深刻な面持ちのレイモンドの姿もある。そして、エリックとレイモンドの傍らには、不安そうな面持ちで立っている――琥珀の様な金色の長い髪を後ろで結わえた美しい王妃リーディアが、そこに唯一の華を添えていた。髪と同じその金の瞳は不安そうにエリックに何かを訴える様に潤んでいる。
「…では――三日後とノイエル殿に伝えてくれ」
「ははっ」と跪いていた使者が後ろへと後退と一礼をし、その後ろに跪いていたもう一人も同様に後に続き、大広間の大扉は重低音を響かせながら閉じられた。
「はぁ~………」
国王エリックが大きくため息を吐いて何やら俯いて首を横に振っている。
「――あなた…」
エリックの腕に手をかけ、ずっと不安そうな面持ちだったリーディアが口を開いた。
「レティシアは――そのっ…―――!」
そう言いかけたリーディアの顔を見ずエリックは、腕にかけられた手に優しく触れた。
「…リーディア。何度もエルトにも使いを頼み、無論、書状を届けさせただけで内容は知らせてはおらぬが、既に決まっていて時を待つのみだった事だ…」
「で、ですがっ――」
そこまでリーディアが言ったところで、今まで口を開くことがなかったレイモンドがその重々しい口を開いた。
「恐れながら王妃様、この事はレティシア様がお生まれになる前から既にお話しし、知っておられた筈でございますじゃ…」
「でっ…でもっ…………っ」
その言葉にリーディアが潤ませていた瞳を、レイモンドから下へ向ける。
リーディアのその身体は小刻みに震え、きつく目を閉じたように俯いていた。
「…わ、わたくし……少し気分が優れませんので…これで失礼致しますわ……」
リーディアは力無く大扉の方へ歩みを進め、大扉は再び重低音を響かせ閉じていった。
リーディアは涙をその目に浮かべていた。おそらくエリックもレイモンドもそれに気付いていた。――が、声をかけて慰める事は出来なかった。
「――…困ったものだな……」
エリックは落胆した様に深く息を吐いた。エリック自身もリーディアと同じ気持ちが、僅かでも心の中に渦巻いているのを自覚している様子がレイモンドには伺えた。
「…陛下――」
レイモンドが心配して何かを言いかけたが、エリックは横で手をかざしそれを静止した。
「――よい、わかっておる。…国王というのは気苦労が耐えんな…レイモンド」
最近よくエリックが愚痴を溢す事に、レイモンドはふぉっ、ふぉっと笑って頷いた。
「…左様の様で御座いますな。御心労お察し致しますですじゃ……」
「アレには今夜、夕食後に伝える――。レイモンド、下がってよい」
そう言ったエリックの表情は、大きな厄介な事を抱えた様に険しいものだった――。
果たして、今夜告げられる事というのは、何なのだろうか。
暗雲の影は、すぐそこまで迫ってきている様だった――。
つづく。
各章ごとにエピソード0を作る予定です。
何かが起こり始める前兆的な感じで、まだ何もメインは起こらないけど、起こりそうな感じを少しみせておく様なものなので、そんな感じで大体把握していただければ幸いです。